二千九年七月三十日 

 

 「日本といふ物語」制作ノート       


美の革命
「言挙げせぬ国のフィジカ たまきはる命としての波状口縁尖底器」

 ここでは、現代美術の一制作者側の視点から無文字時代と文字時代との間に一本の橋を架けわたすべく、両者に通底しているとおもわれる母語にはたらく言語精神の論理というものを、そしてその思索の核となっている基本の論理を三つの法に絞りこみ、その言語精神文化の視点から古代から現代までにわたる一万余年の日本列島のひとびとの心性に通底している美の構造を解明した。 
2010.10.15


文字を横から縦にする。たったそれだけで、その具体的な方法というものが、横表記になかったところの豊かな発想を与えてくれる。情報処理の感覚では、もれてしまう全体的な縁起の世界。縦の間あいに、そんな世界をよびこむができるからだろうか。いづれにしても身体軸に即した方法が、縦書表記なので、いづれ、もっと技術的にクリアーされれば、ウェブの表記は、タテの割合がかなり増加していくことになるだろう。
「日本物語」は、動画ではない内的アニメ(動画)である。動かさないで、説明しないで内的にジブンたちのなじんだ時空を物語っていく。それは、おおげさに考えないでも、十分可能である。説明はつまらない。2009 そろそろ梅雨明けか。


「いったん文化装置の全てに強制終了をかける」

次に、無文字文化の視点を再起動する。そしてその原野から、日本美の謎の解明に挑む。

わたしたちが過去から未来へと引き継ぐべき至高のメッセージは、光琳
の不気味ともいえる「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」、そして等伯の山水画を越えた山水画としての、等伯の「松林図屏風」。また芭蕉が命と引き換えにわたしたちへ残していった、俳諧を越えた俳諧、
  旅に病で夢は枯野をかけ廻る
まづこれら
の美の構造と意味を、無文字文化の美の荒野へと降り立ち、古言の視点からとき解すこと。
 2009.06.4

       「新古事類苑」構想

 ○
百科事典と編纂の仕方が違う「古事類苑」検索システムを採用すること。それぞれの項目についての記述の大部分は各時代の文献から抜粋された引用文で構成。さらに、それらを細分類し、新見出しの下に時代順に配列する。
採録文献は、歴史書や有職故実書、その分野の専門書から、日記や物語まで幅広く。生史料記述を読むので手間だが、探す文献はこれ1冊ですむのが最大のメリット。
項目の配列は五十音順でなく、(天部、歳時部、地部、神祇部、帝王部、官位部、封禄部、政治部、法律部、泉貨部、称量部、外交部、兵事部、武技部、方技部、宗教部、文学部、礼式部、楽舞部、人部、姓名部、産業部、服飾部、飲食部、居処部、器用部、遊戯部、動物部、植物部、金石部の30部門に分かれ、それぞれの項目に簡単な説明付けあり)
また、 主題別に新見出しをつける予定。  2008.02.1


一度、googleとyahoo!の検索にかけ、その結果の引用文を再引用して「新古事類苑」を創る。(項目をたて、ジブン用の抜粋引用文ページを作成。さらに、それらを細分類し、新見出しの下に時代順に配列する新形式の採用。 その作業をリアルタイムで、しかも、自動更新で行うこと。検索エンジンの自動更新再利用で古典文学研究の使い勝手を向上させる。


現代歌枕 [バーチャルで甦る日本の自然、日本の歌]を追加、日本各地のあたらしいバーチャルな韻文空間を創出していく。その手始めに誰にもなじんだ空間「尾瀬」を選んだ。2008.01.19

 ○ あたらしい年となって、やっと、三ヶ月の試行錯誤に整理をつけて、Uta!Kuraの基本コンセプトと、貧弱ではあるが、サンプルモデルが出来上がり、アップロードした。 「うた!くら」 が提供しようとしているものは、古典文学でも、現代美術作品でもない。古典をてがかりにした自由な討議で、等身大のあたらしい韻文空間を創出できる場を探求したく、そのためのいまは前段階としてのプラットフォームの提供である、2008.01.04

 ○ 明日のわたくしは、検索してダウンロードしてきた今日のわたくしと出会ふことになる、そして、未来や社会傾向というものを織り込みつつ、わたくしよりもわたくしらしいサーバー上のわたくし自身と関係することによってさらなる明後日のわたくしへと肥大していくことだろう。しかし、それは、googleに代表される情報テクノロジーによる情報プラットフォーム上の、情報バブルとしての自画像なのだ。ギリシャ悲劇が教えるように、この物語は、論理的必然として必ずやクライシスを迎える。
 ○
瞬間前までのアーカイブを無限大に収集、分析、全体トレンドとすり合わせて、再統合。レバレッジを効かして再配分された先取り情報を鵜呑みにするな。そこに描かれた世界はすでに滅んでしまった過去の泡沫なのだ。  2008.01.01

 ○ 歌座は、古典文学や美術などの情報プラットフォームではない。身体を軸にして自然や、環境、物事を考えていこうとする思考実験サイトである。歌座とは、そんな考えを可能にしやすいように、縦書き表記にした日本独自の仕様となっている、とくに、韻文空間をその展開の要に位置づけている。
We think about nature or the environment or things centering on not information but the body. Utaza is a platform where such an idea is enabled.


 ○ どれほど頑張ってみても、Googleは未来を拓けない。グーグルのデータ解析で未来が予見されそうに思い込み見がちであるが、それは、 錯覚である。たとえれば、Googleの提示する現在や、l未来とおもわれるものは、慣性の法則に従った過去のデジャブのようなものだ。彼等の情報はすべて、過去が描きだした幻なのである。瞬間前の過去ログを無限大に集めてみてもそれは、過去でしかないからだ。未来は、過去の分析から拓ける種類のものではない。
 ○ Googleというアキレウスは、歌座という亀に追いつくことが、論理的に不可能である。(詳細は後述)
 071230

 ○ 「新考古学ことはじめ 」ウェブの階層を地層とみなし、ウェブ各層からサンプリングする。
   (日本物語)であれば、そこへ焦点をあてて。
   
 

 ○ 熊野の花の岩屋  御幣  注連縄   拾って、命名していく作業をサイトで新しい美術ジャンルとする。071212
        二千八年に向けた 準備

主題   : 「日本という物語」のなかで、日本が物語られ、樹や森や海といった自然がものカタラレ、わたくしたちさえカタラレテ、受け継がれて、イマ、ココにわたくしたちが存在している。そのうちに、小川の水の流れ、深い海の彩、黄金色の稲穂のにほひ、こおろぎのこえ、そうした風景がみえてくればしめたものだ。つまり、わたしたちの自然や身体は 「日本という物語」のコピー&ペーストでもあるということを顕かにすることで、日常性的には、政治批判などでてくるが、その意味を越えて、却って、コピー&ペーストで、日常言語の背後にあるシステム言語という、別の言い方をすれば、個別言語の拠ってたつロゴスというもののイデアールな存在の気配を感じたり、幸運にも秘蹟のような出来事に立会えたり、その生起を自覚できる時間を生み出せたりするきっかけの場を提供できれば嬉しくおもう。
それは、どんな国、地域、時代においてもそれぞれの言語による共同体あるところ、みな同じ事態であろう。ルネッサンス運動自体が、ギリシャローマン時代のコピー&ペースト運動であったともいえるし、「日本という物語」は、 「わたくしという物語」とも重なった{非日常なる出来事に支えられた日常の}物語なのである。
日常性という権力構造システムを、なかから解き放ち(自由)「もう一つの日本といふ物語」へ容れた。権力としての正史を相対化し、解体無化する作業。

意図 :
「横を縦で刺し違える」ネットの総体そのものは、あたらしいコミュニケーションアートとして、提示の意味もある。 その総体の核を縦書きにすることで、わたくしたちの文体に即したイでアールな構造を付与したことになる。 権力としてのインターネット時代の公文書は、今後も横であろう。わたしたちは、縦の叛乱を起こす自由を持っている。

ポイント :わたしたちの言語のロゴス発動によるイデアールな構造化を果たすだけでよい。

その方法:
1.縦書きにすることで、文法力を発揮できるので、イデア構造の柱となる。
2.引用符の付与で意味性を無化。
3.制作プロセスや、意図の公開で、作品性という閉じられた芸術作品体系を無化する。
4. 更新永続(人工知能による自動更新)で、芸術作品性の無化。
5. 舞踏の方法で、動かず、説明せず、踏みつづけていると、
 なすべき事をして、自由が舞い降りるを待つ。
 その時満ちて、円融具足化すれば、創めと〆がはじめて定まる。
6.国家の正史を無化。
7.コピー&ペーストという複製技術の意識化、精神化であたらしいアートステージへ移動。
8.引用、リンクの遮断で。リンクの意味を問う。
9.このあとの「もう一つの物語」で、波状口縁尖底土器のみている夢として、現象を記述していく作品との違いを明確化しておく。


次は:

1.リアルタイムネットワークで一大歌仙を巻く。
2.「もう一つの物語」で、波状口縁尖底土器のみている夢として、現象を記述していく作品を創る。


二千七年十一月九日
・ 原文主義でいく。古典への切り口は、文学ではなく、美術だから。 引用符アートとして、そのものを大事に。

・ コンセプトとは、コンテンツにたいする用語である。
ポストモダンのあたらしいコミュニケーション として、本でないネットの切り口を深めていく。そのための掲示板は必要なので、意見や論文、美術作品の寄  稿は、そこをセレクトして、縦書きであつかう。
  だから、掲示板は、リンクで外部のヨコウチ掲示板のほうが、都合がいいだろう。
・  「よこをたて」 にするは、一種の儀式の意味合いがあるので、外部との連絡は横でもよい。

・ キリシタンに関する幕府のお触れ、お達しの類も提示する。祝詞。陀羅尼。西田論文。兵法書。現代行政書目録。ソフィスト論文目録。国家納入の全成果品項目の提示。

二千七年十一月十日
・制作姿勢は、舞踏とおなじ。日常の意味性が無化されて、非日常の時が生起してくるまで、退屈に見えても、立つくす。踏み尽くす。
・物語のエンディングから語りだす。
・ エンディングは、無化のはたての自由だ。本来的自由とは、非日常性なのだが、その自由の瞬間がほんのわずかでも生じれば、はじめを了へて良し。
・「日本といふ物語」は、ポストモダンの手法で描いた日本の物語であり、コピー&ペーストによる引用符アートである。
・われわれという、国家から個人にいたるまでの、古事記の時代から、コピー&ペーストで成立しているともいえる。 杜甫、西行、仏頂における芭蕉然り。
・美術世界のグーグルあるいは、ヤフーなのだ。彼等の第一ページ構成と同じである。違いは、「ユーザーが、コンテンツを見る」という商業的日常の行為にかえて、その行為の意味を、無化、相対化して、問うているところにある。つまり、見る、見られる主体はユーザーという観客ではない。制作主体と同化した、ポイエーシスへと駆り立てるものそのものなのであろうか。

二千七年十一月九日
・舞踏とおなじ。時が生起してくるまで、立つくす。踏み尽くす。
・ 「日本という物語」は、つまり 「わたしという物語」なのだ。

二千七年十一月二十三日
 現在、来年にかけて準備中の「日本叙事詩」は、従来の叙事詩の創作行為に代へ、歴史の局面局面に表出された言語から物事、出来事の意味あいを可能なだけ引き剥がし、言語を、記号化されたモノとして扱い、あらためてhtmlで記述、ハイパーリンクで結んでWWWの世界へ放つことを主たる制作の柱としている。ここで、採用している方法は、全てを相対化することで、無化して、絶対的意味あいをそぎ落としていくポストモダンの代表的手法のひとつである。ちょうど、ローム層や、その赤い層を挟む第一、第二ブラックバンドとか、その上の黒い腐葉土層から、地層ごとに、無文字時代の具体的な石器や土器のかけらを引き剥がして採集、三次元記号を付与して、蛍光管の平板な光のもと、二次平面の作業台へ並べたて、つぎはぎしていく行為と同じレベルの作業である。詩的創作活動とは、まったく無縁にみえるこうした作業の結果、ここへ無言であぶり出されていく全体が、今回の「日本叙事詩」となる。社会的言語表現を意味からひき離して、ことばの欠片として、土器と同列に並べ直していく作業は、言葉と身体が遊離しかけている現代を象徴する手法といへようか。なお、過去を、未来を、蒐集しつつ、今とともに肥大化していくこの叙事詩の主題は、WWWというハイパーリンクな世界の涯てをその限りとする得体の知れない無限大のナニモノカ、その正体を解明し、超克することにある。総論的に、結論からいってしまうと、WWWの影は、世界を覆いつくすほどに巨大であるがゆえに恐怖だが、実は、その正体は等身大のわたくしたち自身そのものの影でしかないのではなかろうか。もし、そうであれば、その観て取り、自覚こそポストモダンの次の時代が求める「自由」というものとなるはずだ。この作品をもって、権力側の支配ツールであった当該時代、時代のメディア言語とその記述してきた歴史的出来事とのそのつど具体的な関係や、意味を問い直し、かつ、わたくしたちの言葉と身体との具体的関係を洗い出すきっかけとしたい。なお、日本語の間合いを活かすため、全ての文章を縦書き表記にした。結果、おそらく現時点で、世界でもっとも横長の縦書きサイトとなってしまったようだ。(はじめのフィルターリング化して並列した赤と青の「波状口縁尖底土器」は、いまから約八千年前の神奈川出土の器である)

作業中

準備中の「日本叙事詩」仮目次    


     プロローグ        制作ノート
       本 文
  上 巻
 
     一 古事記  二 風土記  三 日本書紀  四 万葉集 

  中 巻
    一 源氏物語   三 平家物語  四 今昔物語  

  下 巻
     ユーカラ・前憲法教育勅語終戦詔書現憲法教育基本法

二千七年十二月十二日
 「世界は、限りがあるから美しい。」 - WWWの無限連鎖に頚木を打ち込む。
空といふ天蓋に星座が煌めひいているやうに、、「哥座星座(うたくらせいざ)」では、WWW上へ、日本の星ともいうべき歌仙の詩歌連俳・美術作品をアップロードしています。この星座の特徴の一つは、独立したドメイン名ごとに一作品をアップロードしている点に存します。第二点は、その奥には、もうハイパーリンクの道を用意してないことにあります。意図的にその先の、リンクを鎖しています。ここでは、その孤立したサイトを世界(WWW)の最果ての空、あるいは、頂点と仮定義させていただいております。「哥座星座(うたくらせいざ)」の役割は、WWWの軌道へ星をアップロード、配置していく謂わば衛星射ち上げセンターのようなものです。
 目的はひとつ、、世界(WWW)の空間を引き裂いて空を創りだし、そこへ歌仙の作品を貼り付けることで、WWWの無限連鎖に頚木を打ち込みたいからです。それが、その煌めく星座から撥ね返ってくる照射光によって現実世界の言葉やモノ・コトと、それら相互の関係を照らし出し、観想し、ポストWWW時代のわたしたち固有の韻文空間といふものを再構築し、結果、等身大の具象性ある身体性の復権につながればと願っています。
 いつか、また、あなたのあたらしい智慧による、あたらしい始まりが始まり、この世界のさらに奥の、いままで出会ったことのないやうな懐かしい風景が開かれるまで…。  

     最終更新:二千八年一月 



 源氏物語原文朗読

*朗読者は、平安時代の発音の面影をいまに伝へるといわれている仁徳天皇の勅願寺周辺のごく限られた地域の出身者です。神戸大震災でこの狭い地域の千年におよぶ歴史も潰えました。そこで、平安の名残の言葉がのこっているうちにと急遽移転先の東京で録音されたのが、この録音版です。
希少録音版といわれる由縁です。





    
           歌座(うたくら) 美学研究所
           平成二十年 元旦

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