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日本物語。あるいは日本といふ物語。

  J-Story  ポストモダンノ夢ノアト   





 



    前書
  美術界にかぎらず、ナニ界であろうと、現在世界は多様化された個性による自由世界へ向かおうとしているように見えながら、あらゆる「もの」「こと」、事象が細胞レベルで数値化され、スキャンされ、巨大データベースに登録されつつある。この世界の記号化による統合。果てのグローバル化という流れは、国際金融資本の通貨の例を持ち出すまでもなく、あらゆるジャンルで、何乗倍もの加速度で進行中であり、まさに、世界まるごと巨大容量の一台のサーバーさえ用意できれば、モノでもヒトでも一元管理化できる時代が、いや、もうすでに来てしまっている感ありありで、なんとスリリングなポストモダンな日常なんだろうかと思う今日このごろ。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
  ここに、この場で、みなさま方へ、かろうじて流行ことばで、ご挨拶できますことだけでも、まこと光栄に存じ上げる次第であります。とともに、簡単ではありますが、このご挨拶を、強いて分類すればメディアアートらしくもあり、ジブン的には、一般美術作品としての自覚にもとづいているつもりのこの「日本物語。あるいは日本といふ物語」の「前書」に代えさせていただきます。


    目 次    


 プロローグ 
  日本絵巻「ツキマテバ」 
  
歌座とは


       本 文
  上 巻
 
     一 古事記  二 風土記  三 日本書紀  四 万葉集 
     前憲法教育勅語終戦詔書憲法教育基本法


  中 巻
    一 源氏物語  竹取物語 枕草子 徒然草
    五 古今集   新古今集 
七 美学・芸術論  
    八 地誌
 

  下 巻
    一 西行  二 芭蕉  三 一茶  四 良寛  
    五 エピローグ

 付録 七日で覚える百人一首ケータイ・PC共用版

     最終更新:二千九年  

   

       プロローグ



 
明治十四年 小学唱歌集    
 



 
   第一 かをれ

  一 かをれ。にほへ。そのふのさくら。

  二 とまれ。やどれ。ちぐさのほたる。

  三 まねけ。なびけ。野はらのすゝき。

  四 なけよ。たてよ。かは瀬のちどり。


第二 春山
はるやまに。たつかすみ。
あきやまに。わたるきり。
さくらにも。もみぢにも。
きぬきする。こゝちして。


第三 あがれ
一 あがれ。/\。広野のひばり。
二 のぼれ。/\。川瀬の若鮎。


第四 いはへ
一 いはへ。/\。きみが代いはへ。
二 しげれ。/\。ふたばの小松。


第五 千代に
一 ちよに。/\。千代ませきみは。
二 いませ/\。わが君ちよに。


第六 和歌の浦
わかの浦わに。夕しほみちくれば。
きしのむら鶴。あし辺に鳴わたる。


第七 春は花見
一 はるは。はな見。
  みよし野。おむろ。
二 あきは。つきみ。
  さらしな。をぐら。


第八 鶯
一 うぐひす。きなけ。
  うめさく。そのに。
二 かりがね。わたれ。
  霧たつ。そらに。


第九 野辺に
一 野辺に。なびく。ちぐさは。
  四方の。民の。まごゝろ。
二 はまに。あまる。まさごは。
  君が。みよの。かずなり。


第十 春風
一 春風。そよふく。やよひのあした。
  あき風。みにしむ。はつきのゆふべ
二 弥生は。野山の。はなさくさかり。
  はつきは。みそらの。月すむ夜ごろ。


第十一 桜紅葉
一 春見に。ゆきませ。芳野の桜。
  あきみて。つげませ。龍田のもみぢ。
二 よし野は。さくらの。花さくみやま。
  たちたは。紅葉の。ちりしくながれ。


第十二 花さく春
一 花さく。はるの。あしたのけしき。
  かをる。雲の。たつこゝちして。
二 あき萩。をばな。はなさきみだれ。
  もとも。末も。露みちにけり。


第十三 見わたせば
一 見わたせば。あをやなぎ。花桜。
  こきまぜて。みやこには。
  みちもせに春の錦をぞ。
  さほひめのおりなして。
  ふるあめにそめにける。
二 みわたせばやまべには。
  をのへにもふもとにも。
  うすきこき。もみぢ葉の。
  あきの錦をぞ。たつたびめ。
  おりかけてつゆ霜に。
  さらしける


第十四 松の木蔭
一 松のこかげに。たちよれば。
  ちとせのみどりぞ。身にはしむ。
  梅がえかざしに。さしつれば。
  はるの雪こそ。ふりかゝれ。
二 うめのはながさ。さしつれば。
  かしらに春の。ゆきつもり。
  鶴のけごろも。かさぬれば。
  あきの霜こそ。身にはおけ。


第十五 春のやよひ
一 春のやよひの。あけぼのに。
  四方のやまべを。見わたせば。
  はなざかりかも。しらくもの。
  かゝらぬみねこそ。なかりけれ。
二 はなたちばなも。にほふなり。
  軒のあやめも。かをるなり。
  ゆふぐれさまの。さみだれに。
  やまほとゝぎす。なのるなり。
三 秋のはじめに。なりぬれば。
  ことしもなかばは。すぎにけり。
  わがよふけゆく。月かげの。
  かたぶく見るこそ。あはれなれ。
四 冬の夜さむの。あさぼらけ。
  ちぎりし山路は。ゆきふかし。
  こゝろのあとは。つかねども。
  おもひやるこそ。あはれなれ。


第十六 わが日の本
一 わがひのもとの。あさぼらけ。
  かすめる日かげ。あふぎみて。
  もろこし人も。高麗びとも。
  春たつけふをば。しりぬべし。
二 雪間にさけぶ。ほとゝぎす。
  かきねににほふ。うつぎばな。
  夏来にけりと。あめつちに。
  あらそひつぐる。花ととり。
三 きぬたのひゞき。身にしみて。
  とこよのかりも。わたるなり。
  やまともろこし。おしなべて。
  おなじあはれの。あきの風。
四 まどうつあられ。にはのしも。
  ふもとのおちば。みねのゆき。
  みやこのうちも。やまざとも。
  ひとつにさゆる。ふゆのそら。


第十七 蝶々
一 てふ/\てふ/\。菜の葉にとまれ。
  なのはにあいたら。桜にとまれ。
  さくらの花の。さかゆる御代に。
  とまれよあそべ。あそべよとまれ。
二 おきよ/\。ねぐらのすゞめ。
  朝日のひかりの。さしこぬさきに。
  ねぐらをいでゝ。こずゑにとまり。
  あそべよすゞめ。うたへよすゞめ。


第十八 うつくしき
一 うつくしき。わが子やいづこ。
  うつくしき。わがかみの子は。
  ゆみとりて。君のみさきに。
  いさみたちて。わかれゆきにけり。
二 うつくしき。わがこやいづこ。
  うつくしき。わがなかのこは。
  太刀帯て。君のみもとに。
  いさみたちて。わかれゆきにけり。
三 うつくしき。わがこやいづこ。
  うつくしき。わがすゑのこは。
  ほことりて。きみのみあとに。
  いさみたちて。わかれゆきにけり。


第十九 閨の板戸
ねやのいたどの。あけゆく空に。
あさ日のかげの。さしそめぬれば。
ねぐらをいづる。百八十鳥は。
霞のうちに。友よびかはし。
夢みるてふも。とくおきいでゝ。
むれつゝ花に。まひあそぶなり。
あさいねする身の。そのおこたりを。
いさむるさまなる。春のあけぼの。


第二十 蛍
一 ほたるのひかり。まどのゆき。
  書よむつき日。かさねつゝ。
  いつしか年も。すぎのとを。
  あけてぞけさは。わかれゆく。
二 とまるもゆくも。かぎりとて。
  かたみにおもふちよろづの。
  こゝろのはしをひとことに。
  さきくとばかり。うたふなり。
三 つくしのきはみ。みちのおく。
  うみやまとほく。へだつとも。
  そのまごゝろは。へだてなく。
  ひとつにつくせ。くにのため。
四 千島のおくも。おきなはも。
  やしまのうちの。まもりなり。
  いたらんくにに。いさをしく。
  つとめよわがせ。つつがなく。


第二十一 若紫
一 わかむらさきの。めもはるかなる。武蔵野の。
  かすみのおく。わけつゝつむ。初若菜。
二 若菜はなにぞ。すゞしろすゞな。ほとけの座。
  はこべらせり。なづなに五行。なゝつなり。
三 なゝつの宝。それよりことに。得がたきは。
  雪消のひま。尋ねてつむ。わかななり。


第二十二 ねむれよ子
一 ねむれよ子。よくねるちごは。ちゝのみの
  父のおほせや。まもるらん。ねむれよ子。
二 ねむれよ子。よくねるちごは。はゝそばの。
  母のなさけや。したふらん。ねむれよこ。
三 ねむれよこ。よくねておきて。ちゝはゝの。
  かはらぬみ顔。をがみませ。ねむれよこ。


第二十三 君が代
一 君が代は。ちよにやちよに。さゞれ
  いしの。巌となりて。こけのむす
  まで。うごきなく。常磐かきはに。
  かぎりもあらじ。
二 きみがよは。千尋の底の。さゞれ
  いしの。鵜のゐる磯と。あらはるゝ
  まで。かぎりなき。みよの栄を。
  ほぎたてまつる。


第二十四 思ひいづれば
一 おもひいづれば。三年のむかし。
  わかれしその日。わがちゝはゝの。
  かしらなでつゝ。まさきくあれと。
  いひしおもわの。したはしきかな。
二 あしたになれば。かどおしひらき。
  日数よみつゝ。ちゝまちまさむ。
  わがおもひごは。ことなしはてゝ。
  はやいつしかも。かへり来なんと。
三 ゆふべになれば。床うちはらひ。
  およびをりつゝ。母まちまさん。
  わがおもひごは。事なしはてゝ。
  はやいつしかも。かへりこなんと。
四 あしたになれば。かどおしひらき。
  ゆふべになれば。とこうちはらひ。
  父まちまさん。母まちまさむ。
  はやく帰らん。もとの国べに。


第二十五 薫りにしらるゝ
一 かをりにしらるゝ。花さく御園。
  霞にかくるゝ。鳥なくはやし。
  君が代いはひて。幾春までも。
  かをれや/\。うたへやうたへ。
二 つきかげてりそふ。野中の清水。
  もみぢばにほへる。外山のふもと。
  きみが代たえせず。いく秋までも。
  てらせや/\にほへやにほへ。


第二十六 隅田川
一 すみだがはらの。あさぼらけ。
  雲もかすみも。かをるなり。
  水のまに/\。ふねうけて。
  花にあそばむ。ちらぬまに。
二 隅田川原の。あきの夜は。
  水もみそらも。すみわたる。
  かぜのまに/\。ふねうけて。
  月にあそばん。夜もすがら。
三 すみだがはらの。ふゆのそら。
  よは白妙に。うづもれて。
  木々のこと/゛\。はなさきぬ。
  ゆきにあそばん。消ぬまに。


第二十七 富士山
一 ふもとに雲ぞ。かゝりける。
  高嶺にゆきぞ。つもりたる。
  はだへは雪。ころもはくも。
  そのゆきくもを。よそひたる。
  ふじてふやまの。見わたしに。
  しくものもなし。にるもなし。
二 外国人も。あふぐなり。
  わがくに人も。ほこるなり。
  照る日のかげ。そらゆくつき。
  つきひとともに。かがやきて。
  冨士てふ山の。みわたしに。
  しくものもなし。にるもなし。


第二十八 おぼろ
一 おぼろににほふ。夕づき夜。
  さかりににほふ。もゝさくら。
  のどかにて。のどけき御代の。楽しみは。
  花さくかげの。このまとゐ。
  このうたげ。
二 千草にすだく。むしの声。
  をぎの葉そよぐ。風のおと。
  身にしみて。眼にみる物も。きく物も。
  あはれをそふる。あきの夜や。
  つきのよや。


第二十九 雨露
一 雨露におほみやは。あれはてにけり。
  みめぐみに。民草は。うるほひにけり。
  かくてこそ。今の世も。かまどのけぶり。
  み空にも。あまるまで。たちみちぬらめ。
二 飢ゑこゞえ。なきまどふ。民もやあると。
  身にかへて。かしこくもおもほすあまり。
  あられうつ。冬の夜に。ぬぎたまはせる。
  大御衣の。あつきその。御こゝろあはれ。

第三十 玉の宮居
一 玉のみやゐは。あれはてゝ。
  雨さへ露さへ。いとしげゝれど。
  民のかまどの。にぎはひは。
  たつ烟にぞ。あらはれにける。
二 冬の夜さむの。月さえて。
  隙もるかぜさへ。身をきるばかり。
  民をおもほす。みこゝろに。
  大御衣や。ぬがせたまひし。


第三十一 大和撫子
一 やまとなでしこ。さま/゛\に。
  おのがむき/\。さきぬとも。
  おほしたてゝし。ちゝはゝの。
  底のをしへに。たがふなよ。
二 野辺の千草の。いろ/\に。
  おのがさま/゛\。さきぬとも。
  生したてゝし。あめつちの。
  つゆのめぐみを。わするなよ。


第三十二 五常の歌
一 野辺のくさ木も。雨露の。
  めぐみにそだつ。さまみれば。
  仁てふものは。よのなかの。
  ひとのこゝろの。命なり。
二 飛騨の工が。うつ墨に。
  曲もなほる。さまみれば。
  義といふものは。世の中の。
  人のこゝろの。条理なり。
三 成像ほかに。あらはれて。
  謹慎みたる。さまみれば。
  礼てふものは。世の中の。
  ひとのこゝろの。掟なり。
四 神の蔵せる。秘事も。
  さとり得らるゝ。さまみれば。
  智といふものは。世の中の。
  人のこゝろの。宝なり。
五 月日と共に。あめつちの。
  循環たがはぬ。さまみれば。
  信てふものは。世の中の。
  人のこゝろの守りなり。


第三十三 五倫の歌
父子親あり。君臣義あり。
夫婦別あり。長幼序あり。
朋友信あり。

      〔小学〕唱歌集 第二編


(明治16年3月。歌詞のみ記す。振り仮名省略)


第三十四 鳥の声
一 とりのこえ。きぎのはなのべにみちて
  かすみけりなのどかなるはるのひや
二 むしのこゑつゆのたまのべにみちて
  ゆくもゆかれずきよらなるつきのよや


第三十五 霞か雲か
一 かすみかくもかはたゆきかとばかりにほふ
  そのはなざかりももとりさへもうたふなり
二 かすみははなをへだつれどへだてぬともと
  きてみるばかりうれしきことはよにもなし
三 かすみてそれとみえねどもなくうぐひすに
  さそはれつつもいつしかきぬるはなのかげ


第三十六 年たつけさ
一 としたつけさの。そのにぎはひは。
  みやこもひなも。へだてなく。
  毬歌うたひつ。羽子つきかはしつ。
  こゝろ/゛\に。うちつれだちて。
  かしこもこゝも。あそびゆくなり。
  都も鄙も。あそぶなり。
二 のどけき春に。はやなりぬれば。
  わかきもおいも。わかちなく。
  さく花かざしつ。なく鳥きゝつゝ。
  こゝろ/゛\に。うちつれだちて。
  やまべに野辺に。あそびゆくなり。
  山辺に野辺に。あそぶなり
三 ことしもいつか。なかばは過ぎて。
  秋風さむく。身にぞしむ。
  すゞむし松虫。はたおる虫さへ。
  ながき夜すがら。なくねをきけば。
  われらもおいの。いたらぬいたらぬさきに。
  学の道に。いそしまむ。
四 千代ながづきの。月たちぬれば。
  まがきのうちと。へだてなく。
  しら菊はなさき。紅葉かゞやく。
  菊ともみぢを。かざしにさして。
  君が代いはへ。八千代もちよも。
  わが君いはへ。よろづ世も。


第三十七 かすめる空
一 かすめるそらに。雨ふれば。
  草木もともに。うるほひぬ。
  わらへるはな。にほへるやま。
  類なの。ながめかな。
二 山の端はれて。つき清く。
  ちさとのくまも。かくれなし。
  きらめく露。なくなるむし。
  たぐひなの。秋の夜や。


第三十八 燕
一 こよや/\。こよつばくらめ。
  おやもひなも。ひねもすかたり。
  たのしみし。その巣をいでゝ。
  とほき国辺に。たちわかるとも。
  帰り来よや。わがやどり。
  かへりこよや。つばくらめ。
二 来なけ/\。やまほとゝきす。
  われもひとも。夜はよもすがら。
  いねもせず。深山をいでゝ。
  都のそらに。なけほとゝぎす。
  なのれ/\。わがやどに。
  きなけ/\。ほとゝぎす。


第三十九 鏡なす
一 かゞみなす。水もみどりの。かげ
  うつる。柳の糸の。枝をたれ。
  気霽ては。風新柳の髪を梳り。
  氷消ては。浪旧苔の。髭を洗ふとかや。
  げにおもしろの。景色やな。
  けにおもしろの。けしきやな。
二 降る雪に。樵夫のみちも。うも
  れけり。みやまのおくの。夕まぐれ。
  かざせる笠には。影もなき。月をやどし。
  担へる柴には。かをらざる。
  花をたをるとかや。
  げにおもしろの。けしきやな。
  げにおもしろの。景色やな。


第四十 岩もる水
いはもる水も。松ふく風も。
しらべをそふる。つま琴の音や。
あれおもしろの。こよひの月や。
こゝろにかゝる。雲霧もなし。


第四十一 岸の桜
一 岸の桜の。はなさくさかりは。
  水のそこにも。白雲かゝれり。
  すみだの川の。かはのせくだし。
  漕やをぶね。花にうかれて。
  雲にさをさし。霞にながして。
  こぐや雲ゐに。かすみの海に。
二 秋のもなかの。さやけき月夜は。
  水のそこにも。白玉しづめり。
  隅田の川の。かはの瀬のぼし。
  こぐや小舟。つきにうかれて。
  棹のしづくの。光もさながら。
  真玉しら玉。しら玉またま。


第四十二 遊猟
一 さながら山も。くづるばかりに。
  をのへにとよむ。矢玉のひゞき。
  神てふ虎も。てどりにしつゝ。
  いさみにいさむ。益荒雄の徒。
二 葦毛の馬に。しづ鞍おきて。
  あづさの真弓。手にとりしばり。
  みかりたゝすは。ますらをなれや。
  美猟たゝせる。そのいさましさ。
 
 
 

第四十三 みたにの奥
一 みたにのおくの。花鳥あはれ。
  うづまく雲の。かぐはしのよや。
  たのしき春に。あふさか山の。
  岩根によせて。君が代うたへ。
二 たり穂の稲の。ゆふ風あはれ。
  よせくる浪の。にぎはしのよや。
  ゆたけき秋に。あふさか山の。
  巌によせて。君が代いはへ。


第四十四 皇御国
一 すめらみくにの。ものゝふは。
  いかなる事をか。つとむべき。
  たゞ身に持てる。まごゝろを。
  君と親とに。つくすまで。
二 皇御国の。をのこらは。
  たわまずをれぬ。こゝろもて。
  世のなりはひを。つとめなし。
  くにと民とを。とますべし。


第四十五 栄行く御代
一 さかゆく御代に。うまれしも。おもへば
  神の。めぐみなり。いざや児等。神の恵を。
  ゆめなわすれそ。ゆめなわすれそ。
  ゆめなわすれそ。時の間も。いざやくら。
  神の恵を。ゆめなわすれそ。ゆめなわすれそ。
  ゆめなわすれそ。ときのまも。
二 恵も深き。かみがきの。みまへの
  さかき。とりもちて。ちはやぶる。
  神の御前に。うたひまはまし。うたひまはまし。
  うたひまはまし。夜もすがら。ちはやぶる。
  神の御前に。うたひまはまし。うたひまはまし。
  うたひまはまし。よもすがら。


第四十六 五日の風
一 いつかの風も。とをかの雨も。
  時に順ふ。わがきみが世や。
  にしの国より。高麗百済より。
  よりくる人も。御代いはふなり。
二 豊葦原の。みづ穂のくには。
  ちよよろづ世も。うごきなき国。
  わが君が代に。ちよよろづ代も。
  動きなき御代。いはへもろ人。


第四十七 天津日嗣
一 あまつ日つぎのみさかえは。
  あめつちの共。きはみなし。
  わがひのもとの。みひかりは。
  月日とゝもに。かゞやかん。
二 葦原の。ちいほあき。瑞穂
  のくには。日の御子の。
  きみとますべき。ところぞと。
  神のみよゝり。さだまれり。


第四十八 太平の曲
一 ゆはづのさわぎ。飛火のけぶり。
  いつしかたえて。をさまる御世は。
  あめつちさへも。とゞろくばかり。
  万代までと。君が代いはへ。
二 たひらのみやこ。百敷の宮。
  みあとになして。むさしの国に。
  しづまりましぬ。年は三千とせ。
  代は百二十。御功績あふげ。


第四十九 みてらの鐘の音
一 みてらの鐘のね。月よりおつる。
  ふみよむ燈火。かすかになりて。
  一二三四五六七八。
二 月影かたぶき。霜さえわたり。
  ねよとの鐘のね。枕にひゞく。
  一二三四五六七八。
三 漁火しめりて。霜天にみち。
  姑蘇城外なる。鐘かもきこゆ。
  一二三四五六七八。


       〔小学〕唱歌集 第三編  
       
(明治17年3月)



第五十 やよ御民
一 やよみたみ。稲をうゑ。井の
  水たゝへ。君が代は。腹つゞみ
  うち。身をいはへ。
二 やよ御民。萱をかり。わが
  家をふきて。君が代は。雨露
  しのぎ。世をわたれ。


第五十一 春の夜
一 かすみにきゆる。かりがね
  も。かすかにひゞく。笛の
  音も。をさまる御代の。
  しらべにて。たのしき
  はるの。ゆふぐれや。
  ともし火とりて。むかし
  のひとの。あそびし
  夜半も。かゝりけん。
  世はさま/゛\と。おもひし
  を。むかしもいまも。
  かくさきにほふ。
  はなにはそむく。
  人ぞなき。


第五十二 なみ風
一 浪かぜさかまく。あをうな
  ばらに。暗路をたどれる。
  ふれ人あはれ。やみ路を
  たどれる。船人あはれ。命と
  たのむは。棹かぢなれや。/\
二 虎さへうそぶく。荒山中に。
  やみぢにまよへる。たび人
  あはれ。やみぢにまよへる。
  旅人あはれ。いのちとたのむは。
  ともし火なれや。/\


第五十三 あふげば尊し
一 あふげばたふとし。わが師の恩。
  教の庭にも。はやいくとせ。
  おもへばいと疾し。このとし月。
  今こそわかれめ。いざゝらば。
二 互にむつみし。日ごろの恩。
  わかるゝ後にも。やよわするな。
  身をたて名をあげ。やよはげめよ。
  いまこそわかれめ。いざゝらば。
三 朝ゆふなれにし。まなびの窓。
  ほたるのともし火。つむ白雪。
  わするゝまぞなき。ゆくとし月。
  今こそわかれめ。いざゝらば。


第五十四 雲
一 瞬間には。やまをおほひ。
  うちみるひまにも。海をわたる。
  雲てふものこそ。くすしくありけれ。
  くもよ/\。雨とも霧とも。みるまに
  変りて。あやしく奇きは。雲よ/\。
二 ゆふ日にいろどる。橋をわたし。
  みそらに声せぬ。浪をおこす。
  雲てふものこそ。奇しくありけれ。
  雲よ/\。なきかとおもへば。おほ空
  おほひて。あやしく奇きは。雲よ/\。


第五十五 寧楽の都
一 奈良のみやこの。そのむかし。
  みやびつくして。宮びとの。
  遊びましけん。龍田川原の。紅葉。
  たつたがはらのもみぢば。今もにほふ。
  ちしほの色に。残るかたみは。
  千代もくちせず。今かいまかと。
  君をまつらん。その紅葉。
二 ふるきみやこの。そのむかし。
  桜かざして。おほきみの。
  あそびましけん。滋賀の
  花園。はなさき。しがの花
  ぞの。花さき。今もにほふ。
  色香をそへて。ゑめる姿は。
  ちよもかはらす。今やいまやと。
  行幸まつらん。その花は。
 
 
 

第五十六 才女 
一 かきながせる。筆の
  あやに。そめしむらさき。
  世々あせず。ゆかりのいろ。
  ことばのはな。たぐひも
  あらじ。そのいさを。
二 まきあげたる。小簾の
  ひまに。君のこゝろも。
  しら雪や。廬山の峯。
  遺愛のかね。めにみるごとき。
  その風情。


第五十七 母のおもひ
一 はゝのおもひは。空にみち。
  ゆくへもしらず。はてもなし。
  つきの桂を。たをりてぞ。
  家の風をば。ふかせつる。
  あふげ/\。母のみいさを。
二 母のなさけの。撫子よ。露
  なわすれそ。めぐみをば。
  家をうつすも。そだて草。
  機をきるさへ。教へぐさ。
  したへ/\。母のなさけを。


第五十八 めぐれる車
一 めぐれる車。ながるゝ水。われらは
  いこへど。やむ間なし。
二 岩根をつたふ。しづくの水。積れば
  つひに。海となる。


第五十九 墳墓
一 松ふく風は。こゝろにしみて。
  おもへばあはれ。わがなき父の。
  奥津城どころ。
二 浅茅が露に。むしのねかれて。
  おもへばあはれ。わがなき母の。
  おくつきどころ。
三 苔むす墳は。文字さへ消えて。
  おもへばあはれ。いづれのひとの。
  なきあとなれや。


第六十 秋の夕暮
一 花や紅葉も。およぶものかは。
  浦のとまやの。秋のゆふぐれ。
二 こゝろなき身も。あはれしれとや。
  鴫たつ沢の。あきの夕暮。
三 あはれさびしや。色はなけれど。
  槙たつ山の。あきの夕ぐれ。

第六十一 古戦場
 
一 屍は朽て。骨となり。刃はをれて。
  しもむすぶ。今はた靡く。旗薄。
  皷のおとか。まつ風か。
二 人影みえず。風さむし。蓬はかれて。
  霜しろし。命を捨し。真荒雄が。
  その名は千代。も朽せじな。


第六十二 秋艸
一 さきのこりたる。あさがほや。
  命とたのむ。つゆも浅ぢの。
  あさがほや。
二 あや錦おる。はぎがはな。
  たまもいろなる。霜ぞこぼるゝ。
  萩がはな。
三 たれまねくらん。はなすゝき。
  風もふかぬに。露ぞみだるゝ。
  はなすゝき。


第六十三 富士筑波
一 駿河なる。ふじの高嶺を。
  あふぎても。動かぬ御代は。
  しられけり。
二 つくばねの。このもかの面も。
  てらすなる。みよのひかりぞ。
  ありがたき。


第六十四 園生の梅
 
一 そのふの梅の。追風に。わがすむ山も。
  春めきぬ。門田の雪も。むら消て。
  若菜つむべく。野はなりぬ。
二 弥生のそらに。野辺みれば。菫の
  花さく。山みれば。雪かあらぬか。そこ
  かしこ。桜の花も。さきそめぬ。


第六十五 橘
一 ちゝの実の。父やもうゑし。
  なつかしき。かにこそにほへ。
  よにふるさとの。花の橘。
二 はゝそばの。母やもうゑし。
  したはしき。かをりぞすなる。
  しのぶの里の。花の橘。


第六十六 四季の月
一 さきにほふ。やまのさくらの。
  花のうへに。霞みていでし。
  はるのよの月。
二 雨すぎし。庭の草葉の。
  つゆのうへに。しばしはやどる。
  夏の夜の月。
三 みるひとの。こゝろ/\に。
  まかせおきて。高嶺にすめる。
  あきのよの月。
四 水鳥の。声も身にしむ。
  いけの面に。さながらこほる。
  冬のよの月。


第六十七 白蓮白菊
一 泥のうちより。ぬけいでゝ。濁りにしまぬ。
  はな蓮。月のひかりか。ひるすごく。
  霜とさゆれば。夏さむし。乱るゝ露は。
  たまとみえ。かをれる風は。身にぞしむ。
  氷のすがた。雪のいろ。つゆなけがしそ。
  世のちりに。
二 草木もかれし園の中。雪にも色は。
  まさりぐさ。いたゞく霜は。身をよそひ。
  さえゆく月は。香ににほふ。霜はくすりと。
  きくの水。梅はみさをの。おのがとも。
  暗の夜はさへ。てらすなり。東籬の
  もとに。書やみん。/\。


第六十八 学び
一 まなびはわが身の。光りとなり。
  富貴も。栄花も。こゝろのまゝ。
二 驕りはわが身の。仇とぞなる。
  努々ゆるすな。こゝろの駒。
三 学びはわが身の。ひかりなり。
  驕りはわが身の。仇とぞなる。


第六十九 小枝
一 さえだにやどれる。小鳥さへ。
  礼はしる。道をもならひし。
  その人を。わするなよ。
二 吾家にかひぬる。犬さへも。
  恩はいる。君にもつかふる。
  大丈夫よ。身をつくせ。


第七十 船子
一 やよふな子。こげ船を。
  こげよ/\。/\/\。
  やよふな子。
二 しほみちて。風なぎぬ。
  こげよ/\。/\/\。
  やよふな子。


第七十一 鷹狩
一 しらふの鷹を。手にすゑもち。
  馬にまたがり。いさめる君。
  すはや狩場に。ゆけ/\/\。
二 雪は狩場に。ふれ/\/\。
  犬はかり場を。かれ/\/\。
  鳥ぞむれたつ。それ/\/\。


第七十二 小船
一 流るゝ水の。うへにもさく花。
  こゝろせよや。をぶね。
  底にもはなのかげ。
二 渕瀬もみえず。そらより散花。
  こゝろせよや。をぷね。
  袖にも花の浪。


第七十三 誠は人の道
一 まことは人の。道ぞかし。つゆな
  そむきそ。其みちに。
二 こゝろは神の。たまものぞ。露な
  けがしそ。そのたまを。


第七十四 千里のみち
一 千里の道も。足もとよりぞ。始まれる。
  葉末の露も。積れば渕と。なるぞかし。
二 雲ゐる山も。塵ひぢよりぞ。なれりける。
  書よむ道も。ことわりのみは。ひとつなり。


第七十五 春の野
一 いつしか雪も。きえにけり。
  梅さく野辺に。いざゆかん。
二 みどりに草も。もえぬれば。
  わかなつむ子も。うちむれて。
三 柳のいとも。なびくなり。
  こゝろをのべに。あそばまし。


第七十六 瑞穂
一 蒼生の。いのちの種と。かしこき
  神の。たまへるたねぞ。
二 採る手もたゆき。山田の早苗。
  ゆたけき秋の。たのみもしるし。
三 わづかにのこる。門田のいねを。
  苅るまで残れ。夕日のかげも。
四 ことしの稲の。初穂をとりて。
  新嘗つかへ。神をぞまつる。


第七十七 楽しわれ
一 たのしわれ。まなびもをへ。
  日もくれぬ。あすもまた。
  朝とくより。学ばまし。かくて
  年月。たえせざらば。月の桂
  をも。われぞをるべき。
二 うれしわれ。ふみよみはて。
  ひもくれぬ。あすもまた。
  朝とくより。勉めまし。かくて
  とし月。撓まざらば。龍の腮
  なる。玉もとるべし。


第七十八 菊
一 庭の千草も。むしのねも。
  かれてさびしく。なりにけり。
  あゝしらぎく。嗚呼白菊。
  ひとりおくれて。さきにけり。
二 露にたわむや。菊の花。
  しもにおごるや。きくの花。
  あゝあはれ/\。あゝ白菊。
  人のみさをも。かくてこそ。


第七十九 忠臣
一 嗚呼香ぐはし。楠の二本。あゝ絶せじ。
  みなと川。浪の音も。身にぞしむ
  なる。其あはれその功績。忠臣
  嗚呼忠臣。兄弟の人。忠臣あゝ
  忠臣。たぐひなや。
二 嗚呼かぐはし。花の二もと。あゝうるはし。
  芳野やま。ちりはてゝ世にこそ残れ。
  そのうたと。そのまこと。忠臣
  あゝ忠臣。兄弟のひと。忠臣嗚呼
  忠臣。たぐひなや。


第八十 千草の花
一 千草の花は。露をそめ。野中の
  水は。月やどる。そまらぬいろと。空の
  かげ。はかなきものか。よの中は。
二 錦をよそふ。萩の花。もみぢを
  さそふ。夜はの霜。夢野のあとゝ。
  消ゆかば。木枯ばかり。あれぬべし。
三 はかなきものを。誰めでん。きえゆく
  ものを。たれとはん。跡あるものは。筆
  の花。かをりをのこせ。後のよに。


第八十一 きのふけふ
一 きのふけふと。思ひしを。春は過て。
  夏来ぬ。雁はかへり。燕きぬ。君は
  ゆきて。かへらず。かへれ/\。/\とく。
  あはれ/\。わが友。花は散りて。あと
  もなく。空しき枝に。風ふく。
二 松は常磐。竹は千代。人の世のみ。
  つねなし。雪にほゆる。薬さへ。人の
  世には。かひなし。かへれ/\。/\とく。
  あはれ/\。わが友。君をおきて。友
  もなし。たちつゝゐつゝ。わがまつ。


第八十二 頭の雪
一 草木にのみと。おもひしを。春秋
  とほく。へだゝれば。隔てぬ君が。
  頭にも。ふりけるものか。雪と霜と。
二 面のなみを。みあげても。久しき
  としは。しられたり頭の雪の。光り
  にも。みえけるものを。高き齢。


第八十三 さけ花よ
一 さけ花よ。さくらの花よ。
  のどけき春の。さかりの時に。
  さけ花よ。桜のはなよ。
二 ふけかぜよ。春風ふけよ。
  さきたる花をちらさぬほどに。
  ふけ風よ。はるかぜふけよ。
三 なけ蛙。やよなけかはづ。
  すみゆく水の。にごらぬ御代に。
  なけかはづ。やよ鳴け蛙。
四 なけ鳥よ。うぐひすなけよ。
  さきたる花の。さかりの春に。
  なけとりよ。鶯なけよ。
五 やよ人よ。ひと/\うたへ。
  鶯かはづ。うたをぱうたふ。
  やよ人よ。ひと/\うたへ。


第八十四 高嶺
一 たかねをこえて。
  日はいでにけり。
  わがなすわざを。
  たすけむため
  に。日はいでに
  けり。
二 つき日のかげは。
  わが身のまもり。
  空しくなすな。
  しばしのひまも。
  つとめよはげめ。


第八十五 四の時
一 よつのとき。ながめぞ
  つきぬ。春ははな。
  おりなす錦。あきは
  月。ますみのかゞみ。
  なつごろも。かとりも
  すゞし。冬のあさけ
  雪もよし。ひとの
  世の。たのしきものか。
  神の恩。国のおん。
  君の恩。わするな人。


第八十六 花月
一 花を見る時は。こゝろいとたのし。
  心たのしきは。花のめぐみなり。
二 月をみる時は。心しづかなり。
  こゝろ静けきは。月の恵なり。
三 よきをみて移り。悪をみてさけよ。
  朱に交はれば。あかくなるといふ。


第八十七 治る御代
一 治る御代の。春の空。たゞよふ雲も。
  はれにけり。晴るゝみそらの。その
  雲は。めぐみの風に。はるゝなり。
二 治るみよの。春の風。千里の外に。
  みてるなり。みてるめぐみの。風に
  こそ。青人草は。さかゆらめ。


第八十八 祝へ吾君を
一 祝へ吾君を。恵の重波。やしまに
  あふれ。普ねき春風。草木もなびく。
  いはへ/\。国の為。わが君を。
二 祝へ吾国を。瑞穂のおしねは。野もせ
  にみちて。しろかね黄金。花咲栄ゆ。
  いはへ/\。君の為。わが国を。


第八十九 花鳥
一 山ぎはしらみて。雀はなきぬ。はや疾く
  おきいで。書よめわが子。書よめ吾子。
  ふみよむひまには。花鳥めでよ。
二 書よむひまには。花鳥めでよ。鳥なき
  花咲。たのしみつきず。楽みつきず。
  天地ひらけし。始もかくぞ。


第九十 心は玉
一 こゝろは玉なり。曇りもあらじ。
  よる昼勉めて。みがきに磨け。
二 蛍をあつめて。まなびし人も。
  ひかりは其まゝ。身にこそそはれ。
三 月影したひて。学びし人は。
  ひかりをうけえて。世をこそ照らせ。


第九十一 招魂祭
一 こゝに奠る。君が霊。蘭はくだけて。
  香に匂ひ。骨は朽ちて。名をぞ残す。
  机代物。うけよ君。
二 此所にまつる。戦死の人。骨を砕くも。
  君が為。国のまもり。世々の鑑。
  光りたえせじ。そのひかり。
 
              巻頭


 



 
    五箇条のご誓文


   一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ

 

 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸(けいりん)ヲ行フベシ

 

 一、官武一途庶民ニ至ルマデ各(おのおの)其(その)志ヲ遂ゲ
     人心ヲシテ倦(う)マザラシメンコトヲ要ス

 

 一、旧来ノ陋習(ろうしふ)ヲ破リ天地ノ公道ニ基(もとづ)クベシ

 

 一、知識ヲ世界ニ求メ大(おほい)ニ皇基ヲ振起スベシ




     大日本帝国憲法1   


          明治22年2月11日公布、明治23年11月29日施行
告文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ継承シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト倶ニ挙行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威霊ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ神祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及将来ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ
神霊此レヲ鑒ミタマヘ
憲法発布勅語
朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ

朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス
帝国議会ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ
将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ
朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ
御名御璽
明治二十二年二月十一日
 
内閣総理大臣      
伯爵 黒田 清隆
枢密院議長       
伯爵 伊藤 博文
外務大臣        
伯爵 大隈 重信
海軍大臣        
伯爵 西郷 従道
農商務大臣       
伯爵 井上  馨
司法大臣        
伯爵 山田 顕義
大蔵大臣 兼 内務大臣 
伯爵 松方 正義
陸軍大臣        
伯爵 大山  巌
文部大臣        
子爵 森  有礼
逓信大臣        
子爵 榎本 武揚
第一章 天  皇  

第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行

第六条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス

第七条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス

第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ依リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ

第九条 天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ案寧秩序ヲ保持シ及臣民ニ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス

第十条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル

第一一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

第一二条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

第一三条 天皇ハ戦イヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

第一四条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以之ヲ定ム

第一五条 天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与スル

第一六条 天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス

第一七条 摂政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル
 摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ

第二章 臣民権利義務

第一八条 日本臣民タル要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル

第一九条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均シク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得

第二十条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス

第二一条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス

第二二条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ移住及移転ノ自由ヲ有ス

第二三条 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ

第二四条 日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルルコトナシ

第二五条
 日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク他其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ捜索サルルコトナシ

第二六条 日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク他信書ノ秘密ヲ侵サルルコトナシ

第二七条 日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ
 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル

第二八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

第二九条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

第三十条 日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得

第三一条 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇体権ノ施行ヲ妨クルコトナシ

第三二条 本章ニ掲ゲタル条規ハ陸海空軍ノ法令又ハ規律ニ牴触セサルモノニ限リ軍人ニ準行ス

第三章 帝国議会

第三三条 帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス

第三四条 貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス

第三五条 衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス

第三六条 何人モ同時ニ両議院ノ議員タルコトヲ得ス

第三七条 凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス

第三八条 両議院ハ政府ノ提出スル法律安ヲ議決シ及各々法律安ヲ提出スルコトヲ得

第三九条 両議院ノ一ニ於テ否決シタル法律案ハ同会期中ニ於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス

第四十条 両議院ハ法律又ハ其ノ他ノ事件ニ付各々其ノ意見ヲ政府ニ建議スルコトヲ得但シ其ノ採納ヲ得サルモノハ同会期中ニ於テ再ヒ建議スルコトヲ得ス

第四一条 帝国議会ハ毎年之ヲ召集ス

第四二条 帝国議会ハ三箇月ヲ以テ会期トス必要アル場合ニ於テハ勅令ヲ以テ之ヲ延長スルコトアルヘシ

第四三条 臨時緊急ノアル場合ニ於イテ常会ノ外臨時会ヲ召集スヘシ臨時会ノ会期ヲ定ムルハ勅令ニ依ル

第四四条 帝国議会ノ開会閉会会期ノ延長及停会ハ両院同時ニ之ヲ行フヘシ
 衆議院解散ヲ命セラルタルトキハ貴族院ハ同時ニ停会セラルヘシ

第四五条 衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ勅令ヲ以テ新ニ議員ヲ選挙セシメ解散ノ日ヨリ五箇月以内ニ之ヲ召集スヘシ

第四六条 両議院ハ各々其ノ総議員三分ノ一以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開キ議決ヲ為ス事ヲ得ス

第四七条 両議院ノ議事ハ過半数ヲ以テ決ス可否同数ナル時ハ議長ノ決スル所ニ依ル

第四八条 両議院ノ会議ハ公開ス但シ政府ノ要求又ハ其ノ院ノ決議ニ依リ秘密会ト為スコトヲ得

第四九条 両議院ハ各々天皇ニ上奏スルコトヲ得

第五十条 両議院ハ臣民リ呈出スル誓願書ヲ受クルコトヲ得

第五一条 両議院ハ此ノ憲法及議院法ニ掲クルモノノ外内部ノ整理ニ必要ナル諸規則ヲ定ムルコトヲ得

第五二条 両議院ノ議員ハ議院ニ於テ発言シタル意見及表決ニ付院外ニ於テ責ヲ負フコトナシ但シ議員自ラ其ノ言論ヲ演説刊行筆記又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ公布シタルトキハ一般ノ法律ニ依リ処分サレルヘシ

第五三条 両議院ノ議員ハ現行犯罪又ハ内乱外患ニ関ル罪ヲ除ク外会期中其ノ院ノ許諾ナクシテ逮捕サルルコトナシ

第五四条 国務大臣及政府委員ハ何時タリトモ各議院ニ出席シ及発スルコトヲ得
第四章 国務大臣及枢密顧問

第五五条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責メニ任ス
 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス

第五六条 枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス
第五章 司  法

第五七条 司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ
 裁判所ノ構成ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第五八条 裁判官ハ法律ニ定メタル資格ヲ具フル者ヲ以テ之ヲ任ス
 裁判官ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分ニ由ルノ外其ノ職ヲ免セラルルコトナシ
 懲戒ノ条規ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第五九条 裁判ノ対審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ノ害スルノ虞アルトキハ法律ニ依リ又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ対審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得

第六十条 特別裁判所ノ管轄ニ属スヘキモノハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第六一条 行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス
第六章 会  計

第六二条 新ニ租税ヲ課シ及税率ヲ変更スルハ法律ヲ以テ之ヲ定ムヘシ
 但シ報償ニ属スル行政上ノ手数料及其ノ他ノ収納金ハ前項ノ限ニ在ラス国債ヲ起シ及予算ニ定メタルモノヲ除ク外国庫ノ負担トナルヘキ契約ヲ為スハ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ

第六三条  現行ノ租税ハ更ニ法律ヲ以テ之ヲ改メサル限ハ旧ニ依リ之ヲ徴収ス

第六四条 国家ノ歳出歳入ハ毎年予算ヲ以テ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ
 予算ノ款項ニ超過シ又ハ予算ノ外ニ生シタル支出アルトキハ後日帝国議会ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス

第六五条 予算ハ前ニ衆議院ニ提出スヘシ

第六六条 皇室経費ハ現在ノ定額ニ依リ毎年国庫ヨリ之ヲ支出シ将来増額ヲ要スル場合ヲ除ク外帝国議会ノ協賛ヲ要セス

第六七条 憲法上ノ大権ニ基ツケル既定ノ歳出及法律ノ結果ニ由リ又ハ法律上政府ノ義務ニ属スル歳出ハ政府ノ同意ナクシテ帝国議会之ヲ廃除シ又ハ削減スルコトヲ得ス

第六八条 特別ノ須要ニ因リ政府ハ予メ年限ヲ定メ継続費トシテ帝国議会ノ協賛ヲ求ムルコトヲ得

第六九条 避クヘカラサル予算ノ不足ヲ補フ為ニ又ハ予算ノ外ニ生シタル必要ノ費用ニ充ツル為ニ予備費ヲ設クヘシ

第七十条 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需要アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得
 前項ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出シ其ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス

第七一条 帝国議会ニ於イテ予算ヲ議定セス又ハ予算成立ニ至ラサルトキハ政府ハ前年度ノ予算ヲ施行スヘシ

第七二条 国家ノ歳出歳入ノ決算ハ会計検査院之ヲ検査確定シ政府ハ其ノ検査報告ト倶ニ之ヲ帝国議会ニ提出スヘシ会計検査院ノ組織及職権ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第七章 補  足

第七三条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

第七四条 皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス
 皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ条規ヲ変更スルコトヲ得ス

第七五条 憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス

第七六条 法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス
 歳出上政府ノ義務ニ係ル現在ノ契約又ハ命令ハ総テ第六七条ノ例ニ依ル


 

   教育ニ関スル勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラズ又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽


朕(ちん)惟(おも)フニ我(わ)カ皇祖(くわうそく)皇宗國(わうそうくに)ヲ肇(はじ)ムルコト宏(くわう)遠(ゑん)ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ
  我(わ)カ臣民(しんみん)克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝(かう)ニ億兆(おくてう)心ヲ一(いつ)ニシテ世々厥(よよそ)ノ美ヲ済(な)セルハ此(こ)レ我(わ)カ國體(こくたい)ノ精華(せいくわ)ニシテ教育(けういく)ノ淵源(えんげん)亦(また)実(じつ)ニ此(ここ)ニ存(そん)ス
  爾(なんぢ)臣民父母ニ孝(かう)ニ兄弟(ていけい)ニ友(いう)ニ夫婦相和(あひわ)シ朋友(ほういう)相信(あひしん)シ恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(ぢ)シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修(をさ)メ業(げふ)ヲ習ヒ以(もつ)テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就(じやうじゆ)シ進(すすん)テ公益ヲ広メ世務(せいむ)ヲ開キ常ニ國憲ヲ重(おもん)シ國法ニ遵(したが)ヒ一旦(いつたん)緩急(くわんきふ)アレハ義勇公ニ奉(ほう)シ以(もつ)テ天壌(てんじゃう)無窮(むきゅう)ノ皇運(くわううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘシ
  是(かく)ノ如キハ独リ朕(ちん)カ忠良(ちゆうりやう)ノ臣民(しんみん)タルノミナラス又以(もつ)テ爾(なんぢ)祖先ノ遺風(ゐふう)ヲ顕彰(けんしやう)スルニ足ラン

 
斯(こ)ノ道ハ實(じつ)ニ我(わ)カ皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)ノ遺訓(ゐくん)ニシテ子孫臣民(しんみん)ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スヘキ所之(これ)ヲ古今(ここん)ニ通シテ謬(あやま)ラス之(これ)ヲ中外(ちゆうぐわい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラス

            明治二十三年十月三十日
             御 名 御 璽 (ぎよめい ぎよじ)



         

              
      



   
終戦詔書 (玉音放送) 
   
一九四五年(昭和二十年)八月十五日正午 

朕深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲(ここ)に忠良なる爾(なんぢ)臣民に告く
朕は帝國政府をして米英支蘇四國に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり
抑々帝國臣民の康寧を図り万邦共榮の楽を偕にするは皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々(けんけん)措(お)かさる所
曩(さき)に米英二國に宣戰せる所以も亦実に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾するに出て他國の主權を排し領土を侵すか如きは固(もと)より朕か志にあらす
然るに交戰己に四歳を閲し朕か陸海將兵の勇戰朕か百僚有司の励精朕か一億衆庶の奉公各々最善を尽せるに拘らす戰局必すしも好転せす世界の大勢亦我に利あらす
加之敵は新に残虐なる爆彈を使用して頻(しきり)に無辜を殺傷し惨害の及ふ所眞に測るへからさるに至る
而(しか)も尚交戰を継続せむか終に我か民族の滅亡を招來するのみならす延て人類の文明をも破却すへし
斯の如くは朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや是れ朕か帝國政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり
朕は帝國と共に終始東亞の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せさるを得す
帝國臣民にして戰陣に死し職域に殉し非命に斃れたる者及其の遺族に想を致せは五内爲に裂く
且戰傷を負ひ災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)する所なり
惟ふに今後帝國の受くへき苦難は固より尋常にあらす
爾臣民の衷情も朕善く之を知る
然れとも朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に太平を開かむと欲す
朕は茲に國體を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に爾臣民と共に在り
若し夫れ情の激する所濫に事端を滋(しげ)くし或は同胞排擠(はいせい)互に時局を亂り爲に大道を誤り信義を世界に失ふか如きは朕最も之を戒む
宜しく擧國一家子孫相傳へ確く神州の不滅を信し任重くして道遠きを念(おも)ひ総力を將來の建設に傾け道義を篤くし志操を鞏(かた)くし誓て國體の精華を発揚し世界の進運に後れさらむことを期すへし爾臣民其れ克く朕か意を體せよ


    昭和二十一年年頭詔書


 ここに新年を迎ふ。かへりみれば明治天皇、明治のはじめに、国是として五箇条の御誓文を下し給へり。

 

 いはく、

 一、広く会議を興し、万機公論に決すべし

 一、上下心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。

 一、官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。

 一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。

 一、知識を世界に求め、おほいに皇基を振起すべし。

 

 叡旨公明正大、また何をか加へん。朕(ちん)は個々に誓ひ新たにして、国運を開かんと欲す。すべからくこの御趣旨にのつとり、旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、もつて民生の向上をはかり、新日本を建設すべし。

 

 大小都市のかうむりたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は、まことに心をいたましむるものあり。しかりといへども、わが国民が現在の試練に直面し、かつ徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、よくその結束をまつたうせば、ひとりわが国のみならず、全人類のために輝かしき前途の展開せらるゝることを疑はず。それ、家を愛する心と国を愛する心とは、わが国において特に熱烈なるを見る。いまや実に、この心を拡充し、人類愛の完成に向かひ、献身的努力をいたすべきの時なり。

 

 思ふに長きにわたれる戦争の敗北に終りたる結果、わが国民のややもすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈淪(ちんりん)せんとするの傾きあり。詭激(きげき)の風やうやく長じて、道義の念すこぶる衰へ、ために思想混乱あるは、まことに深憂にたへず。

 

 しかれども、朕は汝ら国民とともにあり。常に利害を同じうし、休戚(きうせき)を分かたんと欲す。朕と汝ら国民との紐帯(ちうたい)は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもつて現御神(あきつかみ)とし、かつ日本国民をもつて他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。

 

 朕の政府は、国民の試練と苦難とを緩和せんがため、あらゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。同時に朕は、わが国民が時難に決起し、当面の困苦克服のために、また産業および文運振興のために、勇往(ゆうわう)せんことを祈念す。わが国民がその公民生活において団結し、あひより助け、寛容あひ許すの気風を作興(さくこう)するにおいては、よくわが至高の伝統に恥ぢざる真価を発揮するに至らん。かくのごときは、実にわが国民が人類の福祉と向上とのため、絶大なる貢献をなすゆゑんなるを疑はざるなり。一年の計は年頭にあり。朕は朕の信頼する国民が、朕とその心を一(いつ)にして、みづから誓ひ、みづから励まし、もつてこの大業を成就せんことをこひねがふ。

 

御名 御璽

    昭和二十一年一月一日

 


  

 

  日本国憲法

      昭和21(1946)年11月3日公布 昭和22(1947)年5月3日施行

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


第一章 天皇
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第五条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。


第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


第三章 国民の権利及び義務
第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受けるものの一代に限り、その効力を有する。

第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第二十三条 学問の自由は、これを保障する。

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。

第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

第三十二条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

第三十三条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第三十四条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

第三十五条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する。

第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

第三十八条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第三十九条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第四十条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。


第四章 国会
第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
第四十二条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。

第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
2 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。

第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。

第四十五条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

第四十六条 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに、議員の半数を改選する。

第四十七条 選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

第四十八条 何人も、同時に両議院の議員たることはできない。

第四十九条 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。

第五十条 両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。

第五十一条 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

第五十二条 国会の常会は、毎年一回これを召集する。

第五十三条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

第五十四条 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。
2 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
3 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。

第五十五条 両議院は各〃その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

第五十六条 両議院は、各〃その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
2 両議員の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

第五十七条 両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
2 両議院は、各〃その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。
3 出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。

第五十八条 両議院は、各〃その議長その他の役員を選任する。
2 両議院は、各〃その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

第五十九条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
2 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
3 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くこを妨げない。
4 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

第六十条 予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

第六十一条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。

第六十二条 両議院は、各〃国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。

第六十三条 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。

第六十四条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。


第五章 内閣
第六十五条 行政権は、内閣に属する。
第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

第六十七条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
2 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

第六十八条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。

第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

第七十条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

第七十一条 前二条の場合には、内閣は、新たに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。

第七十二条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して国会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。

第七十四条 法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。

第七十五条 国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は害されない。


第六章 司法
第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
第七十七条 最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。
2 検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。
3 最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。

第七十八条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。

第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
3 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
4 審査に関する事項は、法律でこれを定める。
5 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達したときに退官する。
6 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

第八十条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。
2 下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

第八十二条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。


第七章 財政
第八十三条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
第八十四条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。

第八十五条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。

第八十六条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

第八十七条 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2 すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を経なければならない。

第八十八条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して、国会の議決を経なければならない。

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

第九十条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
2 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。

第九十一条 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。


第八章 地方自治
第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

第九十五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。


第九章 改正
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


第十一章 補則
第百条 この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
2 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。
第百一条 この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。

第百二条 この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。

第百三条 この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によつて、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。


     教育基本法全文

     一九四七(昭二二)・三・三一  法律二五

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育を確立するため、この法律を制定する。

第一条(教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第二条(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

第三条(教育の機会均等)
 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

第四条(義務教育)
 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

第五条(男女共学)
 男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。

第六条(学校教育)
 法律に定める学校は、公の性質をもつものであって、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

第七条(社会教育)
 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。

第八条(政治教育)
 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

第九条(宗教教育)
 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

第十条(教育行政)
 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

第十一条(補則)
 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。

               プロローグ・了

                        巻頭




       
   本 文

   

        日本といふ物語 



      



    古事記   

    上卷并序

臣安萬侶言。夫混元既凝。氣象未效。無名無爲。誰知其形。然乾坤初分。參神作造化之首。陰陽斯開。二靈爲群品之祖。所以出入幽顯。日月彰於洗目。浮沈海水。神祇呈於滌身。故太素杳冥。因本教而識孕土産嶋之時元始綿。頼先聖而察生神立人之世。寔知懸鏡吐珠。而百王相續。喫釼切蛇。以萬神蕃息歟。議安河而平天下。論小濱而清國土是以番仁岐命。初降于高千嶺。神倭天皇。經歴于秋津嶋。化熊出爪。天釼獲於高倉。生尾遮徑。大烏導於吉野。列攘賊。聞歌伏仇。即覺夢而敬神祇。所以稱賢后。望烟而撫黎元。於今傳聖帝。定境開邦。制于近淡海。正姓撰氏。勒于遠飛鳥。雖歩驟各異。文質不同。莫不稽古以繩風猷於既頽。照今以補典教於欲絶。
曁飛鳥清原大宮。御大八洲天皇御世。濳龍體元。雷應期。聞夢歌而相纂業。投夜水而知承基。然天時未臻。蝉蛻於南山。人事共洽。虎歩於東國。皇輿忽駕。浚渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛擧威。猛士烟起。絳旗耀兵。凶徒瓦解。未移浹辰。氣自清。乃放牛息馬。ト悌歸於華夏。卷旌戈。詠停於都邑。歳次大梁。月踵侠鍾。清原大宮。昇即天位。道軼軒后。徳跨周王。握乾符而ハ六合。得天統而包八荒。乘二氣之正。齊五行之序。設神理以奬俗。敷英風以弘國。重加智海浩瀚。潭探上古。心鏡煌。明覩先代。
於是天皇詔之。朕聞諸家之所。帝紀及本辭。既違正實。多加虚僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家經緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉。時有舍人。姓稗田名阿禮。年是廿八。爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。勅語阿禮。令誦習帝皇日繼。及先代舊辭。然運移世異。未行其事矣。伏惟皇帝陛下。得一光宅。通三亭育。御紫宸而徳被馬蹄之所極。坐玄扈而化照船頭之所逮。日浮重暉。雲散非烟。連柯并穗之瑞。史不絶書。列烽重譯之貢。府無空月。可謂名高文命。徳冠天乙矣。
於焉惜舊辭之誤忤。正先紀之謬錯。以和銅四年九月十八日。詔臣安萬侶。撰録稗田阿禮所誦之勅語舊辭。以獻上者。謹隨詔旨。子細採。然上古之時。言意並朴。敷文構句。於字即難。已因訓述者。詞不逮心。全以音連者。事趣更長。是以今或一句之中。交用音訓。或一事之内。全以訓録。即。辭理見。以注明意。况易解更非注。亦於姓日下謂玖沙訶。於名帶字謂多羅斯。如此之類。隨本不改。大抵所記者。自天地開闢始。以訖于小治田御世。故天御中主神以下。日子波限建鵜草葺不合尊以前。爲上卷。神倭伊波禮毘古天皇以下。品陀御世以前。爲中卷。大雀皇帝以下。小治田大宮以前。爲下卷。并録三卷。謹以獻上。臣安萬侶。誠惶誠恐頓首頓首。

  和銅五年正月二十八日。
  正五位上勲五等太朝臣安萬侶謹上。



天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神訓高下天云阿麻下此次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國椎如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時琉字以上十字以音如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神此神名以音次天之常立
訓常云登許訓立云多知此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。
 上件五柱神者。別天神。
次成神名。國之常立神訓常立亦如上次豐雲野神。此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。次成神名。宇比地迩神。次妹須比智迩此二神名以音次角杙神。次妹活杙神二柱次意富斗能地神。次妹大斗乃辨神此二神名亦以音次淤母陀流神。次妹阿夜訶志古泥神此二神名皆以音次伊邪那岐神。次妹伊邪那美神此二神名亦以智如上
 上件自國之常立神以下。伊邪那美神以前。并稱神世七代上二柱。獨神各云一代。次 雙十神。各合二神云一代也。
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立訓立云多多志天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩此七字以音畫鳴訓鳴云那志而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋自淤以下四字以音於其嶋天降坐而。見立天之御柱。見立八尋殿。於是問其妹伊邪那美命曰。汝身者如何成。答曰吾身者成成不成合處一處在。爾伊邪那岐命詔。我身者。成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處。刺塞汝身不成合處而。爲生成國土奈何訓生云宇牟下效此伊邪那美命答曰然善。爾伊邪那岐命。詔然者吾與汝行迴逢是天之御柱而。爲美斗能麻具波比此七字以音如此云期。乃詔汝者自右迴逢。我者自左迴逢。約竟以迴時。伊邪那美命先言阿那迩夜志愛袁登古袁此十字以音下效此後伊邪那岐命言阿那迩夜志愛袁登賣袁。各言竟之後。告其妹曰。女人先言不良。雖然久美度迩此四字以音興而。生子水蛭子。此子者入葦船而流去。次生淡嶋。是亦不入子之例。於是二柱神議云。今吾所生之子不良。猶宜白天神
之御所。即共參上。請天神之命。爾天神之命以。布斗麻迩爾此五字以音ト相而詔之。因女先言而不良。亦還降改言。故爾反降。更往迴其天之御柱如先。於是伊邪那岐命。先言阿那迩夜志愛袁登賣袁。後妹伊邪那美命言。阿那迩夜志愛袁登古袁。如此言竟而。御合。生子淡道之穗之狹別嶋訓別云和氣下效此次生伊豫之二名嶋。此嶋者身一而有面四。毎面有名。故伊豫國謂愛比賣此二字以音下效此讚岐國謂飯依比古。粟國謂大宜都比賣此四字以音土左國謂建依別。次生隱伎之三子嶋。亦名天之忍許呂別許呂二字以音次生筑紫嶋。此嶋亦身一而有面四。毎面有名。故筑紫國謂白日別。豐國謂豐日別。肥國謂建日向日豐久士比泥別。自久至泥音熊曾國謂建日別曾字以音次生伊岐嶋。亦名謂天比登都柱自比至都以音訓天如云次生津嶋。亦名謂天之狹手依比賣。次生佐度嶋。次生大倭豐秋津嶋。亦名謂天御虚空豐秋津根別。故因此八嶋先所生。謂大八嶋國。然後還坐之時。生吉備兒嶋。亦名謂建日方別。次生小豆嶋。亦名謂大野手比賣。次生大嶋。亦名謂大多麻流別自多至流以音次生女嶋。亦名謂天一根訓天如天次生知訶嶋。亦名謂天之忍男。次生兩兒嶋。亦名謂天兩屋。自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋既生國竟。更生神。故生神名。大事忍男神。次生石土毘古神。訓石云伊波亦毘古二字以音下效此也次生石巣比賣神。次生大戸日別神。次生天之吹男神。
次生大屋毘古神。次生風木津別之忍男訓風云加邪訓木以音次生海神。名大綿津見神。次生水戸神。名速秋津日子神。次妹速秋津比賣神自大事忍男神至秋津比賣神并十神此速秋津日子速秋津比賣二神。因河海持別而生神名沫那藝神那藝二字以音。下效此次沫那美神那美二字以音。下效此次頬那藝神。次頬那美神。次天之水分神訓分云久麻理下效此次國之水分神。次天之久比奢母智神自久以下五字以音下效此次國之久比奢母智神自沫那藝神至國之久比奢母智神并八神次生風神名志那都比古神此神名以音次生木神名久久能智神此神名以音次生山神名大山津見神。次生野神名鹿屋野比賣神。亦名謂野椎神自志那都比古神至野椎并四神此大山津見神野椎神二神。因山野持別而生神名天之狹士神訓土云豆知下效此次國之狹士神。次天之狹霧神。次國之狹霧神。次天之闇戸神。次國之闇戸神。次大戸惑子神訓惑云麻刀比下效此次大戸惑女神自天之狹土神至大戸惑女神并八神也次生神名鳥之石楠船神。亦名謂天鳥船。次生大宜都比賣神此神名以音次生火之夜藝速男神夜藝二字以音亦名謂火之R毘古神。亦名謂火之迦具土神加具二字以音因生此子。美蕃登此三字以音見炙而病臥在。多具理迩此四字以音生神名。金山毘古神訓金云迦那下效此次金山毘賣神。次於屎成神名。波迩夜須毘古神此神名以音次波迩夜須毘賣神此神名亦音次於尿成神名彌都波能賣神。次和久産巣日神。此神之子謂豐宇氣毘賣神。自宇以下四字以音故伊邪那美神者。因生火神。遂神避坐也自天鳥船至豐宇氣毘賣神并八神。
 凡伊邪那岐伊邪那美二神。共所生。 嶋壹拾肆嶋。又神參拾伍神是伊邪那美神未神避以前所生。唯意能碁呂嶋者。非所生。亦姪子與淡嶋。不入子之例。
故爾伊邪那岐命詔之。愛我那迩妹命乎那迩二字以音下效此謂易子之一木乎。乃匍匐御枕方。匍匐御足方而。哭時。於御涙所成神。坐香山之畝尾木本。名泣澤女神。故其所神避之伊邪那美神者。葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也。於是伊邪那岐命。拔所御佩之十拳劍。斬其子迦具士神之頚。爾著其御刀前之血。走就湯津石村。所成神名。石拆神。次根拆神。次石筒之男神三神次著御刀本血。亦走就湯津石村。所成神名。甕速日神。次樋速日神。次建御雷之男神。亦名建布都神布都二字以音下效此亦名豐布都神三神次集御刀之手上血。自手俣漏出。所成神名訓漏云久伎闇淤加美神淤以下三字以音下效此次闇御津羽神。
 上件自石拆神以下。闇御津羽神以前。并八神者。因御刀所生之神者也。
所殺迦具土神之於頭所成神名。正鹿山津見神。次於胸所成神名。淤縢山津見神淤縢二字以音次於腹所成神名。奧山津見神。次於陰所成神名。闇山津見神。次於左手所成神名。志藝山津見神。志藝二字以音次於右手所成神名。羽山津見神。次於左足所成神名。原山津見神。次於右足所成神名。戸山津見神自正鹿山津見神。至戸山津見神。并八神故所斬之刀名。謂天之尾羽張。亦名謂伊都之尾羽張伊都二字以音於是欲相見其妹伊邪那美命。追往黄泉國。爾自殿騰戸出向之時。伊邪那岐命語詔之。愛我那迩妹命。吾與汝所作之國未作竟。故可還。爾伊邪那美命答白。
悔哉。不速來。吾者爲黄泉戸喫。然愛我那勢命那勢二字以音。下效此入來坐之事恐故。欲還。旦具與黄泉神相論。莫視我。如此白而。還入其殿内之間。甚久難待。故刺左之御美豆三字以音下效湯津津間櫛之男柱一箇取闕而。燭一火。入見之時。宇士多加禮斗呂呂岐弖此十字以音於頭者大雷居。於胸者火雷居。於腹者黒雷居。於陰者拆雷居。於左手者若雷居。於右手者土雷居。於左足者鳴雷居。於右足者伏雷居。并八雷神成居。於是伊邪那岐命見畏而。逃還之時。其妹伊邪那美命言。令見辱吾。即遣豫子母都志許賣此六字以音令追。爾伊邪那岐命取黒御鬘投棄。乃生蒲子。是食之間逃行猶追。亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引閉而投棄。乃生笋等。是拔食之間逃行。且後者。於其八雷神。副千五百之黄泉軍。令追。爾拔所御佩之十拳劍而。於後手布伎都都此四字以音逃來。猶追。到黄泉比良此二字以音坂之坂本時。取在其坂本桃子三箇持撃者。悉逃返也。爾伊邪那岐命告桃子。汝如助吾。於葦原中國所有宇都志伎此四字以音青人草之落苦瀬而。患惚時。可助告。賜名号意富加牟豆美命自意至美以音最後其妹伊邪那美命。身自追來焉。爾千引石。引塞其黄泉比良坂。其石置中。各對立而。度事戸之時。伊邪那美命言。愛我那勢命。爲如此者。汝國之人草。一日絞殺千頭。爾伊邪那岐命詔。愛我那迩妹命。汝爲然者。吾一日立千五百産屋。是以一日必千人死。一日必千五百人生也。故号其伊邪那美神命謂黄泉津大神。亦云以其追斯伎斯此三字以音而。號道敷大神。亦所塞其黄泉坂之石者。號道反大神。亦謂塞坐黄泉戸大神。故其所謂黄泉比良坂者。今謂出雲國之伊賦夜坂也。是以伊邪那伎大神詔。吾者到於伊那志許米志許米岐此九字以音穢國而在祁理此二字以音故吾者爲御身之禊而。到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐此三字以音原而。禊祓也。故於投棄御杖所成神名。衝立船戸神。次
於投棄御帶所成神名。道之長乳齒神。次於投棄御裳所成神名。時置師神。次於投棄御衣所成神名。和豆良比能宇斯能神此神名以音次於投棄御褌所成神名。道俣神。次於投棄御冠所成神名。飽咋之宇斯能神自宇以三字以音次於投棄左御手之手纒所成神名。奧疎神訓奧云淤伎下效此訓疎云奢加留下效此次奧津那藝佐毘古神。自那以下五字以音下效此次奧津甲斐辨羅神自甲以下四字以音下效此次於投棄右御手之手纒所成神名。邊疎神。次邊津那藝佐毘古神。次邊津甲斐辨羅神。
 右件自船戸神以下。邊津甲斐辨羅神以前十二神者。因脱著身之物。所生神也。
於是詔之。上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱而。初於中瀬隨迦豆伎而滌時。所成坐神名。八十禍津日神訓禍云摩賀。下效此次大禍津日神。此二神者。所到其穢繁國之時。因汚垢而。所成神之者也。次爲直其禍而所成神名。神直毘神毘字以音。下效此次大直毘神。次伊豆能賣并三神也伊以下四字以音次於水底滌時。所成神名。底津綿津見神。次底筒之男命。於中滌時。所成神名。中津綿津見神。次中筒之男命。於水上滌時。所成神名。上津綿津見神訓上云宇閇次上筒之男命。此三柱綿津見神者。阿曇連等之祖神伊都久神也伊以三字以音。下效此故阿曇連等者。其綿津見神之子。宇都志日金拆命之子孫也宇都志三字以音其底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者。墨江之三前大神也。於是洗左御目時。所成神名。天御神。次洗右御目時。所成神名。月讀命。次洗御御時。所成神名。建速須佐之男命須佐二字以音
 右件八十禍津日神以下。速須佐之男命以前十四柱神者。因滌御身所生者也。
此時伊邪那伎命大歡喜詔。吾者生生子而。於生終得三貴子。即其御頚珠之玉緒母由良迩此四字以音。下效此取由良迦志而。賜天照大御神而詔之。汝命者。所知高天原矣。事依而賜也。故其御頚珠名謂御倉板擧之神訓板擧云多那次詔月讀命。汝命者。所知夜之食國矣。事依也訓食云袁須次詔建速須佐之男命。汝命者所知海原矣。事依也。故各隨依賜之命。所知看之中。速須佐之男命。不治所命之國而。八拳須至于心前。啼伊佐知伎也自伊下四字以音。下效此其泣状者。青山如枯山泣枯。河海者悉泣乾。是以惡神之音。如狹蝿皆滿。萬物之妖悉發。故伊邪那岐大御神。詔速須佐之男命。何由以汝。不治所事依之國而。哭伊佐知流。爾答白。僕者欲罷妣國根之堅州國故哭。爾伊邪那岐大御神大忿怒。詔然者汝不可住此國。乃神夜良比爾夜良比賜也自夜以下七字以音故其伊邪那岐大神者。坐淡海之多賀也。故於是速須佐之男命言。然者請天照大御神將罷。乃參上天時。山川悉動。國土皆震。爾天照大御神聞驚而。詔我那勢命之上來由者。必不善心。欲奪我國耳。即解御髮。纒御美豆羅而。乃於左右御美豆羅。亦於御鬘。亦於左右御手各纒持八尺勾之五百津之美須麻流之珠而自美至流四字以音。下效此曾毘良迩者屓千入之靭訓入云能理下效此。自曾至迩者以音附五百入之靭。亦所取佩伊都此二字以音之竹鞆而。弓腹振立而。堅庭者。於向股蹈那豆美三字以音如沫雪蹶散而。伊都二字以音之男建訓建云多祁夫蹈建而。待問。何故上來。爾速須佐之男命答白。僕者無邪心。唯大御神之命以。問賜僕之哭伊佐知流之事故。白都良久三字以音僕欲往妣國以哭。爾大御神詔。汝者不可在此國而。神夜良比夜良比賜。故以爲請將罷往之状。參上耳。無異心。爾天照大御神詔。然者汝心之清明何以知。於是速須佐之男命答白。各宇氣比而。生子自宇以三字以音。下效此故爾各中置天安河而。宇氣布時。天照大御神先乞度建速須佐之男命所佩十拳劍。打折三段而。奴那登母母由良迩此八字以音。下效此振滌天之眞名井而。佐賀美迩迦美而自佐下六字以音。下效此於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。多紀理毘賣命此神名以音亦御名謂奧津嶋比賣命。次市寸嶋比賣命。亦御名謂狹依毘賣命。次多岐都比賣命三柱。此神名以音速須佐之男命。乞度天照大御神所纏左御美豆良八尺勾之五百津之美須麻流珠而。奴那登母母由良爾。振滌天之眞名井而。佐賀美迩迦美而。於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。亦乞度所纏右御美豆良之珠而。佐賀美迩迦美而。於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。天之菩卑能命自菩下三字以音亦乞度所纏御鬘之珠而。佐賀美迩迦美而。於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。天津日子根命。又乞度所纏左御手之珠而。佐賀美迩迦美而。於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。活津日子根命。亦乞度所纏右御手之珠而。佐賀美迩迦美而。於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。熊野久須毘命并五柱。自久下三字以音於是天照大御神。告速須佐之男命。是後所生五柱男子者。物實。因我物所成。故自吾子也。先所生之三柱女子者。物實因汝物所成。故乃汝子也。如此詔別也。故其先所生之神。多紀理毘賣命者坐胸形之奧津宮。次市寸嶋比賣命者坐胸形之中津宮。次田寸津比賣命者坐胸形之邊津宮。此三柱神者。胸形君等之以伊都久三前大神者也。故此後所生五柱子之中。天菩比命之子。建比良鳥命此出雲國造。无邪志國造、上菟上國造、下菟上國造、伊自牟國造、津嶋縣直。遠江國造等之祖也次天津日子根命者凡川内國造、額田部湯坐連、茨木國造、倭田中直、山代國造、馬來田國造、道尻岐閇國造、周芳國造、倭淹知造、高市縣主、蒲生稻寸、三技部造等之祖也爾速須佐之男命。白于天照大御神。我心清明故。我所生之子得手弱女。因此言者。自我勝云而。於勝佐備此二字以音離天照大御神之營田之阿此阿字以音埋其溝。亦其於聞看大嘗之殿。屎麻理此二字以音散。故雖然爲。天照大御神者。登賀米受而告。如屎。醉而吐散登許曾此三字以音我那勢之命爲如此。又離田之阿埋溝者。地矣阿多良斯登許曾自阿以下七字以音我那勢之命爲如此登此一字以音詔雖直。猶其惡態不止而。轉。天照大御神。坐忌服屋而。令織神御衣之時。穿其服屋之頂。逆剥天斑馬剥而。所墮人時。天衣織女見驚而。於梭衝陰上而死訓陰上云富登故於是天照大御神見畏。閇天石屋戸而。刺許母理此三字以音坐也。爾高天原皆暗。葦原中國悉闇。因此而常夜往。於是萬神之聲者狹蝿那須此二字以音皆滿。萬妖悉發。是以八百萬神於天安之河原。神集集而訓集云都度比高御産巣日神之子。思金神。令思訓金云加海尼而。集常世長鳴鳥。令鳴而。取天安河之河上之天堅石。取天金山之鐵而。求鍛人天津麻羅而麻羅二字以音科伊斯許理度賣命自伊以六字以音令作鏡。科玉祖命。令作八尺勾之五百津之御須麻流之珠而。召天兒屋命、布刀玉命布刀二字以音。下效此而。内拔天香山之眞男鹿之肩拔而。取天香山之天之波波迦此二字以音木名而。令占合麻迦那波而自麻下四字以音天香山之五百津眞賢木矣。根許士爾許士而自許下五字以音於上枝。取著八尺勾之五百津之御須麻流之玉。於中枝取繋八尺鏡訓八尺云八阿多於下枝取垂白丹寸手青丹寸手而訓垂云志殿此種種物者。布刀玉命布刀御幣登取持而。天兒屋命布刀詔戸言祷白而。天手力男神。隱立戸掖而。天宇受賣命。手次繋天香山之天之日影而。爲鬘天之眞拆而。手草結天香山之小竹葉而訓小竹云佐佐於天之石屋戸伏汚氣此二字以音而。蹈登杼呂許志此五字以音爲神懸而。掛出胸乳。裳緒忍垂於番登也。爾高天原動而。八百萬神共咲。於是天照大御神以爲怪。細開天石屋戸而内告者。因吾隱坐而以爲天原自闇。亦葦原中國皆闇矣。何由以天宇受賣者。爲樂。亦八百萬神諸咲。爾天宇受賣。白言。益汝命而貴神坐故。歡喜咲樂。如此言之間。天兒屋命、布刀玉命指出其鏡。示奉天照大御神之時。天照大御神逾思奇而。稍自戸出而。臨坐之時。其所隱立之天手力男神。取其御手引出。即布刀玉命。以尻久米此二字以音繩控度其御後方。白言。從此以内不得還入。故天照大御神出坐之時。高天原及葦原中國自得照明。於是八百萬神共議而。於速須佐之男命。負千位置戸。亦切鬚。及手足爪令拔而。神夜良比夜良比岐。又食物乞大氣都比賣神。爾大氣都比賣。自鼻、口及尻。種種味物取出而。種種作具而進時。速須佐之男命立伺其態。爲穢汚而奉進。乃殺其大宜津比賣神。故所殺神於身生物者。於頭生蠶。於二月生稻種。於二耳生粟。於鼻生小豆。於陰生麥。於尻生大豆。故是神産巣日御祖命。令取茲。成種。故所避追而。降出雲國之肥河上在鳥髮地。此時箸從其河流下。於是須佐之男命。以爲人有其河上而。尋上往者。老夫與老女二人在而。童女置中而泣。爾問賜之汝等者誰。故其老夫答言。僕者國神。大山津見神之子焉。僕名謂足名椎。妻名謂手名椎。女名謂櫛名田比賣。亦問汝哭由者何。答白言。我之女者自本在八稚女。是高志之八俣遠呂智此三字以音毎年來喫。今其可來時故泣。爾問其形如何。答白。彼目如赤加賀智而。身一有八頭、八尾。亦其身生蘿及桧、榲。其長度谿八谷、峽八尾而。見其腹者。悉常血爛也此謂赤加賀知者今酸醤者也爾速須佐之男命詔其老夫。是汝之女者。奉於吾哉。答白恐亦不覺御名。爾答詔。吾者天照大御神之伊呂勢者也。自三字以音故今自天降坐也。爾足名椎、手名椎神。白然坐者恐。立奉。爾速須佐之男命。乃於湯津爪櫛取成其童女而。刺御美豆良。告其足名椎、手名椎神。汝等釀八鹽折之酒。且作迴垣。於其垣作八門。毎門結八佐受岐此三字以音毎其佐受岐置酒船而。毎船盛其八鹽折酒而待。故隨告而。如此設備待之時。其八俣遠呂智。信如言來。乃毎船垂入己頭。飮其酒。於是飮醉。死由伏寢。爾速須佐之男命。拔下其所御佩之十拳劔。切散其蛇者。肥河變血而流。故切其中尾時。御刀之刄毀。爾思怪。以御刀之前刺割而見者。在都牟刈之大刀。故取此大刀。思異物而。白上於天照大御神也。是者草那藝之大刀也那藝二字以音故是以其速須佐之男命。宮可造作之地。求出雲國。爾到坐須賀此二字以音。下效此地而詔之。吾來此地。我御心須須賀賀斯而。其地作宮坐。故其地者於今云須賀也。茲大神初作須賀宮之時。自其地雲立騰。爾作御歌。其歌曰。夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁*於是喚其足名椎神。告言。汝者任我宮之首。且負名號稻田宮主須賀之八耳神。故其櫛名田比賣以。久美度迩起而。所生神名謂八嶋士奴美神自士下三字以音。下效此又娶大山津見神之女。名神大市比賣。生子。大年神。次宇迦之御魂神二柱。宇迦二字以音兄八嶋士奴美神。娶大山津見神之女。名木花知流二字以音比賣。生子。布波能母遲久奴須奴神。此神。娶淤迦美神之女。名日河比賣。生子。深淵之水夜禮花神夜禮二字以音此神娶天之都度閇知泥自都下五字以音生子。淤美豆奴神此神名以音此神娶布怒豆怒神此神名以音之女。名布帝耳布帝二字以音生子。天之冬衣神。此神。娶刺國大神之女。名刺國若比賣。生子。大國主神。亦名謂大穴牟遲神牟遲二字以音亦名謂葦原色許男神色許二字以音亦名謂八千矛神。亦名謂宇都志國玉神宇都志三字以音并有五名。故此大國主神之兄弟八十神坐。然皆國者避於大國主神。所以避者。其八十神各有下欲婚稻羽之八上比賣之心共行稻羽時。於大穴牟遲神負。爲從者率往。於是到氣多之前時。裸菟伏也。爾八十神謂其菟云。汝將爲者。浴此海鹽。當風吹而。伏高山尾上。故其菟從八十神之教而伏。爾其鹽隨乾。其身皮悉風見吹拆。故痛苦泣伏者。最後之來大穴牟遲神見其菟。言何由汝泣伏。菟答言。僕在淤岐嶋。雖欲度此地。無度因。故欺海和迩此二字以音。下效此言。吾與汝竸。欲計族之多少。故汝者隨其族在悉率來。自此嶋至于氣多前皆列伏度。爾吾蹈其上。走乍讀度。於是知與吾族孰多。如此言者。見欺而列伏之時。吾蹈其上讀度來。今將下地時。吾云。汝者我見欺。言竟。即伏最端和迩捕我。悉剥我衣服。因此泣患者。先行八十神之命以。誨告浴海鹽當風伏。故爲如教者。我身悉傷。於是大穴牟遲神教告其菟。今急往此水門。以水洗汝身。即取其水門之蒲黄。敷散而。輾轉其上者。汝身如本膚必差。故爲如教其身如本也。此稻羽之素菟者也。於今者謂菟神也。故其菟白大穴牟遲神。此八十神者必不得八上比賣。雖負汝命獲之。於是八上比賣答八十神言。吾者不聞汝等之言。將嫁大穴牟遲神。故爾八十神忿。欲殺大穴牟遲神共議而。至伯岐國之手間山本云。赤猪在此山。故和禮此二字以音共追下者。汝待取。若不待取者。必將殺汝云而。以火燒似猪大石而轉落。爾追下取時。即於其石所燒著而死。爾其御祖命哭患而。參上于天。請神産巣日之命時。乃遣貝比賣與蛤貝比賣。令作活。爾貝比賣岐佐宜此三字以音集而。蛤貝比賣持水而。塗母乳汁者。成麗壯夫訓壯夫云袁等古
而出遊行。於是八十神見。且欺率入山而。切伏大樹。茹矢。打立其木。令入其中即。打離其冰目矢而。拷殺也。爾亦其御祖哭乍求者。得見即。拆其木而取出活。告其子言。汝者有此間者。遂爲八十神所滅。乃遣於木國之大屋毘古神之御所。爾八十神追臻而。矢刺之時。自木俣漏逃而云。御祖命告子云。可參向須佐能男命所坐之根堅州國。必其大神議也。故隨詔命而。參到須佐之男命之御所者。其女須勢理毘賣出見。爲目合而相婚。還入。白其父言。甚麗神來。爾其大神出見而告。此者謂之葦原色許男。即喚入而。令寢其蛇室。於是其妻須勢理毘賣命以蛇比禮二字以音授其夫云。其蛇將咋。以此比禮三擧打撥。故如教者。蛇自靜故。平寢出之。亦來日夜者。入呉公與蜂室。亦授呉公、蜂之比禮。教如先故。平出之。亦鳴鏑射入大野之中。令採其矢。故人其野時。即以火迴燒其野。於是不知所出之間。鼠來云。内者富良富良此四字以音外者須夫須夫此四字以音巳如此言故。蹈其處者。落隱入之間。火者燒過。爾其鼠咋持其鳴鏑。出來而奉也。其矢羽者。其鼠子等皆喫也。於是其妻須世理毘賣者。持喪具而哭來。其父大神者。思已死訖。出立其野。爾持其矢以奉之時。率入家而。喚入八田間大室而。令取其頭之虱。故爾見其頭者。呉公多在。於是其妻。以牟久木實與赤土。授其夫。故咋破其木實。含赤土。唾出者。其大神。以爲咋破呉公唾出上而。於心思愛而寢。爾握其神之髮。其室毎椽結著而。五百引石。取塞其室戸。負其妻須世理毘賣。即取持其大神之生大刀與生弓矢。及其天詔琴而。逃出之時。其天詔琴拂樹而。地動鳴。故其所寢大神。聞驚而。引仆其室。然解結椽髮之間。遠逃。故爾追至黄泉比良坂遙望呼。謂大穴牟遲神日。其汝所持之生大刀、生弓矢以而。汝庶兄弟者追伏坂之御尾。亦追撥河之瀬而。意禮二字以音爲大國主神亦爲宇都志國玉神而。其我之女爲須世理毘賣。爲嫡妻而。於宇迦能山三字以音巳之山本。於底津石根。宮柱布刀斯理此四字以音於高天原氷椽多迦斯理此四字以音而居。是奴也。故持其大刀、弓。追避其八十神之時。毎坂御尾追伏。毎河瀬追撥而。始作國也。故其八上比賣者如先期美刀阿多波志都此七字以音故其八上比賣者雖率來。畏其嫡妻須世理毘賣而。其所生子者刺狹木俣而返。故名其子云木俣神亦名謂御井神也。
此八千矛神。將婚高志國之沼河比賣幸行之時。到其沼河比賣之家歌曰。
 夜知富許能。迦微能美許登波。夜斯麻久爾。都麻麻岐迦泥弖。登富登富斯。故志能久迩迩。佐加志賣遠。阿理登岐加志弖。久波志賣遠。阿理登伎許志弖。佐用婆比迩。阿理多多斯用婆比迩。阿理迦用婆勢。多知賀遠母。伊麻陀登加受弖。淤須比遠母。伊麻陀登加泥婆。遠登賣能。那須夜伊多斗遠。淤曾夫良比。和何多多勢禮婆。比許豆良比。和何多多勢禮婆。阿遠夜麻迩。奴延波那伎奴。佐怒都登理。岐藝斯波登與牟。爾波都登理。迦祁波那久。宇禮多久母。那久那留登理加。許能登理母。宇知夜米許世泥。伊斯多布夜。阿麻波勢豆加比。許登能。加多理其登母。許遠婆*
爾其沼河日賣。未開戸。自内歌曰。
  夜知富許能。迦微能美許等。奴延久佐能。売迩志阿礼婆。和何許許呂。宇良須能登理叙。伊麻許曾婆。和杼理迩阿良米。能知波。那杼理爾阿良牟遠。伊能知波。那志勢多麻比曾。伊斯多布夜。阿麻波世豆迦x比。許登能。加多理碁登母。許遠婆。阿遠夜麻迩。比賀迦久良婆。奴婆多麻能。用波伊伝那牟。阿佐比能。恵美佐加延岐弖。多久豆怒能。斯路岐多陀牟岐。阿和由岐能。和加夜流牟泥遠。曾陀多岐。多多岐麻那賀理。麻多麻伝。多麻伝佐斯麻岐。毛毛那賀爾。伊波那佐牟遠。阿夜爾。那古斐支許志。夜知富許能。迦微能美許登。許登能。迦多理碁登母。許遠婆*
故其夜者不合而。明日夜爲御合也。又其神之嫡后須勢理毘賣命。甚爲嫉妬。故其日子遲神和備弖三字以音自出雲將上坐倭國而。束裝立時。片御手者。繋御馬之鞍。片御足蹈入其御鐙而。歌曰。
  奴婆多麻能。久路岐美祁斯遠。麻都夫佐爾。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許禮婆布佐波受。幣都那美。曾迩奴岐宇弖。蘇迩杼理能。阿遠岐美祁斯遠。麻都夫佐迩。登理與曾比。於岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許母布佐波受。幣都那美。曾迩奴棄宇弖。夜麻賀多爾。麻岐斯。阿多豆都岐。曾米紀賀斯流迩。斯米許呂母遠。麻都夫佐迩。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許斯與呂志。伊刀古夜能。伊毛能美許等。牟良登理能。和賀牟禮伊那婆。比氣登理能。和賀比氣伊那婆。那迦士登波。那波伊布登母。夜麻登能。比登母登須須岐。宇那加
夫斯。那賀那加佐麻久。阿佐阿米能。疑理迩多多牟敍。和加久佐能。都麻能 美許登。許登能。加多理碁登母。許遠婆*

爾其后取大御酒坏。立依指擧而歌曰。
  夜知富許能。加微能美許登夜。阿賀淤 富久迩奴斯。那許曾波。遠迩伊麻世婆。宇知微流。斯麻能佐岐邪岐。加岐微流。伊蘇能佐岐淤知受。和加久佐能。都麻母多勢良米。阿波母與。賣迩斯阿禮婆。那夜知富許能加微能美許登夜阿賀淤富久迩奴斯那許曾波遠迩伊麻世婆宇知微流斯麻能佐岐邪岐加岐微流伊蘇能佐岐淤知受和加久佐能都麻母多勢良米阿波母與賣迩斯阿禮婆那遠岐弖。遠波那志。那遠岐弖。都麻波那斯。阿夜加岐能。布波夜賀斯多爾。牟斯夫須麻。爾古夜賀斯多爾。多久夫須麻。佐夜具賀斯多爾。阿和由岐能。和加夜流牟泥遠。多久豆怒能。斯路岐多陀牟岐。曾陀多岐。多多岐麻那賀理。麻多麻傳。多麻傳佐斯麻岐。毛毛那賀迩。伊遠斯那世。登與美岐。多弖麻都良世*
如此歌。即爲宇伎由比四字以音而。宇那賀氣理弖六字以音至今鎭坐也。此謂之神語也。故此大國主神娶坐胸形奧津宮神。多紀理毘賣命。生子。阿遲二字以音高日子根神。次妹高比賣命。亦名下光比賣命。此之阿遲高日子根神者。今謂迦毛大御神者也。大國主神。亦娶神屋楯比賣命。生子。事代主神。亦娶八嶋牟遲能神自牟下三字以音之女。鳥取神。生子。鳥鳴海神訓鳴云那留此神。娶日名照額田毘道男伊許知迩神田下毘又自伊下至迩皆以音生子。國忍富神。此神。娶葦那陀迦神自那下三字以音亦名八河江比賣。生子。速甕之多氣佐波夜遲奴美神自多下八字以音此神娶天之甕主神之女。前玉比賣。生子。甕主日子神。此神娶淤加美神之女。比那良志毘賣此神名以音生子。多比理岐志麻流美神此神名以】此神娶比比羅木之其花麻豆美神木上三字花下三字以音之女。活玉前玉比賣神生子。美呂浪神【美呂二字以音】此神娶敷山主神之女。青沼馬沼押比賣。生子。布忍富鳥鳴海神。此神娶若晝女神。生子。天日腹大科度美神【度美二字以音】此神娶天狹霧神之女。遠津待根神生子。遠津山岬多良斯神。

 右件自八嶋士奴美神以下。遠津山
 岬帶神以前。稱十七世神。
故大國主神坐出雲之御大之御前時。
自波穗乘天之羅摩船而。内剥鵝皮剥。
爲衣服。有歸來神。爾雖問其名不答。且
雖問所從之諸神。皆白不知。爾多迩具
久白言【自多下四字以音】此者久延毘古必知
之。即召久延毘古問時。答白此者神産
巣日神之御子。少名毘古那神【自毘下三字以
音】故爾白上於神産巣日御祖命者。答
告。此者實我子也。於子之中自我手俣
久岐斯子也【自久下三字以音】故與汝葦原色
許男命爲兄弟而。作堅其國。故自爾大
穴牟遲與少名毘古那。二柱神相並。作
堅此國。然後者。其少名毘古那神者度
于常世國也。故顯白其少名毘古那神。
所謂久延毘古者。於今者山田之曾富
騰者也。此神者足雖不行。盡知天下之
事神也。於是大國主神愁而告。吾獨何
能得作此國。孰神與吾能相作此國耶。
是時有光海依來之神。其神言。能治我
前者。吾能共與相作成。若不然者。國難
成。爾大國主神曰。然者治奉之状奈何。
答言吾者伊都岐奉于倭之青垣東山
上。此者坐御諸山上神也。故其大年神
娶神活須毘神之女。伊怒比賣。生子。大
國御魂神。次韓神。次曾富理神。次白日
神。次聖神【五神】。又娶香用比賣【此神名以音】生
子。大香山戸臣神。次御年神【二柱】。又娶天
知迦流美豆比賣【訓天如天亦自知下六字以音】生子。
奧津日子神。次奧津比賣命。亦名大戸
比賣神。此者諸人以拜竃神者也。次大
山(上)咋神。亦名山末之大主神。此神者
坐近淡海國之日枝山。亦坐葛野之松
尾。用鳴鏑神者也。次庭津日神。次阿須
波神【此神名以音】次波比岐神【此神名以音】次香
山戸臣神。次羽山戸神。次庭高津日神。
次大土神。亦名土之御祖神。【九神】
 上件大年神之子。自大國御魂神以
 下。大土神以前。并十六神。
羽山戸神娶大氣都比賣神【自氣下四字以音】
生子。若山咋神。次若年神。次妹若沙那
賣神【自沙下三字以音】次彌豆麻岐神【自彌下四字
音】次夏高津日神。亦名夏之賣神。次秋
毘賣神。次久久年神【久久二字以音】次久久紀
若室葛根神【久久紀二字以音】
 上件羽山戸神之子自若山咋神以
 下。若室葛根以前。并八神。
天照大御神之命以。豐葦原之千秋長
五百秋之水穗國者。我御子正勝吾勝
勝速日天忍穗耳命之所知國。言因賜
而天降也。於是天忍穗耳命於天浮橋
多多志【此三字以音】而詔之。豐葦原之千秋
長五百秋之水穗國者。伊多久佐夜藝
弖【此七字以音】有那理【此二字以音。下效此】告而。更還
上。請于天照大神。爾高御産巣日神
天照大御神之命以。於天安河之河原
神集八百萬神集而。思金神令思而詔。
此葦原中國者。我御子之所知國。言依
所賜之國也。故以爲於此國道速振荒
振國神等之多在。是使何神而將言趣。
爾思金神及八百萬神議白之。天菩比
神。是可遣。故遣天菩比神者。乃媚附大
國主神。至于三年不復奏。是以高御産
巣日神、天照大御神亦問諸神等。所遣
葦原中國之天菩比神。久不復奏。亦使
何神之吉。爾思金神答白。可遣天津國
玉神之子。天若日子。故爾以天之麻迦
古弓【自麻下三字以音】天之波波【此二字以音】矢。賜
天若日子而遣。於是天若日子降到其國
即娶大國主神之女。下照比賣。亦慮
獲其國。至于八年不復奏。故爾天照大
御神、高御産巣日神亦問諸神等。天若
日子久不復奏。又遣曷神以。問天若日
子之淹留所由。於是諸神及思金神答
白可遣雉名鳴女時。詔之。汝行。問天若
日子状者。汝所以使葦原中國者。言趣
和其國之荒振神等之者也。何至于八
年不復奏。故爾鳴女自天降到。居天若
日子之門湯津楓上而。言委曲如天神
之詔命。爾天佐具賣【此三字以音】聞此鳥言
而。語天若日子言。此鳥者其鳴音甚惡。
故可射云進。即天若日子持天神所
賜天之波士弓。天之加久矢。射殺其雉。
爾其矢自雉胸通而。逆射上。逮坐天安
河之河原。天照大御神、高木神之御所
是高木神者。高御産巣日神之別名。故
高木神取其矢見者。血箸其矢羽。於是
高木神告之此矢者所賜天若日子之
矢即示諸神等詔者。或天若日子不誤
命。爲射惡神之矢之至者。不中天若日
子。或有邪心者。天若日子於此矢麻賀
禮【此三字以音】云而。取其矢自其矢穴衝返
下者。中天若日子。寢胡床之高胸坂。以
死【此還矢之可恐之本也】亦其雉不還。故於今諺曰
雉之頓使本是也。故天若日子之妻。下
照比賣之哭聲。與風響到天。於是在天
天若日子之父。天津國玉神及其妻子
聞而。降來哭悲。乃於其處作喪屋而。河
雁爲岐佐理持【自岐下三字以音】鷺爲掃持。翠
鳥爲御食人。雀爲碓女。雉爲哭女。如此
行定而。日八日夜八夜以遊也。此時。阿
遲志貴高日子根神【自阿下四字以音】到而。弔
天若日子之喪時。自天降到天若日子
之父。亦其妻。皆哭云。我子者不死有祁
理【此二字以音。下效此】我君者不死坐祁理云。取
懸手足而哭悲也。其過所以者。此二柱
神之容姿甚能相似。故是以過也。於是
阿遲志貨高日子根神大怒日。我者愛
友故弔來耳。何吾比穢死人云而。拔所
御佩之十掬劍。切伏其喪屋。以足蹶離
遣。此者在美濃國藍見河之河上喪山
之者也。其持所切大刀名謂大量。亦名
謂神度劍【度字以音】故阿治志貴高日子根
神者忿而飛去之時。其伊呂妹高比賣
命。思顯其御名。故歌曰。阿米那流夜。淤
登多那婆多能。宇那賀世流。多麻能美
須麻流。美須麻流迩。阿那陀麻波夜。美
多迩布多和多良須。阿治志貴。多迦比
古泥能迦微曾*此歌者夷振也。於是
天照大御神詔之。亦遣曷神者吉。爾思
金神及諸神白之。坐天安河河上之天
石屋。名伊都之尾羽張神。是可遣【伊都二字
以音】若亦非此神者。其神之子。建御雷之
男神。此應遣。且其天尾羽張神者。逆塞
上天安河之水而。塞道居故。他神不得
行。故別遣天迦久神可問。故爾使天迦
久神。問天尾羽張神之時。答白。恐之。仕
奉。然於此道者。僕子建御雷神可遣。乃
貢進。爾天鳥船神副建御雷神而遣。是
以此二神降到出雲國伊那佐之小濱
而【伊那佐三字以音】拔十掬劍。逆刺立千浪穗
趺坐其劍前。問其大國主神言。天照大
御神、高木神之命以。問使之。汝之宇志
波祁流【此五字以音】葦原中國者。我御子之
所知國。言依賜。故汝心奈何。爾答白之。
僕者不得白。我子八重言代主神。是可
白。然爲鳥遊、取魚而。往御大之前。未還
來。故爾遣天鳥船神。徴來八重事代主
神而。問賜之時。語其父大神言。恐之。此
國者立奉天神之御子。即蹈傾其船而。
天逆手矣。於青柴垣打成而隱也【訓柴云布
斯】故爾問其大國主神。今汝子事代主
神如此白訖。亦有可白子乎。於是亦白
之。亦我子有建御名方神。除此者無也。
如此白之間。其建御名方神。千引石{敬手}
手末而來。言誰來我國而。忍忍如此物
言。然欲爲力競。故我先欲取其御手。故
令取其御手者。即取成立氷。亦取成劍
刄。故爾懼而退居。爾欲取其建御名方
神之手。乞歸而取者。如取若葦。[才益]批而
投離者。即逃去。故追往而。迫到科野國
之洲羽海。將殺時。建御名方神白。恐。莫
殺我。除此地者。不行他處。亦不違我父
大國主神之命。不違八重事代主神之
言。此葦原中國者。隨天神御子之命獻。
故更且還來。問其大國主神。汝子等事
代主神、建御名方神二神者。隨天神御
子之命。勿違白訖。故汝心奈何。爾答白
之。僕子等二神隨白。僕之不違。此葦原
中國者。隨命既獻也。唯僕住所者。如天
神御子之天津日繼所知之。登陀流【此三
字以音。下效此】天之御巣而。於底津石根宮柱
布斗斯理【此四字以音】於高天原。氷木多迦
斯理【多迦斯理四字以音】而治賜者。僕者於百不
足八十[土冏]手隱而侍。亦僕子等百八十
神者。即八重事代主神爲神之御尾前
而仕奉者。違神者非也。如此之白而。乃
隱也。故隨白而。於出雲國之多藝志之
小濱造天之御舍【多藝志三字以音】而。水戸神
之孫櫛八玉神爲膳夫。獻天御饗之時。
祷白而。櫛八玉神化鵜。入海底。咋出底
之波迩【此二字以音】作天八十毘良迦【此三字以
音】而。鎌海布之柄作燧臼臺以海蓴之柄
作燧杵而。鑚出火云。是我所燧火者於
高天原者神産巣日御祖命之登陀流
天之新巣之凝烟【訓凝姻云州須】之八拳垂麻
弖燒擧【麻弖二字以音】地下者於底津石根燒
凝而栲繩之千尋繩打延爲釣海人之
口大之尾翼鱸【訓鱸云須受岐】佐和佐和迩【此五
字以音】控依騰而打竹之登遠遠登遠遠
迩【此七字以音】獻天之眞魚咋也。故建御雷
神返參上。復奏言向和平葦原中國之
状。爾天照大御神、高木神之命以。詔太
子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命。今平
訖葦原中國之白。故隨言依賜。降坐而
知看。爾其太子正勝吾勝勝速日天忍
穗耳命答白。僕者將降裝束之間。子生
出。名天迩岐志國迩岐志【自迩至志以音】天津
日高日子番能迩迩藝命。此子應降也。
此御子者御合高木神之女。萬幡豐秋
津師比賣命。生子。天火明命。次日子番
能迩迩藝命【二柱】也。是以隨白之。科詔日
子番能迩迩藝命。此豐葦原水穗國者。
汝將知國。言依賜。故隨命以可天降。爾
日子番能迩迩藝命將天降之時。居天
之八衢而。上光高天原下光葦原中國
之神於是有。故爾天照大御神、高木神
之命以。詔天宇受賣神。汝者雖有手弱
女人。與伊牟迦布神【自伊至布以音】面勝神。故
專汝往將問者。吾御子爲天降之道。誰
如此而居。故問賜之時。答白。僕者國神。
名猿田毘古神也。所以出居者。聞天神
御子天降坐故。仕奉御前而。參向之侍。
爾天兒屋命、布刀玉命、天宇受賣命、伊
斯許理度賣命、玉祖命并五伴緒矣。支
加而。天降也。於是副賜其遠岐斯【此三字以
音】八尺勾〓鏡。及草那藝劍。亦常世思
金神、手力男神、天石門別神而。詔者。此
之鏡者專爲我御魂而。如拜吾前伊都
岐奉。次思金神者取持前事爲政。此二
柱神者。拜祭佐久久斯侶。伊須受能宮
【自佐至能以音】次登由宇氣神。此者坐外宮之
度相神者也。次天石戸別神。亦名謂櫛
石窓神。亦名謂豐石窓神。此神者御門
之神也。次手力男神者坐佐那縣也。故
其天兒屋命者【中臣連等之祖】布刀玉命者【忌部
首等之祖】天宇受賣命者【猿女君等之祖】伊斯許理
度賣命者【鏡作連等之祖】玉祖命者【玉祖連等之祖】故
爾詔天津日子番能迩迩藝命而。離天
之石位。押分天之八重多那【此二字以音】雲
而。伊都能知和岐知和岐弖【自伊以下十字以音】
於天浮橋宇岐士摩理蘇理多多斯弖
【自宇以下十一字亦以音】天降坐于竺紫日向之高
千穗之久士布流多氣【自久以下六字以音】故爾
天忍日命、天津久米命二人取負天之
石靭。取佩頭椎之大刀。取持天之波士
弓。手挾天之眞鹿兒矢立御前而仕奉。
故其天忍日命【此者大伴連等之祖】天津久米命
【此者久米直等之祖也】於是詔之。此地者向韓國。
眞來通笠紗之御前而。朝日之直刺國。
夕日之日照國也。故此地甚吉地詔而。
於底津石根宮柱布斗斯理。於高天原
氷椽多迦斯理而坐也。故爾詔天宇受
賣命。此立御前所仕奉猿田毘古大神
者。專所顯申之汝送奉。亦其神御名者。
汝負仕奉。是以猿女君等。負猿田毘
古之男神名而女呼猿女君之事是也
故其猿田毘古神坐阿邪訶【此三字以音。地名】
時。爲漁而。於比良夫貝【自比至夫以音】其手見
咋合而。沈溺海鹽。故其沈居底之時名
謂底度久御魂【度久二字以音】其海水之都夫
多都時名謂。都夫多都御魂【自都下四字以音】
其阿和佐久時名謂阿和佐久御魂【自阿
至久以音】於是送猿田毘古神而。還到。乃悉
追聚鰭廣物。鰭狹物以。問言汝者天神
御子仕奉耶之時。諸魚皆仕奉白之中。
海鼠不白。爾天宇受賣命謂海鼠云。此
口乎。不答之口而。以紐小刀拆其口。故
於今海鼠口拆也。是以御世嶋之速贄
獻之時。給猿女君等也。於是天津日高
日子番能迩迩藝能命於笠紗御前遇
麗美人。爾問誰女。答白之。大山津見神
之女。名神阿多都比賣【此神名以音】亦名謂
木花之佐久夜毘賣【此五字以音】又問有汝
之兄弟乎。答白我姉石長比賣在也。爾
詔。吾欲目合汝奈何。答白僕不得白。僕
父大山津見神將白。故乞遣其父大山
津見神之時。大歡喜而。副其姉石長比
賣。令持百取机代之物奉出。故爾其姉
者因甚凶醜。見畏而返送。唯留其弟木
花之佐久夜毘賣以。一宿爲婚。爾大山
津見神因返石長比賣而大恥。白送言。
我之女二並立奉由者。使石長比賣者。
天神御子之命。雖雪零風吹。恆如石而。
常堅不動坐。亦使木花之佐久夜毘賣
者。如木花之榮榮坐。宇氣比弖【自宇下四字以
音】貢進。此令返石長比賣而。獨留木花
之佐久夜毘賣。故天神御子之御壽者。
木花之阿摩比能微【此五字以音】坐。故是以
至于今。天皇命等之御命不長也。故後
木花之佐久夜毘賣參出白。妾妊身。今
臨産時。是天神之御子。私不可産故請。
爾詔。佐久夜毘賣。一宿哉妊。是非我子。
必國神之子。爾答白。吾妊之子。若國神
之子者。産不幸。若天神之御子者幸。即
作無戸八尋殿。入其殿内。以土塗塞而。
方産時以火著其殿而産也。故其火盛
燒時所生之子名。火照命【此者隼人阿多君之祖】
次生子名。火須勢理命【須勢理三字以音】次生
子御名。火遠理命。亦名天津日高日子
穗穗手見命【三柱】故火照命者爲海佐知
毘古【此四字以音。下效此】而。取鰭廣物。鰭狹物。火
遠理命者。爲山佐知毘古而。取毛麁物。
毛柔物。爾火遠理命謂其兄火照命。各
相易佐知欲用。三度雖乞不許。然遂纔
得相易。爾火遠理命以海佐知釣魚。都
不得魚。亦其鉤失海。於是其兄火照
命乞鉤曰。山佐知母。己之佐知佐知。
海佐知母已之佐知佐知。今各謂返佐
知之時【佐知二字以音】其弟火遠理命答曰。汝
鉤者。釣魚不得一魚。遂失海。然其兄強
乞徴。故其弟破御佩之十拳劍。作五百
鉤。雖償不取。亦作一千鉤。雖償不受。云
猶欲。得其正本鉤。於是其弟泣患居海
邊之時。鹽椎神來問曰。何虚空津日高
之泣患所由。答言。我與兄易鉤而。失其
鉤。是乞其鉤故。雖償多鉤不受。云猶欲
得其本鉤。故泣患之。爾鹽椎神云我爲
汝命作善議。即造无間勝間之小船。載
其船以教日。我押流其船者。差暫往。將
有味御路。乃乘其道往者。如魚鱗所造
之宮室。其綿津見神之宮者也。到其神
御門者。傍之井上有湯津香木。故坐其
木上者。其海神之女見相議者也【訓香木云
加都良】故隨教少行。備如其言。即登其香
木以坐。爾海神之女豐玉毘賣之從婢。
持玉器將酌水之時。於井有光。仰見者。
有麗壯夫吉【訓壯夫云袁登古下效此】以爲甚異奇。爾
火遠理命見其婢。乞欲得水。婢乃酌水。
入玉器貢進。爾不飮水。解御頚之[王與]含
口。唾入其玉器。於是其[王與]著器。婢不得
離[王與]。故[王與]任著以進豐玉毘賣命。爾見
其[王與]。問婢日。若人有門外哉。答曰。有人
坐我井上香木之上。甚麗壯夫也。益我
王而甚貴。故其人乞水故奉水者。不飮
水。唾入此[王與]。是不得離。故任入將來而
獻。爾豐玉毘賣命思奇。出見。乃見感目
合而。白其父曰。吾門有麗人。爾海神自
出見。云此人者天津日高之御子。虚空
津日高矣。即於内率入而。美知皮之疊
敷八重。亦[糸施−方]疊八重敷其上。坐其上而。
具百取机代物爲御饗即令婚其女豐
玉毘賣。故至三年住其國。於是火袁理
命思其初事而。大一歎。故豐玉毘賣命
聞其歎以。白其父言。三年雖住。恆無歎。
今夜爲大一歎。若有何由。故其父大神
問其聟夫日。今旦聞我女之語云三年
雖坐。恆無歎。今夜爲大歎。若有由哉。亦
到此間之由奈何。爾語下其大神備如其
兄罰失鉤之状。是以海神悉召集海之
大小魚問曰。若有取此鉤魚乎。故諸魚
白之。頃者赤海[魚即]魚於喉[魚更]。物不得食
愁言故必是取。於是探赤海[魚即]魚之。喉
者。有鉤。即取出而清洗。奉火遠理命之
時。其綿津見大神。誨曰之。以此鉤給其
兄時。言状者。此鉤者。淤煩鉤、須須鉤、貧
鉤、宇流鉤云而。於後手賜【於煩及須須。亦宇流六字
以音】然而其兄作高田者。汝命營下田。其
兄作下田者。汝命營高田。爲然者。吾掌
水故。三年之間必其兄貧窮。若恨怨其
爲然之事而攻戰者。出鹽盈珠而溺。若
其愁請者。出鹽乾珠而活。如此令惚苦
云。授鹽盈珠、鹽乾珠并兩箇。即悉召集
和迩魚問曰。今天津日高之御子。虚空
津日高爲將出幸上國。誰者幾日送奉
而。覆奏。故各隨己身之尋長限日而白
之中。一尋和迩白。僕者一日送即還來。
故爾告下其一尋和迩。然者汝送奉。若渡
海中時。無令惶畏即載其和迩之頚送
出。故如期一日之内送奉也。其和迩將
返之時。解所佩之紐小刀。著其頚而返。
故其一尋和迩者。於今謂佐比持神也。
是以備如海神之教言。與其鉤。故自爾
以後。稍愈貧。更起荒心迫來。將攻之時。
出鹽盈珠而令溺。其愁請者。出鹽乾珠
而救。如此令惚苦之時。稽首白。僕者自
今以後。爲汝命之晝夜守護人而仕奉。
故至今。其溺時之種種之態不絶仕奉
也。於是海神之女豐玉毘賣命自參出
白之。妾已妊身。今臨産時。此念。天神之
御子不可生海原。故參出到也。爾即於
其海邊波限以鵜羽爲葺草造産殿。於
是其産殿未葺合。不忍御腹之急故。入
坐産殿。爾將方産之時。白其日子言。凡
他國人者臨産時。以本國之形産生。故
妾今以本身爲産。願勿見妾。於是思奇
其言。竊伺其方産者。化八尋和迩而。匍
匐委蛇。即見驚畏而遁退。爾豐玉毘賣
命知其伺見之事。以爲心恥。乃生置其
御子而。白下妾恆通海道欲往來。然伺見
吾形是甚[心乍]之即塞海坂而返入。是以
名其所産之御子。謂天津日高日子波
限建鵜葺草不合命【訓波限云那藝佐。訓葺草云加
夜】然後者。雖恨其伺情不忍戀心。因治
養其御子之縁附其弟玉依毘賣而。獻
歌之。其歌曰。阿加陀麻波。袁佐閇比迦
禮杼。斯良多麻能。岐美何余曾比斯。多
布斗久阿理祁理*爾其比古遲【三字以音】答
歌曰。意岐都登理。加毛度久斯麻迩。和
賀韋泥斯。伊毛波和須禮士。余能許登
碁登迩*故日子穗穗手見命者坐高千
穗宮。伍佰捌拾歳。御陵者。即在其高千
穗山之西也。是天津日高日子波限建
鵜葺草葺不合命娶其姨玉依毘賣命
生御子名。五瀬命。次稻氷命。次御毛沼
命。次若御毛沼命。亦名豐御毛沼命。亦
名神倭伊波禮毘古命【四柱】故御毛沼命
者跳浪穗渡坐于常世國。稻氷命者爲
妣國而入坐海原也。

古事記上卷終
古事記中卷

神倭伊波禮毘古命【自伊下五字以音】與其伊
呂兄五瀬命【上伊呂二字以音】二柱。坐高千穗
宮而。議云。坐何地者。平聞看天下之政。
猶思東行。即自日向發幸御筑紫。故到
豐國宇沙之時。其土人名宇沙都比古、
宇沙都比賣【此十字以音】二人。作足一騰宮
而獻大御饗。自其地遷移而。於竺紫之
岡田宮一年坐。亦從其國上幸而。於阿
岐國之多祁理宮。七年坐【自多下三字以音】亦
從其國遷上幸而。於吉備之高嶋宮
八年坐。故從其國上幸之時。乘龜甲爲釣
乍打羽擧來人。遇于速汲門。爾喚歸。問
之汝者誰也。答曰僕者國神。名宇豆毘
古。又問汝者知海道乎答日能知。又問
從而仕奉乎。答曰仕奉。故爾指度槁機
引入其御船。即賜名號槁根津日子【此者
倭國造之祖】故從其國上行之時。經浪速之
渡而。泊青雲之白肩津。此時。登美能那
賀須泥毘古【自登下九字以音】興軍待向以戰。
爾取所入御船之楯而下立。故號其地
謂楯津。於今者至日下之蓼津也。於是
與登美毘古戰之時。五瀬命於御手負
登美毘古之痛矢串。故爾詔。吾者爲日
神之御子。向日而戰不良。故負賎奴之
痛手。自今者行迴而。背負日以撃期而。
自南方迴幸之時。到血沼海。洗其御手
之血。故謂血沼海也。從其地迴幸。到紀
國男之水門而詔。負賎奴之手乎死。爲
男建而崩。故號其水門謂男水門也。陵
即在紀國之竃山也。故神倭伊波禮毘
古命從其地迴幸。到熊野村之時。大熊
髮出入即失。爾神倭伊波禮毘古命[攸火]
忽爲遠延。及御軍皆遠延而伏【遠延二字以音】
此時。熊野之高倉下【此者人名】齎一横刀。到
於天神御子之伏地而。獻之時。天神御
子即寤起。詔長寢乎。故受取其横刀之
時。其熊野山之荒神自皆爲切仆。爾其
惑伏御軍悉寤起之。故天神御子問獲
其横刀之所由。高倉下答曰。己夢云。天
照大神、高木神二柱神之命以。召建御
雷神而紹。葦原中國者。伊多玖佐夜藝
帝阿理祁理【此十一字以音】我之御子等。不平
坐良志【此二字以音】其葦原中國者。專汝所
言向之國。故汝建御雷神可降。爾答白。
僕雖不降。專有平其國之横刀。可降【此刀
名云佐士布都神。亦名云甕布都神。亦名布都御魂。此刀者。坐。石上神宮也】
降此刀状者。穿高倉下之倉頂自其墮
入。故建御雷神教曰。穿汝之倉頂。以此
刀墮入。故阿佐米余玖【自阿下五字以音】汝取
持。獻天神御子。故如夢教而。旦見己倉
者。信有横刀。故以是横刀而獻耳。於是
亦高木大神之命以。覺白之。天神御子。
自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。今自
天遣八咫烏。故其八咫烏引道。從其立
後應幸行。故隨其教覺。從其八咫烏之
後幸行者。到吉野河之河尻。時作筌有
取魚人。爾天神御子問汝者誰也。答曰
僕者國神。名謂贄持之子【此者阿陀之鵜飼之祖】
從其地幸行者。生尾人自井出來。其井
有光。爾問汝誰也。答曰僕者國神。名
謂井氷鹿【此者吉野首等祖也】即入其山之。亦遇
生尾人。此人押分巖而出來。爾問汝者
誰也。答曰僕者國神。名謂石押分之子。
今聞天神御子幸行故。參向耳【此者吉野國巣
之祖】自其地蹈穿越。幸宇陀。故曰宇陀之
穿也。故爾於宇陀有兄宇迦斯【自宇以下三字
以音。下效此】、弟宇迦斯二人。故先遣八咫烏。
問二人曰。今天神御子幸行。汝等仕奉
乎。於是兄宇迦斯以鳴鏑待射返其使。
故其鳴鏑所落之地謂訶夫羅前也。將
待撃云而聚軍。然不得聚軍者。欺陽仕
奉而。作大殿。於其殿内作押機待時。弟
宇迦斯先參向拜曰。僕兄兄宇迦斯射
返天神御子之使。將爲待攻而聚軍。不
得聚者。作殿。其内張押機將待取。故參
向顯白。爾大伴連等之祖道臣命。久米
直等之祖大久米命二人。召兄宇迦斯
罵詈云。伊賀【此二字以音】所作仕奉於大殿
内者。意禮【此二字以音】先入。明白其將爲仕
奉之状而。即握横刀之手上。矛由氣【此二
字以音】矢刺而。追入之時。乃己所作押見
打而死。爾即控出斬散。故其地謂宇陀
之血原也。然而其弟宇迦斯之獻大饗
者。悉賜其御軍。此時歌曰。宇陀能。多加
紀爾。志藝和那波留。和賀麻都夜。志藝
波佐夜良受。伊須久波斯。久治良佐夜
流。古那美賀。那許波佐婆。多知曾婆能。
微能那祁久袁。許紀志斐惠泥。宇波那
理賀。那許婆佐婆。伊知佐加紀。微能意
富祁久袁。許紀陀斐惠泥。疊疊【音引】志夜
胡志夜。此者伊能碁布曾【此五字以音】阿阿
【音引】志夜胡志夜此者嘲咲者也*故其弟
宇迦斯【此者宇陀水取等之祖也】自其地幸行。到忍
坂大室之時。生尾土雲【訓云具毛】八十建在
其室待伊那流【此二字以音】。故爾天神御子
之命以。饗賜八十建。於是宛八十建。設
八十膳夫。毎人佩刀。誨其膳夫等曰。聞
歌之者。一時共斬。故明將打其土雲之
歌曰。意佐賀能。意富牟廬夜爾。比登佐
波爾。岐伊理袁理。比登佐波爾。伊理袁
理登母。美都美都斯。久米能古賀。久夫
都都伊。伊斯都都伊母知。宇知弖斯夜
麻牟。美都美都斯。久米能古良賀。久夫
都都伊。伊斯都都伊母知。伊麻宇多婆
余良斯*如此歌曰。拔刀一時打殺也。然
後將撃登美毘古之時。歌曰。美都美都
斯。久米能古良賀。阿波布爾波。賀美良
比登母登。曾泥賀母登。曾泥米都那藝
弖。宇知弖志夜麻牟*又歌曰。美都美都
斯。久米能古良賀。加岐母登爾。宇惠志
波士加美。久知比比久。和禮波和須禮
士。宇知弖斯夜麻牟*又歌曰。加牟加是
能。伊勢能宇美能。意斐志爾。波比母登
富呂布。志多陀美能。伊波比母登富理。
宇知弖志夜麻牟*又撃兄師木、弟師木
之時。御軍暫疲。爾歌曰。多多那米弖。伊
那佐能夜麻能。許能麻用母。伊由岐麻
毛良比。多多加閇婆。和禮波夜惠奴。志
麻都登理。宇(上)加比賀登母。伊麻須氣
爾許泥*故爾迩藝速日命參赴。白於天
神御子。聞天神御子天降坐故。追參降
來。即獻天津瑞以仕奉也。故迩藝速日
命娶登美毘古之妹。登美夜毘賣。生子。
宇麻志麻遲命【此者物部連、穗積臣、[女采]臣祖也】故如此
言向平和荒夫琉神等【夫琉二字以音】退撥不
伏之人等而。坐畝火之白梼原宮。治天下
也。故坐日向時。娶阿多之小椅君妹。名
阿比良比賣【自阿以下五字以音】生子。多藝志美
美命。次岐須美美命。二柱坐也。然更求
爲大后之美人時。大久米命曰。此間有
媛女。是謂神御子。其所以謂神御子者。
三嶋湟咋之女。名勢夜陀多良比賣。其
容姿麗美。故美和之大物主神見感而。
其美人爲大便之時。化丹塗矢。自其爲
大便之溝流下。突其美人之富登【此二字以
音。下效此】爾其美人驚而。立走伊須須岐伎
【此五字以音】乃將來其矢。置於床邊忽成麗
壯夫即娶其美人生子。名謂富登多多
良伊須須岐比賣命。亦名謂比賣多多
良伊須氣余理比賣【是者惡其富登云事後改名也】
故是以謂神御子也。於是七媛女遊行
於高佐士野【佐士二字以音】伊須氣余理比賣
在其中。爾大久米命見其伊須氣余理
比賣而。以歌白於天皇曰。夜麻登能。多
加佐士怒袁。那那由久。袁登賣杼母。多
禮袁志摩加牟*爾伊須氣余理比賣者
立其媛女等之前。乃天皇見其媛女等
而。御心知伊須氣余理比賣立於最前
以歌答曰。賀都賀都母。伊夜佐岐陀弖
流。延袁斯麻加牟*爾大久米命以天皇
之命。詔其伊須氣余理比賣之時。見其
大久米命黥利目而。思奇歌曰。阿米都
都。知杼理麻斯登登。那杼佐祁流斗米*
爾大久米命答歌曰。袁登賣爾。多陀爾
阿波牟登。和加佐祁流斗米*故其孃子
白之仕奉也。於是其伊須氣余理比賣
命之家在狹井河之上。天皇幸行其伊
須氣余理比賣之許。一宿御寢坐也【其河
謂佐韋河由者。於其河邊山由理草多在。故取其山由理草之名號佐韋河也
山由理草之本名云佐韋也】後其伊須氣余理比賣
參入宮内之時。天皇御歌曰。阿斯波良
能。志祁志岐袁夜迩。須賀多多美。伊夜
佐夜斯岐弖。和賀布多理泥斯*然而阿
禮坐之御子名。日子八井命。次神八井
耳命。次神沼河耳命。【三柱】故天皇崩後。其
庶兄當藝志美美命娶其嫡后伊須氣
余理比賣之時。將殺其三弟而謀之間。
其御祖伊須氣余理比賣患苦而。以歌
令知其御子等。歌曰。佐韋賀波用。久毛
多知和多理。宇泥備夜麻。許能波佐夜
藝奴。加是布加牟登須*又歌曰。宇泥備
夜麻。比流波久毛登韋。由布佐禮婆。加
是布加牟登曾。許能波佐夜牙流*於是
其御子聞知而驚。乃爲將殺當藝志美
美之時。神沼河耳命。曰其兄神八井耳
命。那泥【此二字以音】汝命。持兵入而。殺當藝
志美美。故持兵入以將殺之時。手足和
那那岐弖【此五字以音】不得殺。故爾其弟神
沼河耳命乞取其兄所持之兵。入殺當
藝志美美。故亦稱其御名謂建沼河耳
命。爾神八井命讓弟建沼河耳命曰。
吾者不能殺仇。汝命既得殺仇。故吾雖
兄。不宜爲上。是以汝命爲上。治天下。僕
者扶汝命。爲忌人而仕奉也。故其日子
八井命者【茨田連。手嶋連之祖】神八井耳命者【意富
臣。小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長
谷造、都祁直、伊余國造、科野國造、道奧石城國造、常道仲國造、長狹國造、伊勢
船木直、尾張丹波臣、嶋田臣等之祖也】神沼河耳命者。治
天下也。凡此神倭伊波禮毘古天皇御
年壹佰參拾漆歳。御陵在畝火山之北
方白梼尾上也。
神沼河耳命坐葛城高岡宮。治天下也。
此天皇。娶師木縣主之祖。河俣毘賣。生
御子。師木津日子玉手見命【一柱】天皇御
年肆拾伍歳。御陵在衝田岡也。
師木津日子玉手見命坐片鹽浮穴宮
治天下也。此天皇。娶河俣毘賣之兄縣
主波延之女。阿久斗比賣。生御子。常根
津日子伊呂泥命【自伊下三字以音】次大倭日
子[金且]友命。次師木津日子命。此天皇之
御子等并三柱之中。大倭日子[金且]友命
者。治天下。次師木津日子命之子二王
坐。一子孫者【伊賀須知之稻置、那婆理之稻置。三野之稻置之祖】
一子和知都美命者坐淡道之御井宮。
故此王有二女。兄名蝿伊呂泥。亦名意
富夜麻登久迩阿禮比賣命。弟名蝿伊
呂杼也。天皇御年肆拾玖歳。御陵在畝
火山之美富登也。
大倭日子[金且]友命。坐輕之境岡宮。治天
下也。此天皇。娶師木縣主之祖。賦登麻
和訶比賣命。亦名飯日比賣命。生御子。
御眞津日子訶惠志泥命【自訶下四字以音】次
多藝志比古命【二柱】故御眞津日子訶惠
志泥命者。治天下也。次當藝志比古命
者【血沼之別。多遲麻之竹別、葦井之稻置之祖】天皇御年肆
拾伍歳。御陵在畝火山之眞名子谷上
也。
御眞津日子訶惠志泥命坐葛城掖上
宮。治天下也。此天皇。娶尾張連之祖奧
津余曾之妹。名余曾多本毘賣命。生御
子。天押帶日子命。次大倭帶日子國押
人命【二柱】故弟帶日子國忍人命者。治天
下也。兄天押帶日子命者【春日臣。大宅臣、粟田臣、小
野臣、柿本臣。壹比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟邪臣、都怒山
臣、伊勢飯高君、壹師君、近淡海國造之祖也】天皇御年玖拾
參歳。御陵在掖上博多山上也。
大倭帶日子國押人命坐葛城室之秋
津嶋宮。治天下也。此天皇。娶姪忍鹿比
賣命。生御子。大吉備諸進命。次大倭根
子日子賦斗迩命【二柱。自賦下三字以音】故大倭
根子日子賦斗迩命者。治天下也。天皇
御年壹佰貳拾參歳。御陵在玉手岡上
也。
大倭根子日子賦斗迩命坐黒田廬戸
宮。治天下也。此天皇。娶十市縣主之祖。
大目之女。名細比賣命。生御子。大倭根
子日子國玖琉命【一柱。玖琉二字以音】又娶春日
之千千速眞若比賣。生御子。千千速比
賣命【一柱】又娶意富夜麻登玖迩阿禮比
賣命。生御子。夜麻登登母母曾毘賣命。
次日子刺肩別命。次比古伊佐勢理毘
古命。亦名大吉備津日子命。次倭飛羽
矢若屋比賣【四柱】又娶其阿禮比賣命之
弟。繩伊呂杼生御子。日子寤間命。次若
日子建吉備津日子命【二柱】此天皇之御
子等并八柱【男王五。女王三】故大倭根子日子
國玖琉命者。治天下也。大吉備津日子
命與若建吉備津日子命。二柱相副而。
於針間氷河之前居忌瓮而。針間爲道
口以言向和吉備國也。故此大吉備津
日子命【吉備上道臣之祖】次若日子建吉備
津日子命者【吉備下道臣。笠臣祖】次日子寤間命
者【針間牛鹿之祖也】次日子刺肩別命者【高志之利
波臣、豐國之國前臣、五百原君、角鹿海直之祖也】天皇御年壹
佰陸歳。御陵在片岡馬坂上也。
大倭根子日子國玖琉命坐輕之堺原
宮。治天下也。此天皇。娶穗積臣等之祖
内色許男命【色許二字以音。下效此】妹。内色許賣
命。生御子。大毘古命。次少名日子建猪
心命。次若倭根子日子大毘毘命。【三柱】又
娶内色許男命之女。伊賀迦色許賣命
生御子。比古布都押之信命【自比至都以音】又
娶河内青玉之女。名波迩夜須毘賣。生
御子。建波迩夜須毘古命【一柱】此天皇之
御子等并五柱。故若倭根子日子大毘
毘命者。治天下也。其兄大毘古命之子。
建沼河別命者【阿倍臣等之祖】次比古伊那許
志別命【自比至志六字以音。此者膳臣之祖也】比古布都
押之信命娶尾張連等之祖意富那毘
之妹。葛城之高千那毘賣【那毘二字以音】生子。
味師内宿禰【此者山代内臣之祖也】又娶木國造
之祖宇豆比古之妹。山下影日賣。生子。
建内宿禰。此建内宿禰之子并九【男七。女二】
波多八代宿禰者【波多臣。林臣。波美臣、星川臣、淡梅臣。長谷
部君之祖也】次許勢小柄宿禰者【許勢臣。雀部臣、輕部
臣之祖也】次蘇賀石河宿禰者【蘇我臣、川邊臣田中臣高
向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣等之祖也】次平群都久宿禰
者【平群臣。佐和良臣、馬御〓連等祖也】次木角宿禰者【木臣。
都奴臣。坂本臣之祖】次久米能摩伊刀比賣。次怒
能伊呂比賣。次葛城長江曾都毘古者
【玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣等之祖也】又若子宿禰【江野財臣
之祖】此天皇御年伍拾漆歳。御陵在劍池
之中岡上
若倭根子日子大毘毘命。坐春日之伊
邪河宮。治天下也。此天皇。娶旦波之大
縣主。名由碁理之女。竹野比賣。生御子。
比古由牟須美命【一柱此王名以音】又娶庶母
伊賀迦色許賣命。生御子。御眞木入日
子印惠命【印惠二字以音】次御眞津比賣命【二柱】
又娶丸迩臣之祖日子國意祁都命之
妹。意祁都比賣命【意祁都三字以音】生御子。日
子坐王【一柱】又娶葛城之垂見宿禰之女。
〓比賣。生御子。建豐波豆羅和氣【一柱。
自波下五字以音】比天皇之御子等并五柱【男王
四女王一】故御眞木入日子印惠命者。治天
下也。其兄比古由牟須美王之子。大筒
木垂根王。次讚岐垂根王【三王。讚岐二字以音】此
二王之女五柱坐也。次日子坐王。娶山
代之荏名津比賣。亦名苅幡戸辨【此一字以
音】生子。大俣王。次小俣王。次士夫美宿
禰王【三柱】又娶春日建國勝戸賣之女。名
沙本之大闇見戸賣。生子。沙本毘古王。
次袁邪本王。次沙本毘賣命。亦名佐波
遲比賣【此沙本毘賣命者爲伊久米天皇之后。自沙本毘古以下三王
名皆以音】次室毘古王【四柱】又娶近淡海之御
上祝以伊都久【此三字以音】天之御影神之
女。息長水依比賣。生子。丹波比古多多
須美知能宇斯王【此王名以音】次水穗之眞
若王。次神大根王。亦名八瓜入日子王。
次水穗五百依比賣。次御井津比賣【五柱】
又娶其母弟袁祁都比賣命。生子。山代
之大筒木眞若王。次比古意須王。次伊
理泥王【三柱此二王名以音】凡日子坐王之子并
十一王。故兄大俣王之子。曙立王。次菟
上王【二柱】此曙立王者【伊勢之品遲部君、伊勢之佐那造之
祖】菟上王者【比賣陀君之祖】次小俣王者【當麻勾君
之祖】次志夫美宿禰王者【佐佐君之祖也】次沙本
毘古王者【日下部連、甲斐國造之祖】次袁邪本王者
【葛野之別、近淡海蚊野之別祖也】次室毘古王者【若狹之耳
別之祖】其美知能宇志王。娶丹波之河上
之摩須郎女生子。比婆須比賣命。次眞
砥野比賣命。次弟比賣命。次朝廷別王
【四柱】此朝廷別王者【三川之穗別之祖】此美知能
宇斯王之弟。水穗眞若王者【近淡海之安直之祖】
次神大根王者【三野國之本巣國造。長幡部連之祖】次山
代之大筒木眞若王。娶同母弟伊理泥
王之女。母泥能阿治佐波毘賣。生子。迦
迩米雷王【迦迩米三字以音】此王。娶丹波之遠
津臣之女。名高材比賣。生子。息長宿禰
王。此王。娶葛城之高額比賣。生子。息長
帶比賣命。次虚空津比賣命。次息長日
子王【三柱。此王者吉備品遲君、針間阿宗君之祖】又息長宿
禰王。娶河俣稻依毘賣。生子。大多牟坂
王【多牟二字以音。此者多遲摩國造之祖也】上所謂建豐波
豆羅和氣王者【道守臣。忍海部造、御名部造、稻羽忍海部、丹波
之竹野別、依網之阿毘古等等之祖也】天皇御年陸拾參歳。
御陵在伊邪河之坂上也。
御眞木入日子印惠命坐師木水垣宮。
治天下也。此天皇。娶木國造。名荒河刀
辨之女【刀辨二字以音】遠津年魚目目微比賣
生御子。豐木入日子命。次豐[金且]入日賣命
【二柱】又娶尾張連之祖。意富阿麻比賣
生御子。大入杵命。次八坂之入日子命。
次沼名木之入日賣命。次十市之入日賣
命【四柱】又娶大毘古命之女。御眞津比
賣命。生御子。伊玖米入日子伊沙知命
【伊玖米伊沙知六字以音】次伊邪能眞若命【自伊至能以音】
次國片比賣命。次千千都久和【此三字以音】
比賣命。次伊賀比賣命。次倭日子命【六柱】
此天皇之御子等并十二柱【男王七。女王五也】
故伊久米伊理毘古伊佐知命者。治天
下也。次豐木入日子命者【上毛野君。下毛野君等之
祖也】妹豐[金且]比賣命【拜祭伊勢大神之宮也】次大入
杵命者【能登臣之祖也】次倭日子命【此王之時始而於陵
立入垣】此天皇之御世。疫病多起。人民
爲盡。爾天皇愁歎而。坐神牀之夜。大物
主大神顯於御夢曰。是者我之御心。故
以意富多多泥古而令祭我前者。神
氣不起。國安平。是以驛使班于四方。求
謂意富多多泥古人之時。於河内之美
努村見得其人貢進。爾天皇問賜之汝
者誰子也。答曰。僕者大物主大神娶陶
津耳命之女。活玉依毘賣。生子。名櫛御
方命之子。飯肩巣見命之子。建甕槌命
之子。僕意富多多泥古白。於是天皇大
歡以詔之天下平。人民榮。即以意富多
多泥古命爲神主而。於御諸山拜祭意
富美和之大神前。又仰伊迦賀色許男
命作天之八十毘羅訶【此三字以音】定奉天
神地祇之社。又於宇陀墨坂神祭赤色
楯矛。又於大坂神祭黒色楯矛。又於坂
之御尾神及河瀬神。悉無遺忘以奉幣
幣也。因此而疫氣悉息。國家安平也。此
謂意富多多泥古人所以知神子者。上
所云活玉依毘賣。其容姿端正。於是有
神壯夫。其形姿威儀於時無比。夜半之
時。[攸火]忽到來。故相感。共婚供住之間。未
經幾時。其美人妊身。爾父母怪其妊身
之事。問其女曰。汝者自妊。無夫何由妊
身乎。答曰。有麗美壯夫不知其姓名。毎
夕到來。供住之間。自然懷妊。是以其父
母欲知其人。誨其女曰。以赤土散床前
以閇蘇【此二字以音】紡麻貫針。刺其衣襴。故
如教而旦時見者。所著針麻者自戸之
鉤穴控通而出。唯遺麻者三勾耳。爾即
知自鉤穴出之状而。從糸尋行者。至美
和山而。留神社。故知其神子。故因其麻
之三勾遺而。名其地謂美和也【此意富多多泥
古命者。神君鴨君之祖】又此之御世。大毘古命者
遣高志道。其子建沼河別命者遣東方
十二道而。令和平其麻都漏波奴【自麻下五
字以音】人等。又日子坐王者遣旦波國。令
殺玖賀耳之御笠【此人名也。玖賀二字以音】故大
毘古命罷往於高志國之時。服腰裳少
女立山代之幣羅坂而歌曰。古波夜。美
麻紀伊理毘古波夜。美麻紀伊理毘古
波夜。意能賀袁袁。奴須美斯勢牟登。斯
理都斗用。伊由岐多賀比。麻幣都斗用。
伊由岐多賀比。宇迦迦波久。斯良爾登。
美麻紀伊理毘古波夜*於是大毘古命
思怪返馬。問少女日。汝所謂之言何
言。爾少女答曰。吾勿言。唯爲詠歌耳。即
不見。其所如而忽失。故大毘古命。更還
參上。請於天皇時。天皇答詔之。此者爲
在山代國我之庶兄建波迩安王。起邪
心之表耳。【波迩二字以音】伯父興軍宜行。即副
丸迩臣之祖。日子國夫玖命而遣時。即
於丸迩坂居忌瓮而罷往。於是到山代
之和訶羅河時。其建波迩安王興軍待
遮。各中挾河而。對立相挑。故號其地謂
伊杼美令謂伊豆美也。爾日子國夫玖
命乞云。其廂人先忌矢可彈。爾其建波
爾安王雖射不得中。於是國夫玖命彈
矢者。即射建波爾安王而死。故其軍悉
破而逃散。爾追迫其逃軍到久須婆之
度時。皆被迫窘而。屎出懸於褌。故號其
地謂屎褌今者謂久須婆】又遮其逃軍
以斬者。如鵜浮於河。故號其河謂鵜河
也。亦斬波布理其軍士。故號其地謂波
布理曾能【自波下五字以音】如此平訖。參上覆
奏。故大毘古命者隨先命而。罷行高志
國。爾自東方所遣建沼河別與其父大
毘古共。往遇于相津。故其地謂相津也。
是以各和平所遣之國政而覆奏。爾天
下太平。人民富榮。於是初令貢男弓端
之調。女手末之調。故稱其御世。謂下所知
初國之御眞木天皇也。又是之御世。作
依網池。亦作輕之酒折池也。天皇御歳
壹佰陸拾捌歳。御陵在山邊道勾之岡
上也。
伊久米伊理毘古伊佐知命。坐師木玉
垣宮。治天下也。此天皇。娶沙本毘古命
之妹。佐波遲比賣命。生御子。品牟都和
氣命【一柱】又娶旦波比古多多須美知
宇斯王之女。氷羽州比賣命。生御子。印
色之入日子命【印色二字以音】次大帶日子
淤斯呂和氣命【自淤至氣五字以音】次大中津日子
命。次倭比賣命。次若木入日子命【五柱】又
娶其氷羽州比賣命之弟。沼羽田之入
毘賣命。生御子。沼帶別命。次伊賀帶日
子命【二柱】又娶其沼羽田之入日賣命之
弟。阿邪美能伊理毘賣命【此女王名以音】生御
子。伊許婆夜和氣命。次阿邪美都比賣
命【二柱。此二王名以音】又娶大筒木垂根王之女。
迦具夜比賣命。生御子。袁那辨王【一柱】又
娶山代大國之淵之女。苅羽田刀辨【此二
字以音】生御子。落別王。次五十日帶日子
王。次伊登志別王【伊登志三字以音】又娶其大
國之淵之女。弟苅羽田刀辨生御子。石
衝別王。次石衝毘賣命。亦名布多遲能
伊理毘賣命【二柱】凡此天皇之御子等十
六王【男王十三女王三】故大帶日子淤斯呂和
氣命者。治天下也【御身長一丈二寸御脛長四尺一寸也】
次印色入日子命者作血沼池。又作狹
山池。又作日下之高津池。又坐鳥取之
河上宮。令作横刀壹仟口是奉納石上
神宮。即坐其宮定河上部也。次大中津
日子命者【山邊之別三枝之別、稻木之別、阿太之別、尾張國之三野
別、吉備之石无別許呂母之別、高巣鹿之別、飛鳥君、牟禮之別等祖也】次
倭比賣命者【拜祭伊勢大神宮也】次伊許婆夜和
氣王者【沙本穴太部之別祖也】次阿邪美都比賣
命者【嫁稻瀬毘古王】次落別王者【小月之山君三川之衣君
之祖也】次五十日帶日子王者【春日山君。高志池君、
春日部君之祖】次伊登志和氣王者【因無子而爲子代定
伊登志部】次石衝別王者【羽咋君三尾君之祖】次布多
遲能伊理毘賣命者【倭建命之后】。此天皇以
沙本毘賣爲后之時。沙本毘賣命之兄
沙本毘古王問其伊呂妹日。孰愛夫與
兄歟。答曰愛兄。爾沙本毘古王謀日。汝
寔思愛我者。將吾與汝治天下而。即作
八鹽折之紐小刀授其妹曰。以此小刀
刺殺天皇之寢。故天皇不知其之謀而。
枕其后之御膝爲御寢坐也。爾其后以
紐小刀爲刺其天皇之御頚三度擧而。
不忍哀情。不能刺頚而。泣涙落溢於御
面。乃天皇驚起。問其后曰。吾見異夢。從
沙本方暴雨零來。急洽吾面。又錦色小
蛇纏繞我頚。如此之夢。是有何表也。爾
其后以爲不應爭。即白天皇言。妾兄沙
本毘古王問妾日。孰愛夫與兄。是不勝
面問故。妾答曰愛兄歟。爾誂妾日。吾與
汝共治天下。故當殺天皇云而。作八鹽
折之紐小刀授妾。是以欲刺御頚雖三
度擧。哀情忽起。不得刺頚而。泣涙落洽
於御面。必有是表焉。爾天皇詔之。吾殆
見欺乎。乃興軍撃沙本毘古王之時。其
王作稻城以待戰。此時沙本毘賣命不
得忍其兄自後門逃出而。納其之稻城。
此時其后妊身。於是天皇不忍其后懷
妊。及愛重至于三年。故迴其軍不急攻
迫。如此逗留之間。其所妊之御子既産。
故出其御子置稻城外。令白天皇若此
御子矣天皇之御子所思看者。可治賜。
於是天皇詔。雖怨其兄猶不得忍愛其
后。故即有得后之心。是以選聚軍士之
中力士輕捷而。宣者。取其御子之時。乃
掠取其母王。或髮或手。當隨取獲而掬
以控出。爾其后豫知其情悉剃其髮。以
髮覆其頭亦腐玉緒三重纏手。且以酒
腐御衣。如全衣服。如此設備而。抱其御
子刺出城外。爾其力士等取其御子即
握其御祖爾握其御髮者。御髮自落。握
其御手者。玉緒且絶。握其御衣者。御衣
便破。是以取獲其御子。不得其御祖。故
其軍士等還來奏言。御髮自落。御衣易
破。亦所纏御手之玉緒便絶。故不獲御
祖。取得御子。爾天皇悔恨而。惡作玉人
等皆奪取地。故諺曰不得地玉作也。亦
天皇命詔其后言。凡子名必母名。何稱
是子之御名。爾答白。今當下火燒稻城之
時而。火中所生。故其御名宜稱本牟智
和氣御子。又命詔。何爲日足奉。答白。取
御母定大湯坐、若湯坐。宜日足奉。故隨
其后白以。日足奉也。又問其后曰。汝所
堅之美豆能小佩者誰解【美豆能三字以音也】答
白。旦波比古多多須美智宇斯王之
女。名兄比賣、弟比賣。茲二女王淨公民。
故宜使也。然遂殺其沙本比古王。其伊
呂妹亦從也。故率遊其御子之状者。在
於尾張之相津二俣榲作二俣小舟而。
持上來以。浮倭之市師池、輕池。率遊其
御子。然是御子八拳鬚至于心前眞事
登波受【此三字以音】故今聞高往鵠之音始
爲阿藝登比【自阿下四字以音】爾遣山邊之大
[帝鳥]【此者人名】令取其鳥。故是人追尋其鵠自
木國到針間國。亦追越稻羽國即到旦
波國、多遲麻國。追迴東方。到近淡海國。
乃越三野國自尾張國傳以追科野國。
遂追到高志國而。於和那美之水門張
網。取烏而持上獻。故號其水門謂和
那美之水門也。亦見其烏者。於思物言
而。如思爾勿言事。於是天皇患賜而御
寢之時。覺于御夢日。修理我宮如天皇
之御舍者。御子必眞事登波牟【自登下三字以
音】如此覺時。布斗摩迩迩占相而。求何
神之心爾祟出雲大神之御心。故其御
子令拜其大神宮將遣之時。令副誰人
者吉。爾曙立王食ト。故科曙立王令宇
氣比白【宇氣此三字以音】因拜此大神誠有驗
者。住是鷺巣池之樹鷺乎。宇氣比落。如
此詔之時。宇氣比其鷺墮地死。又詔之
宇氣比活。爾者更活。又在甜白梼之前
葉廣熊白梼令宇氣比枯。亦令宇氣比
生。爾名賜其曙立王。謂倭者師木登美
豐朝倉曙立王【登美二字以音】即曙立王、菟上
王。二王副其御子遣時。自那良戸遇跛
盲自大坂戸亦遇跛、盲。唯木戸是腋月
之吉戸ト而。出行之時。毎到坐地定品
遲部也。故到於出雲拜訖大神還上之
時。肥河之中作黒[木巣]橋仕奉假宮而坐。
爾出雲國造之祖。名岐比佐都美。餝青
葉山而。立其河下將獻大御食之時。其
御子詔言。是於河下如青葉山者。見山
非山。若坐出雲之石[石冏]之曾宮。葦原色
許男大神以伊都玖之祝大廷乎。問賜
也。爾所御伴王等聞歡見喜而。御子
者坐檳榔之長穗宮而。貢上驛使。爾其
御子一宿婚肥長比賣。故竊伺其美人
者。蛇也。即見畏遁逃。爾其肥長比賣患。
光海原自船追來故。益見畏以。自山多
和【此二字以音】引越御船逃上行也。於是覆
奏言。因拜太神大御子物詔。故參上來。
故天皇歡喜。即返菟上王令造神宮。於
是天皇因其御子定鳥取部、鳥甘部、品
遲部、大湯坐、若湯坐。又隨其后之白喚
上美知能宇斯王之女等。比婆須比賣
命。次弟比賣命。次歌凝比賣命。次圓野
比賣命。并四柱。然留比婆須比賣命、弟
比賣命二柱而。其弟王二柱者。因甚凶
醜。返送本土。於是圓野比賣慚言。同兄
弟之中。以姿醜被還之事。聞於隣里。是
甚慚而。到山代國之相樂時。取懸樹枝
而欲死。故號其地謂懸木。今云相樂。又
到弟國之時。遂墮峻淵而死。故號其地
謂墮國。今云弟國也。又天皇以三宅連
等之祖。名多遲麻毛理遣常世國。令求
登岐士玖能迦玖能木實【自登下八字以音】故
多遲摩毛理遂到其國。採其木實。以縵
八縵、矛八矛將來之間。天皇既崩。爾多
遲摩毛理分縵四縵、矛四矛獻于太后
以縵四縵、矛四矛獻置天皇之御陵戸
而。{敬手}其木實叫哭以白。常世國之登岐
士玖能迦玖能木實持參上侍。遂叫哭
死也。其登岐士玖能迦玖能木實者。是
今橘者也。此天皇御年壹佰伍拾參歳。
御陵在菅原之御立野中也。又其大后
比婆須比賣命之時。定石祝作又定土
師部。此后者葬狹木之寺間陵也。
大帶日子淤斯呂和氣天皇坐纏向之
日代宮。治天下也。此天皇。娶吉備臣等
之祖。若建吉備津日子之女。名針間之
伊那毘能大郎女生御子。櫛角別王。次
大碓命。次小碓命。亦名倭男具那命【具那
二字以音】次倭根子命。次神櫛王【五柱】。又娶八
尺入日子命之女。八坂之入日賣命。生
御子。若帶日子命。次五百木之入日子
命。次押別命。次五百木之入日賣命。又
妾之子。豐戸別王。次沼代郎女。又妾之
子。沼名木郎女。次香余理比賣命。次若
木之入日子王。次吉備之兄日子王。次
高木比賣命。次弟比賣命。又娶日向之
美波迦斯毘賣。生御子。豐國別王。又娶
伊那毘能大郎女之弟。伊那毘能若郎
女【自伊下四字以音】生御子。眞若王。次日子人
之大兄王。又娶倭建命之曾孫。名須賣
伊呂大中日子王【自須至呂四字以音】之女。訶具
漏比賣。生御子大枝王凡此大帶日子
天皇之御子等所録廿一王。不入記五
十九王。并八十王之中。若帶日子命與
倭建命亦五百木之入日子命。此三王
負太子之名。自其餘七十七王者悉別
賜國國之國造。亦和氣。及稻置、縣主也。
故若帶日子命者。治天下也。小碓命者
平東西之荒神。及不伏人等也。次櫛角
別王者【茨田下連等之祖】次大碓命者【守君。大田君。嶋
田君之祖】次神櫛王者【木國之酒部阿比古、宇陀酒部之祖】次
豐國別王者【日向國造之祖】於是天皇聞看定
三野國造之祖。神大根王之女。名兄比
賣、弟比賣二孃子。其容姿麗美而。遣其
御子大碓命以喚上。故其所遣大碓命
勿召上而。即己自婚其孃子。更求他
女人。詐名其孃女而貢上。於是天皇知
其他女。恆令經長眼亦勿婚而惚也。故
其大碓命娶兄比賣。生子。押黒之兄日
子王【此者三野宇泥須和氣之祖】亦娶弟比賣。生子。
押黒弟日子王【此者牟宜都君等之祖】此之御世
定田部。又定東之淡水門。又定膳之大
伴部。又定倭屯家。又作坂手池。即竹植
其堤也。天皇詔小碓命尹何汝兄於朝夕
之大御食不參出來。專汝泥疑教覺【泥疑
二字以音。下效此】如此詔以後。至于五日。猶不
參出。爾天皇問賜小碓命。何汝兄久不
參出。若有未誨乎。答白。既爲泥疑也。又
詔。如何泥疑之。答白。朝曙入厠之時。持
捕[才益]批而。引闕其枝裹薦投棄。於是天
皇惶其御子之建荒之情而。詔之。西方
有熊曾建二人。是不伏无禮人等。故取
其人等而遣。當此之時。其御髮結額也。
爾小碓命給其姨倭比賣命之御衣御
裳。以劍納于御懷而幸行。故到于熊曾
建之家見者。於其家邊軍圍三重作室
以居。於是言動爲御室樂設備食物。故
遊行其傍待其樂日。爾臨其樂日如童
女之髮梳垂其結御髮。服其姨之御衣
御裳既成童女之姿。交立女人之中入
坐其室内。爾熊曾建兄弟二人見感其
孃子。坐於己中而盛樂。故臨其酣時。自
懷出劍。取熊曾之衣衿。以劍自其胸刺
通之時。其弟建見畏逃出。乃追至其室
之椅本中取其背皮劍自尻刺通。爾其熊
曾建白言。莫動其刀。僕有白言。爾暫許
押伏。於是白言。汝命者誰。爾詔吾者坐
纏向之日代宮。所知大八嶋國大帶日
子淤斯呂和氣天皇之御子。名倭男具
那王者也。意禮熊曾建二人不伏無禮
聞看而。取殺意禮詔而遣。爾其熊曾建。
白信然也。於西方除吾二人。無建強人。
然於大倭國益吾二人而建男者坐祁
理。是以吾獻御名。自今以後。應稱倭建
御子。是事白訖。即如熟瓜振折而殺也。
故自其時稱御名謂倭建命。然而還上
之時。山神。河神。及穴戸神。皆言向和而
參上。即入坐出雲國。欲殺其出雲建而。
到即結友。故竊以赤梼作詐刀。爲御佩。
共沐肥河。爾倭建命自河先上。取佩出
雲建之解置横刀而。詔爲易刀。故後出
雲建自河上而。佩倭建命之詐刀。於是
倭建命誂云伊奢合刀。爾各拔其刀之
時。出雲建不得拔詐刀。即倭建命拔其
刀而。打殺出雲建。爾御歌曰。夜都米佐
須。伊豆毛多祁流賀。波祁流多知。都豆
良佐波麻岐。佐味那志爾阿波禮*故如
此撥治。參上覆奏。爾天皇亦頻詔倭建
命。言向和平東方十二道之荒夫琉神。
及摩都樓波奴人等而。副吉備臣等之
祖。名御[金且]友耳建日子而。遣之時。給比
比羅木之八尋矛【比比羅三字以音】故受命罷
行之時。參入伊勢大御神宮。拜神朝廷。
即白其姨倭比賣命者。天皇既所以思
吾死乎。何撃遣西方之惡人等而。返參
上來之間。未經幾時。不賜軍衆。今更平
遣東方十二道之惡人等。因此思惟。猶
所思看吾既死焉。患泣罷時。倭比賣命
賜草那藝劍【那藝二字以音】亦賜御嚢而詔。若
有急事。解茲嚢口。故到尾張國。入坐尾
張國造之祖。美夜受比賣之家。乃雖思
將婚。亦思還上之時將婚。期定而幸于
東國。悉言。向和平山河荒神。及不伏人
等。故爾到相武國之時。其國造詐白。於
此野中有大沼。住是沼中之神。甚道速
振神也。於是看行其神入坐其野。爾其
國造火著其野。故知見欺而。解開其姨
倭比賣命之所給嚢口而見者。火打有
其嚢。於是先以其御刀苅撥草。以其火
打而打出火。著向火而燒退。還出皆切
滅其國造等。即著火燒。故其地者於今
謂燒遣也。自其入幸。渡走水海之時。其
渡神興浪廻船。不得進渡。爾其后。名弟
橘比賣命白之。妾易御子而入海。御
子者所遣之政遂。應覆奏。將入海時。以
菅疊八重、皮疊八重、[糸施]疊八重敷于波
上而。下坐其上。於是其暴浪自伏。御船
得進。爾其后歌曰。佐泥佐斯。佐賀牟能
袁怒迩。毛由流肥能。本那迦迩多知弖。
斗比斯岐美波母*故七日之後。其后御
櫛依于海邊。乃取其櫛。作御陵而治置
也。自其入幸。悉言向荒夫琉蝦夷等。亦
平和山河荒神等而。還上幸時。到足柄
之坂本。於食御粮處。其坂神化白鹿而
來立。爾即以其咋遺之蒜片端。待打者。
中其目乃打殺也。故登立其坂。三歎。詔
云阿豆麻波夜【自阿下五字以音】故號其國謂
阿豆麻也。即自其國越出甲斐。坐酒折
宮之時。歌曰。迩比婆理。都久波袁須疑
弖。伊久用加泥都流爾。其御火燒之老
人續御歌以歌曰。迦賀那倍弖。用迩波
許許能用。比迩波登袁加袁*是以擧其
老人。即給東國造也。自其國越科野國
乃言向科野之坂神而。還來尾張國。入
坐先日所期美夜受比賣之許。於是獻
大御食之時。其美夜受比賣捧大御酒
盞以獻。爾美夜受比賣其於意須比之
襴【意須比三字以音】著月經。故見其月經御歌
曰。比佐迦多能。阿米能迦具夜麻。斗迦
麻迩。佐和多流久毘。比波煩曾。多和夜
賀比那袁。麻迦牟登波。阿禮波須禮杼。
佐泥牟登波。阿禮波意母閇杼。那賀祁
勢流。意須比能須蘇爾。都紀多知迩祁
理*爾美夜受比賣。答御歌曰。多迦比迦
流。比能美古。夜須美斯志。和賀意富岐
美。阿良多麻能。登斯賀岐布禮婆。阿良
多麻能。都紀波岐閇由久。宇倍那宇倍
那。岐美麻知賀多爾。和賀祁勢流。意須
比能須蘇爾。都紀多多那牟余*故爾御
合而。以其御刀之草那藝劍。置其美夜
受比賣之許而。取伊服岐能山之神幸
行。於是詔。茲山神者。徒手直取而。騰其
山之時。白猪逢于山邊。其大如牛。爾爲
言擧而詔。是化白猪者。其神之使者。雖
今不殺。還時將殺而。騰坐。於是零大氷
雨。打惑倭建命【此化白猪者。其神之使者。當其神之正身。因
言擧。見惑也】故還下坐之。到玉倉部之清泉
以息坐之時。御心稍寤。故號其清泉謂
居寤清泉也。自其處發。到當藝野上之
時。詔者。吾心恆念自虚翔行。然今吾足
不得歩。成當藝斯形【自當下三字以音】故號其
地謂當藝也。自其地差少幸行。因甚疲
衝御杖稍歩。故號其地謂杖衝坂也。到
坐尾津前一松之許。先御食之時。所忘
其地御刀。不失猶有。爾御歌曰。袁波理
迩。多陀迩牟迦幣流。袁都能佐岐那流。
比登都麻都。阿勢袁。比登都麻都。比登
迩阿理勢婆。多知波氣麻斯袁。岐奴岐
勢麻斯袁。比登都麻都。阿勢袁*自其地
幸。到三重村之時。亦詔之吾足如三重
勾而甚疲。故號其地謂三重。自其幸行
而。到能煩野之時。思國以歌曰。夜麻登
波。久爾能麻本呂婆。多多那豆久。阿袁
加岐。夜麻碁母禮流。夜麻登志宇流波
斯*又歌曰。伊能知能。麻多祁牟比登波。
多多美許母。幣具理能夜麻能。久麻加
志賀波袁。宇受爾佐勢曾能古*此歌者
思國歌也。又歌曰。波斯祁夜斯。和岐幣
能迦多用。久毛韋多知久母*此者片歌
也。此者御病甚急。爾御歌曰。袁登賣能。
登許能辨爾。和賀淤岐斯。都流岐能多
知。曾能多知波夜*歌竟即崩。爾貢上驛
使。於是坐倭后等及御子等。諸下到而。
作御陵即匍匐廻其地之那豆岐田【自那
下三字以音】而。哭爲歌曰。那豆岐能。多能伊
那賀良迩。伊那賀良爾。波比母登富呂
布。登許呂豆良*於是化八尋白智鳥。翔
天而。向濱飛行【智字以音】爾其后及御子等。
於其小竹之苅杙雖足[足非]破。忘其痛以
哭追。此時歌曰。阿佐士怒波良。許斯那
豆牟。蘇良波由賀受。阿斯用由久那*又
入其海鹽而。那豆美【此三字以音】行時。歌曰。
宇美賀由氣婆。許斯那豆牟。意富迦波
良能。宇惠具佐。宇美賀波。伊佐用布*又
飛居其磯之時。歌曰。波麻都知登理。波
麻用波由迦受。伊蘇豆多布*是四歌者。
皆歌其御葬也。故至今其歌者歌天皇
之大御葬也。故自其國飛翔行。留河内
國之志幾。故於其地作御陵鎭坐也。即
號其御陵謂白鳥御陵也。然亦自其地
更翔天以飛行。凡此倭建命平國廻行
之時。久米直之祖。名七拳脛。恆爲膳夫
以從仕奉也。此倭建命娶伊玖米天皇
之女。布多遲能伊理毘賣命【自布下八字以音】
生御子。帶中津日子命【一柱】。又娶其入海
弟橘比賣命。生御子。若建王【一柱】。又娶近
淡海之安國造之祖意富多牟和氣之
女。布多遲比賣。生御子。稻依別王【一柱】。又
娶吉備臣建日子之妹。大吉備建比賣
生御子。建貝兒王【一柱】。又娶山代之玖玖
麻毛理比賣。生御子。足鏡別王【一柱】又一
妻之子。息長田別王。凡是倭建命之御
子等并六柱。故帶中津日子命者。治天
下也。次稻依別王者【犬上君。建部君等之祖】次建
貝兒王者【讚岐綾君。伊勢之別、登袁之別、麻佐首。宮首之別等之祖】
足鏡別王者【嫌倉之別、小津。石代之別、漁田之別之祖也】次息
長田別王之子。杙俣長日子王。此王之
子。飯野眞黒比賣命。次息長眞若中比
賣。次弟比賣【三柱】。故上云若建王。娶飯野
眞黒比賣。生子。須賣伊呂大中日子王
【自須至呂以音】此王。娶淡海之柴野入杵之女。
柴野比賣。生子。迦具漏比賣命。故大帶
日子天皇。娶此迦具漏比賣命。生子。大
江王【一柱】。此王。娶庶妹銀王。生子。大名方
王。次大中比賣命【二柱】。故此之大中比賣
命者香坂王、忍熊王之御祖也。此大帶
日子天皇之御年壹佰參拾漆歳。御陵
在山邊之道上也。
若帶日子天皇坐。近淡海之志賀高穴
穗宮。治天下也。此天皇。娶穗積臣等之
祖。建忍山垂根之女。名弟財郎女生御
子。和訶奴氣王【一柱】。故建内宿禰爲大臣。
定賜大國、小國之國造。亦定賜國國之
堺。及大縣、小縣之縣主也。天皇御年玖
拾伍歳。御陵在沙紀之多他那美也。
帶中日子天皇坐穴門之豐浦宮。及筑
紫訶志比宮。治天下也。此天皇。娶大江
王之女。大中津比賣命。生御子。香坂王、
忍熊王【二柱】又娶息長帶比賣命。是大后
生御子。品夜和氣命。次大鞆和氣命。亦
名品陀和氣命【二柱】此太子之御名所以
負大鞆和氣命者。初所生時。如鞆宍生
御腕故。著其御名。是以知坐腹中定國
也。此之御世。定淡道之屯家也。其大后
息長帶日賣命者。當時歸神。故天皇坐
筑紫之訶志比宮。將撃熊曾國之時。天
里控御琴而。建内宿禰大臣居於沙庭
請神之命。於是大后歸神。言教覺詔者。
西方有國。金銀爲本。目之炎耀種種珍
寶多在其國。吾今歸賜其國。爾天皇答
白。登高地見西方者。不見國土。唯有大
海。謂爲詐神而。押退御琴不控默坐。爾
其神大忿詔。凡茲天下者。汝非應知國。
汝者向一道。於是建内宿禰大臣白。恐。
我天皇。猶阿蘇婆勢其大御琴【自阿至勢以音】
爾稍取依其御琴而。那摩那摩迩【此五字以
音】控坐故。未幾久而。不聞御琴之音。即
擧火見者。既崩訖。爾驚懼而。坐殯宮。更
取國之大奴佐而【奴佐二字以音】種種求生剥、
逆剥、阿離、溝埋、屎戸、上通下通婚、馬婚、
牛婚、鷄婚、犬婚之罪類。爲國之大祓而。
亦建内宿禰居於沙庭。請神之命。於是
教覺之状。具如先日申凡此國者。坐汝命
御腹之御子所知國者也。爾建内宿禰
白。恐。我大神。坐其神腹之御子何子歟。
答詔。男子也。爾具請之。今如此言教之
大神者。欲知其御名。即答詔。是天照大
神之御心者。亦底筒男、中筒男、上筒男
三柱大神者也【此時其三柱大神之御名者顯也】今寔
思求其國者。於天神地祇。亦山神。及河
海之諸神悉奉幣帛。我之御魂坐于船
上而。眞木灰納瓠。亦箸及比羅傳【此三字
以音】多作。皆皆散浮大海以可度。故備如
教覺整軍雙船度幸之時。海原之魚。不
問大小悉負御船而渡。爾順風大起。御
船從浪。故其御船之波瀾押騰新羅之
國既到半國。於是其國王畏惶奏言。自
今以後。隨天皇命而。爲御馬甘。毎年雙
船。不乾船腹不乾[舟施]楫。共與天地無退
仕奉。故是以新羅國者定御馬甘。百濟
國者定渡屯家。爾以其御杖衝立新羅
國主之門即。以墨江大神之荒御魂爲
國守神而。祭鎭還渡也。故其政未竟之
間。其懷妊臨産。即爲鎭御腹取石以。纏
御裳之腰而。渡筑紫國其御子者阿禮
坐【阿禮二字以音】故號其御子生地謂字美也。
亦所纏其御裳之石者在筑紫國之伊
斗村也。亦到坐筑紫末羅縣之玉嶌里
而。御食其河邊之時。當四月之上旬。爾
坐其河中之磯。拔取御裳之糸。以飯粒
爲餌釣。其河之年魚【其河名謂小河亦其礒名謂勝門比
賣也】故四月上旬之時。女人拔裳糸。以粒
爲餌釣年魚。至于今不絶也。於是息長
帶日賣命。於倭還上之時。因疑人心。一
具喪船。御子載其喪船先令言漏之御
子既崩。如此上幸之時。香坂王、忍熊王
聞而。思將待取進出斗賀野爲宇氣
比獵也。爾香坂王騰坐歴木而。是大怒
猪出。堀其歴木。即咋食其香坂王。其弟
忍熊王。不畏其態「興軍待向之時。赴喪
船將攻空船。爾自其喪船下軍相戰。此
時忍熊王以難波古師部之祖伊佐比
宿禰爲將軍。太子御方者。以丸迩臣之
祖。難波根子建振熊命爲將軍。故追退
到山代之時。還立各不退相戰。爾建振
熊命權而。令云息長帶日賣命者既崩
故。無可更戰。即絶弓絃欺陽歸服。於是
其將軍既信詐。弭弓藏兵。爾自頂髮中
採出設弦【一名云宇佐由豆留】更張追撃。故逃退
逢坂。對立亦戰。爾追迫敗。出沙沙那美
悉斬其軍。於是其忍熊王與伊佐比宿
禰共被追迫。乘船浮海歌曰。伊奢阿藝。
布流玖麻賀。伊多弖淤波受波。迩本杼
理能。阿布美能宇美迩。迦豆岐勢那和*
即入海共死也。故建内宿禰命率其太
子爲將禊而。經歴淡海及若狹國之時。
於高志前之角鹿造假宮而坐。爾坐其
地伊奢沙和氣大神之命。見於夜夢云。
以吾名欲易御子之御名。爾言祷白之。
恐。隨命易奉。亦其神詔。明日之旦。應幸
於濱。獻易名之幣。故其旦幸行于濱之
時。毀鼻入鹿魚既依一浦。於是御子令
白于神云。於我給御食之魚。故亦稱其
御名號御食津大神。故於今謂氣比大
神也。亦其入鹿魚之鼻血{自死}。故號其浦
謂血浦。今謂都奴賀也。於是還上坐時。
其御祖息長帶日賣命。釀待酒以獻。爾
其御祖御歌曰。許能美岐波。和賀美岐
那良受。久志能加美。登許余迩伊麻須。
伊波多多須。須久那美迦微能。加牟菩
岐。本岐玖琉本斯。登余本岐。本岐母登
本斯。麻都理許斯。美岐敍。阿佐受袁勢。
佐佐*如此歌而。獻大御酒。爾建内宿禰
命爲御子答歌曰。許能美岐袁。迦美祁
牟比登波。曾能都豆美。宇須迩多弖弖。
宇多比都都。迦美祁禮迦母。麻比都都。
迦美祁禮加母。許能美岐能。美岐能。阿
夜迩宇多陀怒斯。佐佐*此者酒樂之歌
也。凡帶中津日子天皇之御年伍拾貳
歳。御陵在河内惠賀之長江也。
品陀和氣命。坐輕嶌之明宮。治天下也。
此天皇。娶品陀眞若王【品陀二字以音】之女。三
柱女王。一名高木之入日賣命。次中日
賣命。次弟日賣命【此女王等之父。品陀眞若王者五百木之
入日子命。娶尾張連之祖。建伊那陀宿禰之女。志理都紀斗賣。生子者也】故
高木之入日賣之御子。額田大中日
子命。次大山守命。次伊奢之眞若命【伊奢
二字以音】次妹大原郎女。次高目郎女【五柱】中
日賣命之御子。木之荒田郎女。次大雀
命。次根鳥命【三柱】。弟日賣命之御子。阿倍
郎女。次阿具知能【此四字以音】三腹郎女。次
木之菟野郎女。次三野郎女【五柱】。又娶丸
迩之比布禮能意富美之女【自比至美以音】名
宮主矢河枝比賣。生御子。宇遲能和紀
郎子。次妹八田若郎女。次女鳥王【三柱】。又
娶其矢河枝比賣之弟。袁那辨郎女生
御子。宇遲之若郎女【一柱】。又娶咋俣長日
子王之女。息長眞若中比賣。生御子。若
沼毛二俣王【一柱】。又娶櫻井田部連之祖
嶌垂根之女。糸井比賣。生御子。速總別
命【一柱】又娶日向之泉長比賣。生御子。大
羽江王。次小羽江王。次幡日之若郎女
【三柱】又娶迦具漏比賣。生御子。川原田郎
女。次玉郎女。次忍坂大中比賣。次登富
志郎女。次迦多遲王【五柱】又娶葛城之野
伊呂賣【此三字以音】生御子。伊奢能麻和迦
王【一柱】。此天皇之御子等并廿六王【男王十一。
女王十五】此中大雀命者。治天下也。於是天
皇。問大山守命與大雀命詔。汝等者孰
愛兄子與弟子【天皇所以發是問者。宇遲能和紀郎子有令治
天下之心也。【爾大山守命白愛兄子。次大雀
命知天皇所問賜之大御情而白。兄子
者既成人。是無悒。弟子者未成人。是愛。
爾天皇詔。佐邪岐。阿藝之言【自佐至藝五字以音】
如我所思。即詔別者。大山守命。爲山海
之政。大雀命。執食國之政以白賜。宇遲
能和紀郎子。所知天津日繼也。故大雀
命者。勿違天皇之命也。一時天皇越幸
近淡海國之時。御立宇遲野上。望葛野。
歌曰。知婆能。加豆怒袁美禮婆。毛毛知
陀流。夜迩波母美由。久爾能富母美由*
故引坐木幡村之時。麗美孃子遇其道
衢。爾天皇問其孃子曰。汝者誰子。答白。
丸迩之比布禮能意富美之女。名宮主
矢河枝比賣。天皇即詔其孃子。吾明日
還幸之時。入坐汝家。故矢河枝比賣委
曲語其父。於是父答曰。是者天皇坐那
理【此二字以音】恐之。我子仕奉云而。嚴餝其
家候待者。明日入坐。故獻大御饗之時。
其女矢河枝比賣命令取大御酒盞而
獻。於是天阜任令取其大御酒盞而。御
歌曰。許能迦迩夜。伊豆久能迦迩。毛毛
豆多布。都奴賀能迦迩。余許佐良布。伊
豆久迩伊多流。伊知遲志麻。美志麻迩
斗岐。美本杼理能。迦豆伎伊岐豆岐。志
那陀由布。佐佐那美遲袁。酒久酒久登。
和賀伊麻勢婆夜。許波多能。美知迩。阿
波志斯袁登賣。宇斯呂傳波。袁陀弖呂
迦母。波那美波。志比比斯那須。伊知比韋
能。和迩佐能迩袁。波都迩波。波陀阿可
良氣美。志波迩波。迩具漏岐由惠。美都
具理能。曾能那迦都迩袁。加夫都久。麻
肥迩波阿弖受。麻用賀岐。許迩加岐多
禮。阿波志斯袁美那。迦母賀登。和賀美
斯古良。迦久母賀登。阿賀美斯古迩。宇多
多氣陀迩。牟迦比袁流迦母。伊蘇比袁
流迦母*如此御合生御子。宇遲能和紀
【自宇下五字以音】郎子也。天皇聞看日向國諸
縣君之女。名髮長比賣。其顏容麗美。將
使而。喚上之時。其太子大雀命。見其孃
子泊于難波津而。感其姿容之端正。即
誂告建内宿禰大臣。是自日向喚上之
髮長比賣者。請白天皇之大御所而。令
賜於吾。爾建内宿禰大臣請大命者。天
皇即以髮長比賣賜于其御子。所賜状
者。天皇聞看豐明之日。於髮長比賣令
握大御酒柏。賜其太子。爾御歌曰。伊邪
古杼母。怒毘流都美迩。比流都美迩。和
賀由久美知能。迦具波斯。波那多知婆
那波。本都延波。登理韋賀良斯。支豆延
波。比登登理賀良斯。美都具理能。那迦
都延能。本都毛理。阿加良袁登賣袁。伊
邪佐佐婆。余良斯那*又御歌曰。美豆多
麻流。余佐美能伊氣能。韋具比宇知。比
斯賀良能。佐斯祁流斯良迩。奴那波久
理。波閇祁久斯良迩。和賀許許呂志敍。
伊夜袁許迩斯弖。伊麻敍久夜斯岐*如
此歌而賜也。故被賜其孃子之後。太子
歌曰。美知能斯理。古波陀袁登賣袁。迦
微能碁登。岐許延斯迦杼母。阿比麻久
良麻久*又歌曰。美知能斯理。古波陀袁
登賣波。阿良蘇波受。泥斯久袁斯敍母。
宇流波志美意母布*又吉野之國主等。
瞻大雀命之所佩御刀歌曰。本牟多能。
比能美古。意富佐邪岐。意富佐邪岐。波
加勢流多知。母登都流藝。須惠布由。布
由紀能。須加良賀志多紀能。佐夜佐夜*
又於告野之白梼上作横臼而。於其横
臼釀大御酒。獻其大御酒之時。撃口鼓
爲伎而。歌曰。加志能布迩。余久須袁都
久理。余久須迩。迦美斯意富美岐。宇麻
良爾。岐許志母知袁勢。麻呂賀知*此歌
者。國主等獻大贄之時時。恆至于今詠
之歌者也。此之御世定賜海部、山部、山
守部、伊勢部也。亦作劍池。亦新羅人參
渡來。是以建内宿禰命引率。爲役渡之堤
池而作百濟池。亦百濟國主照古王。以
牡馬壹疋。牝馬壹疋。付阿知吉師以貢
上【此阿知吉師者阿直史等之祖】亦貢上横刀及大鏡。
又科賜百濟國。若有賢人者貢上。故受
命以貢上人名。和迩吉師。即論語十卷。
千字文一卷。并十一卷付是人即貢進。
【此和迩吉師者。文首等祖】又貢上手人韓鍛。名卓素。
亦呉服西素二人也。又秦造之祖。漢直
之祖。及知釀酒人。名仁番。亦名須須許
理等。參渡來也。故是須須許理釀大御
酒以獻。於是天皇宇羅宜是所獻之大
御酒而【宇羅宜三字以音】御歌曰。須須許理賀。
迦美斯美岐迩。和禮惠比迩祁理。許登
那具志。惠具志爾。和禮惠比迩祁理*如
此之歌幸行時。以御杖打大坂連中之
大石者。其石走避。故諺曰堅石避醉人
也。故天皇崩之後。大雀命者。從天皇之
命。以天下讓宇遲能和紀郎子。於是大
山守命者違天皇之命。猶欲獲天下有
殺。弟皇子之情。竊設兵將攻。爾大雀
命聞其兄備兵。即遣使者令告宇遲能
和紀郎子。故聞驚。以兵伏河邊。亦其山
之上張施垣立帷幕。詐以舍人爲王。露
坐呉床。百官恭敬往來之状。既如王子
之坐所而。更爲其兄王渡河之時。具餝
船楫者。舂佐那【此二字以音】葛之根。取其汁
滑而。塗其船中之簀椅。設蹈應仆而。其
王子者。服布衣褌。既爲賎人之形。執楫
立船。於是其兄王隱伏兵士。衣中服鎧。
到於河邊將乘船時。望其嚴餝之處。以
爲弟王坐其呉床。都不知執楫而立船。
即問其執楫者曰。傳聞茲山有忿怒之
大猪。吾欲取其猪。若獲其猪乎。爾執楫
者答曰不能也。亦問曰何由。答曰。時時
也。徃徃也。雖爲取而不得。是以白不能
也。渡到河中之時。令傾其船。墮入水中。
爾乃浮出。隨水流下。即流歌曰。知波夜
夫流。宇遲能和多理迩。佐袁斗理迩。波
夜祁牟比登斯。和賀毛古迩許牟*於是
伏隱河邊之兵。彼廂此廂。一時共興。矢
刺而流。故到訶和羅之前而沈入【訶和羅三
以以音】故以鉤探其沈處者。繋其衣中甲
而。訶和羅鳴。故號其地謂訶和羅前也。
爾掛出其骨之時。弟王歌曰。知波夜比
登。宇遲能和多理迩。和多理是迩。多弖
流。阿豆佐由美麻由美。伊岐良牟登。許
許呂波母閇杼。伊斗良牟登。許許呂波
母閇杼。母登幣波。岐美袁於母比傳。須
惠幣波。伊毛袁淤母比傳。伊良那祁久。
曾許爾淤母比傳。加那志祁久。許許爾
淤母比傳。伊岐良受曾久流。阿豆佐由
美。麻由美*故其大山守命之骨者。葬于
那良山也。是大山守命者【土形君。弊岐君、榛原君等
之祖】於是大雀命與宇遲能和紀郎子二
柱。各讓天下之間。海人貢大贄。爾兄辭
令貢於弟。弟辭令貢於兄相讓之間。既
經多日。如此相讓非一二時一故。海人既
疲往還而泣也。故諺曰。海人乎。因已物
而泣也。然宇遲能和紀郎子者早崩。故
大雀命治天下也。又昔有新羅國王之
子。名謂天之日矛。是人參渡來也。所以
參渡來者。新羅國有一沼。名謂阿具奴
摩【自阿下四字以音】此沼之邊。一賎女晝寢。於
是日耀如虹指其陰上。亦一有賎夫。思
異其状。恆伺其女人之行。故是女人。自
其晝寢時姙身。生赤玉。爾其所伺賎夫
乞取其玉。恆裹着腰。此人營田於山谷
之間故。耕人等之飮食負一牛而入山
谷之中。遇逢其國主之子天之日矛。爾
問其人曰。何汝飮食負牛入山谷。汝必
殺食是牛。即捕其人將入獄囚。其人答
曰。吾非殺牛。唯送田人之食耳。然猶不
赦。爾解其腰之玉幣其國主之子。故赦
其賎夫。將來其玉置於床邊。即化美麗
孃子。仍婚爲嫡妻。爾其孃子常設種種
之珍味。恆食其夫。故其國主之子心奢
詈妻。其女人言。凡吾者非應爲汝妻之
女將行吾祖之國。即竊乘小船逃遁渡
來。留于難波【此者坐難波之比賣碁曾社謂阿加流比賣神者也】
於是天之日矛聞其妻遁。乃追渡來。將
到難波之間。其渡之神塞以不入。故更
還泊多遲摩國。即留其國而。娶多遲摩
之俣尾之女。名前津見生子。多遲摩母
呂須玖。此之子多遲摩斐泥。此之子多
遲摩比那良岐。此之子多遲麻毛理。次
多遲摩比多訶。次清日子【三柱】此清日子
娶當摩之灯辮カ子。酢鹿之諸男。次妹
菅竃(上)由良度美【此四字以音】故上云多遲
摩比多訶娶其姪由良度美生子。葛城
之高額比賣命【此者息長帶比賣命之御祖】故其天
之日矛持渡來物者。玉津寶云而。珠二
貫。又振浪比禮【比禮二字以音。下效此】切浪比禮。
振風比禮、切風比禮。又奧津鏡、邊津鏡。
并八種也【此者伊豆志之八前大神也】故茲神之女。
名伊豆志袁登賣神坐也。故八十神雖
欲得是伊豆志袁登賣。皆不得婚。於是
有二神。兄號秋山之下氷壯夫。弟名春
山之霞壯夫。故其兄謂其弟。吾雖乞伊
豆志袁登賣。不得婚。汝得此孃子乎。答
曰。易得也。爾其兄曰。若汝有得此孃子
者。避上下衣服。量身高而。釀甕酒。亦山
河之物悉備設。爲字禮豆玖云爾【自宇至玖
以音。下效此】爾其弟如兄言具白其母。即其
母取布遲葛而【布遲二字以音】一宿之間。織縫
衣、褌及襪、沓。亦作弓矢。令服其衣、褌等
令取其弓矢。遣其孃子之家者。其衣服
及弓矢悉成藤花。於是其春山之霞壯
夫。以其弓矢繋孃子之厠。爾伊豆志袁
登賣思異其花。將來之時。立其孃子之
後。入其屋即婚。故生子一也。爾白其兄
曰。吾者得伊豆志袁登賣。於是其兄慷
愾弟之婚以。不償其宇禮豆玖之物。爾
愁白其母之時。御祖答曰。我御世之事。
能許曾【此二字以音】神習。又宇都志岐青人
草習乎。不償其物。恨其兄子。乃取其伊
豆志河之河嶋節竹而。作八目之荒
寵取其河石合鹽而裹其竹葉令詛記。
如此竹葉青。如此竹葉萎而。青萎。又如
此鹽之盈乾而。盈乾。又如此石之沈而。
沈臥。如此令詛置於烟上。是以其兄。八
年之間。于萎病枯。故其兄患泣。請其御
祖者。即令返其詛戸。於是其身如本以
安平也【此者神宇禮豆玖之言本者也】又此品陀天皇
之御子若野毛二俣王。娶其母弟百師
木伊呂辨。亦名弟日賣眞若比賣命。生
子。大郎子。亦名意富富杼王。次忍坂之
大中津比賣命。次田井之中比賣。次田
宮之中比賣。次藤原之琴節郎女。次取
(上)賣王。次沙禰王【七王】。故意富富杼王者
【三國君。波多君、息長君坂田酒人君、山道君、筑紫之米多君。布勢君等之祖也】
又根鳥王。娶庶妹三腹郎女生子。中日
子王。次伊和嶋王【二柱】又堅石王之子者
久奴王也。凡此品陀天皇御年壹佰參
拾歳。御陵在川内惠賀之裳伏岡也。
 中巻終古事記下卷

大雀命坐難波之高津宮。治天下也。此
天皇。娶葛城之曾都毘古之女。石之日
賣命【大后】生御子。大江之伊邪本和氣命。
次墨江之中津王。次蝮之水齒別命。次
男淺津間若子宿禰命【四柱】又娶上云日
向之諸縣君牛諸之女。髮長比賣。生御
子。波多毘能大郎子【自波下四字以音。下效此】亦名
大日下王。次波多毘能若郎女。亦名長
日比賣命。亦名若日下部命【二柱】又娶庶
妹八田若郎女。又娶庶妹宇遲能若郎
女。此之二柱無御子也。凡此大雀天皇
之御子等并六王【男王五柱女王一柱】故伊邪本
和氣命者。治天下。次蝮之水齒別命亦
治天下。次男淺津間若子宿禰命亦治
天下也。此天皇之御世。爲大后石之日
賣命之御名代。定葛城部亦爲太子伊
邪本和氣命之御名代定壬生部。亦爲
水齒別命之御名代定蝮部。亦爲大日
下王之御名代定大日下部。爲若日下
部王之御名代定若日下部。又役秦人
作茨田堤及茨田三宅。又作丸迩池、依
網池。又堀難波之堀江而通海。又堀小
椅江。又定墨江之津。於是天皇登高山
見四方之國。詔之。於國中烟不發。國皆
貧窮。故自今至三年。悉除人民之課、役。
是以大殿破壞。悉雖雨漏都勿修理。以
械受其漏雨。遷避于不漏處。後見國中
於國滿烟。故爲人民富。今科課、役。是以
百姓之榮。不苦役使。故稱其御世謂聖
帝世也。其大后石之日賣命甚多嫉妬。
故天皇所使之妾者不得臨宮中。言立
者。足母阿賀迦迩嫉妬【自母下五字以音】爾天
皇聞看吉備海部直之女。名黒日賣。其
容姿端正。喚上而使也。然畏其大后之
嫉。逃下本國。天皇坐高臺。望瞻其黒日
賣之船出浮海以歌曰。淤岐幣迩波。袁
夫泥都羅羅玖。久漏邪夜能。摩佐豆古
和藝毛。玖迩幣玖陀良須*故大后聞是
之御歌大忿。遣人於大浦追下而。自歩
追去。於是天皇戀其黒日賣。欺大后曰。
欲見淡道嶋而。幸行之時。坐淡道嶋遙
望歌曰。淤志弖流夜。那爾波能佐岐用。
伊傳多知弖。和賀久迩美禮婆。阿波志
麻。淤能碁呂志摩。阿遲麻佐能。志麻母
美由。佐氣都志麻美由*乃自其嶋傳而
幸行吉備國。爾黒日賣。令大坐其國之
山方地而。獻大御飯。於是爲煮大御羹
採其地之菘菜時。天皇到坐其孃子之
採菘處歌曰。夜麻賀多迩。麻祁流阿袁
那母。岐備比登登。等母迩斯都米婆。多
怒斯久母阿流迦*天皇上幸之時。黒日
賣獻御歌曰。夜麻登幣迩。爾斯布岐阿
宜弖。玖毛婆那禮。曾岐袁理登母。和禮
和須禮米夜*又歌曰。夜麻登幣迩。由玖
波多賀都麻。許母理豆能。志多用波閇
都都。由久波多賀都麻*自此後時。大后
爲將豐樂而。於採御綱柏幸行木國之
間。天皇婚八田若郎女。於是大后御綱
柏積盈御船。還幸之時。所驅使於水取
司吉備國兒嶋之仕丁。是退己國。於難
波之大渡。遇所後倉人女之船。乃語云。
天皇者皆婚八田若郎女而。晝夜戲遊。
若大后不聞看此事乎。靜遊幸行。爾其
倉人女聞此語言。即追近御船。白之状
具如仕丁之言。於是大后大恨怒。載其
御船之御綱柏者。悉投棄於海。故號其
地謂御津前也。即不入坐宮而。引避其
御船。泝於堀江隨河而上幸山代。此時
歌曰。都藝泥布夜。夜麻志呂賀波袁。迦
波能煩理。和賀能煩禮婆。賀波能倍迩。
淤斐陀弖流。佐斯夫袁。佐斯夫能紀。斯
賀斯多迩。淤斐陀弖流。波毘呂。由都麻
都婆岐。斯賀波那能。弖理伊麻斯。芝賀
波能。比呂理伊麻須波。淤富岐美呂迦
母*即自山代迴。到坐那良山口歌曰。都
藝泥布夜。夜麻斯呂賀波袁。美夜能煩
理。和賀能煩禮婆。阿袁迩余志。那良袁
須疑。袁陀弖。夜麻登袁須疑。和賀。美賀
本斯久迩波。迦豆良紀多迦美夜。和藝
幣能阿多理*如此歌而還。暫入坐筒木
韓人。名奴理能美之家也。天皇聞看其大
后自山代上幸而。使舍人名謂鳥山人。
送御歌曰。夜麻斯呂迩。伊斯祁登理夜
麻。伊斯祁伊斯祁。阿賀波斯豆麻迩。伊
斯岐阿波牟加母*又續遣丸迩臣口子
而。歌曰。美母呂能。曾能多迦紀那流。意
富韋古賀波良。意富韋古賀。波良迩阿
流。岐毛牟加布。許許呂袁陀迩賀。阿比
淤母波受阿良牟*又歌曰。都藝泥布。夜
麻志呂賣能。許久波母知。宇知斯淤富
泥。泥士漏能。斯漏多陀牟岐。麻迦受祁
婆許曾。斯良受登母伊波米*故是口子
臣。白此御歌之時。大雨。爾不避其雨參
伏前殿戸者。違出後戸。參伏後殿戸者。
違出前戸。爾匍匐進赴。跪于庭中時。水
潦至腰。其臣服著紅紐青摺衣故。水潦
拂紅紐青皆變紅色。爾口子臣之妹口
日賣仕奉大后。故是口日賣歌曰。夜麻
志呂能。都都紀能美夜迩。母能麻袁須。
阿賀勢能岐美波。那美多具麻志母*爾
大后問其所由之時。答白。僕之兄口子
臣也。於是口子臣。亦其妹口比賣。及奴
理能美三人議而。令奏天皇云。大后幸
行所以者。奴理能美之所養虫。一度爲
匐虫一度爲殼。一度爲飛鳥。有變三色
之奇虫。看行此虫而入坐耳。吏無異心。
如此奏時。天皇詔。然者吾思奇異故。欲
見行。自大宮上幸行。入坐奴理能美之
家時。其奴理能美己所養之三種虫。獻
於大后。爾天皇御立其大后所坐殿戸
歌曰。都藝泥布。夜麻斯呂賣能。許久波
母知。宇知斯意富泥。佐和佐和迩。那賀
伊幣勢許曾。宇知和多須。夜賀波延那
須。岐伊理麻韋久禮*此天皇與大后所
歌之六歌者。志都歌之歌返也。天皇戀
八田若郎女。賜遣御歌。其歌曰。夜多能。
比登母登須宜波。古母多受。多知迦阿
禮那牟。阿多良須賀波良。許登袁許曾。
須宜波良登伊波米。阿多良須賀志賣*
爾八田若郎女答歌曰。夜多能。比登母
登須宜波。比登理袁理登母。意富岐彌
斯。與斯登岐許佐婆。比登理袁理登母*
故爲八田若郎女之御名代定八田部
也。亦天皇以其弟速總別王。爲媒而。乞
庶妹女鳥王。爾女鳥王。語速總別王曰。
因大后之強。不治賜八田若郎女。故思
不仕奉。吾爲汝命之妻。即相婚。是以速
總別王。不復奏。爾天皇直幸女鳥王之
所坐而。坐其殿戸之閾上。於是女鳥王
坐機而織服。爾天皇歌曰。賣杼理能。和
賀意富岐美能。於呂須波多。他賀多泥
呂迦母*女鳥王答歌曰。多迦由久夜。波
夜夫佐和氣能。美淤須比賀泥*故天皇。
知其情。還入於宮。此時其夫速總別王
到來之時。其妻女鳥王歌曰。比婆理波。
阿米迩迦氣流。多迦由玖夜。波夜夫佐
和氣。佐邪岐登良佐泥*天皇聞此歌。即
興軍欲殺。爾速總別王、女鳥王共逃退
而。騰于倉椅山。於是速總別王歌曰。波
斯多弖能。久良波斯夜麻袁。佐賀志美
登。伊波迦伎加泥弖。和賀弖登良須母*
又歌曰。波斯多弖能。久良波斯夜麻波。
佐賀斯祁杼。伊毛登能爐禮波。佐賀斯
玖母阿良受*故自其地逃亡。到宇陀之
蘇迩時。御軍追到而殺也。其將軍山部
大楯連取其女鳥王所纏御手之玉釧
而。與己妻。此時之後。將爲豐樂之時。氏
氏之女等皆朝參。爾大楯連之妻以其
王之玉釧。纏于己手而參赴。於是大后
石之日賣命。自取大御酒柏。賜諸氏氏
之女等。爾大后見知其玉釧。不賜御酒
柏。乃引退。召出其夫大楯連以詔之。其
王等因无禮而退賜。是者無異事耳。夫
之奴乎。所纏己君之御手玉釧於膚[火榲-木]
剥持來。即與己妻。乃給死刑也。亦一時。
天皇爲將豐樂而。幸行日女嶋之時。於
其嶋雁生卵。爾召建内宿禰命以歌問
雁生卵之状。其歌曰。多麻岐波流。宇知
能阿曾。那許曾波。余能那賀比登。蘇良
美都。夜麻登能久迩爾。加理古牟登岐
久夜*於是建内宿禰以歌語白。多迦比
迦流。比能美古。宇倍志許曾。斗比多麻
閇。麻許曾迩。斗比多麻閇。阿禮許曾波。
余能那賀比登。蘇良美都。夜麻登能久
迩爾。加理古牟登。伊麻陀岐加受*如此
白而。被給御琴歌曰。那賀美古夜。都毘
迩斯良牟登。加理波古牟良斯*此者本
岐歌之片歌也。此之御世。免寸河之西
有一高樹。其樹之影。當旦日者逮淡道
嶋。當夕日者越高安山。故切是樹以作
船。甚捷行之船也。時號其船謂枯野。故
以是船旦夕酌淡道嶋之寒泉。獻大御
水也。茲船破壞以燒鹽。取其燒遺木作
琴。其音響七里。爾歌曰。加良奴袁。志本
爾夜岐。斯賀阿麻理。許登爾都久理。賀
岐比久夜。由良能斗能。斗那賀能伊久
理爾。布禮多都。那豆能紀能。佐夜佐夜*
此者志都歌之返歌也。此天皇之御年捌
拾參歳。御陵在毛受之耳(上)原也。
伊邪本和氣王坐伊波禮之若櫻宮。治
天下也。此天皇。娶葛城之曾都毘古之
子葦田宿禰之女。名黒比賣命。生御子。
市邊之忍齒王。次御馬王。次妹青海郎
女。亦名飯豐郎女【三柱】本坐難波宮之時。
坐大嘗而爲豐明之時。於大御酒字良
宜而大御寢也。爾其弟墨江中王欲取
天皇以。火著大殿。於是倭漢直之祖。阿
知直盜出而。乘御馬令幸於倭。故到于
多遲比野而寤。詔此間者何處。爾阿知
直白。墨江中王火著大殿。故率逃於倭。
爾天皇歌曰。多遲比怒迩。泥牟登斯理
勢婆。多都碁母母。母知弖許麻志母能。
泥牟登斯理勢婆*到於波迩賦坂。望見
難波宮。其火猶炳。爾天星亦歌曰。波迩
布邪迦。和賀多知美禮婆。迦藝漏肥能。
毛由流伊幣牟良。都麻賀伊幣能阿多
理*故到幸大坂山口之時。遇一女人。其
女人白之。持兵人等多塞茲山。自當岐
麻道迴應越幸。爾天皇歌曰。於富佐迦
迩。阿布夜袁登賣袁。美知斗閇婆。多陀
迩波能良受。當藝麻知袁能流*故上幸
坐石上神宮也。於是其伊呂弟水齒別
命參赴令謁。爾天皇令詔。吾疑汝命若
與墨江中王同心乎故不相言。答白。僕
者無穢邪心。亦不同墨江中王。亦令詔。
然者今還下而。殺墨江中王而上來。彼
時吾必相言。故即還下難波。欺所近習
墨江中王之隼人。名曾婆加理云。若汝
從吾言者。吾爲天皇。汝作大臣。治天下
那何。曾婆訶理答白隨命。爾多祿給其
隼人曰。然者殺汝王也。於是曾婆訶理
竊伺己王入厠。以矛刺而殺也。故率曾
婆訶理上幸於倭之時。到大坂山口。以
爲。曾婆訶理爲吾雖有大功。既殺己君
是不義。然不賽其功。可謂無信。既行其
信。還惶其情。故雖報其功。滅其正身。是
以詔曾婆訶理。今日留此間而。先給大
臣位。明日上幸。留其山口。即造假宮。忽
爲豐樂。乃於其隼人賜大臣位百官令
拜。隼人歡喜。以爲遂志。爾詔其隼人。今
日與大臣飮同盞酒。共飮之時。隱面大
銃。盛其進酒。於是王子先飮。隼人後飮。
故其隼人飮時。大鋺覆面。爾取出置席
下之劍。斬其隼人之頚。乃明日上幸。故
號其地謂近飛鳥也。上到于倭詔之。今
日留此間。爲祓禊而。明日參出。將拜神
宮。故號其地謂遠飛鳥也。故參出石上
神宮。令奏天皇。政既平訖參上侍之。爾
召入而相語也。天皇於是以阿知直始
任藏官。亦給粮地。亦此御世。於若櫻部
臣等賜若櫻部名。又比賣陀君等賜姓
謂比賣陀之君也。亦定伊波禮部也。天
皇之御年陸拾肆歳。御陵在毛受也
水齒別命坐多治比之柴垣宮。治天下
也。此天皇御身之長九尺二寸半。御齒
長一寸。廣二分。上下等齊。既如貫珠。天
皇。娶丸迩之許碁登臣之女。都怒郎女
生御子。甲斐郎女。次都夫良郎女【二柱】又
娶同臣之女。弟比賣。生御子。財王。次多
訶辨郎女。并四王也。天皇御年陸拾
歳。御陵在毛受野也。
男淺津間若子宿禰王坐遠飛鳥宮。治
天下也。此天皇。娶意富本杼王之妹。忍
坂之大中津比賣命。生御子。木梨之輕
王。次長田大郎女。次境之黒日子王。次
穴穗命。次輕大郎女。亦名衣通郎女【御名
所以負衣通王者。其身之光自衣通出也】次八瓜之白日子
王。次大長谷命。次橘大郎女。次酒見郎
女【九柱】凡天皇之御子等九柱【男王五。女王四】此
九王之中。穴穗命者。治天下也。次大長
谷命治天下也。天皇初爲將所知天津
日繼之時。天皇辭而詔之。我者有一長
病。不得所知日繼。然大后始而諸卿等
因堅奏而。乃治天下。此時新良國主貢
進御調八十一搜。爾御調之大使。名云
金波鎭漢紀武。此人深知藥方。故治差
帝皇之御病。於是天皇愁天下氏氏名
名人等之氏姓忤過而。於味白梼之言
八十禍津日前居玖訶瓰而【玖訶二字以音】定
賜天下之八十友緒氏姓也。又爲木梨
之輕太子御名代定輕部。爲大后御名
代定刑部。爲大后之弟田井中比賣御
名代定河部也。天皇御年漆拾捌歳。御
陵在河内之惠賀長枝也。天皇崩之後。
定木梨之輕太子所知日繼。未即位之
問。奸其伊呂妹輕大郎女而歌曰。阿志
比紀能。夜麻陀袁豆久理。夜麻陀加美。
斯多備袁和志勢。志多杼比爾。和賀登
布伊毛袁。斯多那岐爾。和賀那久都麻
袁。許存許曾波。夜須久波陀布禮*此者
志良宜歌也。又歌曰。佐佐波爾。宇都夜
阿良禮能。多志陀志爾。韋泥弖牟能知
波。比登波加由登母*宇流波斯登。佐泥
斯佐泥弖婆。加理許母能。美陀禮婆美
陀禮。佐泥斯佐泥弖婆*此者夷振之上
歌也。是以百官及天下人等背輕太子
而。歸穴穗御子。爾輕太子畏而。逃入大
前小前宿禰大臣之家而。備作兵器【爾時
所作矢者。銅其箭之内。故号其矢謂輕箭也】穴穗王子亦作
兵器【此王子所作之矢者即今時之矢者也。是謂穴穗箭也】於是
穴穗御子興軍圍大前小前宿禰之家。
爾到其門時。零大氷雨。故歌曰。意富麻
幣。袁麻幣須久泥賀。加那斗加宜。加久
余理許泥。阿米多知夜米牟*爾其大前
小前宿禰擧手打膝。[イ舞]訶那傳【自訶下三字以
音】歌參來。其歌曰。美夜比登能。阿由比
能古須受。淤知爾岐登。美夜比登登余
牟。佐斗毘登母由米*此歌者宮人振也。
如此歌參歸。白之。我天皇之御子於伊
呂兄王無及兵。若及兵者。必人咲。僕捕
以貢進。爾解兵退坐。故大前小前宿禰
捕其輕太子。率參出以貢進。其太子被
捕歌曰。阿麻陀牟。加流乃袁登賣。伊多
那加婆。比登斯理奴倍志。波佐能夜麻
能。波斗能。斯多那岐爾那久*又歌曰。阿
麻陀牟。加流袁登賣。志多多爾母。余理
泥弖登富禮。加流袁登賣杼母*故其輕
太子者流於伊余場也。亦將流之時。歌
曰。阿麻登夫。登理母都加比曾。多豆賀
泥能。岐許延牟登岐波。和賀那斗波佐
泥*此三歌者天田振也。又歌曰。意富岐
美袁。斯麻爾波夫良婆。布那阿麻理。伊
賀幣理許牟敍。和賀多多彌由米。許登
袁許曾。多多美登伊波米。和賀都麻波
由米*此歌者夷振之片下也。其衣通王。
獻歌。其歌曰。那都久佐能。阿比泥能波
麻能。加岐加比爾。阿斯布麻須那。阿加
斯弖杼富禮*故後亦不堪戀慕而追往
時。歌曰。岐美賀由岐。氣那賀久那理奴。
夜麻多豆能。牟加閇袁由加牟。麻都爾
波麻多士*【此云山多豆者。是今造木者也】故追到之時。
待懷而歌曰。許母理久能。波都世能夜
麻能。意富袁爾波。波多波理陀弖。佐袁
袁爾波。波多波理陀弖。意富袁爾斯。那
加佐陀賣流。淤母比豆麻阿波禮。都久
由美能。許夜流許夜理母。阿豆佐由美。
多弖理多弖理母。能知母登理美流。意
母比豆麻阿波禮*又歌曰。許母理久能。
波都勢能賀波能。加美都勢爾。伊久比
袁宇知。斯毛都勢爾。麻久比袁宇知。伊
久比爾波。加賀美袁加氣。麻久比爾波。
麻多麻袁加氣。麻多麻那須。阿賀母布
伊毛。加賀美那須。阿賀母布都麻。阿理
登。伊波婆許曾余。伊幣爾母由加米。久
爾袁母斯怒波米*如此歌即共自死。故
此二歌者讀歌也。
穴穗御子。坐石上之穴穗宮。治天下也。
天皇爲伊呂弟大長谷王子而。坂本臣
等之祖根臣遣大日下王之許。令詔者。
汝命之妹。若日下王欲婚大長谷王子
故。可頁。爾大日下王四拜白之。若疑有
如此大命故。不出外以置也。是恐。隨大
命奉進。然言以白事。其思无禮。即爲其
妹之禮物令持押木之玉縵而貢獻。根
臣即盜取其禮物之玉縵。讒大日下王
曰。大日下王者不受敕命曰。己妹乎爲
等族之下席而。取横刀之手上而怒歟。
故天皇大怒。殺大日下王而。取持來其
王之嫡妻長田大郎女爲皇后。自此以
後。天皇坐神牀而晝寢。爾語其后曰。汝
有所思乎。答曰。被天皇之敦澤。何有所
思。於是其大后先子目弱王是年七
歳。是王當于其時而。遊其殿下。爾天皇
不知其少王遊殿下以。詔大后言。吾恆
有所思。何者。汝之子目弱王成人之時。
知吾殺其父王者。還爲有邪心乎。於是
所遊其殿下目弱王聞取此言。便竊伺
天皇之御寢。取其傍大刀。乃打斬其天
皇之頚。逃入都夫良意富美之家也。天
皇御年伍拾陸歳。御陵在菅原之伏見
岡也。爾大長谷王子。當時童男。即聞此
事以。慷愾忿怒。乃到其兄黒日子王之
許曰。人取天皇。爲那何。然其黒日子王
不驚而。有怠緩之心。於是大長谷王詈
其兄。言一爲天皇。一爲兄弟。何無恃心
聞殺其兄。不驚而怠乎。即握其衿控出。
拔刀打殺。亦到其兄白日子王而。告状
如前。緩亦如黒日子王。即握其衿以引
率來。到小治田堀穴而隨立埋者。至埋
腰時。兩目走拔而死。亦興軍圍都夫良
意美之家。爾興軍待戰。射出之矢如葦
來散。於是大長谷王以矛爲杖。臨其内
詔。我所相言之孃子者。若有此家乎。爾
都夫良意美聞此詔命自參出。解所佩
兵而。八度拜白者。先日所問賜之女子。
訶良比賣者侍。亦副五處之屯宅以獻
【所詣五村屯宅者今葛城之五村苑人也】然其正身所以不
參向者。自往古至今時。聞臣連隱於王
宮。未聞王子隱於臣家。是以思。賎奴
意富美者。雖竭力戰。更無可勝。然恃己
入坐于隨家之王子者。死而不棄。如此
白而。亦取其兵。還入以戰。爾力窮矢盡。
白其王子。僕者手悉傷。矢亦盡。今不得
戰。如何。其王子答詔。然者更無可爲。今
殺吾。故以刀刺殺其王子。乃切己頚以
死也。自茲以後。淡海之佐佐紀山君之
祖。名韓{代巾}白。淡海之久多【此二字以音】綿之
蚊屋野。多在猪鹿。其立足者如荻原。指
擧角者如枯松。此時。相率市邊之忍齒
王。幸行淡海。到其野者。各異作假宮而
宿。爾明旦。未日出之時。忍齒王以平心
隨乘御馬到立大長谷王假宮之傍而。
詔其大長谷王子之御伴人。未寤坐。早
可白也。夜既曙訖。可幸獵庭。乃進馬出
行。爾侍其大長谷王之御所人等白。宇
多弖物云王子【宇多{氏一}三字以音】故。應愼。亦宜
堅御身。即衣中服甲。取佩弓矢。乘馬出
行。倏忽之間。自馬往雙。拔矢射落其忍
齒王。乃亦切其身。入於馬[木宿]與土等埋。
於是市邊王之王子等。意冨祁王、袁祁
王【二柱】聞此亂而逃去。故到山代苅羽井
食御粮之時。面黥老人來。奪其粮。爾其
二王言。不惜粮然。汝者誰人。答曰。我者
山代之猪甘也。故逃渡玖須婆之河。至
針間國。入其國人。名志自牟之家。隱身
役於馬甘、牛甘也。
大長谷若建命。坐長谷朝倉宮。治天下
也。天皇。娶大日下王之妹。若日下部王
【无子】又娶都夫良意富美之女。韓比賣。生
御子。白髮命。次妹若帶比賣命【二柱】故爲
白髮太子之御名代定白髮部。又定長
谷部舍人。又定河瀬舍人也。此時。呉人
參渡來。其呉人安置於呉原。故號其地
謂呉原也。初大后坐日下之時。自日下
之直越道幸行河内。爾登山上望國内
者。有下上堅魚作舍屋之家。天皇令問其
家云。其上堅魚作舍者。誰家。答白。志幾
之大縣主家。爾天皇詔者。奴乎。己家似
天皇之御舍而造。即遣人。令燒其家之
時。其大縣主懼畏。稽首白。奴有者。隨奴
不覺而過作。甚畏。故獻能美之御幣物
【能美二字以音】布{執糸}白犬。著鈴而。己族名謂腰
佩人。令取犬繩以獻上。故令止其著火。
即幸行其若日下部王之許。賜入其犬
令詔。是物者。今日得道之奇物。故都麻
杼比【此四字以音】之物。云而賜入也。於是若
日下部王。令奏天皇。背日幸行之事。甚
恐。故己直參上而仕奉。是以還上坐於
宮之時。行立其山之坂上歌曰。久佐加
辨能。許知能夜麻登。多多美許母。幣具
理能夜麻能。許知碁知能。夜麻能賀比
爾多知邪加由流。波毘呂久麻加斯。母
登爾波。伊久美陀氣淤斐。須惠幣爾波。
多斯美陀氣淤斐。伊久美陀氣。伊久美
波泥受。多斯美陀氣。多斯爾波韋泥受。
能知母久美泥牟。曾能淤母比豆麻阿
波禮*即令持此歌而返使也。亦一時。天
皇遊行。到於美和河之時。河邊有洗衣
童女。其容姿甚麗。天皇問其童女。汝者
誰子。答白。己名謂引田部赤猪子。爾令
詔者。汝不嫁夫。今將喚而。還坐於宮。故
其赤猪子仰待天皇之命。既經八十歳。
於是赤猪子以爲。望命之間。已經多年。
姿體痩萎。更無所恃。然非顯待情不忍
於[イ邑]而。令持百取之机代物。參出貢獻。
然天皇既忘先所命之事。問其赤猪子
曰。汝者誰老女。何由以參來。爾赤猪子
答白。其年其月。被天皇之命。仰待大命
至于今日經八十歳。今容姿既耆。更無
所恃。然顯白己志以參出耳。於是天皇
大驚。吾既忘先事。然汝守志待命。徒過
盛年。是甚愛悲。心裏欲婚。悼其極老。不
得成婚而。賜御歌。其歌曰。美母呂能。伊
都加斯賀母登。賀斯賀母登。由由斯伎
加母。加志波良袁登賣*又歌曰。比氣多
能。和加久流須婆良。和加久閇爾。韋泥
弖麻斯母能。淤伊爾祁流加母*爾赤猪
子之泣涙悉濕其所服之丹摺袖。答其
大御歌而歌曰。美母呂爾。都久夜多麻
加岐。都岐阿麻斯。多爾加母余良牟。加
微能美夜比登*又歌曰。久佐加延能。伊
理延能波知須。波那婆知須。微能佐加
理毘登。登母志岐呂加母*爾多祿給其
老女以。返遣也。故此四歌者志都歌也。
天皇幸行吉野宮之時。吉野川之濱有
童女。其形姿美麗。故婚是童女而。還坐
於宮。後吏亦幸行吉野之時。留其童女
之所遇。於其處立大御呉床而。坐其御
呉床。彈御琴刊令爲[イ舞]其孃子。爾因其孃
子之好[イ舞]。作御歌。其歌曰。阿具良韋能。
加微能美弖母知。比久許登爾。麻比須
流袁美那。登許余爾母加母*即幸阿岐
豆野而。御獵之時。天皇坐御呉床。爾虻
咋御腕。即蜻蛉來。咋其虻而飛【訓蜻蛉云阿岐
豆】於是作御歌。其歌曰。美延斯怒能。袁
牟漏賀多氣爾。志斯布須登。多禮曾。意
富麻幣爾麻袁須。夜須美斯志。和賀淤
富岐美能。斯志麻都登。阿具良爾伊麻
志。斯漏多閇能。蘇弖岐蘇那布。多古牟
良爾。阿牟加岐都岐。曾能阿牟袁。阿岐
豆波夜具比。加久能碁登。那爾於波牟
登。蘇良美都。夜麻登能久爾袁。阿岐豆
志麻登布*故自其時號其野謂阿岐豆
野也。又一時。天皇登幸葛城之山上。爾
大猪出。即天皇以鳴鏑射其猪之時。其
猪怒而。宇多岐依來【宇多岐三字以音】故天皇
畏其宇多岐。登坐榛上。爾歌曰。夜須美
斯志。和賀意富岐美能。阿蘇婆志斯。志
斯能。夜美斯志能。宇多岐加斯古美。和
賀爾宜能煩理斯。阿理袁能。波理能紀
能延陀*又一時。天皇登幸葛城山之時。
百官人等悉給著紅紐之青摺衣服。彼
時。有其自所向之山尾登山上人。既等
天皇之齒鹵簿亦其裝束之状。及人衆相
似不傾。爾天皇望。令問曰。於茲倭國除
吾亦無王。今誰人如此而行。即答曰之
状。亦如天皇之命。於是天皇大忿而矢
刺。百官人等悉矢刺。爾其人等亦皆矢
刺。故天皇亦問曰。然告其名。爾各告名
而彈矢。於是答曰。吾先見問故。吾先爲
名告。吾者雖惡事而一言雖善事而一
言言離之神。葛城一言主之大神者
也。天皇於是惶畏而白。恐。我大神有宇
都志意美者【自宇下五字以音】不覺白而。大御
刀及弓矢始而。脱百官人等所服之衣
服以拜獻。爾其一言主大神手打受其
捧物。故天皇之還幸時。其大神滿山末
於長谷山口送奉。故是一言主之大神
者彼時所顯也。又天皇婚丸迩之佐都
紀臣之女。袁杼比賣。幸行于春日之時。
媛女逢道。即見幸行而。逃隱岡邊。故作
御歌。其歌曰。袁登賣能。伊加久流袁
加袁。加那須岐母。伊本知母賀母。須岐
波奴流母能*故號其岡謂金[金且]岡也。又
天皇坐長谷之百枝槻下。爲豐樂之時。
伊勢國之三重[女采]指擧大御盞以獻。爾
其百枝槻葉落。浮於大御盞。其[女采]不知
落葉浮於盞。猶獻大御酒。天皇看行其
浮盞之葉。打伏其[女采]。以刀刺充其頚將
斬之時。其[女采]白天皇曰。莫殺吾身。有應
白事。即歌曰。麻岐牟久能。比志呂乃美
夜波。阿佐比能。比傳流美夜。由布比能。
比賀氣流美夜。多氣能泥能。泥陀流美
夜。許能泥能。泥婆布美夜。夜本爾余志。
伊岐豆岐能美夜。麻紀佐久。比能美加
度。爾比那閇夜爾。淤斐陀弖流。毛毛陀
流。都紀賀延波。本都延波。阿米袁淤幣
理。那加都延波。阿豆麻袁淤幣理。志豆
延波。比那袁於幣理。本都延能。延能宇
良婆波。那加都延爾。淤知布良婆閇。那
加都延能。延能宇良婆波。斯毛都延爾。
淤知布良婆閇。斯豆延能。延能宇良婆
波。阿理岐奴能。美幣能古賀。佐佐賀世
流。美豆多麻宇岐爾。宇岐志阿夫良。淤
知那豆佐比。美那許袁呂許袁呂爾。許
斯母。阿夜爾加志古志。多加比加流。比
能美古。許登能。加多理碁登母。許袁婆*
故獻此歌者。赦其罪也。爾大后歌。其歌
曰。夜麻登能。許能多氣知爾。古陀加流。
伊知能都加佐。爾比那閇夜爾。淤斐陀
弖流。波毘呂。由都麻都婆岐。曾賀波能。
比呂理伊麻志。曾能波那能。弖理伊麻
須。多加比加流。比能美古爾。登余美岐。
多弖麻都良勢。許登能。加多理碁登母。
許袁婆*即天皇歌曰。毛毛志記能。淤富
美夜比登波。宇豆良登理。比禮登理加
氣弖。麻那婆志良。袁由岐阿閇。爾波須
受米。宇受須麻理韋弖。祁布母加母。佐
加美豆久良斯。多加比加流。比能美夜
比登。許登能。加多理碁登母。許袁婆*此
三歌者天語歌也。故於此豐樂擧其三
重[女采]而。給多祿也。是豐樂之日。亦春日
之袁杼比賣。獻大御酒之時。天皇歌曰。
美那曾曾久。淤美能袁登賣。本陀理登
良須母。本陀理斗理。加多久斗良勢。斯
多賀多久。夜賀多久斗良勢。本陀理斗
良須古*此者宇岐歌也。爾袁杼比賣獻
歌。其歌曰。夜須美斯志。和賀淤富岐美
能。阿佐斗爾波。伊余理陀多志。由布斗
爾波。伊余理陀多須。和岐豆岐賀。斯多
能。伊多爾母賀。阿世袁*此者志都歌也。
天皇御年壹佰貳拾肆歳。御陵在河内
之多治比高[亶鳥]也。
白髮大倭根子命坐伊波禮之甕栗宮
治天下也。此天皇無皇后。亦無御子。故
御名代定白髮部。故天皇崩後。無可治
天下之王也。於是問日繼所知之王也。
市邊忍齒別王之妹。忍海郎女。亦名飯
豐王。坐葛城忍海之高木角刺宮也。爾
山部連小楯。任針間國之宰時。到其國
之人民。名志自牟之新室。樂於是盛樂。
酒酣。以次第皆[イ舞]。故燒火少子二口。居
竃傍。令[イ舞]其少子等。爾其一少子曰。汝
兄先[イ舞]。其兄亦曰。汝弟先[イ舞]如此相讓
之時。其會人等咲其相讓之状。爾遂兄
[イ舞]訖。次弟將[イ舞]時爲詠曰。物部之我夫
子之取佩於大刀之手上丹畫著其緒
者載赤幡立赤幡見者五十隱山三尾
之竹矣。本訶岐【此二字以音】苅末押縻魚簀
如調八絃琴所治賜天下伊邪本和氣
天皇之御子市邊之押齒王之奴末爾
即小楯連聞驚而。自床墮轉而。追出其
室人等申其二柱王子坐左右膝上。泣悲
而。集人民作假宮。坐置其假宮而。貢上
驛使。於是其姨飯豐王聞歡而。令上於
宮。故將治天下之間。平群臣之祖。名志
毘臣立于歌垣。取其袁祁命將婚之美
人手。其孃子者菟田首等之女。名者大魚
也。爾袁祁命亦立歌垣。於是志毘臣歌
曰。意富美夜能。袁登都波多傳。須美加
多夫祁理*如此歌而。乞其歌末之時。袁
祁命歌曰。意富多久美。袁遲那美許曾。
須美加多夫祁禮*爾志毘臣亦歌曰。意
富岐美能。許許呂袁由良美。淤美能古
能。夜幣能斯婆加岐。伊理多多受阿理*
於是王子亦歌曰。斯本勢能。那袁理袁
美禮婆。阿蘇毘久流。志毘賀波多傳爾。
都麻多弖理美由*爾志毘臣愈怒歌曰。
意富岐美能。美古能志婆加岐。夜布士
麻理。斯麻理母登本斯。岐禮牟志婆加
岐。夜氣牟志婆加岐*爾王子。亦歌曰。意
布袁余志。斯毘都久阿麻余。斯賀阿禮
婆。宇良胡本斯祁牟。志毘都久志毘*如
此歌而。鬪明各退。明旦之時。意富祁命、
袁祁命二柱議云。凡朝廷人等者。旦參
赴於朝廷。晝集於志毘門。亦今者。志毘
必寢。亦其門無人。故非今者。難可謀。即
興軍圍志毘臣之家。乃殺也。於是二柱
王子等各相讓天下。意富祁命讓其弟
袁祁命曰。住於針間志自牟家時。汝命
不顯名者。更非下臨天下之君。是既爲汝
命之功。故吾雖兄。猶汝命先治天下而。
堅讓。故不得辭而。袁祁命先治天下也。
袁祁之石巣別命坐近飛鳥宮。治天下
捌歳也。天皇。娶石木王之女。難波王无
子也。此天皇求其父王市邊王之御骨
時。在淡海國賎老媼參出白。王子御骨
所埋者。專吾能知。亦以其御齒可知【御齒
者如三技押齒坐也】爾起民堀土。求其御骨。即獲
其御骨而。於其蚊屋野之東山作御陵
葬。以韓{代巾}之子等令守其御陵。然後持
上其御骨也。故還上坐而。召其老媼。譽
其不失見貞知其地以。賜名號置目老
媼。仍召入宮内。敦廣慈賜。故其老媼所
住屋者近作宮邊。毎日必召。故鐸懸大
殿戸。欲召其老媼之時。必引鳴其鐸。爾
作御歌。其歌曰。阿佐遲波良。袁陀爾袁
須疑弖。毛毛豆多布。奴弖由良久母。於
岐米久良斯母*於是置目老媼白。僕甚
耆老。欲退本國。故隨白退時。天皇見送
歌曰。意岐米母夜。阿布美能於岐米。阿
須用理波。美夜麻賀久理弖。美延受加
母阿良牟*初天皇逢難逃時。求奪其御
粮猪甘老人。是得求喚上而。斬於飛鳥
河之河原。皆斷其族之膝筋。以是至于今
其子孫上於倭之日。必自跛也。故能見
志米岐其老所在【志米岐三字以音】故其地謂
志米須也。天皇深怨殺其父王之大長
谷天皇。欲報其靈。故欲毀其大長谷天
皇之御陵而。遣人之時。其伊呂兄意富
祁命奏言。破壞是御陵。不可遣他人。專
僕自行。如天皇之御心。破壞以參出。爾
天皇詔。然隨命宜幸行。是以意富祁命
自下幸而。少掘其御陵之傍。還上。復奏
言。既堀壞也。爾天皇異其早還上而。詔
如何破壞。答白。少掘其陵之傍土。天皇
詔之。欲報父王之仇。必悉破壞其陵。何
少掘乎。答曰。所以爲然者。父王之怨。欲
報其靈。是誠理也。然其大長谷天皇者。
雖爲父之怨。還爲我之從父。亦治天下
之天皇。是今單取父仇之志。悉破治天
下之天皇陵者。後人必誹謗。唯父王之
仇不可非報。故少掘其陵邊。既以是恥
足示後世。如此奏者。天皇答詔之。是亦
大理。如命可也。故天皇崩。即意富祁命
知天津日繼天皇御年參拾捌歳。治天
下八歳。御陵在片岡之石坏岡上也。
意富祁王坐石上廣高官。治天下也。天
皇娶大長谷若建天皇之御子。春日大
郎女生御子。高木郎女。次財郎女。次久
須毘郎女。次手白髮郎女。次小長谷若
雀命。次眞若王。又娶丸迩日爪臣之女。
糠若子郎女生御子。春日山田郎女。此
天皇之御子并七柱。此之中。小長谷若
雀命者。治天下也。
小長谷若雀命坐長谷之列木宮。治天
下捌歳也。此天皇无太子。故爲御子代
定小長谷部也。御陵在片岡之石坏岡
也。天皇既崩。無可知日續之王。故品太
天皇五世之孫。衰本杼命自近淡海國
令上坐而。合於手白髮命。授奉天下也。
袁本杼命坐伊波禮之玉穗宮。治天下
也。天皇。娶三尾君等祖。名若比賣。生御
子。大郎子。次出雲郎女【二柱】又娶尾張連
等之祖凡連之妹。目子郎女生御子。廣
國押建金日命。次建小廣國押楯命【二柱】
又娶意富祁天皇之御子。手白髮命【是大后也】生御子。
天國押波流岐廣庭命【波流岐三
字以音。一柱】又娶息長眞手王之女。麻組郎
女生御子。佐佐宜郎女【一柱】。又娶坂田大
股王之女。黒比賣。生御子。神前郎女。次
茨田郎女。次馬來田郎女【三柱】股娶茨田
連小望之女關比賣生御子茨田大郎
女。次白坂活日子郎女。次小野郎女。亦
名長目比賣。【三柱】又娶三尾君加多夫之
妹。倭比賣。生御子。大郎女。次丸高王。次
耳(上)王。次赤比賣郎女【四柱】又娶阿倍之
波延比賣。生御子。若屋郎女。次都夫良
郎女。次阿豆王【三柱】此天皇之御子等并
十九王【男七。女十二】此之中天國押波流岐
廣庭命者。治天下。次廣國押建金日命
治天下。次建小廣國押楯命治天下。次
佐佐宜王者拜伊勢神宮也。此之御世。竺
紫君石井不從天皇之命而。多无禮。故
遣物部荒甲之大連、大伴之金村連二
人而。殺石井也。天皇御年肆拾參歳。御
陵者三嶋之藍御陵也。
廣國押建金日命。坐勾之金箸宮。治天
下也。此天皇無御子也。御陵在河内之
古市高屋村也。
建小廣國押楯命坐桧[土冏]之廬入野宮
治天下也。天皇。娶意富祁天皇之御子。
橘之中比賣命。生御子。石比賣命【訓石如石。
下效此】次小石比賣命。次倉之若江王。又
娶川内之若子比賣。生御子。火穗王。次
惠波王。此天皇之御子等并五王【男三。女二】
故火穗王者【志比陀君之祖】惠波王者【韋那君、多治比
君之祖也】
天國押波流岐廣庭天皇坐師木嶋大
宮。治天下也。天皇。娶桧[土冏]天皇之御子。
石比賣命。生御子。八田王。次沼名倉太
玉敷命。次笠縫王【三柱】。又娶其弟小石比
賣命。生御子。上王【一柱】。又娶春日之日爪
臣之女。糠子郎女生御子。春日山田郎
女。次麻呂古王。次宗賀之倉王【三柱】又娶
宗賀之稻目宿禰大臣之女。岐多斯比
賣。生御子。橘之豐日命。次妹石[土冏]王。次
足取王。次豐御氣炊屋比賣命。次亦麻
呂古王。次大宅王。次伊美賀古王。次山
代王。次妹大伴王。次櫻井之玄王。次麻
奴王。次橘本之若子王。次泥杼王【十三柱】
又娶岐多志毘賣命之姨。小兄比賣。生
御子。馬木王。次葛城王。次間人穴太部
王。次三枝部穴太部王。亦名須賣伊呂
杼。次長谷部若雀命【五柱】。凡此天皇之御
子等并廿五王。此之中。沼名倉太玉敷
命者。治天下。次橘之豐日命治天下。次
豐御氣炊屋比賣命治天下。次長谷部
之若雀命治天下也。并四王治天下也。
沼名倉太玉敷命坐他田宮。治天下壹
拾肆歳也。此天皇。娶庶妹豐御食炊屋
比賣命。生御子。靜貝王。亦名貝鮹王。次
竹田王。亦名小貝王。次小治田王。次葛
城王。次宇毛理王。次小張王。次多米王。
次櫻井玄王【八柱】又娶伊勢大鹿首之女。
小熊子郎女生御子。布斗比賣命。次寶
王。亦名糠代比賣王【二柱】又娶息長眞手
王之女。比呂比賣命。生御子。忍坂日子
人太子。亦名麻呂古王。次坂騰王。次宇
遲王。【三柱】又娶春日中若子之女。老女子
郎女生御子。難波王。次桑田王。次春日
王。次大股王【四柱】此天皇之御子等并十
七王之中。日子人太子娶庶妹田村王。
亦名糠代比賣命。生御子。坐岡本宮。治
天下之天皇。次中津王。次多良王【三柱】又
娶漢王之妹。大股王生御子。智奴王。次
妹桑田王【二柱】又娶庶妹玄王生御子。山
代王。次笠縫王【二柱】并七王。御陵在川内科長也。
橘豐日命坐池邊宮。治天下參歳。此天
皇娶稻目宿禰大臣之女。意富藝多志
比賣。生御子。多米王【一柱】又娶庶妹間人
穴太部王生御子。上宮之厩戸豐聰耳
命。次久米王。次植栗王。次茨田王【四柱】。又
娶當麻之倉首比呂之女。飯女之子。生
御子。當麻王。次妹須加志呂古郎女。此
天皇。御陵在石寸掖上。後遷科長中陵也。
長谷部若雀天皇坐倉椅柴垣宮。治天
下肆歳。御陵在倉椅岡上也。
豐御食炊屋比賣命坐小治田宮治天
下參拾漆歳。御陵在大野岡上。後遷科
長大陵也。

       古事記下卷了


     風土記


    常陸国風土記   

本文
常陸国司 解 申古老相伝旧聞事
問国郡旧事 古老答曰 古者 自相模国足柄岳坂以東諸県
総称我姫国 是当時 不言常陸 唯称新治筑波茨城那賀
久慈多珂国 各遣造別令〓校 其後 至難波長柄豊前大
宮臨軒天皇之世 遣高向臣中臣幡織田連等 総領自坂已
東之国 于時 我姫之道 分為八国 常陸国 居其一矣
所以然号者 往来道路 不隔江海之津済 郡郷境堺 相
続山河之峯谷 取直通之義 以為名称焉 或曰 倭武天
皇 巡狩東夷之国 幸過新治之県 所遣国造毘那良珠
命 新令堀井 流泉浄澄 尤有好愛 時停乗輿 翫水
洗手 御衣之袖 垂泉而沾 便依漬袖之義 以為此国之
名 風俗諺云 筑波岳黒雲挂 衣袖漬国是矣
夫 常陸国者 堺是広大 地亦緬〓 土壊沃墳 原野肥衍 墾
発之処 山海之利 人人自得 家々足饒 設 有身労耕耗
力竭紡蠶者 立即可取富豊 自然応免貧窮 况復
求塩魚味 左山右海 植桑種麻 後野前原 所謂水陸之
府蔵 物産之膏腴 古人云常世之国 蓋疑此地 但以所有
水田 上小中多 年遇霖雨 即聞苗子不登之歎 歳逢亢
陽 唯見穀実豊稔之歡歟〓不略之〓
新治郡東那賀郡堺大山 南白壁郡 西毛野河 北下野常陸二国堺即波太岡
古老曰 昔 美麻貴天皇馭宇之世 為平討東夷之荒賊俗云阿良夫流爾
斯母乃 遣新治国造祖 名曰比奈良珠命 此人罷到 即穿新
井今存新治里随時致祭 其水浄流 仍以治井 因着郡号 自爾至
今 其名不改風俗諺云白遠新治之国〓以下略之〓
自郡以東五十里 在笠間村 越通道路 称葦穂山 古老

古有山賊 名称油置売命 今社中在石室 俗歌曰 許智多_波
乎婆頭勢夜麻能 伊波帰爾母 為弖許母郎奈牟 奈古非叙和支母 〓已下略之〓
筑波郡東茨城郡 南河内郡 西毛野河 北筑波岳
古老曰 筑波之県 古謂紀国 美万貴天皇之世 遣采女臣
友属 筑箪命於紀国之国造 時筑箪命云 欲令身名者着国
後代流伝 即改本号 更称筑波者風俗説云握飯筑波之国〓以下略之〓
古老曰 昔 神祖尊 巡行諸神之処 到駿河国福慈岳 卒
遇日暮 請欲遇宿 此時 福慈神答曰 新粟初甞 家内諱
忌 今日之間 冀許不堪 於是 神祖尊 恨鳴詈告曰 即汝
親 何不欲宿 汝所居山 生涯之極 冬夏雪霜 冷寒重襲
人民不登 飲食勿奠者 更登筑波岳
亦請客止 此時 筑波神答曰 今夜雖新粟甞 不敢不
奉尊旨 爰設飲食 敬拝祇承 於是 神祖尊 歡然歌曰
愛乎我胤 巍乎神宮 天地並斉 日月共同 人民集賀 飲食富
豊 代代無絶 日日弥栄 千秋万歳 遊楽不窮者 是以 福
慈岳 常雪不得登臨 其筑波岳 往集歌舞飲喫 至于今
不絶也〓以下略之〓
夫筑波岳 高秀于雲 最頂西峯〓〓 謂之雄神 不令登
臨 但 東峯四方磐石 昇降〓〓 其側流泉 冬夏不絶
自坂已東諸国男女 春花開時 秋葉黄節 相携〓〓 飲食齎
賚 騎歩登臨 遊楽栖遅 其唱曰
都久波尼爾 阿波牟等 伊比志古波 多賀己等岐気波 加弥尼 阿須波気牟也 都久波尼爾 伊保利弖 都麻奈志爾 和我尼牟欲呂波 波夜母 阿気奴賀母也 詠歌甚多
不勝載車 俗諺云 筑波峯之会 不得娉財 児女不為

郡西十里 在騰波江長二千九百歩広一千五百歩東筑波郡 南毛野河 西北並
新治郡  白壁郡
信太郡東信太流海 南榎浦流海 西毛野河 北河内郡
郡北十里 碓井 古老曰 大足日子天皇 幸浮島之帳宮
無水供御 即遣卜者 訪占所穿 今存雄栗之村
従此以西 高来里 古老曰 天地権輿 草木言語之時 自天
降来神 名称普都大神 巡行葦原中津之国 和平山河荒
梗之類 大神 化道已畢 心存帰天 即時 随身器杖俗曰伊川乃
甲戈楯剣 及所執玉珪 悉皆脱履 留置茲地 即乗白雲
還昇蒼天 〓以下略之〓
風俗諺云 葦原鹿 其味若爛 喫異山宍矣 二国〓常陸下総也〓
大猟 無可絶尽也
其里西 飯名社 此即 筑波岳所有 飯名神之別属也
榎浦之津 便置駅家 東海大道 常陸路頭 所以 伝駅使等
初将臨国 先洗口手 東面拝香島之大神 然後得入也
〓以下略之〓
古老曰 倭武天皇 巡幸海浜 行至乗浜 于時 浜浦之
上 多乾海苔 俗云乃理 由是 名能理波麻之村 〓以下略之〓
乗浜里東 有浮島村 長二千歩広四百歩 四面絶海 山野交錯 戸一十五
烟 田七八町余 所居百姓 火塩為業 而在九社 言行
謹諱〓以下略之〓
茨城郡東香島郡 南佐我流海 西筑波山 北那珂郡
古老曰 昔在国巣俗語都知久母又云夜都賀波岐山之佐伯 野之佐伯 普置堀
土窟 常居穴 有人来 則入窟而竄之 其人去 更出郊
以遊之 狼性梟情 鼠窺掠盗 無被招慰 弥阻風俗也
此時 大臣族黒坂命 伺候出遊之時 茨蕀施穴内 即縦騎
兵 急令遂迫 佐伯等 如常走帰土窟 尽繋茨蕀 衝害
疾死散 故取茨蕀 以着県名 所謂茨城郡 今存那珂郡之西 古者 郡家所置 即茨城郡内 風俗諺云水泳茨城
之国 或曰 山之佐伯 野之佐伯 自為賊長 引率徒衆 横
行国中 大為劫殺 時 黒坂命 規滅此賊 以茨造城
所以 地名便謂茨城焉茨城国造初祖 多祁許呂命 仕息長帯比売天皇之朝 当至品太天皇之誕時 多祁許呂命 有子八人 中
男筑波使主茨城郡湯坐連等之初祖
従郡西南 近有河間 謂信筑之川 源出自筑波之山
従西
流東 経歴郡中 入高浜之海〓以下略之〓
夫此地者 芳菲嘉辰 搖落凉候 命駕而向 乗舟以游 春則
浦花千彩 秋是岸葉百色 聞歌鴬於野頭 覧舞鶴於渚干
社郎漁嬢 遂浜洲以輻湊 商豎農夫 棹〓〓而往来 况乎
三夏熱朝 九陽煎夕 嘯友率僕 並坐浜曲 騁望海中
涛気稍扇 避暑者 〓鬱陶之煩 岡陰徐傾 追凉者 軫
歡然之意 詠歌云 多賀波麻爾 支与須留奈弥乃 意支都奈弥 与須止毛与良志 古良爾志与良波 又云 多賀波麻乃 志多賀是佐夜久 伊毛乎
古比 川麻止伊波波夜 志古止売志都毛
郡東十里 桑原岳 昔 倭武天皇 停留岳上 進奉御膳
時 令水部新堀清井 出泉浄香 飲喫尤好 勅云 能渟水
哉俗云与久多麻礼流彌津可奈 由是 里名今謂田余
行方郡東南西並流海北茨城郡
古老曰 難波長柄豊前大宮馭宇天皇之世 癸丑年 茨城国造小
乙下壬生連麿 那珂国造大建壬生直夫子等 請総領高向大夫
中臣幡織田大夫等 割茨城地八里 那珂地七里 合七百余
戸 別置郡家
所以称行方郡者 倭武天皇 巡狩天下 征平海北 当
是 経過此国 即 頓幸槻野之清泉 臨水洗手 以玉
栄井 今存行方里之中 謂玉清水 更廻車駕 幸現原
之丘 供奉御膳 于時 天皇四望 顧侍従曰 停輿徘
徊 挙目騁望 山阿海曲 参差委蛇 峯頭浮雲 渓腹擁霧
物色可怜 郷体甚愛 宜可此地名 称行細国者
後世 追跡猶号行方風俗諺云立雨零行方之国
其岡高敞 々名現原 降自此岡 幸大益河 乗〓上時
折棹梶 因其河名 称無梶河 此則茨城行方二郡之堺 河
鮒之類 不可悉記
自無梶河 達于部陲 有鴨飛度 天皇御射 鴨迅応弦
而墮 其地謂之鴨野 土壊〓埆 草木不生 野北 櫟柴鶏
頭樹比之木 往々森々 自成山林 即有枡池 此高向大夫
之時 所築池 北有香取神子之社 々側山野 土壊腴衍
草木密生
郡西津済 所謂行方之海 生海松及焼塩之藻 凡在海雑
魚 不可勝載 但以鯨鯢 未曽見聞
郡東国社 此号県祇 社中寒泉 謂之大井 縁郡男女
会集汲飲
郡家南門 有一大槻 其北枝 自垂触地 還聳空中 其
地 昔有水之沢 今遇霖雨 廳庭湿潦 郡側居邑 橘樹生

自郡西北 提賀里 古 有佐伯 名手鹿 為其人居
追着里 其里北 在香島神子之社 々周山野地沃 柴椎栗竹
茅之類 多生 従此以北 曽尼村 古 有佐伯 名曰疏祢
毘古 取名着村 今置駅家 此謂曽尼之駅
古老曰 石村玉穂宮大八洲所馭天皇之世 有人 箭括氏麻多
智 截自郡西谷之葦原 墾闢新治田 此時 夜刀神 相群
引率 悉尽到来 左右防障 勿令耕佃俗云 謂蛇為夜刀神 其形蛇身頭角 率引免難時 有
見人者 破滅家門 子孫不継凡此郡側郊原 甚多所住之 於是 麻多智 大起怒情 着被甲
鎧之 自身執杖 打殺駈逐 乃至山口 標〓置堺堀 告
夜刀神云 自此以上 聴為神地 自此以下 須作人
田 自今以後 吾為神祝 永代敬祭 冀勿崇勿恨 設社
初祭者 即還 発耕田一十町余 麻多智子孫 相承致祭
至今不絶 其後 至難波長柄豊前大宮臨軒
天皇之世 壬生連麿 初占其谷 令築池堤 時 夜刀神
昇集池辺之椎株 経時不去 於是 麿 挙声大言 令修
此池 要在活民 何神誰祇 不従風化 即令役民云
目見雑物 魚虫之類 無所憚懼 隨尽打殺 言了応時 神
蛇避隠 所謂其池 今号椎井池 池回椎株 清泉所出 取
井名池 即 向香島陸之駅道也
郡南七里 男高里 古 有佐伯小高 為其居処 因名 国
宰当麻大夫時 所築池 今存路東 自池西山 猪猿大住
艸木多密 南有鯨岡 上古之時 海鯨匍〓 而来所臥 即
有栗家池 為其栗大 以為池名 北有香取神子之社也
麻生里 古昔 麻生于潴水之涯 圍如大竹 長余一丈
周里有山 椎栗槻櫟生 猪猴栖住 其野出勒馬 飛鳥浄御
原大宮臨軒天皇之世 同郡大
生里 建部袁許呂命 得此野馬 献於朝廷 所謂行方之
馬 或云茨城之里馬非也
郡南二十里 香澄里 古伝曰 大足日子天皇 登坐下総国印
波鳥見丘 留連遥望 顧東而勅侍臣曰 海即青波浩行 陸
是丹霞空朦 国自其中朕目所見者 時人 由是 謂之霞
郷 東山有社 榎槻椿椎竹箭麦門冬 往々多生 此里以西
海中在洲 謂新治洲 所以然称者 立於洲上 北面遥望
新治国小筑波之岳所見 因名也
従此往南十里 板来村 近臨海浜 安置駅家 此謂板来
之駅 其西 榎木成林 飛鳥浄見原天皇之世 遣麻績王之
居処 其海 焼塩藻海松白貝辛螺蛤 多生
古老曰 斯貴瑞垣宮大八洲所馭天皇之世 為平東垂之荒賊
遣建借間命 即此那賀国造初祖 引率軍士 行略凶猾 頓宿安婆之
島 遥望海東之浦 時烟所見 交疑有人 建借間命 仰
天誓曰 若有天人之
烟者 来覆我上 若有荒賊之烟者 去靡海中 時烟射
海而流之 爰自知有凶賊 即命従衆 褥食而渡 於是
有国栖名曰夜尺斯夜筑斯二人 自為首帥 堀穴造堡
常所居住 覘伺官軍 伏衛拒抗 建借間命 縦兵駈追
賊尽〓還 閉堡固禁 俄而 建借間命 大起権議 校閲敢
死之士 伏隠山阿 造備滅賊之器 厳芳海餝 連舟編
筏 飛雲蓋 張虹旌 天之鳥琴 天之鳥笛 隨波逐潮
杵島唱曲 七日七夜 遊楽歌舞 于時 賊黨 聞盛音楽
挙房男女 悉尽出来 傾浜歓咲 建借間命 令騎士閉堡
自後襲撃 尽囚種属 一時焚滅 此時 痛殺所言 今 謂
伊多久之郷 臨斬所言 今 謂布都奈之村 安殺所言
今 謂安伐之里 吉殺所言 今 謂吉前之邑
板来南海 有洲 可三四里許 春時 香島行方二郡 男女
尽来 拾蚌白貝雑味之貝物矣
自郡東北十五里 当麻之郷 古老曰 倭武天皇 巡行過于此
郷 有佐伯名曰鳥日子 縁其逆命 隨便略殺 即幸屋
形野之帳宮 車駕所経之 道狭地深浅 取悪路之義 謂之
当麻俗云多々支々斯 野之土埆 然生紫艸 在二神子之社 其周
山野 櫟柞栗柴 往々成林 猪猴狼多住
従此以南 芸都里 古 有国栖名曰寸津毘古寸津毘売二人
其寸津毘古 当天皇之幸 違命背化 甚无肅敬 爰抽御
剣 登時斬滅 於是 寸津毘売 懼〓心愁 表挙白幡 迎
道奉拝 天皇 矜降恩旨 放免其房 更廻乗輿 幸
小抜野之頓宮 寸津毘売 引率姉妹 信竭心力 不避
風雨 朝夕供奉 天皇 〓其愨懃恵慈 所以 此野謂宇流
波斯之小野
其南田里 息長足日売皇后之時 人此地 名曰古都比古
三度遣於韓国 重其功労賜田 因名 又 有波須武之
野 倭武天皇 停宿此野 修理弓弭 因
名也 野北海辺 在香島神子之社 土〓 櫟柞楡竹 一二所

従此以南 相鹿大生里 古老曰 倭武天皇 坐相鹿丘前宮
此時 膳炊屋舎 構立浦浜 編〓作橋 通御在所 取
大炊之義 名大生之村 又 倭武天皇之后 大橘比売命
自倭降来 参遇此地 故 謂安布賀之邑〓行方郡分 不略之〓
香島郡東大海 南下総常陸堺安是湖 西流海 北那賀香島堺阿多可奈湖
古老曰 難波長柄豊前大朝馭宇天皇之世 己酉年 大乙上中臣
〓〓子 大乙下中臣部兎子等 請総領高向大夫 割下総国
海上国造部内軽野以南一里 那賀国造部内寒田以北五里 別
置神郡 其処所有 天之大神社 坂戸社 沼尾社 合三処
総称香島天之大神 因名郡焉風俗説云霰零香島之国
清濁得糾 天地草昧已前 諸祖天神俗云賀味留彌賀味留岐 会集八百万神
於高天之原時 諸祖神告云 今 我御孫命 光宅豊葦原水穂
之国 自高天原 降来大神 名称香島天之大神 天則 号
日香島之宮 地則 名豊香島之宮俗云 豊葦原水穂国 所依将奉止詔留爾 荒振神等 又 石根木立 草乃
片葉辞語之 画者狭蝿音声 夜者火光明国 此乎事向平定 大御神止 天降供奉
其後 至初国所知美麻貴天皇之世 奉幣 大刀十口 鉾二
枚 鉄弓二張 鉄箭二具 許呂四口 枚鉄一連 練鉄一連 馬
一疋 鞍一具 八絲鏡二面 五色〓一連俗曰 美麻貴天皇之世 大坂山乃頂爾 白細乃大御服々坐
而 白桙御杖取坐 識賜命者 我前乎治奉者 汝聞看食国乎 大国小国 事依給等識賜岐 于時 追集八十之伴緒 挙此事而訪問 於是 大中臣神聞勝命 答曰 大八島国 汝
所知食国止 事向賜之 香島国坐 天津大御神乃挙教事者 天皇 聞諸 即恐驚 奉納前件幣帛於神宮也
神戸六十五烟本八戸 難波天皇之世 加奉五十戸 飛鳥浄見原
大朝 加奉九戸 合六十七戸 庚寅年 編戸減二戸 令定六十五戸
淡海大津朝 初遣使人 造神之宮 自爾已来 修理不絶
年別七月 造舟而奉納津宮 古老曰 倭武天皇之世 天之
大神 宣中臣巨狭山命 今仕御舟者 巨狭山命答曰 謹承
大命 無敢所辞 天之大神 昧爽後宣 汝舟者 置於海中
舟主仍見 在岡上 又宣 汝舟者 置於岡上也 舟主因求
更在海中 如此之事 已非二三 爰則懼惶 新令造舟
三隻 各長二丈余 初献之
又 年別四月十日 設祭潅酒 卜氏種属 男女集会 積日
累夜 飲楽歌舞 其唱云 安良佐賀乃 賀味能彌佐気乎 多
義止 伊比祁婆賀母輿
和我恵比爾祁牟
神社周匝 卜氏居所 地体高敞 東西臨海 峯谷犬牙 邑里
交錯 山木野草 自屏内庭之藩籬 〓流崖泉 涌朝夕之汲
流 嶺頭構舎 松竹衛於垣外 渓腰堀井 薜蘿蔭於壁上
春経其村者 百艸艶花 秋過其路者 千樹錦葉 可謂神
仙幽居之境 霊異化誕之地 佳麗之豊 不可悉記
其社南 郡家 北沼尾池 古老曰 神世 自天流来水沼 所
生蓮根 味気太異 甘絶他所之 有病者 食此沼蓮 早
差験之 鮒鯉多住 前郡所置 多蒔橘 其実味之
郡東二三里 高松浜 大海之流差砂貝 積成高丘 松林自生
椎柴交雑 既如山野 東南 松下出泉 可八九歩 清渟太
好 慶雲元年 国司綵女朝臣 率鍛佐備大麻呂等 採若松
浜之鉄 以造剣之 自此以南 至軽野里若松浜之間 可
三十余里 此皆松山 伏苓伏神 毎年
堀之 其若松浦 即 常陸下総二国之堺 安是湖之所有 沙鉄
造剣大利 然為香島之神山 不得輙入 伐松穿鉄也
郡南二十里 浜里 以東松山之中 一大沼 謂寒田 可四五
里 鯉鮒住之 之万軽野二里 所有田少潤之 軽野以東 大
海浜辺 流着大船 長一十五丈 濶一丈余 朽摧埋砂 今猶
遺之謂淡海之世 擬遣覓国 令陸奥国石城船造 作大船 至于此着岸 即破之
以南 童子女松原 古 有年少僮子俗云加味乃乎止古加味乃乎止売 男称那賀
寒田之郎子 女号海上安是之嬢子 並形容端正 光華郷
里 相聞名声 同存望念 自愛心滅 経月累日 〓歌
之会俗云宇太我岐又云加我毘也 邂逅相遇 于時 郎子歌曰伊夜是留乃 阿是乃古麻都爾 由布悉弖々 和乎
布利弥由母 阿是古志麻波母
嬢子報歌曰 宇志乎爾波 多々牟止伊閉止 奈西乃古何 夜蘇志麻加久理 和乎彌佐婆志理也 便欲相語 恐人知
之 避自遊場 蔭松下 携手〓膝 陳懐吐憤 既釈
故恋之積疹 還起新歓之頻咲 于時 玉露杪候 金風丁
節 皎々桂月照処 唳鶴之西洲 颯々松〓吟処 度雁之東岾
山寂寞〓 巌泉旧 夜蕭条〓 煙霜新 近山自覧 黄葉散林
之色 遥海唯聴 蒼波激磧之声 茲宵于茲 楽莫之楽
偏沈語之甘味 頓忘夜之将開 俄而鶏鳴狗哭 天暁日明
爰僮子等 不知所為 遂愧人見 化成松樹 郎子謂奈
美松 嬢子称古津松 自古着名 至今不改
郡北三十里 白鳥里 古老曰 伊久米天皇之世 有白鳥
天飛来 化為僮女 夕上朝下 適石造池 為其築堤 徒
積日月 築之壊之 不得作成 僮女等志漏止利乃 芳我都々彌乎都々牟止母 安良布麻自呂
疑 波 古叡 斯口口唱 升天 不復降来 由此 其所号白鳥郷
〓以下略之〓
以南 所有平原 謂角折浜 謂 古有大蛇 欲通東海
堀浜作穴 蛇角折落 因名 或曰 倭武天皇 停宿此浜
奉羞御膳 時都無水 即執鹿角 堀地之 為其角折
所以名之 〓以下略之〓
那賀郡東大海 南香島茨城郡 西新治郡下野国堺大山 北久慈郡
〓最前略之〓 平津駅家 西一二里 有岡 名曰大櫛 上古有
人 体極長大 身居丘壟之上 手摎海浜之蜃 其所食貝
積聚成岡 時人 取大〓之義 今謂大櫛之岡 其践跡
長三十余歩 広二十余歩 尿穴径 可二十余歩許 〓以下略之〓
茨城里 自此以北 高丘 名曰〓時臥之山 古老曰 有兄
妹二人 兄名努賀毘古 妹名努賀毘〓 時妹在室 有人
不知姓名 常就求婚 夜来画去 遂成夫婦 一夕懐妊
至可産月 終生小蛇 明若無言 闇与母語 於是
母伯驚奇 心挾神子 即盛浄杯 設壇安置 一夜之間
已満杯中 更易盆而置之 亦満盆内 如此三四 不敢
用器 母告子云 量汝器宇 自知神子 我属之勢 不
可養長 宜従父所在 不合在此者 時子哀泣 拭面
答云 謹承母命 無敢所辞 然 一身独去 無人共去
望請 矜副一小子 母云
我家所有 母与伯父 是亦 汝明所知 当無人相可従
爰 子含恨而 事不吐之 臨決別時 不勝怒怨 震殺
伯父 而昇天 時母驚動 取盆投触 子不得昇 因留此
峯 所盛盆瓮 今存片岡之村 其子孫 立社致祭 相読
不絶 〓以下略之〓
自郡東北 挾粟河 而置駅家 本匝匝粟河 謂河内駅家 今随本名之 当其以南
泉出坂中 多流尤清 謂之曝井 縁泉所居 村落婦女
夏月会集 浣布曝乾 〓以下略之〓
久慈郡東大海 南西那珂郡北多珂郡陸奥国堺岳
古老曰 自郡以南 近有小丘 体似鯨鯢 倭武天皇
因名久慈 〓以下略之〓
至淡海大津大朝光宅天皇之世 遣検藤原内大臣之封戸
軽直里麻呂 造堤成池 其池以北 謂谷会山
所有岸壁 形如磐石 色黄穿〓 〓猴集来 常宿喫啖
自郡西北二十里 河内里 本名古々之邑俗説謂猿声為古々 東山石鏡
昔在魑魅 菘集翫見鏡 則自去俗云疾鬼面鏡自滅 所有土 色如
青紺 用画麗之俗云阿乎爾 或云加支川爾 時随朝命 取而進納 所謂久
慈河之濫觴 出自猿声 〓以下略之〓
郡西十里 静織里 上古之時 織綾之機 未在知人 于
時 此村初織 因名 北有小水 丹石交錯 色似〓碧
火鑽尤好 因以号玉川
郡北二里 山田里 多為墾田 因以名之 所有清河 源発
北山 近経郡家南 会久慈之河 多取年魚 大如腕
之 其河潭 謂之石門 慈樹成林 上即幕歴 浄泉作淵
下是〓湲 青葉自飄 蔭景之蓋 白砂亦鋪 翫波之席
夏月熱日 遠里近郷 避暑追涼 〓膝携手 唱筑波之雅
曲 飲久慈之味酒 雖是人間之
遊 頓忘麈中之煩 其里大伴村 有涯 土色黄也 群鳥飛
来 啄咀所食
郡東七里 太田郷 長幡部之社 古老曰 珠売美万命 自天
降時 為織御服 従而降之神 名綺日女命 本 自筑紫国
日向二所之峯 至三野国引津根之丘 後 及美麻貴天皇之
世 長幡部遠祖 多弖命 避自三野 遷于久慈 造立
機殿 初織之 其所織服 自成衣裳 更無裁縫 謂之内
幡 或曰 当織〓時 輙為人見 故閉屋扇 闇内而織
因名烏織 丁兵丙刃 不得裁断 今毎年 別為神調
献納之
自此以北 薩都里 古有国栖 名曰土雲 爰兎上命 発
兵誅滅 時能令殺 福哉所言 因名佐都 北山所有白
土 可塗画之
東大山 謂賀毘礼之高峯 即有天神 名称立速男命 一
名速経和気命 本自天降 即坐松沢松樹八俣之上 神崇甚
厳 有人 向行大小便之時 令示災致疾苦者
近側居人 毎甚辛苦 具状請朝 遣片岡大連敬祭 祈曰
今 所坐此処 百姓近家 朝夕穢臭 理不合坐 宜避移
可鎮高山之浄境 於是 神聴祷告 遂登賀毘礼之峯
其社 以石為垣 中種属甚多 并品宝弓桙釜器之類 皆成
石存之 凡 諸鳥経過者 尽急飛避 無当峯上 自古然
為 今亦同之 即有小水 名薩都河 源起北山 流南
而入久慈河 〓以下略之〓
所謂高市 自此東北二里 密筑里 村中浄泉 俗謂大井
夏冷冬温 湧流成川 夏暑之時 遠迩郷里 酒肴齎賚 男女
会集 休遊飲楽 其東南 臨海浜 石決明棘甲〓魚貝等類甚多 西北帯山野
樵檪榧栗生鹿猪住之 凡山海珍味 不可悉記
自此艮二十里 助川駅家 昔号遇鹿 古老曰 倭武天皇 至
於此時 皇后参遇 因名矣 至国宰久米大夫之時 為河
取鮭 改名助川 俗語謂鮭祖
為須介
多珂郡東南並大海 西北陸奥常陸 国堺之高山
古老曰 斯我高穴穂宮大八洲照臨天皇之世 以建御狭日命
任多珂国造 並人初至 歴験地体 以為峯険岳崇 因
名多珂之国謂建御狭日命者 即是出雲臣同族 今多珂 石城所謂是也 風俗説云薦枕多珂之国
建御狭日命 当所遺時 以久慈堺之助河 為道前去郡西南
三十里 今猶称道前里 陸奥国石城郡苦麻之村 為道後 其後 至難波
長柄豊前大宮臨軒天皇之世 癸丑年 多珂国造石城直美夜部
石城評造部志許赤等 請申総領高向大夫 以所部遠隔 往
来不便 分置多珂石城二郡 石城郡 今存陸奥国堺内
其道前里 飽田村 古老曰 倭武天皇 為巡東垂 頓宿此
野 有人 奏曰 野上群鹿 無数甚多 猶其聳角 如芦枯
之原 比其吹気 似朝霧
之丘 又 海有鰒魚 大如八尺 并諸種珍味 遊漁利多
者 於是 天皇幸野 遣橘皇后 臨海令漁 相競捕獲
之利 別探山海之物 此時 野狩者 終日駆射 不得一
宍 海漁者 須臾才採 尽得百味焉 獵漁已畢 奉羞御
膳 時勅陪従曰 今日之遊 朕与家后 各就野海 同
爭祥福俗語曰佐知 野物雖不得 而海味尽飽喫者 後代追跡
名飽田村
国宰 川原宿祢黒麻呂之時 大海之辺石壁 彫造観世音菩薩
像 今存矣 因号佛浜 〓以下略之〓
郡南二十里 藻島駅家 東南浜碁子 色如珠玉 所謂常陸国
所有麗碁子 唯是浜耳 昔 倭武天皇 乗舟浮海 御覧島
磯 種々海藻 多生茂栄 因名 今亦然〓以下略之〓
〓底本奥書〓
右常陸国風土記申出 貴所御本躬自
写之闕文断簡雖多遺憾希代之物也為
他書之徴不少宜祕蔵而已
元禄六年三月四日
〓彰本奥書〓
伊勢貞丈校本延宝五丁巳仲春以加賀本謄録
宝暦八戊寅四月望日艸之



     出雲国風土記


 国之大体 首震尾坤 東南山 西北属海 東西一百三十九里一
百九歩 南北一百八十三里一百七十三歩
〓一百歩〓
〓七十三里三十二歩〓
〓得而難可誤〓
老 細思枝葉 裁定詞源 亦 山野浜浦之処 鳥獣之棲 魚
貝海菜之類 良繁多 悉不陳 然不獲止 粗挙梗概 以成
記趣
所以号出雲者 八束水臣津野命詔 八雲立詔之 故云八雲立
出雲
合 神社 参佰玖拾玖所
壱佰捌拾肆所在神祇官
弐佰壱拾伍所不在神祇官
玖郡 郷陸拾弐里一百八十一 余戸肆 駅家陸 神戸漆里一十一
意宇郡 郷壱拾壱里三十三 余戸壱 駅家参 神戸参里六
島根郡 郷捌里二十四 余戸壱 駅家壱
秋鹿郡 郷肆里一十二 神戸壱里一
楯縫郡 郷肆里一十二 余戸壱 神戸壱里一
出雲郡 郷捌里二十三 神戸壱里二
神門郡 郷捌里二十二 余戸壱 駅家弐 神戸壱里一
飯石郡 郷漆里一十九
仁多郡 郷肆里一十二
大原郡 郷捌里二十四
右件郷字者 依霊亀元年式 改里為郷 其郷名字者 被神
亀三年民部省口宣 改之
意宇郡
合 郷壱拾壱里三十三 余戸壱 駅家参 神戸参里六
母理郷 本字文理
屋代郷 今依前用
楯縫郷 今依前用
安来郷 今依前用
山国郷 今依前用
飯梨郷 本字云成
舎人郷 今依前用
大草郷 今依前用
山代郷 今依前用
拝志郷 本字林
宍道郷 今依前用 以上壱拾壱郷別里参
余戸里
野城駅家
黒田駅家
宍道駅家
出雲神戸
賀茂神戸
忌部神戸
所以号意宇者 国引坐八束水臣津野命詔 八雲立
出雲国者 狭布之稚国在哉 初国小所作 故将作縫詔而 〓
衾志羅紀乃三埼矣 国之余有耶見者 国之余有詔而 童女胸鋤所
取而 大魚之支太衝別而 波多須々支穂振別而 三身之綱打挂
而 霜黒葛闇々耶々爾 河船之毛々曽々呂々爾 国々来々引来縫
国者 自去豆乃折絶而 八穂爾支豆支乃御埼 以此而 堅立加
志者 石見国与出雲国之堺有 名佐比売山是也 亦持引綱者 薗
之長浜是也 亦北門佐伎之国矣 国之余有耶見者 国之余有詔而
童女胸鋤所取而 大魚之支太衝別而 波多須々支穂振別而 三身
之綱打挂而 霜黒葛闇々耶々爾 河船之毛々曽々呂々爾 国々来
々引来縫国者 自多久乃折絶而 狭田之国是也 亦北門農波乃
国矣 国之余有耶見者 国之余有詔而 童女胸鋤所取而 大魚之
支太衝別而 波多須々支穂振別而 三身之綱打挂而 霜黒葛闇々
耶々爾 河船之毛々曽々呂々爾 国々来々引来縫国者 自宇波折
絶而 闇見国是也 亦高志之都都乃三埼矣 国之余有耶見者 国
之余有詔而 童女胸鋤所取而 大魚之支太衝別而 波多須々支穂
振別而 三身之綱打挂而 霜黒葛闇々耶々爾 河
船之毛々曽々呂々爾 国々来々引来縫国者 三穂之埼 持引綱夜
見島 堅立加志者 有伯耆国火神岳是也 今者国者引訖詔而
意宇社爾 御杖衝立而 意恵登詔 故云意宇所謂意宇社者 郡家東北辺 田中在整是也 圍八
歩許 其上有一以茂
母理郷 郡家東南三十九里一百九十歩 所造天下大神 大穴持
命 越八口平賜而 還坐時 来坐長江山而詔 我造坐而 命国
者 皇御孫命 平世所知依奉 但八雲立出雲国者 我静坐国
青垣山廻賜而 玉珍置賜而守詔 故云文理神亀三年改字母理
屋代郷 郡家正東三十九里一百二十歩 天乃夫比命御伴 天降来坐
伊支等之遠神 天津子命詔 吾静将坐志社詔 故云社神亀三年改字屋代
楯縫郷 郡家東北三十二里一百八十歩 布都努志命之天石楯 縫置
給之 故云楯縫
安来郷 郡家東北二十七里一百八十歩 神須佐乃烏命 天壁立廻
坐之 爾時 来坐此処而詔 吾御心者 安平成詔 故云安来

即 北海有毘売埼 飛鳥浄御原宮御宇天皇御世 甲戌年七月十
三日 語臣猪麻呂之女子 逍遥件埼 邂逅遇和爾 所賊不
歸 爾時 父猪麻呂 所賊女子〓浜上 大発苦憤 号天
踊地 行吟居嘆 画夜辛苦 無避〓所 作是之間 経歴数
日 然後 興慷慨志 磨箭鋭鋒 撰便処居 即〓訴云
天神千五百万 地祇千五百万 并当国静坐三百九十九社 及海若
等 大神之和魂者静而 荒魂者皆悉依給猪麻呂之所乞 良有神
霊坐者 吾所傷給 以此知神霊之所神者 爾時 有須臾
而 和爾百余 静圍繞一和爾 徐率依来 従於居下 不進
不退 猶圍繞耳 爾時 挙鋒而刀中央一和爾 殺捕已訖 然
後 百余和爾解散 殺割者 女子之一脛屠出 仍和爾者 殺割而
挂串 立路之垂也安来郷人 語臣与之父也 自爾時以来 至于今日 経六十歳
山国郷 郡家東南三十二里二百三十歩 布都努志命之国廻坐時 来
坐此処而詔 是土者 不止欲見詔 故云山国也 即有正倉
飯梨郷 郡家東南三十二里 大国魂命 天降坐時 当此処而 御
膳食給 故云飯成神亀三年改字飯梨
舎人郷 郡家正東二十六里 志貴島宮御宇天皇御世 倉舎人君等之
祖 日置臣志毘 大舎人供奉之 即是志毘之所居 故云舎人
即有正倉
大草郷 郡家南西二里一百二十歩 須佐乎命御子 青幡佐久佐日古
命坐 故云大草
山代郷 郡家西北三里一百二十歩 所造天下大神 大穴持命御
子 山代日子命坐 故云山代也 即有正倉
拝志郷 郡家正西二十一里二百一十歩 所造天下大神命 将平
越八口為而幸時 此処樹林茂盛 爾時詔 吾御心之波夜志詔
故云林神亀三年改字拝志 即
有正倉
宍道郷 郡家正西三十七里 所造天下大神命之追給猪像 南山
有一一長二丈七尺 高一丈 周五丈七尺 一長二丈五尺 高八尺 周四丈一尺 追猪犬像長一丈 高四四尺 周一丈九尺 其形為
石 無異猪犬 至今猶有 故云宍道
余戸里 郡家正東六里二百六十歩依神亀四年編戸 立一里故云余戸 他郡如之
野城駅 郡家正東二十里八十歩 依野城大神坐 故云野城
黒田駅 郡家同処 郡家西北二里 有黒田村 土体色黒 故
云黒田 旧此処有是駅 即号曰黒田駅 今郡家属東 今
猶 追旧黒田号耳
宍道駅 郡家正西三十八里説名如郷
出雲神戸 郡家南西二里二十歩 伊奘奈枳乃麻奈古坐 熊野加武呂
乃命 与五百津鋤々猶所取々而 所造天下大穴持命 二
所大神等依奉 故云神戸他郡等之神戸如是
賀茂神戸 郡家東南三十四里 所造天下大神命之御子 阿遅須
枳高日子命 坐葛城賀茂社 此神之神戸 故云鴨神亀三年改字賀茂
即有正倉
忌部神戸 郡家正西二十一里二百六十歩 国造神吉詞望 参向朝
廷時 御沐之忌里 故云忌部 即川辺出湯 出湯所在 兼
海陸 仍男女老少 或道路駱駅 或海中沿洲 日集成市 繽紛
燕楽 一濯則形容端正 再沐則万病悉除 自古至今 無不得
験 故俗人曰神湯也
教昊寺 在舎人郷中 郡家正東二十五里一百二十歩 建立五層之
塔也有僧 教昊僧之所造也散位大初位下上腹首押猪之祖父也
新造院一所 在山代郷中 郡家西北四里二百歩 建立厳堂也
無僧 日置君目烈之所造也出雲神戸日置君猪麻呂之祖也
新造院一所 在山代郷中 郡家西北二里 建立厳堂住僧一躯 飯
石郡少領出雲臣弟山之所造也
新造院一所 在山国郷中 郡家東南三十一里一百二十歩 建立三
層之塔也 山国郷人 日置部根緒之所造也
熊野大社 夜麻佐社
売豆貴社 加豆比乃社
由貴社 加豆比乃高守社
都〓志呂社 玉作湯社
野城社 伊布夜社
支麻知社 夜麻佐社
野城社 久多美社
佐久多社 多乃毛社
須多社 真名井社
布弁社 斯保彌社
意陀支社 市原社
久米社 布吾彌社
宍道社 売布社
狭井社 狭井高守社
宇流布社 伊布夜社
布自奈社 同布自奈社
由宇社 野代社
野城社 佐久多社
意陀支社 前社
田中社 詔門社
楯井社 速玉社
石坂社 佐久佐社
多加比社 山代社
調屋社 同社 以上四十八所並在神祇官
宇由比社 支布佐社
毛社乃社 那富乃夜社
支布佐社 国原社
田村社 市穂社
同市穂社 伊布夜社
阿太加夜社 須多下社
河原社 布宇社
末那為社 加和羅社
笠柄社 志多備社
食師社 以上一十九所並不在神祇官
長江山 郡家東南五十里有水精
暑垣山 郡家正東二十里八十歩有烽
高野山 郡家正東一十九里
熊野山 郡家正南一十八里有檜檀也 所謂熊野大神之社坐
久多美山 郡家西南一十三里有社
玉作山 郡家西南二十二里有社
神名樋山 郡家正北三里一百二十九歩 高八十丈 周六里三十二歩
東有松 三方並有茅
凡諸山野所在草木 麦門冬 独活 石〓 前胡 高良姜 連翹
黄精 百部根 貫衆 白朮 薯蕷 苦参 細辛 商陸 藁本 玄
参 五味子 黄〓 葛根 牡丹 藍漆 薇 藤 李 檜 杉字或作椙
赤桐 白桐字或作梧 楠 椎 海榴字或作椿 楊梅 松 栢字或作榧 蘗 槻
禽獣則有 G 晨風字或作隼 山_ 鳩 鶉 〓字或作離黄 鴟鶚作横致悪鳥也
熊 狼 猪 鹿 兎 狐 飛〓字或作〓作蝠 〓猴之族 至繁多 不
可題之
伯太川 源出仁多与意宇二郡堺葛野山 北流経母理楯縫安
来三郷 入々海有年魚伊久比
山国川 源出郡家東南三十八里枯見山 北流入伯太川
飯梨河 源有三一水源出仁多大原意宇三郡堺田原 一水源出枯見 一水源出仁多郡玉嶺山 三水合 北流入々
海有年魚伊具比
筑陽川 源出郡家正東一十九里一百歩荻山 北流入々海有年魚
意宇川 源出郡家正南一十八里熊野山 北流東折流入々海
有年魚伊久比
野代川 源出郡家西南一十八里須我山 北流入々海
玉作川 源出郡家正西二十九里阿志山 北流入々海有年魚
来待川 源出郡家正西二十八里和奈佐山 西流至山田村 更折
北流入々海有年魚
宍道川 源出郡家正西三十八里幡屋山 北流入々海無魚
津間抜池 周二里四十歩有〓鴨芹菜
真名猪池 周一里
北入海
門江浜伯耆与出雲二国堺 自東行西
子島既礒
粟島有椎松多年木宇竹真前等葛
砥神島 周三里一百八十歩 高六十丈有椎松〓薺頭蒿都波師太等草木也
賀茂島既礒
羽島有椿比佐木多年木蕨薺頭蒿
塩楯島有蓼螺子永蓼
野代海中 蚊島 周六十歩 中央涅土 四方並礒中央有手掬許木一株耳 其礒有蚊 有螺
子海松
自茲以西浜 或峻崛 或平土 並是 通道之所経也
通国東堺手間〓 四十一里一百八十歩
通大原郡堺林垣峯 三十三里二百一十歩
通出雲郡堺佐雑埼 四十二里三十歩
通島根郡堺朝酌渡 四里二百六十歩
前件一郡 入海之南 此則国務也
郡司 主帳 无位 海 臣 无位 出雲臣
少領 従七位上 勲十二等 出雲臣
主政 少初位上 勲十二等 林 臣
擬主政 无位 出雲臣
島根郡
合 郷捌里二十四 余戸壱 駅家壱
朝酌郷 今依前用
山口郷 今依前用
手染郷 今依前用
美保郷 今依前用
方結郷 今依前用
加賀郷 本字加加
生馬郷 今依前用
法吉郷 今依前用 以上捌郷別里参
余戸里
千酌駅
所以号島根者 国引坐八束水臣津野命之詔而 負給名 故
云島根
朝酌郷 郡家正南一十里六十四歩 熊野大神命 詔 朝
御〓勘養 夕御〓勘養 五贄緒之処定給 故云朝酌
山口郷 郡家正南四里二百九十八歩 須佐能烏命御子 都留支日
子命詔 吾敷坐山口処在詔而 故山口負給
手染郷 郡家正東一十里二百六十歩 所造天下大神命詔 此
国者 丁寧所造国在詔而 故丁寧負給 而今人猶誤謂手染郷
之耳 即有正倉
美保郷 郡家正東二十七里一百六十四歩 所造天下大神命 娶
高志国坐神 意支都久辰為命子 〓都久辰為命子 奴奈宜波比売
命而 令産神 御穂須須美命 是神坐矣 故云美保
方結郷 郡家正東二十里八十歩 須佐能烏命御子 国忍別命詔 吾
敷坐地者 国形宜者 故云方結
加賀郷 郡家北西二十四里一百六十歩 佐太大神所生也 御祖神
魂命御子 支佐加比売命 闇岩屋哉詔 金弓以射給時 光加加明
也 故云加加神亀三年改字加賀
生馬郷 郡家西北一十六里二百九歩 神魂命御子 八尋鉾長依日
子命詔 吾御子 平明不憤詔 故云生馬
法吉郷 郡家正西一十四里二百三十歩 神魂命御子 宇武加比売命
法吉鳥化而飛度 静坐此処 故云法吉
余戸里説名如意宇郡
千酌駅家 郡家東北一十七里一百八十歩 伊佐奈枳命御子 都久
豆美命 此処坐 然者則 可謂都久豆美而 今人猶千酌号耳
布〓伎弥社 多気社
久良弥社 同波夜都武志社
川上社 長見社
門江社 横田社
加賀社 爾佐社
爾佐加志能為社 法吉社
生馬社 美保社
以上一十四所並在神祇官
大井社 阿羅波比社
三保社 多久社
〓〓社 同〓〓社
質留比社 方結社
玉結社 川原社
虫野社 持田社
加佐奈子社 比加夜社
須義社 伊奈頭美社
伊奈阿気社 御津社
比津社 玖夜社
同玖夜社 田原社
生馬社 布奈保社
加茂志社 一夜社
小井社 加都麻社
須衛都久社 大椅社
大椅川辺社 朝酌社
朝酌下社 努那弥社
椋見社 以上四十五所 並不在神祇官
布自枳美高山 郡家正南七里二百一十歩 高二百七十丈 周一十
里有烽
女岳山 郡家正南二百三十歩
蝨野 郡家東北三里一百歩無樹木
毛志山 郡家東北三里一百八十歩
大倉山 郡家東北九里一百八十歩
糸江山 郡家東北二十六里三十歩
小倉山 郡家北西二十四里一百六十歩
凡諸山所在草木 白朮 麦門冬 藍漆 五味子 独活 葛根 薯
蕷 〓〓 狼毒 杜仲 芍薬 紫胡 苦参 百部根 石斛 藁本
藤 李 赤桐 白桐 海柘榴 楠 楊梅 松 栢 禽獣則有
鷲字或作G 隼山_ 鳩 雉 猪 鹿 猿 飛〓
水草川 源二一水源出郡家東北三里一百八十歩毛志山 一
水源出郡家西北六里一百六十歩同毛志山 二水合 南流入々海有鮒
長見川 源出郡家東北九里一百八十歩大倉山 東流
大鳥川 源出郡家東北一十二里一百一十歩墓野山 南流 二水
合 東流入々海
野浪川 源出郡家東北二十六里三十歩糸江山 西流入大海
加賀川 源出郡家西北二十四里一百六十歩小倉山 北流入大海
多久川 源出郡家西北二十四里小倉山 西流入秋鹿郡佐太水海
以上六川並无魚 少少川也
法吉坡 周五里 深七尺許 有鴛鴦鳧鴨鮒須我毛当夏節尤有美菜
前原坡 周二百八十歩 有鴛鴦鳧鴨等之類
張田池 周一里三十歩
匏池 周一里一百一十歩生蒋
美能夜池 周一里
口池 周一里一百八十歩有蒋鴛鴦
敷田池 周一里有鴛鴦
南入海自西行東
朝酌促戸渡 東有通道 西有平原 中央渡 則筌亙東西
春秋入出 大小雑魚 臨時来湊 筌辺駆駭 風壓水衝 或破壊
筌 或製日〓 於是被捕 大小雑魚 浜〓家〓 市人四集
自然成廛矣自茲入東 至于大井浜之間南北二浜 並捕白魚 水深也
朝酌渡 広八十歩許 自国廳通海辺道矣
大井浜 則有海鼠海松 又造陶器也
邑美冷水 東西北山 並嵯峨 南海〓漫 中央鹵 〓〓々 男女
老少 時々叢集 常燕会地矣
前原埼 東北並〓〓 下則有陂 周二百八十歩 深一丈五尺許
三辺草木 自生涯 鴛鴦鳧鴨 隨時当住
陂之南海也 即陂与海之間浜 東西長一百歩 南北広六歩 肆
松蓊鬱 浜鹵淵澄 男女隨時叢会 或愉楽帰 或耽遊忘帰 常
燕喜之地矣
〓〓島 周一十八里一百歩 高三丈 古老伝云 出雲郡杵築御埼
有〓〓 天羽々鷲掠持 飛燕来 止于此島 故云〓〓島
今人猶誤〓島号耳 土地豊沃 西辺松二株 以外茅莎薺頭蒿蕗等
之類生靡即有牧 去陸三里
蜈蚣島 周五里一百三十歩 高二丈 古老伝云 有〓〓島〓〓
食来蜈蚣 止居此島 故云蜈蚣島 東辺神社 以外悉皆百
姓之家 土体豊沃 草木扶疎 桑麻豊富 此則所謂島里 是矣
去津二里一百歩 即自此島 達伯耆国郡内夜見島 磐石二里許 広六
十歩許 乗馬猶往来 塩満時 深二尺五寸許 塩乾時者 已如
陸地
和多太島 周三里二百二十歩有椎海石榴白桐松芋菜薺頭蒿蕗都波猪鹿
去陸渡一十歩 不知深浅
美佐島 周二百六十歩 高四丈有椎橿茅葦都波薺頭蒿
戸江〓 郡家正東二十里一百八十歩非島 陸地浜耳 伯耆郡内夜見島将相向之間也
栗江埼相向夜見島 促戸渡 二百一十六歩 埼之西 入海堺也
凡南入海所在雑物 入鹿 和爾 鯔 須受枳 近志呂 慎仁
白魚 海鼠 〓鰕 海松等之類 至多 不可尽名
北大海 埼之東 大海堺也猶自西行東
鯉石島生海藻
大島磯
宇由比浜 広八十歩捕志毘魚
盗道浜 広八十歩捕志毘魚
澹由比浜 広五十歩捕志毘魚
加努夜浜 広六十歩捕志毘魚
美保浜 広一百六十歩西有神社 北有百姓之家 捕志毘魚
美保埼周壁峙〓定岳
等等島禺禺当住
上島磯
久毛等浦 広一百歩自東行西十船可泊
黒島生海藻
這田浜 長二百歩
比佐島生紫菜海藻
長島生紫菜海藻
比売島磯
結島門 周二里三十歩 高一十丈有松薺頭蒿都波
御前小島磯
質留比浦 広二百二十歩南有神社 北有百姓之家 三十船可泊
久宇島 周一里三十歩 高七丈有椿椎白朮小竹薺頭蒿都波芋
加多比島磯
船島磯
屋島 周二百歩 高二十丈有椿松薺頭蒿
赤島生海藻
宇気島同前
黒島磯 同前
粟島 周二百八十歩 高一十丈有松芋茅都波
玉結浜 広一百八十歩有碁石 東辺有麁砥 又有百姓之家
小島 周二百三十歩 高一十丈有松芋薺頭蒿都波
方結浜 広一里八十歩東西有家
勝間埼 有二窟一高一丈五尺 裏周一十八歩一高一丈五尺 裏周二十歩
鳩島 周一百二十歩 高一十丈有都波茨
鳥島 周八十二歩 高一十丈五尺有鳥栖
黒島生紫菜海藻
須義浜 広二百八十歩
衣島 周一百二十歩 高五丈 中鑿 南北船猶往来也
稲上浜 広一百六十歩有百姓之家
稲積島 周三十八歩 高六丈有松木鳥之栖 中鑿 南北船猶往来也
大島磯
千酌浜 広一里六十歩東有松林 南方駅家 北方百姓之家 郡家東北一十七里一百八十歩 此則所謂度隠岐国津 是矣
加志島 周五十六歩 高三丈有松
赤島 周一百歩 高一丈六尺有松
葦浦浜 広一百二十歩有百姓之家
黒島生紫菜海藻
亀島同前
附島 周二里一十八歩 高一丈有椿松薺頭蒿茅葦都波也 其薺頭蒿者 正月元日生 長六寸
蘇島生紫菜海藻 中鑿 南北船猶往来也
真屋島 周八十六歩 高五丈有松
松島 周八十歩 高八丈有松林
立石島磯
瀬埼磯 所謂瀬埼戌 是也
野浪浜 広二百八十歩東辺有神社又有百姓之家
鶴島 周二百一十歩 高九丈有松
間島生海藻
毛都島生紫菜海藻
久来門大浜 広一里一百歩有百姓之家
黒島生海藻
小黒島生海藻
加賀神埼 即有窟 高一十丈許 周五百二歩許 東西北通所謂佐太大神
所産坐也 産坐臨時 弓箭亡坐 爾時 御祖神魂命御子 枳佐加比売命願 吾御子 麻須羅神御子坐者 所亡弓箭 出来願坐 爾時 角弓箭 隨水流出 爾時 取弓詔 此弓者 非吾弓
箭詔而 擲廃給 又 金弓箭流出来 即待取之坐而 闇鬱窟哉詔而 射通坐 即 御祖支佐加比売命社 坐此処 今人 是窟辺行時 必声磅砒而行 若密行者 神現而 飄風起 行船者必覆
御島 周二百八十歩 高一十丈 中通東西有松栢椿
葛島 周一里一百一十歩 高五丈有椿松小竹茅葦
櫛島 周二百三十歩 高一十丈有松林
許意島 周八十歩 高一十丈有茅沢松林
真島 周一百八十歩 高一十丈有松林
比羅島生紫菜海藻
黒島同前
名島 周一百八十歩 高九丈有松
赤島生紫菜海藻
大椅浜 広一里一百八十歩西北有百姓之家
須須比埼有白朮
御津浜 広二百八歩有百姓之家
三島生海藻
虫津浜 広一百二十歩
手結埼 浜辺有窟高一丈 裏周三十歩
手結浦 広三十二歩船二許可泊
久宇島 周一百三十歩 高七丈有松
凡北海所捕雑物 志毘 〓 沙魚 烏賊 〓〓 鮑魚 螺
蛤貝字或作蚌菜 蕀甲螺字或作石経子 甲螺 蓼螺子字或作螺子 蛎子 石華字或作蛎犬脚
也 或〓 犬脚者勢也 白貝 海藻 海松 紫菜 凝海菜等之類 至繁 不可
尽称也
通意宇郡堺朝酌渡 一十里二百二十歩之中 海八十歩
通秋鹿郡堺佐太橋 一十五里八十歩
通隠岐渡千酌駅家浜 一十七里一百八十歩
郡司 主帳 无位 出雲臣
大領 外正六位下 社部臣
少領 外従六位上 社部石臣
主政 従六位下 勲十二等 蝮朝臣
秋鹿郡
合郷 肆里一十二 神戸壱
恵曇郷 本字恵伴
多太郷 今依前用
大野郷 今依前用
伊農郷 本字伊努 以上肆郷別里参
神戸里
所以号秋鹿者 郡家正北 秋鹿日女命坐 故云秋鹿矣
恵曇郷 郡家東北九里四十歩 須作能乎命御子 磐坂日子命 国巡
行坐時 至坐此処而詔 此処者 国稚美好有 国形如画鞆哉
吾之宮者 是処造者 故云恵伴 神亀三年改字恵曇
多太郷 郡家西北五里一百二十歩 須作能乎命之御子 衝桙等乎与
留比古命 国巡行坐時 至坐此処詔 吾御心 照明正真成 吾
者此処静将坐 詔而静坐 故云多太
大野郷 郡家正西一十里二十歩 和加布都努志能命 御狩為坐時
即郷西山 狩人立給而 追猪佛 北方上之 至阿内谷而 其
猪之跡亡失 爾時詔 自然哉 猪之跡亡失詔 故云内野 然今
人猶誤 大野号耳
伊農郷 郡家正西一十四里二百歩 出雲郡伊農郷坐 赤衾伊農意
保須美比古佐和気能命之后 天〓津日女命 国巡行坐時 至坐
此処而詔 伊農波夜詔 故云伊努神亀三年改字伊農
神戸里出雲也 説名如意宇郡
佐太御子社 比多社
御井社 垂水社
恵杼毛社 許曽志社
大野津社 宇多貴社
大井社 宇智社 以上一十所並在神祇官
恵曇海辺社 同海辺社
怒多之社 那牟社
多太社 同多太社
出島社 阿之牟社
田仲社 彌多仁社
細見社 同下社
伊努社 毛之社
草野社 秋鹿社 以上一十六所並不在神祇官
神名火山 郡家東北九里四十歩 高二百三十丈 周一十四里 所謂
佐太大神社 即彼山下也
足日山 郡家正北七里 高一百七十丈 周一十里二百歩
足高野山 郡家正西一十里二十歩 高一百八十丈 周六里 土体豊
沃 百姓之膏腴之園矣 無樹林 但上頭在樹林 此則神社也
都勢野山 郡家正西一十里二十歩 高一百一十丈 周五里 無樹
林 嶺中有澤 周五十歩 蘿 藤 荻 葦 茅等物叢生 或叢
峙 或伏水 鴛鴦住也
今山 郡家正西一十里二十歩 周七里
凡諸山野所在草木 白朮 独活 女青 苦参 貝母 牡丹 連翹
茯苓 藍漆 女委 細辛 蜀椒 薯蕷 白〓 芍薬 百部根 薇
蕨 薺
頭蒿 藤 李 赤桐 白桐 椎 椿 楠 松 柏 槻 禽獣則有
G 晨風 山鶏 鳩 規 猪 鹿 兎 狐 飛〓 〓猴
佐太川 源有二東水源島根郡所謂多久川是也 西水源出秋鹿郡渡村 二水合 南流入佐太水海
即水海 周七里有鮒 水海通入海 潮長一百五十歩 広一十歩
長江川 源出郡家東北九里四十歩神名火山 南流入々海
山田川 源出郡家西北七里満火山 南流入々海
多太川 源出郡家正西一十里足高野 南流入々海
大野川 源出郡家正西一十三里磐門山 南流入々海
草野川 源出郡家正西一十四里大継山 南流入々海
伊農川 源出郡家正西一十六里伊農山 南流入々海以上七川並無魚
恵曇池 築陂 周六里 有鴛鴦〓鴨鮒 四辺生葦蒋菅 自
養老元年以往 荷〓 自然叢生太多 二年以降 自然至失 都
無茎 俗人云 其底陶器〓〓等類多有也 自古
時時人溺死 不知深浅矣
深田池 周二百三十歩有鴛鴦〓鴨
杜原池 周一里二百歩
峰峙池 周一里
佐久羅池 周一里一百歩有鴛鴦
南入海
春則在 鯔魚 須受枳 鎮仁 〓鰕等 大小雑魚 秋則在 白
鵠 鴻雁 〓 鴨等鳥
北大海
恵曇浜 広二里一百八十歩 東南並在家 西野 北大海 即自
浦至于在家之間 四方並無石木 猶白沙之積 大風吹時
其沙或随風雪零 或居流蟻散 掩覆桑麻 即有彫鑿磐壁三所
一所厚三丈 広一丈 高八尺 一所厚二丈広一丈 一所厚二丈 広一丈 
高一丈 其中通川 北流入大海川東島根郡西秋鹿郡内
也 自川口至南方田辺之間 長一百八十歩 広一丈五尺 源
者田水也 上文所謂
佐太川西源 是同処矣 凡 渡村田水 南北別耳 古老伝云 島
根郡大領 社部臣訓麻呂之祖波蘇等 依稲田之〓 所彫掘也
起浦之西磯 尽楯縫郡之堺自毛崎之間 浜壁峙崔嵬 雖風
之静 往来船 無由停泊頭矣
白島生紫苔菜
御島 高六丈 周八十歩有松三株
都於島磯
著穂島生海藻
凡北海所在雑物 〓 沙魚 佐波 鳥賊 鮑魚 螺 貽貝 蚌
甲〓 螺子 石華 蛎子 海藻 海松 紫菜 凝海菜
通島根郡堺佐太橋 八里二百歩
通楯縫郡堺伊農橋 一十五里一百歩
郡司 主帳 従八位下 勲十二等 〓部臣
大領 外正八位下 勲十二等 刑部臣
楯縫部
合 郷肆里一十二 余戸壱 神戸壱
佐香郷 今依前用
楯縫郷 今依前用
玖潭郷 本字総美
沼田郷 本字努多 以上肆郷別里参
余戸里
神戸里
所以号楯縫者 神魂命詔 五十足天日檜宮之縦黄御量 千尋
〓繩持而 百結結 八十結結下而 此天御量持而 所造天下
大神之宮造奉詔而 御子天御鳥命 楯部為而 天下給之 爾時
退下来坐而 大神宮御装束楯 造始給所 是也 仍至今 楯桙造
而 奉於皇神等 故云楯縫
佐香郷 郡家正東四里一百六十歩 佐香河内 百八十神等集坐 御
厨立給而 令醸酒給之 即百八十日 喜燕解散坐 故云佐香
楯縫郷 即属郡家説名如郡 即北海浜 業利磯有窟 裏方一丈半
高広各七尺 裏南壁在穴 口周六尺 径二尺 人不得入 不
知遠近
玖潭郷 郡家正西五里二百歩 所造天下大神命 天御飯田之
御倉 将造給処 覓巡行給 爾時 波夜佐雨 久多美乃山詔給
之 故云総美神亀三年改字玖潭
沼田郷 郡家正西八里六十歩 宇乃治比古命 以爾多水而 御
乾飯爾多爾食坐 詔而爾多負給之 然則可謂爾多郷而 今人
猶云努多耳神亀三年改字沼田
余戸里説名如意宇都
神戸里出雲也 説名如意宇郡
新造院一所 在沼田郷中 建立厳堂也 郡家正西六里一百六
十歩 大領出雲臣太田之所造也
久多美社 多久社
佐加社 乃利斯社
御津社 水社
宇美社 許豆社
同社以上九所 並在神祇官
許豆乃社 又許豆乃社
又許豆社 久多美社
同久多美社 高守社
又高守社 紫菜島社
鞆前社 宿努社
崎田社 山口社
葦原社 又葦原社
又葦原社 〓之社
阿計知社 葦原社
田田社以上一十九所 並不在神祇官
神名樋山 郡家東北六里一百六十歩 高一百二十丈五尺 周二十一
里一百八十歩 嵬西在石神 高一丈 周一丈 往側在小石神
百余許 古老伝云 阿遅須枳高日子命之后 天御梶日女命 来
坐多久村 産給多伎都比古命 爾時 教詔 汝命之御祖之向
壮欲生 此処宜也 所謂石神者 即是 多伎都比古命之御託
当旱乞雨時 必令零也
阿豆麻夜山 郡家正北五里四十歩
見椋山 郡家西北七里
凡諸山所在草木 蜀椒 藍漆 麦門冬 茯苓 細辛 白〓 杜
仲 人参 升麻 薯蕷 白朮 藤 李 榧 楡 椎 赤桐 白桐
海榴 楠 松 槻 禽獣則有 G 晨風 鳩 山_ 猪 鹿 兎
狐 〓猴 飛〓
佐香川 源出郡家東北所謂神名樋山 東南流 入々海
多久川 源出郡家東北神名樋山 西南流 入々海
都宇川 源二東水源出阿豆麻夜山西水源出見椋山 二水合南流 入々海
宇加川 源出同見椋山 南流入々海
麻奈加比池 周一里一十歩
大東池 周一里
赤市池 周一里二百歩
沼田池 周一里五十歩
長田池 周一里一百歩
南入海 雑物等 如秋鹿郡説
北大海
自毛埼秋鹿与楯縫二郡堺 崔嵬松栢鬱 即有晨風之栖也
佐香浜 広五十歩
己自都浜 広九十二歩
御津島生紫菜
御津浜 広三十八歩
能呂志島生紫菜
能呂志浜 広八歩
鎌間浜 広一百歩
於豆振埼 長二里二百歩 広一里周嵯峨 上有松菜芋
許豆島生紫菜
許豆浜 広一百歩出雲与楯縫二郡之堺
凡北海所在雑物 如秋鹿郡説 但紫菜者 楯縫郡尤優也
通秋鹿郡堺伊農川 八里二百六十四歩
通出雲郡堺宇加川 七里一百六十歩
郡司 主帳 无位 物部臣
大領 外従七位下 勲十二等 出雲臣
少領 外正六位下 勲十二等 高善史
出雲郡
合 郷捌里二十三 神戸壱里二
健部郷 今依前用
漆沼郷 本字志刀沼
河内郷 今依前用
出雲郷 今依前用
杵築郷 本字寸付
伊努郷 本字伊農
美談郷 本字三太三 以上漆郷別里参
宇賀郷 今依前用 里弐
神戸郷 里二
所以号出雲者 説名如国也
健部郷 郡家正東一十二里二百二十四歩 先所以号宇夜里者
宇夜都弁命 其山峯天降坐之 即彼神之社 至今猶坐此処
故云宇夜里 而後 改所以号健部者 纏向檜代宮御宇天皇
勅 不忘朕御子倭健命之御名 健部定給 爾時 神門臣古祢
健部定給 即健部臣等 自古至今 猶居此処 故云健部
漆沼郷 郡家正東五里二百七十歩 神魂命御子 天津枳比佐可美
高日子命御名 又云薦枕志都沼値之 此神郷中坐 故云志刀
沼神亀三年 改字漆沼 即有正倉
河内郷 郡家正南一十三里一百歩 斐伊大河 此郷中西流 故云
河内 即有堤 長一百七十丈五尺七十一丈之広七丈 九十五丈之広四丈五尺
出雲郷 即属郡家説名如国
杵築郷 郡家西北二十八里六十歩 八束水臣津野命之国引給之後
所造天下大神之宮 将造奉而 諸皇神等 参集宮処 杵
築 故云寸付神亀三年 改字杵築
伊努郷 郡家正北八里七十二歩 国引坐意美豆努命御子 赤衾伊
努意保須美比古佐倭気能命之社 即坐郷中 故云伊農神亀三年 改字伊努
美談郷 郡家正北九里二百四十歩 所造天下大神御子 和加布
都努志命 天地初判之後 天御領田之長 供奉坐之 即彼神坐郷
中 故云三太三神亀三年 改字美談 即有正倉
宇賀郷 郡家正北一十七里二十五歩 所造天下大神命 〓坐神
魂命御子 綾門日女命 爾時 女神不肯 逃隠之時 大神伺求
給所 是則此郷也 故云宇賀
即 北海浜有礒 名脳礒 高一丈許 上生松 芸至礒 里
人之朝夕如往来 又木枝人之如攀引 自礒西方有窟戸
高広各六尺許 窟内有穴 人不得入 不知深浅也 夢至此
礒窟之辺者必死 故俗人 自古至今 号黄泉之坂 黄泉之穴

神戸郷 郡家西北二里一百二十歩出雲也 説名如意宇郡
新造院一所 有河内郷中 建立厳堂也 郡家正南一十三里一
百歩 旧大領日置臣布弥之所造今大領佐底麿之祖父
杵築大社 御魂社
御向社 出雲社
御魂社 伊努社
意保美社 曽伎乃夜社
久牟社 曽伎乃夜社
阿受伎社 美佐伎社
伊奈佐乃社 弥太弥社
阿我多社 伊波社
阿具社 都牟自社
久佐加社 弥努婆社
阿受枳社 宇加社
布世社 同阿受枳社
神代社 加毛利社
来坂社 伊農社
同社 同社
鳥屋社 御井社
企豆伎社 同社
同社 同社
同社 同社
阿受枳社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
来坂社 伊努社
同社 同社
弥陀弥社 県社
斐提社 韓〓社
加佐加社 伊自美社
波祢社 立蟲社 以上五十八所並在神祇官
御前社 同御埼社
支豆支社 阿受枳社
同阿受枳社 同社
同阿受枳社 同阿受支社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 伊努社
同伊努社 同社
県社 弥陀弥社
同弥陀弥社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
伊爾波社 都牟自社
同社 弥努波社
山辺社 同社
同社 間野社
布西社 波如社
佐支多社 支比佐社
神代社 同社
百枝槐社 以上六十四所並不在神祇官
神名火山 郡家東南三里一百五十歩 高一百七十五丈 周一十五
里六十歩 曽支能夜社坐 伎比佐加美高日子命社 即在此山嶺
故云神名火山
出雲御埼山 郡家西北二十八里六十歩 高三百六十丈 周九十六里
一百六十五歩 西下所謂所造天下大神之社坐也
凡諸山野所在草木 〓〓 百部根 女委 夜干 商陸 独活 葛
根 薇 藤 李 蜀椒 楡 赤桐 白桐 椎 椿 松 栢 禽獣則
有 晨風 鳩 山_ 鵠 〓 猪 鹿 狼 兎 狐 〓猴 飛
〓也
出雲大川 源出伯耆与出雲二国堺鳥上山 流出仁多郡横田
村 即経横田三処三沢布勢等四郷 出大原郡堺引沼村 即
経来次斐伊屋代神原等四郷 出出雲郡堺多義村 経河内出
雲二郷 北流 更折西流 即経伊努杵築二郷 入神門水海
此則 所謂斐伊川下也 河之両辺 或土地豊沃 五穀桑麻 稔
頗枝 百姓之膏腴薗也 或土体豊沃 草木叢生也 則有年魚鮭
麻須伊具比魴鱧等之類 潭〓双泳 自河口 至河上横田村
之間 五郡百姓 便河而居出雲神門飯石仁多大原郡 起孟春至季春 校材
木船 沿泝河中也
意保美小川 源出出雲御碕山 北流入大海有年魚少々
土負池 周二百四十歩
須須比池 周二百五十歩
西門江 周三里一百五十八歩 東流入々海有鮒
大方江 周二百三十四歩 東流入々海有鮒 二江源
者 並田水所集矣
東入海
三方並平原遼遠 多有山_鳩鳧鴨鴛鴦等之族也
東入海所在雑物 如秋鹿郡説
北大海
宮松埼有楯縫与出雲郡之堺
意保美浜 広二里一百二十歩
気多島生紫菜海松有鮑螺蕀甲〓
井呑浜 広三十二歩
宇太保浜 広三十五歩
大前島 高一丈 周二百五十歩生海藻
脳島生紫菜海藻有松栢
鷺浜 広二百歩
黒島生海藻
米結浜 広二十歩
爾比埼 長一里四十歩 広二十歩 埼之南本 東西通戸 船
猶往来 上則松叢生也
宇礼保浦 広七十八歩船二十計可泊
山埼島 高三十九丈 周一里二百五十歩有椎楠椿松
子負島礒
大椅浜 広一百五十歩
御前浜 広一百二十歩有百姓之家
御厳島生海藻
御厨家島 高四丈 周二十歩有松
等等島有蚌貝石花
〓聞埼 長三十歩 広三十二歩有松
意能保浜 広一十八歩
栗島生海藻
黒島生海藻
這田浜 広一百歩
二俣浜 広九十八歩
門石島 高五十丈 周四十二歩有鷲之栖
薗 長三里一百歩 広一里二百歩 松繁多矣 即自神門水海
通大海潮 長三里 広一百二十歩 此則出雲与神門二郡堺也
凡北海所在雑物 如楯縫郡説 但 鮑出雲郡尤優 所捕者
所謂御埼海子 是也
通意宇郡堺佐雑村 一十三里六十四歩
通神門郡堺出雲大河辺 二里六十歩
通大原郡堺多義村 一十五里三十八歩
通楯縫郡堺宇加川 一十四里二百二十歩
郡司 主帳 无位 若倭部臣
大領 外正八位下 日置臣
少領 外従八位下 太 臣
主政 外大初位下 〓〓部臣
神門郡
合 郷捌里二十二 余戸壱 駅家弐 神戸壱
朝山郷 今依前用里弐
日置郷 今依前用里参
塩冶郷 本字止屋里参
八野郷 今依前用里参
高岸郷 本字高崖里参
古志郷 今依前用里参
滑狭郷 今依前用里弐
多伎郷 本字多吉里参
余戸里
狭結駅 本字最邑
多伎駅 本字多吉
神戸里
所以号神門者 神門臣伊加曽然之時 神門貢之 故云神門
即神門臣等 自古至今 常居此処 故云神門
朝山郷 郡家東南五里五十六歩 神魂命御子 真玉著玉之邑
日女命坐之 爾時 所造天下大神 大穴持命 娶給而 毎朝
通坐 故云朝山
日置郷 郡家正東四里 志紀島宮御宇天皇之御世 日置伴部等
所遣来 宿停而 為政之所也 故云日置
塩冶郷 郡家東北六里 阿遅須枳高日子命御子 塩冶毘古能命坐
之 故云止屋神亀三年改字塩冶
八野郷 郡家正北三里二百一十歩 須佐能袁命御子 八野若日女
命坐之 爾時 所造天下大神 大穴持命 将娶給為而 令
造屋給 故云八野
高岸郷 郡家東北二里 所造天下大神御子 阿遅須枳高日子
命 甚画夜哭坐 仍其処高屋造 可坐之 即建高椅 可登降
養奉 故云高崖神亀三年改字高岸
古志郷 即属郡家 伊弉奈弥命之時 以日淵川 築造池之
爾時 古志国人等 到来而為堤 即宿居之所也 故云古志
滑狭郷 郡家南西八里 須佐能袁命御子 和加須世理比売命
坐之 爾時 所造天下大神命 娶而通坐時 彼社之前 有磐
石 其上甚滑之 即詔 滑磐石哉詔 故云南佐神亀三年改字滑狭
多伎郷 郡家南西二十里 所造天下大神之御子 阿陀加夜努志
多伎吉比売命坐之 故云多吉神亀三年改字多伎
余戸里 郡家南西三十六里説名如意宇郡
狭結駅 郡家同処 古志国佐与布云人 来居之 故云最邑神亀三年 改
字狭結 其所以来居者 説如古志郷也
多伎駅 郡家西南一十九里説名即如多伎郷
神戸里 郡家東南一十里
新造院一所 有朝山郷中 郡家正東二里六十歩 建立厳堂也
神門臣等之所造也
新造院一所 有古志郷中 郡家東南一里本立厳堂 刑部臣等之所造

美久我社 阿須理社
比布知社 又比布知社
多吉社 夜牟夜社
矢野社 波加佐社
奈売佐社 知乃社
浅山社 久奈為社
佐志牟社 多支枳社
阿利社 阿如社
国村社 那売佐社
阿利社 大山社
保乃加社 多吉社
夜牟夜社 同夜牟夜社
比奈社 以上二十五所並在神祇官
塩夜社 火守社
同塩夜社 久奈子社
同久奈子社 加夜社
小田社 波加佐社
同波加佐社 多支社
多支支社 波須波社 以上一十二所 並不在神祇官
田俣山 郡家正南一十九里有〓枌
長柄山 郡家東南一十九里有〓枌
吉栗山 郡家西南二十八里有〓枌也 所謂所造天下大神宮材造山也
宇比多伎山 郡家東南五里五十六歩大神之御屋也
稲積山 郡家東南五里七十六歩大神之稲積也
陰山 郡家東南五里八十六歩大神之御陰
稲山 郡家東南五里一百一十六歩東在樹林 三方並礒也 大神御稲種
桙山 郡家東南五里二百五十六歩南西並在樹林 東北並礒也 大神御桙
冠山 郡家東南五里二百五十六歩大神之御冠
凡諸山野所在草木 白〓 桔梗 藍漆 竜膽 商陸 続断 独
活 白〓 秦椒 百部根 百合 巻柏 石斛 升麻 当帰 石葦
麦門冬
杜仲 細辛 茯苓 葛根 〓蕨 藤 李 蜀椒 檜 杉 榧 赤
桐 白桐 椿 槻 柘 楡 蘗 楮 禽獣則有 G 鷹 晨風
鳩 山_ 鶉 熊 猪 狼 鹿 兎 狐 〓猴 飛〓也
神門川 源出飯石郡琴引山 北流 即経来島波多須佐三郷
出神門郡余戸里門立村 即経神戸朝山古志等郷 西流入水
海也 則有年魚鮭麻須伊具比
多岐小川 源出郡家西南三十三里多岐岐山 北西流入大海有年魚
宇加池 周三里六十歩
来食池 周一里一百四十歩有菜
笠柄池 周一里六十歩有菜
刺屋池 周一里
神門水海 郡家正西四里五十歩 周三十五里七十四歩 裏則有鯔
魚鎮仁須受枳鮒玄蛎也
即 水海与大海之間 有山 長一十二里二百三十四歩 広三里
此者意美豆努命之国引坐時之綱矣 今俗人号云薗松山 地之形

壤石並無也 白沙耳積上 即松林茂繁 四風吹時 沙飛流 掩
埋松林 今年埋半遺 恐遂被埋巴与 起松山南端美久我林
尽石見与出雲二国堺中島埼之間 或平浜 或陵礒
凡北海所在雑物 如楯縫郡説 但無紫菜
通出雲郡堺出雲大川辺 七里二十五歩
通飯石郡堺堀坂山 一十九里
通同郡堺与曽紀村 二十五里一百七十四歩
通石見国安濃郡堺多伎伎山 三十三里路常有〓
通同安濃郡川相郷 三十六里 径常〓不有 但当有政時 噛
置耳
前件伍郡 並大海之南也
郡司 主帳 无位 刑部臣
大領 外従七位上 勲十二等 神門臣
擬少領 外大初位下 勲十二等 刑部臣
主政 外従八位下 勲十二等 吉備部臣
飯石郡
合 郷漆里一十九
熊谷郷 今依前用
三屋郷 本字三刀矢
飯石郷 本字伊鼻志
多祢郷 本字種
須佐郷 今依前用 以上伍郷別里参
波多郷 今依前用
来島郷 本字支自真 以上弐郷別里弐
所以号飯石者 飯石郷中 伊毘志都幣命坐 故云飯石
熊谷郷 郡家東北二十六里 古老伝云 久志伊奈太美等与麻奴良比
売命 任身及将産時 求処生之 爾時 到来此処詔 甚久
々麻々志枳谷在 故云熊谷
三屋郷 郡家東北二十四里 所造天下大神之御門 即在此処
故云三刀矢神亀三年改字三屋 即有正倉
飯石郷 郡家正東一十二里 伊毘志都幣命 天降坐処也 故云
伊鼻志神亀三年改字飯石
多祢郷 属郡家 所造天下大神 大穴持命与須久奈比古
命 巡行天下時 稲種堕此処 故云種神亀三年改字多祢
須佐郷 郡家正西一十九里 神須佐能袁命詔 此国者雖小国
国処在 故我御名者 非者木石詔而 即己命之御魂 鎮置給
之 然即 大須佐田小須佐田定給 故云須佐 即有正倉
波多郷 郡家西南一十九里 波多都美命 天降坐処在 故云波

来島郷 郡家正南三十六里 伎自麻都美命坐 故云支自真神亀三年改字来島
即有正倉
須佐社 河辺社
御門屋社 多倍社
飯石社以上五所 並在神祇官
狭長社 飯石社
田中社 多加社
毛利社 兎比社
日倉社 井草社
深野社 託和社
上社 葦鹿社
粟谷社 穴見社
神代社 志志乃村社以上一十六所並不在神祇官
焼村山 郡家正東一里
穴見山 郡家正南一里
笑村山 郡家正西一里
広瀬山 郡家正北一里
琴引山 郡家正南三十五里二百歩 高三百丈 周一十一里 古老
伝云 此山峯有窟 裏所造天下大神之御琴 長七尺 広三尺
厚一尺五寸 又在石神 高二丈 周四丈 故云琴引山有塩味葛
石穴山 郡家正南五十八里 高五十丈
幡咋山 郡家正南五十二里有紫草
野見木見石次三野 並郡家南西四十里有紫草
佐比売山 郡家正西五十一里一百四十歩石見与出雲二国堺
堀坂山 郡家正西二十一里有杉松
城垣山 郡家正西一十二里有紫草
伊我山 郡家正北一十九里二百歩
奈倍山 郡家東北二十里二百歩
凡諸山野所在草木 〓〓 升麻 当帰 独活 大薊 黄精 前
胡 薯蕷 白朮 女委 細辛 白頭公 白〓 赤箭 桔梗 葛根
秦皮 杜仲 石斛 藤 李 椙 赤桐 椎 楠 杜梅 槻 柘
楡 松 榧 蘗 楮 禽獣則有 鷹 隼 山_ 鳩 規 熊 狼
猪 鹿 兎 〓猴 飛〓
三屋川 源出郡家正南二十五里多加山 北流入斐伊川
有年魚
須佐川 源出郡家正南六十八里琴引山 北流 経来島波多須
佐等三郷 入神門郡門立村 此所謂神門川上也有年魚
磐鋤川 源出郡家西南七十里箭山 北流入須佐川有年魚
波多小川 源出郡家西南二十四里志許斐山 北流入須佐川有鉄
飯石小川 源出郡家正東一十二里佐久礼山 北流入三屋川
有鉄
通大原郡堺斐伊川辺 二十九里一百八十歩
通仁多郡堺温泉川辺 二十二里
通神門郡堺与曽紀村 二十八里六十歩
通同郡堺堀坂山 二十一里
通備後国恵宗郡堺荒鹿坂 三十九里二百歩径常直〓
通三次郡堺三坂 八十里径常有〓
波多径 須佐径 志都美径 以上径 常無〓 但当有政時
権置耳 並通備後国也
郡司 主帳 无位 日置首
大領 外正八位下 勲十二等 大私造
少領 外従八位上 出雲臣
仁多郡
合 郷肆里一十二
三処郷 今依前用
布勢郷 今依前用
三沢郷 今依前用
横田郷 今依前用 以上肆郷別里参
所以号仁多者 所造天下大神 大穴持命詔 此国者 非大
非小 川上者 木穂刺加布 川下者 阿志婆布這
度之 是者爾多志枳小国在詔 故云仁多
三処郷 即属郡家 大穴持命詔 此地田好 故吾御地占詔 故
云三処
布勢郷 郡家正西一十里 古老伝云 大神命之 宿坐処 故云布
世神亀三年改字布勢
三沢郷 郡家西南二十五里 大神大穴持命御子 阿遅須枳高日子命
御須髪八握于生 画夜哭坐之 辞不通 爾時 御祖命 御子乗
船而 率巡八十島 宇良加志給鞆 猶不止哭之 大神 夢願
給 告御子之哭由 夢爾願坐 則夜夢見坐之 御子辞通 則
寤問給 爾時 御沢申 爾時 何処然云問給 即御祖前 立去出
坐而 石川度 坂上至留 申是処也 爾時 其沢水活出而 御
身沐浴坐 故国造神吉事奏 参向朝廷時 其水活出而 用初也
依此 今産婦 彼村稲不食 若有食者 所生子已不云也
故云三沢 即有正倉
横田郷 郡家東南二十一里 古老伝云 郷中有田 四段許 形聊
長 遂依田而 故云横田 即有正倉以上諸郷所出鉄堅尤堪造雑具
三沢社 伊我多気社以上二所 並在神祇官
玉作社 須我非乃社
湯野社 比太社
漆仁社 大原社
髪期里社 石壷社以上八所 並不在神祇官
鳥上山 郡家東南三十五里伯耆与出雲之堺 有塩味葛
室原山 郡家東南三十六里備後与出雲二国之堺 有塩味葛
灰火山 郡家東南三十里
遊記山 郡家正南三十七里有塩味葛
御坂山 郡家西南五十三里 即此山有神御門 故云御坂備後与出
雲之堺有塩味葛
志努坂野 郡家西南三十一里有紫草少少
玉峯山 郡家東南一十里 古老伝云 山嶺有玉工神 故云玉

城紲野 郡家正南一十里有紫草少少
大内野 郡家正南二里有紫草少少
菅火野 郡家正西四里 高一百二十五丈 周一十里峯有神社
恋山 郡家正南一十三里 古老伝云 和爾 恋阿伊村坐神 玉
日女命而上到 爾時 玉日女命 以石塞川 不得会所恋
故云恋山
凡諸山野所在草木 白頭公 藍漆 藁本 玄参 百合 王不留
行 薺泥 百部根 瞿麦 升麻 抜〓 黄精 地楡 附子 狼牙
離留 石斛 貫衆 続断 女委 藤 李 檜 椙 樫 松 柏
栗 柘 槻 蘗 楮 禽獣則有 鷹 晨風 鳩 山_ 規 熊
狼 猪 鹿 狐 兎 〓猴 飛〓
横田川 源出郡家東南三十五里鳥上山北流 所謂斐伊河上有年魚少少
室原川 源出郡家東南三十六里室原山北流 此則
所謂斐伊大河上有年魚麻須魴鱧等類
灰火小川 源出灰火山入 斐伊河上有年魚
阿伊川 源出郡家正南三十七里遊記山 北流入斐伊河上有年魚麻須
阿位川 源出郡家西南五十三里御坂山 入斐伊河上有年魚麻須
比太川 源出郡家東南一十里玉峯山北流 意宇郡野城河上 是
也有年魚
湯野小川 源出玉峯山 西流入斐伊河上
通飯石郡堺漆仁川辺 二十八里 即 川辺有薬湯 一浴則身体
穆平 再濯則万病消除 男女老少 画夜不息 駱駅往来 無不
得験 故俗人号云薬湯也 即有正倉
通大原郡堺辛谷村 一十六里二百三十六歩
通伯耆国日野郡堺阿志毘縁山 三十五里一百五十歩常有〓
通備後国恵宗郡堺遊記山 三十七里常有〓
通同恵宗郡堺比市山 五十三里常無〓 但当有政時 権置耳
郡司 主帳 外大初位下 品治部
大領 外従八位下 蝮部臣
少領 外従八位下 出雲臣
大原郡
合 郷捌里二十四
神原郷 今依前用
屋代郷 本字矢代
屋裏郷 本字矢内
佐世郷 今依前用
阿用郷 本字阿欲
海潮郷 本字得塩
来次郷 今依前用
斐伊郷 本字樋 以上捌郷別里参
所以号大原者 郡家東北一十里一百一十六歩 田一十町許
平原也 故号曰大原 往古之時 此処有郡家 今猶追旧
号大原今有郡家処号云斐伊村
神原郷 郡家正北九里 古老伝云 所造天下大神之御財 積
置給処也 則可謂神財郷而 今人猶誤云神原郷耳
屋代郷 郡家正北一十里一百一十六歩 所造天下大神之〓立
射処 故云矢代神亀三年改字屋代 即有正倉
屋裏郷 郡家東北一十里一百一十六歩 古老伝云 所造天下
大神 令殖矢給処 故云矢内神亀三年改字屋裏
佐世郷 郡家正東九里二百歩 古老伝云 須佐能袁命 佐世乃木
葉頭刺而 踊躍為時 所刺佐世木葉墮地 故云佐世
阿用郷 郡家東南一十三里八十歩 古老伝云 昔
或人 此処山田佃而守之 爾時 目一鬼来而 食佃人之男 爾
時 男之父母 竹原中隠而居之時 竹葉動之 爾時 所食男云
動動 故云阿欲神亀三年改字阿用
海潮郷 郡家正東一十六里三十六歩 古老伝云 宇能治比古命
恨御祖須美祢命而 北方出雲海潮押上 漂御祖神 此海潮至
故云得塩神亀三年改字海潮
即 東北須我小川之湯淵村 川中温泉不用号 同川上毛間村 川中
温泉出不用号
来次郷 郡家正南八里 所造天下大神命詔 八十神者 不置
青垣山裏詔而 追廃時 此処〓次坐 故云来次
斐伊郷 属郡家 樋速日子命 坐此処 故云樋神亀三年改字斐伊
新造院一所 在斐伊郷中 郡家正南一里 建立厳堂也有僧五躯
大領勝部臣虫麻呂之所造也
新造院一所 在屋裏郷中 郡家東北一十一里一百二十歩
建立〓〓層塔也有僧一躯 前少領額田部臣押島之所造也今少領伊去美之従父兄也
新造院一所 在斐伊郷中 郡家東北一里 建立厳堂也有尼二躯
斐伊郷人 樋伊支知麻呂之所造也
矢口社 宇乃遅社
支須支社 布須社
御代社 宇乃遅社
神原社 樋社
樋社 佐世社
世裡陀社 得塩社
加多社 以上一十三所並在神祇官
赤秦社 等等呂吉社
矢代社 比和社
日原社 幡屋社
春殖社 船林社
宮津日社 阿用社
置谷社 伊佐山社
須我社 川原社
除川社 屋代社 以上一十六所並不在神祇官
兎原野 郡家正東 即属郡家
城名樋山 郡家正北一里一百歩 所造天下大神 大穴持命
為伐八十神 造城 故云城名樋也
高麻山 郡家正北一十里二百歩 高一百丈 周五里 北方有樫
椿等類 東南西三方並野也 古老伝云 神須佐能袁命御子 青
幡佐草日子命 是山上 麻蒔殖 故云高麻山 即此山峯坐 其
御魂也
須我山 郡家東北一十九里一百八十歩有檜枌
船岡山 郡家東北一十九里一百八十歩 阿波枳閉委奈佐比古命
曳来居船 則此山是矣 故云船岡也
御室山 郡家東北一十九里一百八十歩 神須佐乃乎命 御室令
造給 所宿 故云御室
凡諸山野所在草木 苦参 桔梗 〓茄 白〓 前胡 独活 〓
〓 葛根 細辛 茵芋 白前 決明 白〓 女委 薯蕷 麦門冬
藤 李 檜 杉 栢 樫 櫟 椿 楮 楊梅 槻 蘗 禽獣則有
鷹 晨風 鳩 山_ 雉 熊 狼 猪 鹿 兎 〓猴 飛〓
斐伊川 郡家正西五十七歩 西流入出雲郡多義村有年魚麻須
海潮川 源出意宇与大原二郡堺介末村山北流 自海潮西流
有年魚少少
須我小川 源出須我山西流有年魚少少
佐世小川 源出阿用山 北流入海潮川無魚
幡屋小川 源出郡家東北幡箭山南流無魚 右四水合 西流入出
雲大河
屋代小川 源出郡家正北除田野 西流入斐伊大河無魚
通意宇郡堺林垣坂 二十三里八十五歩
通仁多郡堺辛谷村 二十三里一百八十二歩
通飯石郡堺斐伊河辺 五十七歩
通出雲郡堺多義村 一十一里二百二十歩
前件参郡 並山野之中也
郡司 主帳 无位 勝部臣
大領 正六位上 勲十二等 勝部臣
少領 外従八位上 額田部臣
主政 无位 日置臣
自国東堺 去西二十里一百八十歩 至野城橋 長三十丈七尺
広二丈六尺飯梨川 又 西二十一里 至国聴意宇郡家北十字街 即
分為二道一正西道一抂北道
抂北道 去北四里二百六十歩 至郡北堺朝酌渡渡八十歩渡船一 又
北一十里一百四十歩 至島根
郡家 自郡家去北一十七里一百八十歩 至隠岐渡千酌駅家
浜渡船
又 自郡家西一十五里八十歩 至郡西堺佐太橋 長三丈 広
一丈佐太川 又 西八里二百歩 至秋鹿郡家 又 自郡家西一
十五里一百歩 至郡西堺 又 西八里二百六十四歩 至楯縫
郡家 又 自郡家西七里一百六十歩 至郡西堺 又 西一
十四里二百二十歩 出雲郡家東辺 即入正西道也
総抂北道程 一百三里一百四歩之中 隠岐道一十七里一百八十

正西道 自十字街西一十二里 至野代橋 長六丈 広一丈五
尺 又 西七里 至玉作街 即分為二道一正西道一正南道
正南道 一十四里二百一十歩 至郡南西堺 又 南二十三里八十
五歩 至大原郡家 即分為二道一南西道一東南道
南西道 五十七歩 至斐伊川渡二十五歩渡船一 又 南西二十九里一百八十
歩 至飯石郡家 又 自郡家南八十里 至国南西堺通備後国三次郡
総去国程 一百六十六里二百五十七歩也
東南道 自郡家去二十三里一百八十二歩 至郡東南堺 又
去東南一十六里二百三十六歩 至仁多郡家(比比理村) 即分
為二道 一道 東三十五里一百五十歩 至仁多郡堺 一道 南
三十八里一百二十一歩 至備後国堺遊記山
正西道 自玉作街西九里 至来待橋 長八丈 広一丈三尺
又 西一十四里三十歩 至郡西堺 又 西一十三里六十四歩 至
出雲郡家 自郡家西二里六十歩 至郡西堺出雲河渡五十歩渡船一
又 西七里二十五歩 至神門郡家 即有河渡二十五歩渡船一 自郡家西三十
三里 至国西堺通石見国安濃郡
総去国程 九十七里二百二十九歩
自東堺去西二十里一百八十歩 至野城駅 又 西二十一里 至
黒田駅 即分為二道一正西道 一渡隠岐国道也 隠岐国道 去北三十三里六十
歩 至隠岐渡千酌駅 又 正西道 三十八里 至宍道駅 又西
二十六里二百二十九歩 至狭結駅 又 西一十九里 至多伎駅
又 西一十四里 至国西堺
意宇軍團 即属郡家
熊谷軍團 飯石郡家東北二十九里一百八十歩
神門軍團 郡家正東七里
馬見烽 出雲郡家西北三十二里二百四十歩
土椋烽 神門郡家東南一十四里
多夫志烽 出雲郡家正北一十三里三十歩
布自枳美烽 島根郡家正南七里二百一十歩
暑垣烽 意宇郡家正東二十里八十歩
宅枳戌 神門郡家西南三十一里
瀬埼戌 島根郡家東北一十七里一百八十歩
天平五年二月三十日 勘造
秋鹿郡人 神宅臣全太理
国造帯意宇郡大領外正六位上勲十二等 出雲臣広島
〓底本ヽ無奥書。巻首記の内ヽ出雲国風土記に関する記事〓
今適〓全部出雲一国而已。雖有流布本不免伝
写誤。今所書写本者ヽ伝聞出雲国造之文庫所有ヽ
因以全為篇首。
望覧四方 勅云 此土 丘原野甚広大 而見此丘如鹿児
故名曰賀古郡 狩之時 一鹿走登於此丘鳴 其声比々 故
号日岡坐神 大御津歯命子 伊波都比古命
此岡有比礼墓 所以号褶墓者 昔 大帯日子命 誂印南
別嬢之時 御佩刀之八咫剣之上結爾八咫勾玉 下結爾麻布都
鏡繋 賀毛郡山直等始祖息長命一名伊志治為媒而 誂下行之時 到
摂津国高瀬之済 請欲度此河 度子 紀伊国人小玉 申曰
我為天皇贄人否 爾時勅云 朕公 雖然猶度 度子対曰
遂欲度者 宜賜度賃 於是 即取為道行儲之弟縵
投入舟中 則縵光明 惟然満舟 度子得賃 乃度之 故云
朕君済 遂到赤石郡廝御井 供進御食 故曰廝御井
爾時 印南別嬢 聞而驚畏之 即遁度於南毘都麻島 於是
天皇 乃到賀古松原
而覓訪之 於是 白犬 向海長吠 天皇問云 是誰犬乎 須
受武良首対曰 是別嬢所養之犬也 天皇勅云 好告哉 故号
告首 乃 天皇知在於此少島 即欲度 即到阿閉津
供進御食 故号阿閉村 又 捕江魚 為御坏物 故号
御坏江 又 乗舟之処 以〓作〓 故号〓津 遂度相遇
勅云 此島隠愛妻 仍号南毘都麻 於是 御舟与別嬢舟
同編合而度 筴杪伊志治 爾名号大中伊志治 還到印南六
継村 始成密事 故曰六継村 勅云 此処 浪響鳥声甚
譁 而遷於高宮 故曰高宮村 是時 造酒殿之処 即号
酒屋村 造贄殿之処 即号贄田村 造室之処 即号館
村 又 遷於城宮 仍始成昏也 以後 別嬢掃床仕奉
出雲臣比須良比売 給於息長命 墓有賀古駅西 有年
別嬢薨於此宮 即作墓於日岡 而葬之 挙其尸
度印南川之時 大飄自川下来 纏入其尸於川中 求而不
得 但得匣与褶 即 以此二物 葬於其墓 故号褶墓
於是 天皇 戀悲誓云 不食此川之物 由此 其川年魚
不進御贄 後得御病 勅云 薬者也 即造宮於賀古松原
而遷 或人 於此堀出冷水 故曰松原御井
望理里土中上 大帯日子天皇 巡行之時 見此村川曲 勅云
此川之曲 甚美哉 故曰望理
鴨波里土中々 昔 大部造等始祖古理売 耕此之野 多種粟
故曰粟々里
此里有舟引原 昔 神前村有荒神 毎半留行人之舟 於
是 往来之舟 悉留印南之大津江 上於川頭 自賀意理
多之谷引出而 通出於赤石郡林潮 故曰舟引原 又事与
上解同
長田里土中々 昔 大帯日子命 幸行別嬢之処 道辺有長田
勅云 長田哉 故曰長田里
駅家里土中々 由駅家為名
一家云 所以号印南者 穴門豊浦宮御宇天皇 与皇后倶
欲平筑紫久麻曽国 下行之時 御舟 宿於印南浦 此時
滄海甚平 風波和静 故名曰入浪郡
大国里土中々 所以号大国者 百姓之家 多居此 故曰大国
此里有山 名曰伊保山 帯中日子命乎坐於神而 息長帯
日女命 率石作連大来而 求讃伎国羽若石也 自彼度賜
未定御廬之時 大来見顕 故曰美保山 々西有原 名曰
池之原 々中有池 故曰池之原
々南有作石 形如屋 長二丈 広一丈五尺 高亦如之 名
号曰大石 伝云 聖徳王御世 弓削大連 所造之石也
六継里土中々 所以号六継里者 已見於上 此里有松原
生甘〓 色似〓花 体如鴬〓 十月上旬生 下旬亡 其
味甚甘
盆気里土中上 所以号宅者 大帯日子命 造御宅於此村 故
曰宅村
此里有山 名曰斗形山 以石作斗与乎気 故曰斗形山
有石橋 伝云 上古之時 此橋至天 八十人衆 上下往来
故曰八十橋
含芸里本名瓶落 土中上 所以号瓶落者 難波高津御宮天皇御世
私部弓取等遠祖他田熊千 瓶酒着於馬尻 求行家地 其瓶
落於此村 故曰瓶落
又 有酒山 大帯日子天皇御世 酒泉涌出 故曰酒山 百
姓飲者 即酔相闘相乱 故令埋塞 後庚午年 有人堀出
于今猶有酒気
郡南海中有小島 名曰南毘都麻 志我高穴穂宮御宇天皇御
世 遣丸部臣等始祖比古汝茅 令定国堺
爾時 吉備比古 吉備比売 二人参迎 於是 比古汝茅 娶
帯吉備比売生児 印南別嬢 此女端正 秀於当時 爾時 大
日古天皇 欲娶此女 下幸行之 別嬢聞之 即遁度件島
隠居之 故曰南毘都麻
飾磨郡
所以号飾磨者 大三間津日子命 於此処 造屋形而座
時 有大鹿而鳴之 爾時 王勅云 壮鹿鳴哉 故号飾磨郡
漢部里土中上 右 称漢部者 讃芸国漢人等 到来居於此処
故号漢部
菅生里土中上 右 称菅生者 此処有菅原 故号菅生
麻跡里土中上 右 号麻跡者 品太天皇 巡行之時 勅云 見
此二山者 能似人眼割下 故号目割
英賀里土中上 右 称英賀者 伊和大神之子 阿賀比古阿賀比
売二神 在於此処 故因神名 以為里名
伊和里船丘波丘琴丘筥丘匣丘箕丘甕丘稲丘胄丘沈石丘藤丘鹿丘犬丘日女道丘 土中上 右 号伊和部者
積〓郡伊和君等族 到来居於此 故号伊和部
所以号手苅丘者 近国之神 到於此処 以手苅草 以
為食薦 故号手苅 一云 韓人等 始来之時 不識用鎌
但以手苅稲 故云手苅村
右十四丘者 已詳於下 昔 大汝命之子 火明命 心行甚強
是以 父神患之 欲遁棄之 乃 到因達神山 遣其子汲
水 未還以前 即発船遁去 於是 火明命 汲水還来
見船発去 即大瞋怨 仍起風波 追迫其船 於是 父
神之船 不能進行 遂被打破 所以 其処号船丘 号
波丘 琴落処者 即号琴神丘 箱落処者 即号箱丘 梳
匣落処者 即号匣丘 箕落処者 仍号箕形丘 甕落処者
仍曰甕丘 稲落処者 即号稲牟礼丘 胄落処者 即号胄

沈石落処者 即号沈石丘 綱落処者 即号藤丘 鹿落処者
即号鹿丘 犬落処者 即号犬丘 蠶子落処者 即号日女
道丘 爾時 大汝神 謂妻弩都比売曰 為遁悪子 返
遇風波 被太辛苦哉 所以 号曰瞋塩 曰苦斉
賀野里幣丘 土中上 右 称加野者 品太天皇 巡行之時 此
処造殿 仍張蚊屋 故号加野 山川之名 亦与里同
所以称幣丘者 品太天皇 到於此処 奉幣地祇 故号
幣丘
韓室里土中々 右 称韓室者 韓室首宝等上祖 家大富饒 造
韓室 故号韓室
巨智里草上村大立丘 土上下 右 巨智等 始屋居此村 故因為名
所以云草上者 韓人山村等上祖 柞巨智賀那 請此地而
墾田之時 有一聚草 其根尤臭 故号草上
所以称大立丘者 品太天皇 立於此丘 見之地形 故
号大立丘
安相里長畝川 土中々 右 称安相里者 品太天皇 従但馬
巡行之時 縁道不〓御冠 故号陰山前 仍 国造豊忍別
命 被剥名 爾時 但馬国造阿胡尼命申給 依此赦罪 即
奉塩代田二十千代有名 塩代田佃 但馬国朝来人 到来居於
此処 故号安相里 本名沙部云字二字注 後里名依改為安相里
本文 阿胡尼命 娶英保村女 卒於此村 遂造墓葬 以
後 正骨運持去之 云爾
所以号長畝川者 昔 此川生蒋 于時 賀毛郡長畝村人
到来苅蒋 爾時 此処石作連等 為奪相闘 仍殺其人
即投棄於此川 故号長畝川
枚野里新羅訓村筥岡 右 称枚野者 昔 為少野 故号枚野
所以号新良訓者 昔 新羅国人 来朝之時 宿於此村
故号新羅訓山名亦同
所以称筥丘者 大汝少日子根命 与日女道丘神 期会之
時 日女道丘神 於此丘 備食物及筥器等具 故号筥丘
大野里〓堀 土中々 右 称大野者 本為荒野 故号大野
〓志貴〓島宮御宇天皇之御世 村上足島等上祖恵多 請此野而
居之 乃為里名
所以称〓堀者 品太天皇之世 神前郡与飾磨郡之堺 造
大川岸道 是時 〓堀出之 故号〓堀 于今猶在
少川里高瀬村豊国村英馬野射目前檀坂御立丘伊刀島 土中々本名私里 右 号私里者 〓志貴〓
島宮御宇天皇世 私部弓束等祖 田又利君鼻留 請此処而居
之 故号私里 以後 庚寅年 上野大夫 為宰之時 改為
小川里 一云 小川 自大野流来此処 故曰小川
所以称高瀬者 品太天皇 登於夢前丘 而望見者 北方
有白色物 勅云 彼何物乎 即 遣舎人上野国麻奈毘古
令察之 申云 自高処流落水 是也 即号高瀬村
所以号豊国者 筑紫豊国之神 在於此処 故号豊国村
所以号英馬野者 品太天皇 此野狩時 一馬走逸 勅云
誰馬乎 侍従等対云 朕君御馬也 即号我馬野 是時 立
射目之処 即号射目前 弓折之処 即号檀丘 御立之処
即号御立丘 是時 大牝鹿 泳海就島 故号伊刀島
英保里土中上 右 称英保者 伊予国英保村人 到来居於此
処 故号英保村
美濃里継潮 土下中 右 号美濃者 讃伎国弥濃郡人 到来居
之 故号美濃
所以称継潮者 昔 此国有一死女 爾時 筑紫国火君等
祖不知名 到来復生 仍取之 故号継潮
因達里土中々 右 称因達者 息長帯比売命 欲平韓国 渡
坐之時 御々船前 伊太代之神 在於此処 故因神名
以為里名
安師里土中々 右 称安師者 倭穴无神々戸託仕奉
故号穴師
漢部里多志野阿比野手沼川 里名詳於上
右 称多志野者 品太天皇 巡行之時 以鞭指此野 勅
云 彼野者 宜造宅及墾田 故号佐志野 今改号多志野
所以称阿比野者 品太天皇 従山方幸行之時 従臣等
自海方参会 故号会野
所以称手沼川者 品太天皇 於此川洗御手 故号手沼
川生年魚有味
貽和里船丘北辺 有馬墓池 昔 大長谷天皇御世 尾治連等
上祖長日子 有善婢与馬 並合之意 於是 長日子 将死
之時 謂其子曰 吾死以後 皆葬準吾 即 為之作墓
第一為長日子墓 第二為婢墓 第三為馬墓 併有三
後 至生石大夫為国司有之時 築墓辺池 故因名為馬
墓池
所以称飾磨御宅者 大雀天皇御世 遣人 喚意伎出雲伯

因幡但馬五国造等 是時 五国造 即以召使為水手 而
向京之 以此為罪 即退於播磨国 令作田也 此時
所作之田 即号意伎田出雲田伯耆田因幡田但馬田 即彼田
稲 収納之御宅 即号飾磨御宅 又云賀和良久三宅
揖保郡
事明下
伊刀島 諸島之総名也 右 品太天皇 立射目人於飾磨射目
前 為狩之 於是 自我馬野出牝鹿 過此阜入於海
泳渡於伊刀島 爾時 翼人等 望見相語云 鹿者 既到就
於彼島 故名伊刀島
香山里本名鹿来墓 土下上 所以号鹿来墓者 伊和大神 占国之
時 鹿来立於山岑 山岑 是亦似墓 故号鹿来墓 後至
道守臣為宰之時 乃改名為香山
家内谷 即是香山之谷 形如垣廻 故号家内谷
佐々村 品太天皇 巡行之時 〓噛竹葉而遇之 故曰佐々

阿豆村 伊和大神 巡行之時 苦其心中熱 而控絶衣槽
故号阿豆 一云 昔 天有二星 落於地 化為石 於
此 人衆集来談論 故名阿豆
飯盛山 讃伎国宇達郡飯神之妾 名曰飯盛大刀自 此神度来
占此山而居之 故名飯盛山
大鳥山 鵝栖此山 故名大鳥山
栗栖里土中々 所以名栗栖者 難波高津宮天皇 勅賜刊栗子
若倭部連池子 即将退来 殖生此村 故号栗栖 此栗子
由本刊 後无渋
〓廻川〓金箭川 品太天皇 巡行之時 御苅金箭 落於此川
故号金箭
阿為山 品太天皇之世 紅草生於此山 故号阿為山 住不
知名之鳥 起正月至四月見 五月以後不見 形似鳩
色如紺
越部里旧名皇子代里 土中々 所以号皇子代者 勾宮天皇之世 寵
人 但馬君小津 蒙寵賜姓 為皇子代君而 造三宅於此
村 令仕奉之 故曰皇子代村 後 至上野大夫結三十戸
之時 改号越部里 一云 自但馬国三宅越来 故号越部

鷁住山 所以号鷁住者 昔 鷁多住此山 故因為名
〓坐山 々石似〓 故号〓坐山
御橋山 大汝命 積俵立橋 山石似橋 故号御橋山
狭野村 別君玉手等遠祖 本 居川内国泉郡 因地不便
遷到此土 仍云 此野雖狭 猶可居也 故号狭野
上岡里本林田里 土中下 出雲国阿菩大神 聞大倭国畝火香山耳梨
三山相闘 此欲諌止 上来之時 到於此処 乃聞闘止
覆其所乗之船而坐之 故号神阜 々形似覆
〓菅生山〓 菅生山辺 故曰菅生 一云 品太天皇 巡行之
時 闢井此岡 水甚清寒 於是 勅曰 由水清寒 吾意
宗々我々志 故曰宗我富
殿岡 造殿此岡 故曰殿岡 々生柏
〓部里因人姓為名 土中々
立野 所以号立野者 昔 土師弩美宿祢 往来於出雲国
宿於〓部野 乃得病死 爾時 出雲国人来到 連立人衆
運伝 上川礫作墓山 故号立野 即号其墓屋 為出
雲墓屋
林田里本名談奈志 土中下 所以称談奈志者 伊和大神 占国之
時 御志植於此処 遂生楡樹 故称名談奈志
松尾阜 品太天皇 巡行之時 於此処日暮 即取此阜松
為之燎 故名松尾
塩阜 惟阜之南 有鹹水 方三丈許 与海相闊 三十里許
以礫為底 以草為辺 与海水同往来 満時 深三寸許
牛馬鹿等 嗜而飲之 故号塩阜
〓伊勢野〓 所以名伊勢野者 此野毎在人家 不得静安
於是 衣縫猪手 漢人刀良等祖 将居此処 立社山本敬
祭 在山岑神 伊和大神子 伊勢都比古命 伊勢都比売命矣
自此以後 家々静安 遂得成里 即号伊勢
伊勢川 因神為名
稲種山 大汝命少日子根命二柱神 在於神前郡〓岡里生野之
岑 望見此山云 彼山者 当置稲種 即遣稲種 積於
此山 々形亦似稲積 故号曰稲種山
邑智里駅家 土中下 品太天皇 巡行之時 到於此処 勅云
吾謂狭地 此乃大内之乎 故号大内
冰山 惟山東有流井 品太天皇 汲其井之水而冰之 故号
冰山
欟折山 品太天皇 狩於此山 以欟弓 射走猪 即折
其弓 故曰欟折山 此山南 有石穴 々中生蒲 故号蒲
阜 至今不亡
広山里旧名握村 土中上 所以名都可者 石竜比売命 立於泉
里波多為社而射之 到此処 箭尽入地 唯出握許 故号
都可村 以後 石川王為総領之時 改為広山里
麻打山 昔 但馬国人伊頭志君麻良比 家居此山 二女 夜
打麻 即麻置於己胸死 故号麻打山 于今 居此辺者
至夜不打麻矣 俗人云 讃伎国
意此川 品太天皇之世 出雲御蔭大神 坐於枚方里神尾山
毎遮行人 半死半生 爾時 伯耆人小保弖 因幡布久漏 出
雲都伎也 三人相憂 申於朝庭 於是 遣額田部連久等々
令祷 于時 作屋形於屋形田 作酒屋於佐々山 而祭之
宴遊甚楽 即擽山柏 挂帯捶腰 下於此川相壓 故号
壓川
枚方里土中上 所以名枚方者 河内国茨田郡枚方里漢人来到
始居此村 故曰枚方里
佐比岡 所以名佐比者 出雲之大神 在於神尾山 此神
出雲国人経過此処者 十人之中 留五人 五人之中 留
三人 故出雲国人等 作佐比 祭於此岡 遂不和受
所以然者 比古神先来 比売神後来 此 男神不能鎮 而
行去之 所以 女神怨怒也 然後 河内国茨田郡枚方里漢人
来至居此山辺 而敬祭之 僅得和鎮 因此神在 名曰神
尾山 又 作佐比祭処 即号佐比岡
佐岡 所以名佐岡者 難波高津宮天皇之世 召筑紫田部
令墾此地之時 常以五月 集聚此岡 飲酒宴遊 故曰
佐岡
大見山 所以名大見者 品太天皇 登此山嶺 望覧四
方 故曰大見 御立之処 有盤石 高三尺許 長三丈許
広二丈許 其石面 往々有窪跡 此名曰御
沓及御杖之処
三前山 此山前有三 故曰三前山
御立阜 品太天皇 登於此阜 覧国 故曰御立岡
大家里旧名大宮里 土中上 品太天皇 巡行之時 営宮此村 故曰
大宮 後 至田中大夫為宰之時 改大宅里
大法山今名勝部岡 品太天皇 於此山宣大法 故曰大法山
今 所以号勝部者 小治田河原天皇之世 遣大倭千代勝部
等 令墾田 即居此山辺 故号勝部岡
上筥岡 下筥岡 魚戸津 朸田 宇治天皇之世 宇治連等遠祖
兄太加奈志 弟太加奈志二人 請大田村与富等地 墾田将
蒔来時 廝人以朸荷食具等物 於是 朸折荷落 所以
奈閉落処 即号魚戸津 前筥落処 即名上筥岡 後筥落処
即曰下筥岡 荷朸落処 即曰朸田
大田里土中上 所以称大田者 昔 呉勝 従韓国度来 始
到於紀伊国名草郡大田村 其後分来 移到於摂津国三島賀
美郡大田村 其又 遷来於揖保郡大田村 是 本紀伊国大
田以為名也
言挙阜 右 所以称言挙阜者 大帯日売命 韓国還上之時
行軍之日 御於此阜 而教令軍中曰 此御軍者 愨懃勿
為言挙 故号曰言挙前
鼓山 昔 額田部連伊勢 与神人腹太文 相闘之時 打鳴
鼓而相闘之 故号曰鼓山々谷生檀
石海里土惟上中 右 所以称石海者 難波長柄豊前天皇之世 是
里中 有百便之野 生百枝之稲 即阿曇連百足 仍取其
稲献之 爾時 天皇勅曰 宜墾此野作田 乃遣阿曇連太
牟 召石海人夫令墾之 故野名曰百便 村号石海也
酒井野 右 所以称酒井者 品太天皇之世 造宮於大宅里
闢井此野 造立酒殿 故号酒井野
宇須伎津 右 所以名宇須伎者 大帯日売命 将平韓国

行之時 御船宿於宇頭川之泊 自此泊度行於伊都之時
忽遭逆風 不得進行 而従船越々御船 御船 猶亦
不得進 乃 追発百姓 令引御船 於是 有一女人
為資上己之真子 而墮於江 故号宇須伎新辞伊須須久
宇頭川 所以称宇頭川者 宇須伎津西方 有絞水之淵
故号宇頭川 即是 大帯日売命 宿御船之泊
伊都村 所以称伊都者 御船水手等云 何時将到於此所
見之乎 故曰伊都
雀島 所以号雀島者 雀多聚於此島 故曰雀島不坐草木
浦上里土上中 右 所以号浦上者 昔 阿曇連百足等 先居
難波浦上 後遷来於此浦上 故因本居為名
御津 息長帯日売命 宿御船之泊 故号御津
室原泊 所以号室者 此泊 防風如室 故因為名
白貝浦 昔 在白貝 故因為名
家島 人民作家而居之 故号家島生竹黒葛等
神島 伊刀島東 所以称神島者 此島西辺 在石神 形
似仏像 故因為名 此神顔 有五色之玉 又 胸有流涙
是亦五色 所以泣者 品太天皇之世 新羅之客来朝 仍見
此神之奇偉 以為非常之珍玉 屠其面色 堀其一瞳
神由泣之 於是 大怒 即起暴風 打破客船 漂没於高
島之南浜 人悉死亡 乃埋其浜 故号曰韓浜 于今 過
其処者 慎心固戒 不言韓人 不拘盲事
韓荷島 韓人破船 所漂之物 漂就於此島 故号韓荷島
高島 高勝於当処島等 故号高島
萩原里土中々 右 所以名萩原者 息長帯日売命 韓国還上之
時 御船宿於此村 一夜之間 生萩一根 高一丈許 仍名
萩原 即闢御井 故云針間井 其処不墾 又 墫水溢成
井 故号韓清水 其水朝
汲 不出朝 爾造酒殿 故云酒田 舟傾乾 故云傾田
春米女等陰 陪従婚断 故云陰絶田 仍萩多栄 故云萩原
也 爾祭神 少足命坐
鈴喫岡 所以号鈴喫者 品太天皇之世 田於此岡 鷹鈴
墮落 求而不得 故号鈴喫岡
少宅里本名漢部里 土下中 所以号漢部者 漢人居之此村 故
以為名 所以後改曰少宅者 川原若狭祖父 娶少宅秦公
之女 即号其家少宅 後 若狭之孫智麻呂 任為里長
由此 庚寅年 為少宅里
細螺川 所以称細螺川者 百姓為田闢溝 細螺多在此溝
後終成川 故曰細螺川
揖保里土中中 所以称粒者 此里 依於粒山 故因山為名
粒丘 所以号粒丘者 天日槍命 従韓国度来 到於宇頭
川底 而乞宿処於葦原志挙乎命曰 汝為国主 欲得吾
所宿之処 志挙 即許海中 爾時 客神 以剣攪海水
而宿之 主神 即畏客神之盛行 而先欲占国 巡上到於
粒丘 而〓之 於此 自口落粒 故号粒丘 其丘小石
皆能似粒 又 以杖刺地 即従杖処 寒泉涌出 遂通南
北 々寒南温生白朮
神山 此山在石神 故号神山生椎 子八月熟
出水里土中々 此村出寒泉 故因泉為名
美奈志川 所以号美奈志川者 伊和大神子 石竜比古命
与妹石竜比売命二神 相競川水 〓神欲流於北方越部
村 妹神欲流於南方泉村 爾時 〓神踰於山岑 而流下
之 妹神見之 以為非理 即以指櫛 塞其流水 而従
岑辺闢溝 流於泉村相格 爾〓神復到泉底之 川流奪而
将流於西方桑原村 於是 妹神遂不許之 而作密樋
流出於泉村之田頭 由此 川水絶而不流 故号无水川
桑原里旧名倉見里 土中上 品太天皇 御立於欟折山
望覧之時 森然所見倉 故名倉見村 今改名為桑原
一云 桑原村主等 盗讃容郡〓見〓将来 其主認来 見於
此村 故曰〓見
琴坂 所以号琴坂者 大帯比古天皇之世 出雲国人 息於
此坂 有一老父 与女子倶 作坂本之田 於是 出雲
人 欲使感其女 乃弾琴令聞 故号琴坂 此処有銅
牙石 形似双六之綵
讃容郡
所以云讃容者 大神妹〓二柱 各競占国之時 妹玉津日女
命 捕臥生鹿 割其腹而 種稲其血 仍 一夜之間生苗
即令取殖 爾 大神勅云 汝妹者 五月夜殖哉 即去他処
故号五月夜郡 神名賛用都比売命 今有讃容町田也 即
鹿放山 号鹿庭山 々四面有十二谷 皆生鉄也 難波豊
前於朝庭始進也 見顕人別部犬 其孫等 奉発之初
讃容里 事与郡同 土上中
吉川本名玉落川 大神之玉 落於此川 故曰玉落 今 云吉川
者 稲狭部大吉川 居於此村 故曰吉川其山生黄蓮
〓見 佐用都比売命 於此山得金〓 故曰山名金肆 川
名〓見
伊師 即是 〓見之河上 川底如床 故曰伊師其山生精鹿升麻
速湍里土上中 依川湍速 々湍社坐神 広比売命 散用都比売
命弟
凍野 広比売命 占此土之時 凍冰 故曰凍野凍谷
邑宝里土中上 弥麻都比古命 治井〓糧 即云 吾占多国
故曰大村 治井処 号御井村
鍬柄川 神日子命之鍬柄 令採此山 故其山之川 号曰鍬
柄川
室原山 屏風如室 故曰室原山生人参独活藍漆升麻
白朮石灰
久都野 弥麻都比古命 告云 此山 踰者可崩 故曰久都野
後改而云宇努 其辺為山 中央為野
柏原里 由柏多生 号為柏原
筌戸 大神 従出雲国来時 以島村岡 為呉床坐而 筌
置於此川 故号筌戸也 不入魚而入鹿 此取作鱠 食
不入口 而落於地 故去此処遷他
中川里土上下 所以名仲川者 苫編首等遠祖 大仲子 息長帯
日売命 度行於韓国之時 船宿淡路石屋之 爾時 風雨大
起 百姓悉濡 于時 大中子 以苫作屋 天皇勅云 此為
国富 即 賜姓為苫編首 仍居此処 故号仲川里
昔 近江天皇之世 有丸部具也 是仲川里人也 此人 買
取河内国兎寸村人之齎剣也 得剣以後 挙家滅亡 然後
苫編部犬猪 圃彼地之墟 土中得此剣
土与相去 廻一尺許 其柄朽失 而其刃不渋 光如明鏡 於
是 犬猪 即懐恠心 取剣帰家 仍招鍛人 令焼其
刃 爾時 此剣 屈申如蛇 鍛人大驚 不營而止 於是
犬猪 以為異剣 献之朝庭 後 浄御原朝廷 甲申年七月
遣曽祢連麿 返送本処 于今安置此里御宅
船引山 近江天皇之世 道守臣 為此国之宰 造官船於此
山 令引下 故曰船引 此山住鵲 一云韓国烏 栖枯
木之穴 春時見 夏不見生人参細辛 此山之辺 有李五根 至
于仲冬 其実不落
弥加都岐原 難波高津宮天皇之世 伯耆加具漏 因幡邑由胡二
人 大驕无節 以清酒洗手足 於是 朝庭 以為過度
遣狭井連佐夜 召此二人 爾時 佐夜 仍悉禁二人之族
赴参之時 屡漬水中 酷拷之 中有女二人 玉纏手足
於是 佐夜恠問之 答曰 吾此 服部弥蘇連 娶因幡国造阿
良佐加比売生子 宇奈比売 久波比売
爾時 佐夜驚云 此是 執政大臣之女 即還送之 所送之処
即号見置山 所溺之処 即号美加都岐原
雲濃里土上中 大神之子 玉足日子玉足比売命生子 大石命 此
子 称於父心 故曰有怒
塩沼村 此村出海水 故曰塩沼村
宍禾郡
所以名宍禾者 伊和大神 国作堅了以後 堺山川谷尾
巡行之時 大鹿出己舌 遇於矢田村 爾勅云 矢彼舌在者
故号宍禾郡 村名号矢田村
比治里土中上 所以名比治者 難波長柄豊前天皇之世 分揖
保郡 作宍禾郡之時 山部比治 任為里長 依此人名
故曰比治里
宇波良村 葦原志許乎命 占国之時 勅云 此地小狭
如室戸 故曰表戸
比良美村 大神之褶 落於此村 故曰褶村 今人云比良
美村
川音村 天日槍命 宿於此村 勅云 川音甚高 故曰川音

庭音村本名庭酒 大神御糧 沾而生〓 即令醸酒 以献庭酒
而宴之 故曰庭酒村 今人云庭音村
奪谷 葦原志許乎命 与天日槍命二神 相奪此谷 故曰
奪谷 以其相奪之由 形如曲葛
稲春岑 大神 令春於此岑 故曰稲春前生味栗 其粳飛到之
処 即号粳前
高家里土下中 所以名曰高家者 天日槍命 告云 此村高勝於
他村 故曰高家
都太川 衆人 不能得称
塩村 処々出鹹水 故曰塩村 牛馬等 嗜而飲之
柏野里土中上 所以名柏野者 柏生此野 故曰柏野
伊奈加川 葦原志許乎命 与天日槍命 占国之時 有〓
馬 遇於此川 故曰伊奈加川
土間村 神衣附土上 故曰土間
敷草村 敷草為神座 故曰敷草 此村有山 南方去十里
許 有沢 二町許 此沢生菅 作笠最好生柁杉栗黄蓮黒葛等生鉄 住狼羆
飯戸阜 占国之神 炊於此処 故曰飯戸阜 々形亦似桧
箕竃等
安師里本名酒加里 土中上 大神 〓於此処 故曰須加 後号山
守里 所以然者 山部三馬 任為里長 故曰山守 今
改名為安師者 因安師川為名 其川者 因安師比売神
為名 伊和大神 将娶誂之 爾時 此神固辞不聴 於是
大神大瞋 以石塞川源 流下於三形之方 故此川少水
此村之山 生柁杉黒葛等 住狼羆
石作里本名伊和 土下中 所以名石作者 石作首等 居於此村
故庚午年 為石作里
阿和賀山 伊和大神之妹 阿和加比売命 在於此山 故曰
阿和加山
伊加麻川 大神占国之時 烏賊在於此川 故曰烏賊間川
雲箇里土下々 大神之妻 許乃波奈佐久夜比売命 其形美麗 故
曰宇留加
波加村 占国之時 天日槍命 先到此処 伊和大神後到 於
是 大神大恠之云 非度先到之乎 故曰波加村 到此処
者 不洗手足必雨其山生柁杉檀黒葛山薑等 住狼熊
御方里土下上 所以号御形者 葦原志許乎命 与天日槍命
到於黒土志爾嵩 各以黒葛三条 着足投之 爾時 葦原
志許乎命之黒葛 一条落但馬気多郡 一条落夜夫郡 一条
落此村 故曰三条 天日槍命之黒葛 皆落於但馬国 故
占但馬伊都志地 而在之 一云 大神為形見 植御杖於
此村 故曰御形
大内川 小内川 金内川 大者称大内 小者称小内 生鉄
者称金内 其山 生柁杉黒葛等 住狼熊
伊和村本名神酒 大神 醸酒此村 故曰神酒村 又云於和村
大神 国作訖以後云 於和 等於我美岐
神前郡
右 所以号神前者 伊和大神之子 建石敷命 〓山埼村〓在
於神前山 乃 因神在為名 故曰神前郡
〓岡里生野大川内湯川粟鹿川内波自加村 土下々 所以号〓岡者 昔 大汝命
与小比古尼命 相争云 担〓荷而遠行 与不下屎而遠
行 此二事 何能為乎 大汝命曰 我不下屎欲行 小比古尼
命曰 我持〓荷欲行 如是 相争而行之 逕数日 大汝
命云 我不能忍行 即坐而下屎之 爾時 小比古尼命咲曰
然苦 亦 擲其〓於此岡 故号〓岡 又 下屎之時 小
竹 弾上其屎 行於衣 故号波自賀村 其〓与屎 成
石 于今不亡 一家云 品太天皇 巡行之時 造宮於此岡
勅云 此土為〓耳 故曰〓岡
所以号生野者 昔 此処在荒神 半殺往来之人 由此
号死野 以後 品太天皇 勅云 此為悪名 改為生野
所以号粟鹿川内者 彼川 自但馬阿相郡粟鹿山流来 故
曰粟鹿川内生楡
大川内 因大川為名生檜杉 又有異俗人三十許口
湯川 昔 湯出此川 故曰湯川生檜杉黒葛 又在異俗人三十許口
川辺里勢賀川〓川山 土中下 此村 居於川辺 故号川辺里
所以云勢賀者 品太天皇 狩於此川内 猪鹿多約出於此

殺 故曰勢賀 至于星出狩殺 故山名星肆
所以云〓川山者 彼山出〓 故曰〓川山
高岡里神前山奈具佐山 土中々 右 云高岡者 此里有高岡 故号
高岡
神前山与上同
奈具佐山生檜 不知其由
多駝里邑曰野八千軍野粳岡 土中下 所以号多駝者 品太天皇 巡行之
時 大御伴人 佐伯部等始祖 阿我乃古 申欲請此土 爾
時 天皇勅云 直請哉 故曰多駝
所以云邑曰野者 阿遅須伎高日古尼命神 在於新次社
造神宮於此野之時 意保和知苅廻為院 故名邑曰野
粳岡者 伊和大神 与天日桙命二神 各発軍相戦 爾時
大神之軍 集而舂稲之 其粳聚為丘 又 其簸置粳 云墓
又云城牟礼山 一云 掘城処者 品太天皇御
俗 参度来百済人等 随有俗 造城居之 其孫等 川辺里
三家人 夜代等
所以云八千軍者 天日桙命 軍在八千 故曰八千軍野
蔭山里蔭岡胄岡 土中下 云蔭山者 品太天皇御蔭 堕於此山
故曰蔭山 又号蔭岡 爾 除道刃鈍 仍勅云 磨布理許
故云磨布理村
云胄岡者 伊与都比古神 与宇知賀久牟豊富命 相闘之時
胄堕此岡 故曰胄岡
的部里石坐神山高野社 土中々 右 的部等 居於此村 故曰的部

云石坐神山者 此山戴石 又 在豊穂命神 故曰石坐神

云高野社者 此野高於他野 又 在玉依比売命 故曰高
野社生槐社
託賀郡
右 所以名託加者 昔 在大人 常勾行也 自南海
到北海 自東巡行之時 到来此土云 他土卑者 常勾伏
而行之 此土高者 申而行之 高哉 故而託賀郡 其踰跡処
数々成沼
賀眉里大海山荒田村 土下上 右 由居川上為名
所以号大海者 昔 明石郡大海里人 到来居於此山底 故
曰大海山生松
所以号荒田者 此処在神 名道主日女命 无父而生児
為之醸盟酒 作田七町 七日七夜之間 稲成熟竟 乃
醸酒集諸神 遣其子捧酒 而令養之 於是 其子 向
天目一命而奉之 乃知其父 後荒其田 故号荒田村
黒田里袁布山支閉岡大羅野 土下上 右 以土黒為名
云袁布山者 昔 宗形大神 奥津島比売命 任伊和大神之
子 到来此山云 我可産之時訖 故曰袁布山
云支閉丘者 宗形大神云 我可産之月尽 故曰支閉丘
云大羅野者 昔 老父与老女 張羅於袁布山中 以捕
禽鳥 衆鳥多来 負羅飛去 落於件野 故曰大羅野
都麻里都多支比也山比也野鈴堀山伊夜丘阿富山高瀬目前和爾布多岐阿多加野 土下上 所以号都麻者 播
磨刀売 与丹波刀売 堺国之時 播磨刀売 到於此村
汲井水而〓之 云此水有味 故曰都麻
云都太岐者 昔 讃伎日子神 誂冰上刀売 爾時 冰上刀
売 答曰否 日子神 猶強而誂之 於是 冰上刀売 怒云
何故強吾 即雇建石命 以兵相闘 於是 讃伎日子 負而
還去云 我甚怯哉 故曰都太岐
云比也山者 品太天皇 狩於此山 一鹿立於前 鳴声比
々 天皇聞之 即止翼人 故山者号比也山 野者号比也

鈴堀山者 品太天皇 巡行之時 鈴落於此山 雖求不得
乃 堀土而求之 故曰鈴堀山
伊夜丘者 品太天皇〓犬名麻奈志漏 与猪走上此岡 天皇 見之
云射乎 故曰伊夜岡 此犬与猪相闘死 即作墓葬 故此
岡西有犬墓
阿富山者 以朸荷宍 故号阿富
云高瀬村者 因高川瀬為名
目前田者 天皇〓犬 為猪所打害目 故曰目割
阿多加野者 品太天皇 狩於此野 一猪負矢 為阿多岐
故曰阿多賀野
法太里甕坂花波山 土下上 所以号法太者 讃伎日子 与建石命
相闘之時 讃伎日子 負而逃去 以手〓去 故曰〓田
甕坂者 讃伎日子 逃去之時 建石命 逐此坂云 自今以
後 更不得入此界 即御冠置此坂 一家云 昔 丹波与
播磨 堺国之時 大甕堀埋於此上 以為国境 故曰甕坂
花波山者 近江国花波之神 在於此山 故因為名
賀毛郡
所以号賀毛者 品太天皇之世 於鴨村 双鴨作栖生卵
故曰賀毛郡
上鴨里土中上 下鴨里土中中 右二里 所以号鴨里者 已詳於上
但 後分為二里 故曰上鴨下鴨 品太天皇 巡行之時 此
鴨発飛 居於修布井樹 此時 天皇問云 何鳥哉 侍従当麻
品遅部君前玉 答曰 住於川鴨 勅令射時 発一矢 中
二鳥 即負矢 従山岑 飛越之処者 号鴨坂 落斃之処
者 仍号鴨谷 煮羹之処者 号煮坂
下鴨里 有碓居谷箕谷酒屋谷 昔 大汝命 造碓稲舂之処
者 号碓居谷 箕置之処者 号箕谷 造酒屋之処者 号
酒屋谷
修布里土中々 所以号修布者 此村在井 一女 汲水
即被吸暖 故袁号修布
鹿咋山 右 所以号鹿咋者 品太天皇 狩行之時 白鹿咋
己舌 遇於此山 故袁鹿咋山
品遅部村 右 号然者 品太天皇之世 品遅部等遠祖前玉
所賜此地 故号品遅部村
三重里土中々 所以云三重者 昔在一女 抜筍以布裹食
三重居 不能起立 故袁三重
楢原里土中々 所以号楢原者 柞生此村 故袁柞原
伎須美野 右 号伎須美野者 品太天皇之世 大伴連等
請此処之時 喚国造黒田別 而問地状 爾時 対袁 縫
衣如蔵櫃底 故袁伎須美野
飯盛嵩 右 号然者 大汝命之御飯 盛於此嵩 故袁飯盛 嵩
粳岡 右 号粳岡者 大汝命 令舂稲於下鴨村 地粳飛
到於此岡 故袁粳岡
有玉野村 所以者 意奚袁奚二皇子等 坐於美嚢郡志深里高
野宮 遣山部小楯 誂国造許麻之女 根日女命 於是
根日女 已依命訖 爾時 二皇子 相辞不娶 至于日間
根日女 老長逝 于時 皇子等大哀 即遣小立 耶云 朝
日夕日 不隠之地 造墓蔵其骨 以玉飾墓 故縁此墓
号玉丘 其村号玉野
起勢里土下中臭江黒川 右 号起勢者 巨勢部等 居於此村 仍為
里名
臭江 右 号臭江者 品太天皇之世 播磨国之田村君 在
百八十村君 而己村別 相闘之時 天皇耶 追娶於此村
悉皆斬死 故袁臭江 其血黒流 故号黒流 故号黒川
山田里土中下 猪飼野 右 号山田者 人居山際 遂由為里

猪養野 右 号猪飼者 難波高津宮御宇天皇之世 日向肥人
朝戸君 天照大神坐舟於 猪持参来進之 可飼所 求申仰 仍
所賜此処 而放飼猪 故袁猪飼野
端鹿里土下上 右 号端鹿者 昔 神於諸村班菓子 至此
村不足 故仍云間有哉 故号端鹿今在其神 此村 至于有今
山木無菓子生真木柁杉
穂積里本名塩野小目野 土下上 所以号塩野者 鹹水出於此村 故
袁塩野 今 号穂積者 穂積臣等族 居於此村 故号穂

小目野 右 号小目野者 品太天皇 巡行之時 宿於此野
仍 望覧四方 耶云 彼観者 海哉河哉 従臣対袁 此霧也
爾時 宣云 大体雖見 無小目哉 故袁号小目野 又
因此野詠歌
宇都久志伎 侯米乃佐々波爾
阿良礼布理 志毛布留等毛
奈加礼曽祢 袁米乃佐々波
於是 従臣開井 故云佐々御井
雲潤里土中々 右 号雲潤者 丹津日子神 法太之川底 欲越
雲潤之方 云爾之時 在於彼村太水神 辞云 吾以宍血
佃 故不欲河水 爾時 丹津日子云 此神 倦堀河事
云爾而已 故号雲彌 今人号雲潤
河内里土中下 右 由川為名
此里之田 不敷草 下苗子 所以然者 住吉大神 上坐
之時 食於此村 爾 従神等 人苅置草 解散為坐 爾時
草主大患 訴於大神 判云 汝田苗者 必雖不敷草 如
敷草生 故其村田 于今 不敷草 作苗代
川合里土中上 腹辟沼 右 号川合者 端鹿川底 与鴨川
会此村 故号川合里
腹辟沼 右 号腹辟者 花浪神之妻 淡海神 為追己夫
到於此処 遂怨瞋 妾以刀辟腹 暖於此沼 故
号腹辟沼 其沼鮒等 今无五蔵
美嚢郡
所以号美嚢者 昔 大兄伊射報和気命 堺国之時 到志
深里許曽社 耶云 此土 水流甚美哉 故号美嚢郡
志深里土中々 所以号志深者 伊射報和気命 御食於此井之
時 信深貝 遊上於御飯筥縁 爾時 耶云 此貝者 於阿
波国和那散 我所食之貝哉 故号志深里
於奚袁奚天皇等 所以坐於此土者 汝父市辺天皇命 所殺
於近江国摧綿野之時 率〓部連意美而逃来 隠於惟村石室
然後 意美自知重罪 乗馬等 切断其靭 逐放之 亦 持
物〓等 尽焼廃之 即経死之 爾 二人子等 隠於彼此 迷
於東西 仍 志深村首 伊等尾之家所役也 因伊等尾新室
之宴 而二子等令燭 仍
令挙詠辞 爾 兄弟各相譲 乃弟立詠 其辞袁
多良知志 吉備鉄 狭鍬持
如田打 手柏子等
吾将為舞
又詠 其辞袁
淡海者 水渟国
倭者 青垣
青垣 山投坐
市辺之天皇 御足末 奴僕良麻 者
即諸人等 皆畏走出 爾 針間国之山門領 所遣山部連少楯
相聞相見 語云 為此子 汝母手白髪命 画者不食 夜者
不寝 有生有死 泣恋子等 仍参上 啓如右件 即歓哀泣
還遣少楯召上 仍相見相語恋 自此以後 更還下 造宮於
此土 而坐之 故有高野
宮少野宮川村宮池野宮 又 造屯倉之処 即号御宅村 造
倉之処 号御倉尾
高野里 坐於祝田社神 玉帯志比古大稲男 玉帯志比売豊稲

志深里 坐三坂神 八戸挂須御諸命 大物主葦原志許 国堅
以後 自天下於三坂岑
吉川里 所以号吉川者 吉川大刀自神 在於此 故云吉
川里
枚野里 因体為名
高野里 因体為名
風土記 豊後国
郡捌所郷四十里一百一十 駅玖所並小路 烽伍所並下国 寺弐所僧寺尼寺
豊後国者 本 与豊前国 合為一国 昔者 纏向日代宮御
宇大足彦天皇 詔豊国直等祖兎名手 遣治豊国 往到豊
前国仲津郡中臣村 于時 日晩僑宿 明日昧爽 忽有白鳥
従北飛来 翔集此村 兎名手 即靭僕者 遣看其鳥
々化為餅 片時之間 更化芋草数千許株 花葉冬栄 兎名
手 見之為異 歓喜云 化生之芋 未曽有見 実 至徳之
感 乾坤之瑞 既而参上朝庭 挙状奏聞 天皇 於茲 歓
喜之有 即耶兎名手云 天之瑞物 地之豊草 汝之治国 可
謂豊国 重賜姓 袁豊国直 因袁豊国 後分両国
以豊後国為名
日田郡 郷伍所里一十四 駅壱所
昔者 纏向日代宮御宇大足彦天皇 征伐球磨贈於 凱旋之時
発筑後国生葉行宮 幸於此郡 有神名袁久津媛 化而
為人参迎 弁増国消息 因斯袁久津媛之郡 今謂日田
郡者 訛也
石井郷在郡南
昔者 此村有土蜘蛛之堡 不用石 築以土 因斯名袁
無石堡 後人謂石井郷 誤也
郷中有河 名袁阿蘇川 其源出肥後国阿蘇郡少国之峯
流到此郷 即通球珠川 会為一川 名袁日田川 年魚
多在 遂過筑前筑後等国 入於西海
鏡坂在郡西
昔者 纏向日代宮御宇天皇 登此坂上 御覧国形 即勅袁
此国地形 似鏡面哉 因袁鏡坂 斯其縁也
靭編郷在郡東南
昔者 磯城島宮御宇天国排開広庭天皇之世 〓部君等祖 邑阿
自 仕奉靭部 其邑阿自 就於此村
造宅居之 因斯名曰靭負村 後人改袁靭編郷
々中有川 名袁球珠川 其源従球珠郡東南山出 流到石
井郷 通阿蘇川 会為一川 今謂日田川 是也
五馬山在郡南
昔者 此山有土蜘蛛 名袁五馬媛 因袁五馬山 飛鳥浄
御原宮御宇天皇御世 戊寅年 大有地震 山崗裂崩 此山一
峡崩落 慍湯泉 処々而出 湯気熾熱 炊飯早熟 但一処之
湯 其穴似井 口径丈余 無知深浅 水色如紺 常不流
聞人之声 驚慍騰〓 一丈余許 今謂慍湯 是也
球珠郡 郷参所里九 駅壱所
昔者 此村有洪樟樹 因袁球珠郡
直入郡 郷津所里一十 駅壱所
昔者 郡東桑木村 有桑生之 其高極陵 枝幹直美
俗曰直桑村 後人改曰直入郡 是也
柏原郷在郡南
昔者 此郷柏樹多生 因曰柏原郷
祢疑野在柏原郷之南
昔者 纏向日代宮御宇天皇 行幸之時 此野有土蜘蛛 名
曰打猿八田国摩侶等三人 天皇 親欲伐此賊 在茲野
勅歴労兵衆 因謂祢疑野 是也
蹶石野在柏原郷之中
同天皇 欲伐土蜘蛛之賊 幸於柏峡大野 々中有石 長
六尺 広三尺 厚一尺五寸 天皇 祈曰 朕 将滅此賊
当蹶茲石 譬如柏葉而騰 即蹶之 騰如柏葉 因曰
蹶石野
球覃郷在郡北
此村有泉 同天皇 行幸之時 奉膳之人 擬於御飲 令汲
泉水 即有蛇〓謂於箇美 於茲 天皇勅云 必将有臭 莫令
汲用 因斯名曰臭泉 因為村名 今謂球覃郷者 訛也
宮処野朽網郷所在之野
同天皇 為征伐土蜘蛛之時 起行宮於此野 是以 名曰
宮処野
救覃峯在郡北
此峯頂 火恆燎之 基有数川 名曰神河 亦有二湯河
流会神河
大野郡 郷肆所里一十一 駅弐所 烽壱所
此郡所部 悉皆原野 因斯名曰大野郡
海石榴市 血田並在郡南
昔者 纏向日代宮御宇天皇 在球覃行宮 仍欲誅鼠石窟土
蜘蛛 而詔群臣 伐採海石榴樹 作椎為兵 即簡猛卒
授兵椎以 穿山靡草 襲土蜘蛛 而悉誅殺 流血没踝
其作椎之処 曰海石榴市 亦流血之処 曰血田也
網磯野在郡西南
同天皇 行幸之時 此間有土蜘蛛 名曰小竹鹿奥謂志努汗意枳 小
竹鹿臣 此土蜘蛛二人 擬為御膳 作田〓 其〓人声甚〓
天皇勅云 大〓謂阿那美須 因斯曰大〓野 今謂網磯野者
訛也
海部郡 郷肆所里一十二 駅壱所 烽弐所
此郡百姓 並海辺白水郎也 因曰海部郡
丹生郷在郡西
昔時之人 取此山沙 該朱沙 因曰丹生郷
佐尉郷在郡東
此郷旧名酒井 今謂佐尉郷者 訛也
穂門郷在郡南
昔者 纏向日代宮御宇天皇 御船泊於此門 海底多生海藻
而長美 即勅曰 取最勝海藻謂保都米 便令以進御 因曰最勝
海藻門 今謂穂門者 訛也
大分郡 郷玖所里二十五 駅壱所 烽壱所 寺弐所一僧寺一尼寺
昔者 纏向日代宮御宇天皇 従豊前国京都行宮 幸於此郡
遊覧地形嘆曰 広大哉 此郡也 宜名碩田国碩田謂大分 今謂
大分 斯其縁也
大分河在郡南
此河之源 出直入郡朽網之峯 指東下流 経過此郡 遂
入東海 因曰大分川 年魚多在
酒水在郡西
此水之源 出郡西柏野之磐中 指南下流 其色如水 味小
酸焉 用療痂癬謂胖太気
速見郡 郷伍所里一十三 駅弐所 烽壱所
昔者 纏向日代宮御宇天皇 欲誅球磨贈於 幸於筑紫 従
周防国佐婆津 発船而渡 泊於海部郡宮浦 時 於此村有
女人 名曰速津媛 為其処之長 即聞天皇行幸 親自奉
迎 奏言 此山有大磐窟 名曰鼠磐窟 土蜘蛛二人住之
其名曰青白 又 於直入郡祢疑野 有土蜘蛛三人 其名
曰打猿八田国摩侶 是五人 並為人強暴 衆類亦多在 悉皆
謡云 不従皇命 若強喚者 興兵矩焉 於茲 天皇遣兵
遮其要害 悉誅滅 因斯名曰速津
媛国 後人改曰速見郡
赤湯泉在郡西北
此湯泉之穴 在郡西北竈門山 其周十五許丈 湯色赤而有
〓 用足塗屋柱 〓流出外 変為清水 指東下流 因
曰赤湯泉
玖倍理湯井在郡西
此湯井 在郡西河直山東岸 口径丈余 湯色黒 〓常不流
人艮到井辺 発声大言 驚鳴涌騰 二丈余許 其気熾熱
不可向昵 縁辺草木 悉皆枯萎 因曰慍湯井 俗語曰玖
倍理湯井
柚富郷在郡西
此郷之中 〓樹多生 常取〓皮 以造木綿 因曰柚富郷
柚富峯在柚富郷東北
此峯頂有石室 其深一十余丈 高八丈四尺 広三丈余 常
有氷凝 経夏不解 凡柚富郷 近於此峯 因以為峯名
頚峯在柚富峯西南
此峯下 有水田 本名宅田 此田苗子 鹿恆喫之 田主 造
柵伺待 鹿到来 挙己頚 容柵間 即喫苗子 田主捕
獲 将斬其頚 于時 鹿請云 我今立盟 免我死罪 若
垂大恩 得更在者 告我子孫 勿喫苗子 田主 於茲
大懐恠異 放免不斬 自時以来 此田苗子 不被鹿喫
令獲其実 因曰頚田 兼為峯名
田野在郡西南
此野広大 土地沃腴 開墾之便 無比此土 昔者 郡内百
姓 居此野 多開水田 余糧宿畝 大奢已富 作餅為
的 于時 餅化白鳥 発而南飛 当年之間 百姓死絶 水
田不造 遂以荒廃 自時以降 不宜水田 今謂田野
斯其縁也
国埼郡 郷陸所里一十六
昔者 纏向日代宮御宇天皇 御船 従周防国佐婆津 発而
度之 遥覧此国 勅曰 彼所見者 若国之埼 因曰国埼郡
伊美郷在郡北
同天皇 在此村 勅曰 此国 道路遥遠 山谷阻深 往還疎
稀 乃得見国 因曰国見村 今謂伊美郷 其訛也
〓底本奥書〓
写本云
永仁五年弐月十四日書写了
同十九日一交了
〓天本奥書〓
写本云
永仁五年弐月十四日書写畢
同十九日一校了
文禄四乙未年臘月三日書写校合等了 梵
承応三年甲午歳暮春十三日書写之畢
肥前国
郡壱拾壱所郷七十 里一百八十七 駅壱拾捌所小路 烽弐拾所下国 城壱所 寺
弐所僧寺
肥前国者 本 与肥後国 合為一国 昔者 磯城瑞籬宮御
宇御間城天皇之世 肥後国益城郡朝来名峯 有土蜘蛛打猴頚
猴二人 帥徒衆一百八十余人 拒捍皇命 不肯降服
朝庭 勅遣肥君等祖健緒組伐之 於茲 健緒組 奉勅 悉
誅滅之 兼巡国裏 観察消息 到於八代郡白髪山 日晩
止宿 其夜 虚空有火 自然而燎 稍々降下 就此山燎之
時 健緒組 見而驚恠 参上朝庭 奏言 巨辱被聖命 遠
誅西戎 不霑刀刃 梟鏡自滅 自非威霊 何得然之
更 挙燎火之状 奏聞 天皇勅曰 所奏之事 未曽所聞
火下之国 可謂火国 即 挙健緒組之勲 賜姓名 曰
火君健緒純 便遣治此国 因曰火国 後分両国
而為前後
又 纏向日代宮御宇大足彦天皇 誅球磨贈於而 巡狩筑紫
国之時 従葦北火流浦発船 幸於火国 度海之間 日没
夜冥 不知所著 忽有火光 遥視行前 天皇勅棹人
曰 直指火処 応勅而往 果得著崖 天皇下詔曰 火燎
之処 此号何界 所燎之火 亦為何火 土人奏言 此是
火国八代郡火邑也 但不知火主 于時 天皇詔群臣曰
今此燎火 非是人火 所以号火国 知其爾由
基肄郡 郷陸所里一十七 駅壱所小路 城壱所
昔者 纏向日代宮御宇天皇 巡狩之時 御筑紫国御井郡高羅
之行宮 遊覧国内 霧覆基肄之山 天皇勅曰 彼国 可
謂霧之国 後人改号基肄国 今以為郡名
長岡神社在郡東
同天皇 自高羅行宮還幸而 在酒殿泉之辺 於茲 薦膳
之時 御具甲鎧 光明異常 仍令占問 卜部殖坂 奏云 此
地有神 甚願御鎧 天皇宣 実有然者 奉納神社 可
為永世之財 因号永世社 後人改曰長岡社 其鎧貫緒
悉爛絶 但胄并甲板 今猶在也
酒殿泉在郡東
此泉之 季秋九月 始変白色 味酸気臭 不能喫飲 孟春
正月 反而清冷 人始飲喫 因曰酒井泉 後人改曰酒殿泉
姫社郷
此郷之中有川 名曰山道川 其源出郡北山 南流而会御
井大川 昔者 此川之西 有荒神 行路之人 多被殺害
半凌半殺 于時 卜求崇由 兆云 令筑前国宗像郡人 珂
是古 祭吾社 若合願者 不起荒心 覓珂是古 令祭
神社 珂是古 即捧幡祈祷云 誠有欲吾祀者 此幡順風
飛往 堕願吾之神辺 便即挙幡
順風放遣 于時 其幡飛往 堕於御原郡姫社之社 更還飛
来 落此山道川辺之因此 珂是古 自知神之在処 其夜
夢見 臥機謂久都毘枳絡〓謂多々利舞遊出来 壓驚珂是古 於是
亦識女神 即立社祭之 自爾已来 行路之人 不被殺害
因曰姫社 今以為郷名
養父郡 郷肆所里一十二 烽壱所
昔者 纏向日代宮御宇天皇 巡狩之時 此郡佰姓 挙部参集
御狗出而哭之 於此 有一産婦 臨見御狗 即哭止 因
曰犬声止国 今訛謂養父郡也
鳥樔郷在郡東
昔者 軽島明宮御宇誉田天皇之世 造鳥屋於此郷 取聚雑
鳥養馴 貢上朝庭 因曰鳥屋郷 後人改曰鳥樔郷
曰理郷在郡南
昔者 筑後国御井川 渡瀬甚広 人畜難渡 於茲 纏向日代
宮御宇天皇 巡狩之時 就生葉山 為船山 就高羅山
為梶山 造備船 漕渡人物
因曰曰理郷
狭山郷在郡南
同天皇 行幸之時 在此山行宮 俳徊四望 四方分明 因曰
分明村分明謂佐夜気悉 今訛謂狭山郷
三根郡 郷陸所里一十七 駅壱所小路
昔者 此郡与神埼郡 合為一郡 然海部直鳥 請分三根郡
即縁神埼郡三根村之名 以為郡名
物部郷在郡南
此郷之中 有神社 名曰物部経津主之神 曩者 小墾田宮
御宇豊御食炊屋姫天皇 令来目天子為将軍 遣征伐新羅
于時 皇子奉勅 到於筑紫 乃遣物部若宮部 立社此
村 鎮祭其神 因曰物部郷
漢部郷在郡北
昔者 来目皇子 為征伐新羅 勒忍海漢人 将来居此村
令造兵器 因曰漢部郷
米多郷在郡南
此郷之中有井 名曰米多井 水味鹹
曩者 海藻生於此井之底 纏向日代宮御宇天皇 巡狩之時
御覧井底之海藻 即勅賜名 曰海藻生井 今訛謂米多井
以為郷名
神埼郡 郷玖所里二十六 駅壱所 烽壱所 寺壱所僧寺
昔者 此郡有荒神 往来之人 多被殺害 纏向日代宮御宇天
皇 巡狩之時 此神和平 自爾以来 無更有殃 因曰神埼郡
三根郷在郡西
此郷有川 其源出郡北山 南流入海 有年魚 同天皇
行幸之時 御船 従其川湖来 御宿此村 天皇勅曰 夜裏
御寐 甚有安穏 此村可謂天皇御寐安村 因名御寐 今
改寐字為根
船帆郷有郡西
同天皇 巡行之時 諸氏人等 挙落乗船 挙帆参集於三根
川之津 供奉天皇 因曰船帆郷 又 御船沈石四顆 存
其津辺 此中一顆高六尺径五尺 一顆高八尺径五尺 無子婦女 就此二石恭
祷祈者 必得任産 一顆高四尺径五尺 一顆高三尺径四尺 亢旱之時 就此
二石 〓并祈者 必為雨落
蒲田郷在郡西
同天皇 行幸之時 御宿此郷 薦御膳之時 蝿甚多鳴 其
声大〓 天皇勅云 蝿声甚〓 因曰〓郷 今謂蒲田郷 訛

琴木岡高二丈 周五十丈在郡南
此地平原 元来無岡 大足彦天皇 勅曰 此地之形 必可有
岡 即令群下 起造此岡 造畢之時 登岡宴賞 興闌之
後 竪其御琴 々化為樟高五丈周三丈 因曰琴木岡
宮処郷在郡西南
同天皇 行幸之時 於此村 奉造行宮 因曰宮処郷
佐嘉郡 郷陸所里一十九 駅壱所 寺壱所
昔者 樟樹一株 生於此村 幹枝秀高 茎葉繁茂 朝日之影
蔽杵島郡蒲川山 暮日之影 蔽養父郡草横山也 日本武
尊 巡幸之時 御覧樟茂栄 勅曰 此国可謂栄国 因曰
栄郡 後改号佐嘉郡 一云 郡西有川 名曰佐嘉川 年
魚有之 其源出郡北山 南流入海 此川上有荒神 往来
之人 生半殺半 於茲 県主等祖大荒田占問 于時 有土
蜘蛛大山田女狭山田女 二女子云 取下田村之土 作人形
馬形 祭祀此神 必有応和 大荒田 即随其辞祭此神
々〓此祭 遂応和之 於茲 大荒田云 此婦 如是 実賢
女 故以賢女 欲為国名 因曰賢女郡 今謂佐嘉郡 訛也
又 此川上有石神 名曰世田姫 海神年常謂鰐魚 逆流潜上
到此神所 海底小魚 多相従之 或人 畏其魚者無殃
或人 捕食者有死 凡此魚等 住二三日 還而入海
小城郡 郷漆所里二十 駅壱所 烽壱所
昔者 此村有土蜘蛛 造堡隠之 不従皇命 日本武尊
巡幸之日 皆悉誅之 因号小城郡
松浦郡 郷壱拾壱所里二十六 駅伍所 烽捌所
昔者 気長足姫尊 欲征伐新羅 行於此郡 而進食於玉
島小河之側 於茲 皇后 勾針為鈎 飯粒為餌 裳糸為
緡 登河中之石 捧鈎祝曰 朕 欲征伐新羅 求彼財
宝 其事成功凱旋者 細鱗之魚 呑朕鈎緡 既而投鈎
片時 果得其魚 皇后曰 甚希見物希見謂梅豆羅志 因曰希見国
今訛謂松浦郡 所以 此国婦女 孟夏四月 常以針釣之年
魚 男夫雖釣 不能獲之
鏡渡在郡北
昔者 檜隈盧入野宮御宇武少広国押楯天皇之世 遣大伴狭手
彦連 鎮任那之国 兼救百済之国 奉命到来 至於此
村 即娉篠原村篠謂志弩弟日姫子成婚〓部君等祖也 容貌美麗 特絶
人間 分別之日 取鏡与婦 々含悲啼 渡栗川 所与
之鏡 緒絶沈川 因名鏡渡
褶振峯在郡東 烽処名曰褶振烽
大伴狭手彦連 発船渡任那之時 弟日姫子登此 用褶振招
因名褶振峯 然弟日姫子 与狭手彦連相分 経五日之後
有人毎夜来 与婦共寝 至暁早帰 容止形貌 似狭手彦
婦抱其恠 不得忍黙 窃用続麻 繋其人襴 随麻尋
往 到此峯頭之沼辺 有寝蛇 身人而沈沼底 頭蛇而
臥沼脣 忽化為人 即語云
志怒波羅能 意登比売能古素 佐比登由母 為祢弖牟志太夜
伊幣爾久太佐牟也
于時 弟日姫子之従女 走告親族 々々発衆 昇而看之
蛇并弟日姫子 並亡不存 於茲 見其沼底 但有人屍
各謂弟日女子之骨 即就此峯南 造墓治置 其墓見在
賀周里在郡西北
昔者 此里有土蜘蛛 名曰海松橿媛
纏向日代宮御宇天皇 巡国之時 遣陪従大屋田子〓部君等祖也 誅滅
時霞四含 不見物色 因曰霞里 今謂賀周里 訛之也
逢鹿駅在部西北
曩者 気長足姫尊 欲征伐新羅 行幸之時 於此道路
有鹿遇之 因名遇鹿駅 々東海 有蚫螺鯛海藻海松等
登望駅在郡西北
昔者 気長足姫尊 到於此処 留為雄装 御負之鞆 落於
此村 因号鞆駅 々東西之海 有蚫螺鯛雑魚海藻海松等
大家島在郡西
昔者 纏向日代宮御宇天皇 巡幸之時 此村有土蜘蛛 名曰
大身 恆拒皇命 不肯降服 天皇 勅命誅滅 自爾以来
白水郎等 就於此島 造宅居之 因曰大家郷 々南有窟
有鐘乳及木蘭 廻縁之海 蚫螺鯛雑魚及海藻海松多之
値嘉郷在郡西南之海中有烽処三所
昔者 同天皇 巡幸之時 在志式島之行宮 御覧西海 々
中有島 煙気多覆
勒陪従阿曇連百足 遣令察之 爰有八十余 就中二島 々
別有人 第一島名小近 土蜘蛛大耳居之 第二島名大近 土
蜘蛛垂耳居之 自余之島 並人不在 於茲 百足 獲大耳
等奏聞 天皇勅 且令誅殺 時大耳等 叩頭陳聞曰 大耳
等之罪 実当極刑 萬被戮殺 不足塞罪 若降恩情
得再生者 奉造御贄 恆貢御膳 即取木皮 作長蚫
鞭蚫短蚫陰蚫羽割蚫等之様 献於御所 於茲 天皇 垂恩
赦放 更勅云 此島雖遠 猶見如近 可謂近島 因曰値
嘉 島則 有檳榔木蘭枝子木蓮子黒葛〓篠木綿荷〓 海則
有蚫螺鯛鯖雑魚海藻海松雑海菜 彼白水郎 富於馬牛
或有一百余近島 或有八十余近島 西有泊船之停二処
一処名曰相子田停 応泊二十余船一処名曰川原浦 応泊一十余船 遣唐之使 従此停発 到美彌良久
之埼即川原浦之西埼是也 従此発船 指西度之 此島白水郎 容貌似
隼人 恆好騎
射其言語 異俗人也
杵島郡 郷肆所里一十三 駅壱所
昔者 纏向日代宮御宇天皇 巡幸之時 御船泊此郡盤田杵之
村 于時 従船〓〓之穴 冷水自出 一云 船泊之処 自
成一島 天皇御覧 詔群臣等曰 此郡可謂〓〓島郡 今
謂杵島郡 訛之也 郡西有湯泉出之 巖岸峻極 人跡罕及

嬢子山在郡東北
同天皇 行幸之時 土蜘蛛八十女 又 有此山頂 常捍皇
命 不肯降服 於茲 遣兵掩滅 因曰嬢子山
藤津郡 郷肆所里九 駅壱所 烽壱所
昔者 日本武尊 行幸之時 到於此津 日没西山 御船泊
之 明旦遊覧 繋船纜於大藤 因曰藤津郡
能美郷在郡東
昔者 纏向日代宮御宇天皇 行幸之時 此里有土蜘蛛三人兄名
大白 次名中白 弟名少白 此人等 造堡
隠居 不肯降服 爾時 遣陪従紀直等祖穉日子 以且誅
滅 於茲 大白等三人 但叩頭 陳己罪過 共乞更生
因曰能美郷
託羅郷在郡南臨海
同天皇 行幸之時 到於此郷御覧 海物豊多 勅曰 地勢雖
少 食物豊足 可謂豊足村 今謂託羅郷 訛之也
塩田川在郡北
此川之源 出郡西南託羅之峯 東流入海 潮満之時 逆流
泝〓 流勢太高 因曰潮高満川 今訛謂塩田川 川源有
淵 深二許丈 石壁嶮峻 周匝如垣 年魚多在 東辺有湯
泉 能愈人病
彼杵郡 郷肆所里七 駅弐所 烽参所
昔者 纏向日代宮御宇天皇 誅滅球磨噌唹 凱旋之時 天皇
在豊前国宇佐海浜行宮 勒陪従神代直 遣此郡速来村
捕土蜘蛛 於茲 有人 名
曰速来津姫 此婦女申云 妾弟 名曰健津三間 住健村之
里 此人有美玉 名曰石上神之木蓮子玉 愛而固蔵 不
肯示他 神代直 尋覓之 超山而逃 走落石岑郡以北之山 即逐
及捕獲 推問虚実 健津三間云 実有二色之玉 一者曰石
上神木蓮子玉 一者曰白珠 雖比〓〓 願以献之 亦申
云 有人 名曰篦簗 住川岸之村 此人有美玉 愛之
罔極 定無服命 於茲 神代直 迫而捕獲 問之 篦簗云
実有之 以貢於御 不敢愛惜 神代直 捧此三色之玉
還献於御 于時 天皇勅曰 此国可謂具足玉国 今謂彼
杵郡訛之也
浮穴郷在郡北
同天皇 在宇佐浜行宮 詔神代直曰 朕 歴巡諸国 既
至平治 未被朕治 有異徒乎 神代直 奏云 彼煙之
起村 未猶被治 即勒直遣此村 有土蜘蛛
名曰浮穴沫媛 捍皇命 甚無礼 即誅之 因曰浮穴郷
周賀郷在郡西南
昔者 気長足姫尊 欲征伐新羅 行幸之時 御船繋此郷東
北之海 艫舳之〓〓 化而為磯 高二十余丈 周十余丈 相去
十余町 充而嵯峨 草木不生 加以 陪従之船 遭風漂没
於茲 有土蜘蛛 名欝比表麻呂 〓済其船 因名曰救
郷 今謂周賀郷 訛之也
速来門在郡西北
此門之 潮之来者 東潮落者 西涌登 涌響同雷音 因曰
速来門 又有〓木 本者著地 末者沈海 々藻早生 以
擬貢上
高来郡 郷玖所里二十一 駅肆所 烽伍所
昔者 纏向日代宮御宇天皇 在肥後国玉名郡長渚浜之行宮
覧此郡山曰 彼山之形 似於別島 属陸之山歟 別居之
島歟 朕欲知之 仍勒神大野宿祢 遣看之 往到此郡
爰有人。
迎来曰 僕者此山神 名高来津座 聞天皇使之来 奉迎而
已 因曰高来郡
土歯池俗言岸為比遅波在郡西北
此池東之海辺 有岸 高百余丈 長三百余丈 西海波涛 常以
濯滌 縁土人辞 号曰土歯池 々堤 長六百余丈 広五十
余丈 高二丈余 池裏 縦横二十余町許 潮来之 常突入之 荷
菱多生 秋七八月 荷根甚甘 季秋九月 香味共変 不中用

峯湯泉在郡南
此湯泉之 源出郡南高来峯西南之峯 流於東之 流勢甚多
熱異余湯 但和冷水 乃得沐浴 其味酸 有流黄白土
及和松 其葉細有子 大如小豆 令得喫

 

           巻頭

                                 


   

            日本書紀



      



        巻第一 神代上   

   

  
巻一第一段本文   古天地未剖。陰陽不分。渾沌如鶏子。溟□而含牙。及其清陽者薄靡而爲天。重濁者淹滯而爲地。
精妙之合搏易。重濁之凝場難。故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。故曰。開闢之初。洲壞浮漂。譬猶游魚之浮水上也。于時
天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊。〈至貴曰尊。自餘曰命。並訓美擧等也。下皆倣此。〉次國狹槌尊。次豐斟渟尊
。凡三神矣。乾道獨化。所以成此純男。
巻一第一段一書第一   一書曰。天地初判。一物在於虚中。状貌難言。其中自有化生之神。號國常立尊。亦曰國底立
尊。次國狹槌尊。亦曰國狹立尊。次豐國主尊。亦曰豐組野尊。亦曰豐香節野尊。亦曰浮經野豐買尊。亦曰豐國野尊。亦曰豐囓野
尊。亦曰葉木國野尊。亦曰見野尊。』葉木國。此云播擧矩爾。
巻一第一段一書第二   一書曰。古國稚地稚之時。譬猶浮膏而漂蕩。于時國中生物。状如葦牙之抽出也。因此有化
生之神。號可美葦牙彦舅尊。次國常立尊。次國狹槌尊。』可美。此云于麻時。彦舅。此云比古尼。
巻一第一段一書第三   一書曰。天地混成之時。始有神人焉。號可美葦牙彦舅尊。次國底立尊。
巻一第一段一書第四   一書曰。天地初判。始有倶生之神。號國常立尊。次國狹槌尊。又曰。高天原所生神名。曰天
御中主尊。次高皇産靈尊。次神皇産靈尊。』皇産靈。此云美武須毘。
巻一第一段一書第五   一書曰。天地未生之時。譬猶海上浮雪無所根係。其中生一物。如葦牙之初生泥中也。便化
爲人。號國常立尊。
巻一第一段一書第六   一書曰。天地初判。有物若葦牙。生於空中。因此化神號天常立尊。次可美葦牙彦舅尊。又有
物若浮膏 生於空中。因此化神號國常立尊。
巻一第二段本文   次有神。泥土煮尊。〈泥土。此云于毘尼。〉沙土煮尊。〈沙土。此云須毘尼。亦曰。泥土根尊。沙土
根尊。〉次有神。大戸之道尊。大苫邊尊。〈一云大戸之邊。亦曰大戸摩彦尊。大戸摩姫尊。亦曰大富道尊。大富邊尊。〉次有神。面
足尊。惶根尊。〈亦曰吾屋惶根尊。亦曰忌橿城尊。亦曰青橿城根尊。亦曰吾屋橿城尊。〉次有神。伊弉諾尊。伊弉冊尊。
巻一第二段一書第一   一書曰。此二神。青橿城根尊之子也。
巻一第二段一書第二   一書曰。國常立尊。生天鏡尊。天鏡尊生天萬尊。天萬尊生沫蕩尊。沫蕩尊生伊弉諾尊。』沫
蕩。此云阿和那伎。
巻一第三段本文   凡八神矣。乾坤之道相參而化。所以成此男女。自國常立尊。迄伊弉諾尊。伊弉冊尊。是謂神世七
代者矣。
巻一第三段一書第一   一書曰。男女□生之神。先有泥土煮尊。沙土煮尊。次有角 尊。活 尊。次有面足尊。惶根尊
。次有伊弉諾尊。伊弉冊尊。』□□也。
巻一第四段本文   伊弉諾尊。伊弉冊尊。立於天浮橋之上共計曰。底下豈無國歟。廼以天之瓊〈瓊。玉也。此曰努。〉
矛、指下而探之。是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮。凝成一嶋。名之曰□馭慮嶋。二神於是降居彼嶋。因欲共爲夫婦産生洲國。便以□
馭慮嶋爲國中之柱。〈柱。此云美簸旨邏。〉而陽神左旋。陰神右旋。分巡國柱同會一面。時陰神先唱曰。憙哉。遇可美少男焉。〈少
男。此云烏等孤。〉陽神不悦。曰。吾是男子。理當先唱。如何婦人反先言乎。事既不祥。宜以改旋。於是二神却更相遇。是行也陽
神先唱曰。憙哉。遇可美少女。焉〈少女。此云烏等□。〉因問陰神曰。汝身有何成耶。對曰。吾身有一雌元之處。陽神曰。吾身亦有
雄元之處。思欲以吾身元處合汝身之元處。於是陰陽始遘合爲夫婦。及至産時。先以淡路洲爲胞。意所不快。故名之曰淡路洲。廼
生大日本〈日本。此云耶麻騰。下皆效此。〉豐秋津洲。次生伊豫二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐洲與佐度洲。世人或有雙生者象
此也。次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。由是始起大八洲國之號焉。即對馬嶋。壹岐嶋。及處々小嶋。皆是潮沫凝成者矣。亦曰
水沫凝而成也。
巻一第四段一書第一   一書曰。天神謂伊弉諾尊。伊弉冊尊曰。有豐葦原千五百秋瑞穗之地。宜汝往脩之。廼賜天
瓊戈。於是二神立於天上浮橋投戈求地。因畫滄海而引擧之。即戈鋒垂落之潮結而爲嶋。名曰□馭慮嶋。二神降居彼嶋。化作八尋
之殿。又化竪天柱。陽神問陰神曰。汝身有何成耶。對曰。吾身具成而、有稱陰元者一處。陽神曰。吾身亦具成而、有稱陽元者一處
。思欲以吾身陽元、合汝身之陰元。云爾。即將巡天柱。約束曰。妹自左巡。吾當右巡。既而分巡相遇。陰神乃先唱曰。□哉。可愛
少男歟。陽神後和之曰。□哉。可愛少女歟。道爲夫婦先生蛭兒。便載葦船而流之。次生淡洲。此亦不以充兒數。故還復上詣於天。
具奏其状。時天神以太占而卜合之。乃教曰。婦人之辭其已先揚乎。宜更還去。乃卜定時日而降之。故二神改復巡柱。陽神自左。
陰神自右。既遇之時。陽神先唱曰。□哉。可愛少女歟。陰神後和之曰。□哉。可愛少男歟。然後同宮共住而生兒。號大日本豐秋津
洲。次淡路洲。次伊豫二名洲。次筑紫洲。次億岐三子洲。次佐度洲。次越洲。次吉備子洲。由此謂之大八洲國矣。』瑞。此云 彌圖
。妍哉。此云阿那而惠夜。可愛。此云哀。太占。此云布刀磨爾。
巻一第四段一書第二   一書曰。伊弉諾尊。伊弉冊尊二神立于天霧之中曰。吾欲得國。乃以天瓊矛、指垂而探之得
□馭慮嶋。則拔矛而喜之曰。善乎國之在矣。
巻一第四段一書第三   一書曰。伊弉諾伊弉冊二神、坐于高天原曰。當有國耶。乃以天瓊矛、畫成□馭慮嶋。
巻一第四段一書第四   一書曰。伊弉諾伊弉冊二神相謂曰。有物若浮膏。其中蓋有國乎。乃以天瓊矛探成一嶋。名
曰□馭慮嶋。
巻一第四段一書第四   一書曰。陰神先唱曰。美哉。善少男。時以陰神先言故爲不祥。更復改巡。則陽神先唱曰。美
哉。善少女。遂將合交而不知其術。時有鶺鴒飛來搖其首尾。二神見而學之。即得交道。
巻一第四段一書第六   一書曰。二神合爲夫婦。先以淡路洲。淡洲爲胞。生大日本豐秋津洲。次伊豫洲。次筑紫洲。
次雙生億岐洲與佐度洲。次越洲。次大洲。次子洲。
巻一第四段一書第七   一書曰。先生淡路洲。次大日本豐秋津洲。次伊豫二名洲。次億岐洲。次佐度洲。次筑紫洲。
次壹岐洲次對馬洲。
巻一第四段一書第八   一書曰。以□馭慮嶋爲胞。生淡路洲。次大日本豐秋津洲。次伊豫二名洲。次筑紫洲。次吉備
子洲。次雙生億岐洲與佐度洲。次越洲。
巻一第四段一書第九   一書曰。以淡路洲爲胞。生大日本豐秋津洲。次淡洲。次伊豫二名洲。次億岐三子洲。次佐度
洲。次筑紫洲。次吉備子洲。次大洲。
巻一第四段一書第十   一書曰。陰神先唱曰。妍哉。可愛少男乎。便握陽神之手遂爲夫婦生淡路洲。次蛭兒。
巻一第五段本文   次生海。次生川。次生山。次生木祖句句廼馳。次生草祖草野姫。亦名野槌。既而伊弉諾尊。伊弉
冊尊共議曰。吾已生大八洲國及山川草木。何不生天下之主者歟。於是共生日神。號大日□貴。〈大日□貴。此云於保比屡□能武
智。□音力丁反。一書云。天照大神。一書云。天照大日□尊。〉此子光華明彩。照徹於六合之内。故二神喜曰。吾息雖多。未有若
此靈異之兒。不宜久留此國。自當早送于天而授以天上之事。是時天地相去未遠。故以天柱擧於天上也。次生月神。〈一書云。月弓
尊。月夜見尊。月讀尊。〉其光彩亞日。可以配日而治。故亦送之于天。次生蛭兒。雖已三歳脚猶不立。故載之於天磐 樟船而順風
放棄。次生素戔鳴尊。〈一書云。神素戔鳴尊。速素戔鳴尊。〉此神有勇悍以安忍。且常以哭泣爲行。故令國内人民。多以夭折。復使
青山變枯。故其父母二神勅素戔鳴尊。汝甚無道不可以君臨宇宙。固當遠適之於根國矣。遂逐之。
巻一第五段一書第一   一書曰。伊弉諾尊曰。吾欲生御□之珍子。乃以左手持白銅鏡。則有化出之神。是謂大日□
尊。右手持白銅鏡。則有化出之神。是謂月弓尊。又廻首顧眄之間。則有化神。是謂素戔鳴尊。即大日□尊及月弓尊並。是質性明
麗。故使照臨天地。素戔鳴尊是性好殘害。故令下治根國。』珍。此云于圖。顧眄之間。此云美屡摩沙可利爾。
巻一第五段一書第二   一書曰。日月既生。次生蛭兒。此兒年滿三歳脚尚不立。初伊弉諾伊弉冊尊巡柱之時。陰神
先發喜言。既違陰陽之理。所以今生蛭兒。次生素戔鳴尊。此神性惡。常好哭恚。國民多死。青山爲枯。故其父母勅曰。假使汝治此
國。必多所殘傷。故汝可以馭極遠之根國。次生鳥磐□樟橡船。輙以此船載蛭兒、順流放棄。次生火神軻遇突智。時伊弉冊尊、爲
軻遇突智、所焦而終矣。其且終之間。臥生土神埴山姫及水神罔象女。即軻遇突智娶埴山姫、生稚産靈。此神頭上生蠶與桑。臍中
生五穀。』罔象。此云美都波。
巻一第五段一書第三   一書曰。伊弉冊尊生火産靈時。爲子所焦而神退矣。亦云神避矣。其且神退之時。則生水神
罔象女及土神埴山姫。又生天吉葛。』天吉葛。此云阿摩能與佐圖羅。一云與曾豆羅。
巻一第五段一書第四   一書曰。伊弉冊尊且生火神軻遇突智之時。悶熱懊惱。因爲吐。此化爲神。名曰金山彦。次小
便。化爲神。名曰罔象女。次大便。化爲神。名曰埴山姫。
巻一第五段一書第五   一書曰。伊弉冊尊生火神時。被灼而神退去矣。故葬於紀伊國熊野之有馬村焉。土俗祭此神
之魂者。花時亦以花祭。又用鼓吹幡旗歌舞而祭矣。
巻一第五段一書第六   一書曰。伊弉諾尊與伊弉冊尊。共生大八洲國。然後伊弉諾尊曰。我所生之國唯有朝霧而薫
滿之哉。乃吹撥之氣化爲神。號曰級長戸邊命。亦曰級長津彦命。是風神也。又飢時生兒號倉稻魂命。又生海神等。號少童命。山
神等號山祇。水門神等號速秋津日命。木神等號句句廼馳。土神號埴安神。然後悉生萬物焉。至於火神軻遇突智之生也。其母伊弉
冊尊、見焦而化去。于時伊弉諾尊恨之曰。唯以一兒替我愛之妹者乎。則匍匍頭邊、匍匐脚邊、而哭泣流涕焉。其涙堕而爲神。是
即畝丘樹下所居之神。號啼澤女命。遂拔所帶十握劔斬軻遇突智爲三段。此各化成神也。復劔刄垂血。是爲天安河邊所在五百箇
磐石也。即此經津主神之祖矣。復劒鐔垂血激越爲神。號曰甕速日神。次□速日神。其甕速日神是武甕槌神之祖也。亦曰甕速日命
。次□速日命。次武甕槌神。復劒鋒垂血、激越爲神。號曰磐裂神。次根裂神。次磐筒男命。一云、磐筒男命及磐筒女命。復劒頭垂
血激越爲神。號曰闇□。次闇山祇。次闇罔象。然後、伊弉諾尊追伊弉冊尊入於黄泉、而及之共語時。伊弉冊尊曰。吾夫君尊、何來
之晩也。吾已□泉之竃矣。雖然、吾當寢息。請勿視之。伊弉諾尊不聽、陰取湯津爪櫛、牽折其雄柱、以爲秉炬、而見之者、則膿沸
虫流。今世人夜忌一片之火、又夜忌擲櫛、此其縁也。時伊弉諾尊、大驚之曰。吾不意到於不須也凶目汗穢之國矣。乃急走廻歸。
于時、伊弉冊尊恨曰。何不用要言。令吾恥辱。乃遣泉津醜女八人。〈一云泉津日狹女。〉追留之。故伊弉諾尊、拔劒背揮以逃矣。因
投黒鬘。此即化成蒲陶。醜女見而採□之。□了則更追。伊弉諾尊、又投湯津爪櫛。此即化成筍。醜女亦以拔□之。了則更追。後則
伊弉冊尊、亦自來追。是時、伊弉諾尊、已到泉津平坂。一云。伊弉諾尊乃向大樹放□。此即化成巨川。泉津日狹女、將渡其水之間
。伊弉諾尊、已至泉津平坂。故便以千人所引磐石、塞其坂路。與伊弉冊尊相向而立、遂建絶妻之誓。時伊弉冊尊曰。愛也吾夫君、
言如此者。吾當縊殺汝所治國民日將千頭。伊弉諾尊、乃報之曰。愛也吾妹、言如此者。吾則當産日將千五百頭。因曰。自此莫過。
即投其杖。是謂岐神也。又投其帶。是謂長道磐神。又投其衣。是謂煩神。又投其褌。是謂開囓神。又投其履。是謂道敷神。其於泉
津平坂。或所謂泉津平坂者。不復別有處所。但臨死氣絶之際、是之謂歟。所塞磐石、是謂泉門塞之大神也。亦名道返大神矣。伊
弉諾尊既還。乃追悔之曰。吾前到於不須也凶目汚穢之處。故當滌去吾身之濁穢。則往至筑紫日向小戸橘之檍原。而秡除焉。遂將
盪滌身之所汚。乃興言曰。上瀬是太疾。下瀬是太弱。便濯之於中瀬也。因以生神號曰八十枉津日神。次將矯其枉而生神號曰神直
日神。次大直日神。又沈濯於海底。因以生神號曰底津少童命。次底筒男命。又潜濯於潮中。因以生神號曰表中津少童命。次中筒
男命。又浮濯於潮上。因以生神號曰表津少童命。次表筒男命。凡有九神矣。其底筒男命。中筒男命。表筒男命。是即住吉大神矣。
底津少童命。中津少童命。表津少童命。是阿曇連等所祭神矣。然後洗左眼。因以生神號曰天照大神。復洗右眼。因以生神號曰月
讀尊。復洗鼻。因以生神號曰素戔鳴尊。凡三神矣。已而伊弉諾尊勅任三子曰。天照大神者可以治高天原也。月讀尊者可以治滄海
原潮之八百重也。素戔鳴尊者可以治天下也。是時素戔鳴尊年已長矣。復生八握鬚髯。雖然不治天下。常以啼泣恚恨。故伊弉諾尊
問之曰。汝何故恒啼如此耶。對曰。吾欲從母於根國。只爲泣耳。伊弉諾尊惡之曰。可以任情行矣。乃逐之。』
巻一第五段一書第七   一書曰。伊弉諾尊。拔劔斬軻遇突智爲三段。其一段是爲雷神。一段是爲大山祇神。一段是
爲高□。又曰。斬軻遇突智時。其血激越、染於天八十河中所在五百箇磐石。而因化成神。號曰磐裂神。次根裂神。兒磐筒男神。次
磐筒女神。兒經津主神。』倉稻魂。此云宇介能美□磨。少童。此云和多都美。頭邊。此云摩苦羅陛。脚邊。此云阿度陛。□火也。音
而善反。□。此云於箇美。音力丁反。吾夫君。此云阿我儺勢。□泉之竃。此云譽母都俳遇比。秉炬。此云多妣。不須也凶目汚穢。
此云伊儺之居梅枳枳多儺枳。醜女。此云志許賣。背揮。此云志理幣提爾布倶。泉津平坂。此云余母都比羅佐可。□。此云愈磨理。
音乃弔反。絶妻之誓。此云許等度。岐神。此云布那斗能加微。檍。此云阿波岐。
巻一第五段一書第八   一書曰。伊弉諾尊斬軻 遇突智命爲五段。此各化成五山祇。一則首、化爲大山祇。二則身中
、化爲中山祇。三則手、化爲麓山祇。四則腰、化爲正勝山祇。五則足、化爲□山祇。是時斬血激灑染於石礫樹草。此草木沙石自含
火之縁也。』麓、山足曰麓。此云簸耶磨。正勝、此云麻沙柯菟。一云麻左柯豆。□、此云之伎。音鳥含反。
巻一第五段一書第九   一書曰。伊弉諾尊欲見其妹。乃到殯斂之處。是時伊弉冊尊猶如生平出迎共語。已而謂伊弉
諾尊曰。吾夫君尊。請勿視吾矣。言訖忽然不見。于時闇也。伊弉諾尊乃擧一片之火而視之。時伊弉冊尊脹滿太高。上有八色雷公
。伊弉諾尊驚而走還。是時雷等皆起追來。時道邊有大桃樹。故伊弉諾尊隠其樹下。因採其實以擲雷者。雷等皆退走矣。此用桃避
鬼之縁也。時伊弉諾尊乃投其杖曰。自此以還雷不敢來。是謂岐神。此本號曰來名戸之祖神焉。所謂八雷者。在首曰大雷。在胸曰
火雷。在腹曰土雷。在背曰稚雷。在尻曰黒雷。在手曰山雷。在足上曰野雷。在陰上曰裂雷。
巻一第五段一書第十   一書曰。伊弉諾尊追至伊弉冊尊所在處。便語之曰。悲汝故來。答曰。族也勿看吾矣。伊裝諾
尊不從。猶看之。故伊弉冊尊恥恨之曰。汝已見我情。我復見汝情。時伊弉諾尊亦慙焉。因將出返。于時不直默歸而盟之曰。族離。
又曰。不負於族。乃所唾之神號曰速玉之男。次掃之神號泉津事解之男。凡二神矣。及其與妹相闘於泉平坂也。伊弉諾尊曰。始爲
族悲及思哀者。是吾之怯矣。時泉守道者白云。有言矣。曰。吾與汝已生國矣。奈何更求生乎。吾則當留此國不可共去。是時、菊理
媛神亦有白事。伊弉諾尊聞而善之。乃散去矣。但親見泉國。此既不祥。故欲濯除其穢惡。乃往見粟門及速吸名門。然此二門、潮
既太急。故還向於橘之小門。而拂濯也。于時入水吹生磐土命。出水吹生大直日神。又人吹生底土命。出吹生大綾津日神。又入吹
生赤土命。出吹生大地海原之諸神矣。』不負於族。此云宇我邏磨□茸。
巻一第五段一書第十一   一書曰。伊弉諾尊勅任三子曰。天照太神者、可以御高天之原也。月夜見尊者可以配日而
知天事也。素戔鳴尊者可以御滄海之原也。既而天照大神在於天上曰。聞葦原中國有保食神。宜爾月夜見尊就候之。月夜見尊受
勅而降。已到于保食神許。保食神乃廻首嚮國。則自口出飯。又嚮海則鰭廣鰭狹亦自口出。又嚮山。則毛麁毛柔亦自口出。夫品物
悉備。貯之百机而饗之。是時月夜見尊忿然作色曰。穢哉。鄙矣。寧可以口吐之物敢養我乎。廼拔劔撃殺。然後復命。具言其事。時
天照大神怒甚之曰。汝是惡神。不須相見。乃與月夜見尊一日一夜隔離而住。是後天照大神、復遣天熊人往看之。是時、保食神實
已死矣。唯有其神之頂、化爲牛馬。顱上生粟。眉上生□(蚕)。眼中生稗。腹中生稻。陰生麥及大豆小豆。天熊人悉取持去而奉進
之。于時天照大神喜之曰。是物者則顯見蒼生可食而活之也。乃以粟稗麥豆爲陸田種子。以稻爲水田種子。又因定天邑君。即以其
稻種始殖于天狹田及長田。其秋垂穎八握莫莫然。甚快也。又口裏含□(蚕)。便得抽絲。自此始有養蠶之道焉。』保食神。此云宇
氣母知能加微。顯見蒼生。此云宇都志枳阿鳥比等久佐。
巻一第六段本文   於是。素戔鳴尊請曰。吾今奉教將就根國。故欲暫向高天原與姉相見而後永退矣。勅許之。乃昇
詣之於天也。是後伊弉諾尊神功既畢。靈運當遷。是以構幽宮於淡路之洲。寂然長隠者矣。亦曰。伊弉諾尊功既至矣。徳文大矣。
於是登天報命。仍留宅於日之少宮矣。〈少宮。此云倭柯美野。〉始素戔鳴尊昇天之時。溟渤以之鼓盪。山岳爲之鳴□。此則神性雄
健使之然也。天照大神素知其神暴惡至聞來詣之状。乃勃然而驚曰。吾弟之來豈以善意乎。謂當有奪國之志歟。夫父母既任諸子、
各有其境。如何棄置當就之國。而敢窺 此處乎。乃結髮爲髻。縛裳爲袴。便以八坂瓊之五百箇御統〈御統。此云美須磨屡。〉纒其
髻鬘及腕。又背負千箭之靭〈千箭。此云知能梨。〉與五百箭之靭。臂著稜威之高鞆。〈稜威。此云伊都。〉振起弓 。急握劔柄。蹈堅
庭而陷股。若沫雪以蹴散。〈蹴散。此云倶穢簸邏邏箇須。〉奮稜威之雄詰。〈雄詰。此云鳥多稽眉。〉發稜威之嘖讓。〈嘖讓。此云擧
廬毘。〉而徑詰問焉。素戔鳴尊對曰。吾元無黒心。父母已有嚴勅。將永就乎根國。如不與姉相見。吾何能敢去。是以跋渉雲霧遠自
來參。不竟阿姉翻起嚴顏。于時天照大神復問曰。若然者。將何以明爾之赤心也。對曰。請與姉共誓。夫誓約之中〈誓約之中。此云
宇氣譬能美難箇。〉必當生子。如吾所生是女者。則可以爲有濁心。若是男者。則可以爲有清心。於是天照大神乃索取素戔鳴尊十
握劔。打折爲三段。濯於天眞名井。 然咀嚼〈 然咀嚼。此云佐我彌爾加武。〉而吹棄氣噴之狹霧〈吹棄氣噴之狹霧。此云浮枳于都
屡伊浮岐能佐擬理。〉所生神號曰田心姫。次湍津姫。次市杵嶋姫。凡三女矣。既而素戔鳴尊。乞取天照大神髻鬘及腕所纒八坂瓊
之五百箇御統。濯於天眞名井。 然咀嚼而吹棄氣噴之狹霧所生神號曰正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊。次天穂日命。〈是出雲臣。土
師連等祖也。〉次天津彦根命。〈是凡川内直。山代直等祖也。〉次活津彦根命。次熊野橡樟日命。凡五男矣。是時天照大神勅曰。原
其物根。則八坂瓊之五百箇御統者。是吾物也。故彼五男神悉是吾兒。乃取而子養焉。又勅曰。其十握劔者、是素戔鳴尊物也。故
此三女神悉是爾兒。便授之素戔鳴尊。此則筑紫胸肩君等所祭神是也。巻一第六段一書第一   一書曰。日神本知素
戔鳴尊、有武健陵物之意。及其上至便謂。弟所以來者。非是善意。必當奪我天原。乃設丈夫武備。躬帶十握劍九握劔八握劔。又
背上負靭、又臂著稜威高鞆。手握弓箭。親迎防禦。是時素戔鳴尊告曰。吾元無惡心。唯欲與姉相見。只爲暫來耳。於是日神共素
戔鳴尊相對而立。誓曰。若汝心明淨不有陵奪之意者。汝所生兒必當男矣。言訖先食所帶十握劔生兒。號瀛津嶋姫。又食九握劔生
兒。號湍津姫。又食八握劔生兒。號田心姫。凡三女神矣。已而素戔鳴尊。以其頚所嬰五百箇御統之瓊。濯于天渟名井。亦名去來
之眞名井而食之。乃生兒。號正哉吾勝勝速日天忍骨尊。次天津彦根命。次活津彦根命。次天穂日命。次熊野忍蹈命。凡五男神矣
。故素戔鳴尊既得勝驗。於是日神方知素戔鳴尊固無惡意。乃以日神所生三女神令降於筑紫洲。因教之曰。汝三神宜降居道中、奉
助天孫、而爲天孫所祭也。
巻一第六段一書第二   一書曰。素戔鳴尊將昇天時。有一神。號羽明玉。此神奉迎而進以瑞八坂瓊之曲玉。故素戔
鳴尊持其瓊玉而到之於天上也。是時天照大神疑弟有惡心。起兵詰問。素戔鳴尊對曰。吾所以來者。實欲與姉相見。亦欲獻珍寶瑞
八坂瓊之曲玉耳。不敢別有意也。時天照大神復問曰。汝言虚寶。將何以爲驗。對曰。請吾與姉共立誓約。誓約之間。生女爲黒心。
生男爲赤心。乃掘天眞名井三處相與對立。是時天照大神謂素戔鳴尊曰。以吾所帶之劔今當奉汝。汝以汝所持八坂瓊之曲玉可以
授予矣。如此約束共相換取。已而天照大神。則以八坂瓊之曲玉浮寄於天眞名井。囓斷瓊端而吹出氣噴之中化生神。號市杵嶋姫
命。是居于遠瀛者也。又囓斷瓊中而吹出氣噴之中化生神。號田心姫命。是居于中瀛者也。又囓斷瓊尾而吹出氣噴之中化生神。號
湍津姫命。是居于海濱者也。凡三女神。於是素戔鳴尊。以所持劔、浮寄於天眞名井。囓斷劔末而吹出氣噴之中化生神。號天穗日
命。次正哉吾勝勝速日天忍骨尊。次天津彦根命。次活津彦根命。次熊野樟日命。凡五男神、云爾。
巻一第五段一書第三   一書曰。日神與素戔鳴尊隔天安河而相對。乃立誓約曰。汝若不有 賊之心者。汝所生子必
男矣。如生男者。予以爲子而令治天原也。於是日神。先食其十握劔化生兒。瀛津嶋姫命。亦名市杵嶋姫命。又食九握劔化生兒。
湍津姫命。又食八握劔化生兒。田霧姫命。巳而素戔鳴尊含其左髻所纒五百箇御統之瓊。而著於左手掌中便化生男矣。則稱之曰。
正哉吾勝。故因名之曰勝速日天忍穗耳尊。復含右髻之瓊着(著?)於右手掌中。化生天穗日命。復含嬰頚之瓊著於左臂中。化生
天津彦根命。又自右臂中化生活津彦根命。又自左足中化生 之速日命。又自右足中化生熊野忍蹈命。亦名熊野忍隅命。其素戔鳴
尊所生之兒。皆巳男矣。故日神方知素戔鳴尊元有赤心。便取其六男。以爲日神之子。使治天原。即以日神所生三女神者。使隆居
于葦原中國之宇佐嶋矣。今在海北道中。號曰道主貴。此筑紫水沼君等祭神是也。』□。于也。此云備。
巻一第七段本文   是後素戔鳴尊之爲行也。甚無状。何則天照大神。以天狹田。長田爲御田。時素戔鳴尊。春則重播
種子。〈重播種子。此云璽枳磨枳。〉且毀其畔。〈毀。此云波那豆。〉秋則放天斑駒。使伏田中。復見天照大神當新嘗時。則陰放□於
新宮。又見天照大神、方織神衣居齋服殿。則剥天斑駒。穿殿甍而投納。是時天照大神驚動。以梭傷身。由此發慍。乃入于天石窟。
閉磐戸而幽居焉。故六合之内常闇而不知晝夜之相代。于時八十萬神會合於天安河邊計其可祷之方。故思兼神深謀遠慮。遂聚常
世之長鳴鳥。使互長鳴。亦以手力雄神立磐戸之側。而中臣連遠祖天兒屋命。忌部遠祖太玉命掘天香山之五百箇眞坂樹。而上枝
懸八坂瓊之五百箇御統。中枝懸八咫鏡。〈一云眞經津鏡。〉下枝懸青和幣〈和幣。此云尼枳底。〉白和幣。相與致其祈祷焉。又猿女
君遠祖天鈿女命。則手持茅纒之□。立於天石窟戸之前巧作俳優。亦以天香山之眞坂樹爲鬘。以蘿〈蘿。此云此舸礙。〉爲手繦〈手
繦。此云多須枳。〉而火處燒。覆槽置〈覆槽。此云于該。〉顯神明之憑談。〈顯神明之憑談。此云歌牟鵝可梨。〉是時天照大神聞之而
曰。吾比閉居石窟。謂當豐葦原中國必爲長夜。云何天鈿女命 樂如此者乎。乃以御手細開磐戸窺之。時手力雄神則奉承天照大神
之手引而奉出。於是中臣神。忌部神。則界以端出之繩。〈繩。亦云左繩端出。此云斯梨倶梅儺波。〉乃請曰。勿復還幸。然後諸神歸
罪過於素戔鳴尊。而科之以千座置戸。遂促徴矣。至使拔髮。以贖其罪。亦曰。拔其手足之爪贖之。巳而竟逐降焉。
巻一第七段一書第一   一書曰。是後稚日女尊坐于齋服殿。而織神之御服也。素戔鳴尊見之。則逆剥斑駒投入之殿
内。稚日女尊乃驚而堕機。以所持梭傷體而神退矣。故天照大神謂素戔鳴尊曰。汝猶有黒心。不欲與汝相見。乃入于天石窟而閉著
(着)磐戸焉。於是天下恒闇。無復書夜之殊。故會八十萬神於天高市而問之。時有高皇産靈之息思兼神云者。有思慮之智。乃思而
白曰。宜圖造彼神之象而奉招祷也。故即以石凝姥爲冶工。採天香山之金。以作曰矛。又全剥眞名鹿之皮。以作天羽□。用此奉造
之神。是即紀伊國所坐日前神也。』石凝姥。此云伊之居梨度□。全剥。此云宇都播伎。
巻一第七段一書第二   一書曰。日神尊以天垣田爲御田。時素戔鳴尊。春則填渠毀畔。又秋穀已成。則昌以絡繩。且
日神居織殿時。則生剥斑駒納其殿内。凡此諸事盡是無状。雖然日神恩親之意。不慍不恨、皆以平心容焉。及至日神當新甞之時。
素戔鳴尊則於新宮御席之下。陰自送糞。日神不知徑坐席上。由是日神擧體不平。故以恚恨。迺居于天石窟閉其磐戸。于時諸神憂
之。乃使鏡作部遠祖天糠戸者造鏡。忌部遠祖太玉者造幣。玉作部遠祖豐玉者造玉。又使山雷者採五百箇眞坂樹八十玉籤。野槌
者採五百箇野薦八十玉籤。凡此諸物皆來聚集。時中臣遠祖天兒屋命。則以神祝祝之。於是日神方開磐戸而出焉。是時以鏡入其
石窟者。觸戸小瑕。其瑕於秡今猶存。此即伊勢崇秘之大神也。已而科罪於素戔鳴尊。而責其秡具。是以有手端吉棄物。足端凶棄
物。亦以唾爲白和幣。以洟爲青和幣。用此解除竟。遂以神逐之理逐之。』送糞。此云倶蘇摩屡。玉籤。此云多摩倶之。秡具。此云
波羅閉都母能。手端吉棄。此云多那須衞能余之岐羅毘。神祝祝之。此云加武保佐枳保佐枳枳。遂之。此云波羅賦。
巻一第七段一書第三   一書曰。是後日神之田有三處焉。號曰天安田。天平田。天邑并田。此皆良田。雖經霖旱無所
損傷。其素戔鳴尊之田亦有三處。號曰天□田。天川依田。天口鋭田。此皆磽地。雨則流之。旱則焦之。故素戔鳴尊妬害姉田。春則
廢渠槽。及埋溝。毀畔。又重播種子。秋則捶籤。伏馬。凡此悪事曾無息時。雖然日神不慍。恒以平恕相容焉。云云。』至於日神閉
居于天石窟也。諸神遣中臣連遠祖興台産靈兒天兒屋命而使祈焉。於是天兒屋命掘天香山之眞坂木。而上枝縣以鏡作遠祖天拔戸
兒己凝戸邊所作八咫鏡。中枝懸以玉作 遠祖伊弉諾尊兒天明玉所作八坂瓊之曲玉。下枝懸以粟國忌部遠祖天日鷲所作木綿。乃
使忌部首遠祖太玉命執取。而廣厚稱辭祈啓矣。于時日神聞之曰。頃者人雖多請。未有若此言之麗美者也。乃細開磐戸而窺之。是
時天手力雄神侍磐戸側。則引開之者。日神之光滿於六合。故諸神大喜。即科素戔鳴尊千座置戸之解除。以手爪爲吉爪棄物。以足
爪爲凶爪棄物。乃使天兒屋命掌其解除之太諄辭而宣之焉。世人愼收己爪者此其縁也。既而諸神嘖素戔鳴尊曰。汝所行甚無頼。
故不可住於天上。亦不可居於葦原中國。宜急適於底根之國。乃共逐降去。于時霖也。素戔鳴尊結束青草以爲笠蓑而乞宿於衆神。
衆神曰。汝是躬行濁惡而見逐謫者。如何乞宿於我。遂同距之。是以風雨雖甚不得留休。而辛苦降矣。自爾以來世諱著笠蓑以入他
人屋内。又諱負束草以入他人家内。有犯此者必債解除。此太古之遺法也。』是後素戔鳴尊曰。諸神逐我。我今當永去。如何不與我
姉相見而檀自徑去歟。迺復扇天扇國。上詣于天。時天鈿女見之而告言於日神也。日神曰。吾弟所以上來非復好意。必欲奪之我國
者歟。吾雖婦女何當避乎。乃躬裝武備云云。』於是素戔鳴尊誓之曰。吾若懷不善而復上來者。吾今囓玉生兒。必當爲女矣。如此則
可以降女於葦原中國。如有清心者。必當生男矣。如此則可以使男御天上。且姉之所生亦同此誓。於是日神先囓十握劔云云。素戔
鳴尊乃□轤然解其左髻所纒五百箇御統之瓊綸。而瓊響□□濯浮於天渟名井。囓其瓊端置之左掌。而生兒正哉吾勝勝速日天忍穗
根尊。復囓右瓊置之右掌。而生兒天穗日命。此出雲臣。武藏國造。土師連等遠祖也。次天津彦根命。此茨城國造。額田部連等遠
祖也。次活目津彦根命。次□速日命。次熊野大隅命。凡六男矣。於是素戔鳴尊白日神曰。吾所以更昇來者。衆神處我以根國。今
當就去。若不與姉相見。終不能忍離。故實以清心復上來耳。今則奉覲已訖。當隨衆神之意。自此永歸根國矣。請姉照臨天國。自
可平安。且吾以清心所生兒等亦奉於姉。已而復還降焉。』廢渠槽。此云秘波鵝都。捶籤。此云久斯社志。興台産靈。此云許語等武
須毘。太諄辭。此云布斗能理斗。□轤然。此云乎謀苦留留爾。□□。此云乎奴儺等母母由羅爾。
巻一神代上第八段本文   是時、素戔鳴尊、自天而降到於出雲國簸之川上。時聞川上有啼哭之聲。故尋聲覓往者。
有一老公與老婆。中間置一少女。撫而哭之。素戔鳴尊問曰。汝等誰也。何爲哭之如此耶。對曰。吾是國神。號脚摩乳。我妻號手摩
乳。此童女是吾兒也。號奇稻田姫。所以哭者。往時吾兒有八箇少女。毎年爲八岐大蛇所呑。今此少童且臨被呑。無由脱免。故以
哀傷。素戔鳴尊勅曰。若然者。汝當以女奉吾耶。對曰。隨勅奉矣。故素戔鳴尊、立化奇稻田姫爲湯津爪櫛。而□於御髻。乃使脚摩
乳。手摩乳釀八□酒。并作假□〈假□。此云佐受枳。〉八間。各置一口槽。而盛酒以待之也。至期果有大蛇。頭尾各有八岐。眼如赤
酸醤。〈赤酸醤。此云阿箇箇鵝知。〉松栢生於背上。而蔓延於八丘八谷之間。及至得酒。頭各一槽飮。醉而睡。時素戔鳴尊乃拔所
帶十握劔。寸斬其蛇。至尾劔刄少缺。故割裂其尾視之。中有一劔。此所謂草薙劔也。〈草薙劔。此云倶娑那伎能都留伎。一書曰。
本名天叢雲劔。蓋大蛇所居之上常有雲氣。故以名歟。至日本武皇子改名曰草薙劔。〉素戔鳴尊曰。是神劔也。吾何敢私以安乎。乃
上獻於天神也。』然後行覓將婚之處。遂到出雲之清地焉。〈清地。此云素鵝。〉乃言曰。吾心清清之。〈此今呼此地曰清。〉則於彼處
建宮。〈或云。時武素戔鳴尊歌之曰。夜句茂多菟。伊都毛夜覇餓岐。菟磨語昧爾。夜覇餓枳菟倶盧。贈廼夜覇餓岐廻。〉乃相與遘
合而生兒大己貴神。因勅之曰。吾兒宮首者即脚摩乳。手摩乳也。故賜號於二神。曰稻田宮主神。巳而素戔鳴尊遂就於根國矣。
巻一第八段一書第一   一書曰。素戔鳴尊自天而降到於出雲簸之川上。則見稻田宮主簀狹之八箇耳女子。號稻田媛
。乃於奇御戸爲起而生兒。號清之湯山主三名狹漏彦八島篠。一云。清之繋名坂輕彦八島手命。又云。清之湯山主三名狹漏彦八島
野。此神五世孫。即大國主神。』篠。小竹也。此云斯奴。
巻一第八段一書第二   一書曰。是時素戔鳴尊下到於安藝國可愛之川上也。彼處有神。名曰脚摩手摩。其妻名曰稻
田宮主簀狹之八箇耳。此神正在姙身。夫妻共愁。乃告素戔鳴尊曰。我生兒雖多。毎生。輙有八岐大蛇來呑。不得一存。今吾且産。
恐亦見呑。是以哀傷。素戔鳴尊乃教之曰。汝可以衆菓釀酒八甕。吾當爲汝殺蛇。二神隨教設酒。至産時必彼大蛇當戸將呑兒焉。』
素戔鳴尊勅蛇曰。汝是可畏之神。敢不饗乎。乃以八甕酒毎口沃入。其蛇飮酒而睡。素戔鳴尊拔劔斬之。至斬尾時劔刃少缺。割而
視之。則劔在尾中。是號草薙劔。此今在尾張國吾湯市村。即熱田祝部所掌之神是也。其斷蛇劔號曰蛇之麁正。此今在石上也。』是
後以稻田宮 主簀狹之八箇耳生兒。眞髮觸奇稻田媛。遷置於出雲國簸川上、而長養焉。然後素戔鳴尊以爲妃。而所生兒之六世孫
。是曰大己貴命。』大己貴。此云於褒婀娜武智。
巻一第八段一書第三   一書曰。素戔鳴尊欲幸奇稻田媛而乞之。脚摩乳。手摩乳對曰。請先殺彼蛇。然後幸者宜也。
彼大蛇毎頭各有石松。兩脇有山。甚可畏矣。將何以殺之。素戔鳴尊乃計釀毒酒以飮之。蛇醉而睡。素戔鳴尊乃以蛇韓鋤之劔斬頭
斬腹。其斬尾之時。劔刄少缺。故裂尾而看即別有一劔焉。名爲草薙劔。此劔昔在素戔鳴尊許。今在於尾張國也。其素戔鳴尊斷蛇
之劔。今在吉備神部許也。出雲簸之川上山是也。
巻一第八段一書第四   一書曰。素戔鳴尊所行無状。故諸神科以千座置戸而遂逐之。是時。素戔鳴尊帥其子五十猛
神。降到於新羅國。居曾尸茂梨之處。乃興言曰。此地吾不欲居。遂以埴土作舟乘之東渡。到出雲國簸川上所在鳥上之峯。時彼處
有呑人大蛇。素戔鳴尊乃以天蝿斫之劔斬彼大蛇。時斬蛇尾而刃缺。即擘而視之。尾中有一神劔。素戔鳴尊曰。此不可以吾私用也
。乃遺五世孫天之葺根神上奉於天。此今所謂草薙劔矣。初五十猛神天降之時。多將樹種而下。然不殖韓地盡以持歸。遂始自筑紫
。凡大八洲國之内莫不播殖而成青山焉。所以稱五十猛命爲有功之神。即紀伊國所坐大神是也。
巻一第八段一書第五   一書曰。素戔鳴尊曰。韓郷之嶋。是有金銀。若使吾兒所御之國。不有浮寶者。未是佳也。乃
拔鬚髯散之。即成杉。又拔散胸毛。是成桧。尻毛是成□。眉毛是成 樟。已而定其當用。乃稱之曰。杉及□樟。此兩樹者。可以爲
浮寶。桧可以爲瑞宮之材。□可以爲顯見蒼生奥津棄戸將臥之具。夫須□八十木種皆播生。于時素戔鳴尊之子。號曰五十猛命。妹
大屋津姫命。次採津姫命。凡此三神亦能分布木種。即奉渡於紀伊國也。然後素戔鳴尊居熊成峯。而遂入於根國者矣。』棄戸。此云
須多杯。□。此云磨紀。
巻一第八段一書第六   一書曰。大國主神。亦名大物主神。亦號國作大己貴命。亦曰葦原醜男。亦曰八千戈神。亦曰
大國玉神。亦曰顯國玉神。其子凡有一百八十一神。夫大己貴命與少彦名命。戮力一心。經營天下。復爲顯見蒼生及畜産。則定其
療病之方。又爲攘鳥獸昆虫之災異。則定其禁厭之法。是以百姓至今咸蒙恩頼。嘗大己貴命謂少彦名命曰。吾等所造之國。豈謂善
成之乎。少彦名命對曰。或有所成。或有不成。是談也。蓋有幽深之致焉。其後少彦名命行至熊野之御碕。遂適於常世郷矣。亦曰。
至淡嶋而縁粟莖者。則彈渡而至常世郷矣。自後國中所未成者。大己貴神獨能巡造。遂到出雲國。乃興言曰。夫葦原中國本自荒芒
至及磐石草木咸能強暴。然吾已摧伏莫不和順。遂因言。今理此國唯吾一身而巳。其可與吾共理天下者盖有之乎。于時神光照海。
忽然有浮來者曰。如吾不在者。汝何能平此國乎。由吾在故。汝得建其大造之績矣。是時大己貴神問曰。然則汝是誰耶。對曰。吾
是汝之幸魂奇魂也。大己貴神曰。唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。今欲何處住耶對曰。吾欲住於日本國之三諸山。故即營宮彼處使
就而居。此大三輪之神也。此神之子。即甘茂君等。大三輪君等。又姫蹈鞴五十鈴姫命。又曰。事代主神化爲八尋熊鰐。通三嶋溝
□姫。或云玉櫛姫。而生兒姫蹈鞴五十鈴姫命。是爲神日本磐余彦火火出見天皇之后也。』初大己貴神之平國也。行到出雲國五十
狹狹小汀而且當飮食。是時海上忽有人聲。乃驚而求之。都無所見。頃時有一箇小男。以白□皮爲舟。以鷦鷯羽爲衣。隨潮水以浮
到。大己貴神即取置掌中而翫之。則跳囓其頬。乃恠其物色。遣使白於天神。于時高皇産靈尊聞之而曰。吾所産兒凡有一千五百座
。其中一兒最惡。不順教養。自指間漏堕者。必彼矣。宜愛而養之。此即少彦名命是也。』顯。此云于都斯。蹈鞴。此云多多羅。幸魂
。此云佐枳彌多摩。奇魂。此云倶斯美□磨。鷦鷯。此云娑娑岐。

  巻二神代下   日本書紀卷第二神代下
巻二神代下第九段本文   天照太神之子。正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊。娶高皇産靈尊之女栲幡千千姫。生天津彦彦
火瓊瓊杵尊。故皇祖高皇産靈尊。特鍾憐愛以崇養焉。遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊以爲葦原中國之主。然彼地多有螢火光神
及蝿聲邪神。復有草木咸能言語。故高皇産靈尊召集八十諸神。而問之曰。吾欲令撥平葦原中國之邪鬼。當遣誰者宜也。惟爾諸神
勿隱所知。僉曰。天穗日命是神之傑也。可不試歟。於是、俯順衆言。即以天穗日命往平之。然此神侫媚於大己貴神。比及三年尚
不報聞。故仍遣其子大背飯三熊之大人。〈大人。此云于志。〉亦名武三熊之大人。此亦還順其父。遂不報聞。故高皇産靈尊更會諸
神問當遣者。僉曰。天國玉之子天稚彦。是壯士也。宜試之。於是高皇産靈尊賜天稚彦天鹿兒弓及天羽羽矢。以遣之。此神亦不忠
誠也。來到即娶顯國玉之女子下照姫。〈亦名高姫。亦名稚國玉。〉因留住之曰。吾亦欲馭葦原中國。遂不復命。是時高皇産靈尊恠
其久不來報。乃遣無名雉伺之。其雉飛降止於天稚彦門前所植〈植。此云多底婁。〉湯津杜木之杪。〈杜木。此云可豆邏也。〉時天探
女〈天探女。此云阿麻能左愚謎。〉見而謂天稚彦曰。奇鳥來居杜杪。天稚彦乃取高皇産靈尊所賜天鹿兒弓。天羽羽矢。射雉斃之。
其矢洞達雉胸而至高皇産靈尊之座前也。時高皇産靈尊見其矢日。是矢則昔我賜天稚彦之矢也。血染其矢。蓋與國神相戰而然歟
。於是、取矢還投下之。其矢落下則中天稚彦之胸上。于時天稚彦、新甞休臥之時也。中矢立死。此世人所謂反矢可畏之縁也。天
稚彦之妻下照姫哭泣悲哀聲達于天。是時天國玉聞其哭聲。則知夫天稚彦已死。乃遣疾風擧尸致天。便造喪屋而殯之。即以川鴈
爲持傾頭者及持帚者。〈一云。以鶏爲持傾頭者。以川鴈爲持帚者。〉又以雀爲春女。〈一云。乃以川鴈爲持傾頭者。亦爲持帚者。以
□爲尸者。以雀爲春女。以鷦鷯爲哭者。以鵄爲造綿者。以烏爲宍人者。凡以衆鳥任事。〉而八日八夜啼哭悲歌。先是天稚彦在於葦
原中國也。與味耜高彦根神友善。〈味耜。此云婀膩須岐。〉故味耜高彦根神昇天弔喪。時此神容貌。正類天稚彦平生之儀。故天稚
彦親屬妻子皆謂。吾君猶在。則攀牽衣帶。且喜且慟。時味耜高彦根神忿然作色曰。朋友之道理宜相弔。故不憚汚穢。遠自赴哀。
何爲誤我於亡者。則拔其帶劔大葉刈。〈刈。此云我里。亦名神戸劔。〉以斫仆喪屋。此即落而爲山。今在美濃國藍見川之上喪山是
也。世人惡以生誤死。此其縁也。』是後、高皇産靈尊更會諸神選當遣於葦原中國者。僉曰。磐裂〈磐裂。此云以簸娑窶。〉根裂神之
子。磐筒男磐筒女所生之子經津〈經津。此云賦都。〉主神、是將佳也。時有天石窟所住神稜威雄走神之子甕速日神。甕速日神之子
□速日神。□速日神之子武甕槌神。此神進曰。豈唯經津主神獨爲丈夫而吾非丈夫者哉。其辭氣慷慨。故以即配經津主神、令平葦
原中國。二神於是降到出雲國五十田狹之小汀。則拔十握劔。倒植於地。踞其鋒端而問大己貴神曰。高皇産靈尊欲降皇孫君臨此
地。故先遣我二神駈除平定。汝意何如。當須避不。時大己貴神對曰。當問我子然後將報。是時其子事代主神遊行在於出雲國三穗
〈三穗。此云美保。〉之碕。以釣魚爲樂。或曰。遊鳥爲樂。故以熊野諸手船〈亦名天□船。〉載使者稻背脛遣之。而致高皇産靈尊勅
於事代主神。且問將報之辭。時事代主神謂使者曰。今天神有此借問之勅。我父宜當奉避。吾亦不可違。因於海中造八重蒼柴籬。〈
柴。此云府璽。〉蹈船□〈船□。此云浮那能倍。〉而避之。使者既還報命。』故大己貴神則以其子之辭白於二神曰。我怙之子既避去
矣。故吾亦當避。如吾防禦者。國内諸神必當同禦。今我奉避。誰復敢有不順者。乃以平國時所杖之廣矛。授二神曰。吾以此矛卒
有治功。天孫若用此矛治國者。必當平安。今我當於百不足之八十隅將隱去矣。〈隅。此云矩磨泥。〉言訖遂隱。於是、二神誅諸不
順鬼神等〈一云。二神遂誅邪神及草木石類。皆已平了。其所不服者。唯星神香香背男耳。故加遣倭文神。建葉槌命者則服。故二神
登天也。』倭文神。此云斯圖梨俄未。〉果以復命。』于時、高皇産靈尊、以眞床追衾、覆於皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊使降之。皇孫乃
離天磐座。〈天磐座。此云阿麻能以簸矩羅。〉且排分天八重雲。稜威之道別道別而天降於日向襲之高千穗峯矣。既而皇孫遊行之
状也者。則自 日二上天浮橋。立於浮渚在平處。〈立於浮渚在平處。此云羽企爾磨梨陀毘邏而陀陀志。〉而膂完之空國、自頓丘覓
國行去。〈頓丘。此云毘陀烏。覓國。此云矩貳磨儀。行去。此云騰褒屡。〉到於吾田長屋笠狹之碕矣。其地有一人。自號事勝國勝長
狹。皇孫問曰。國在耶以不。對曰。此焉有國。請任意遊之。故皇孫就而留住。時彼國有美人。名曰鹿葦津姫。〈亦名神吾田津姫。
亦名木花之開耶姫。〉皇孫問此美人曰。汝誰之女子耶。對曰。妾是天神娶大山祇神所生兒也。皇孫因而幸之。即一夜而有娠。皇孫
未信之曰。雖復天神何能一夜之間令人有娠乎。汝所懷者必非我子歟。故鹿葦津姫忿恨。乃作無戸室入居其内。而誓之曰。妾所娠
。非天孫之胤必當 滅。如實天孫之胤火不能害。即放火燒室。始起烟末生出之兒。號火闌降命。〈是隼人等始祖也。』火闌降。此云
褒能須素里。〉次避熱而居生出之兒號彦火火出見尊。次生出之兒號火明命。〈是尾張連等始祖也。〉凡三子矣。久之天津彦彦火瓊
瓊杵尊崩。因葬筑紫日向可愛〈可愛。此云埃。〉之山陵。
巻二神代下第九段一書第一   一書曰。天照大神勅天稚彦曰。豐葦原中國。是吾兒可王之地也。然慮有殘賊強暴横
惡之神者。故汝先往平之。乃賜天鹿兒弓及天眞鹿兒矢遣之。天稚彦受勅來降。則多娶國神女子、經八年無以報命。故天照大神、
乃召思兼神問其不來之状。時思兼神思而告曰。宜且遣雉問之。於是、從彼神謀。乃使雉往候之。其雉飛下。居于天稚彦門前湯津
杜樹之杪、而鳴之曰。天稚彦、何故八年之間未有復命。時有國神、號天探女。見其雉曰。鳴聲惡鳥、在此樹上。可射之。天稚彦、
乃取天神所賜天鹿兒弓。天眞鹿兒矢便射之。則矢達雉胸、遂至天神所處。時天神見其矢曰。此昔我賜天稚彦之矢也。今何故來。
乃取矢而咒之曰。若以惡心射者。則天稚彦必當遭害。若以平心射者。則當無恙。因還投之。即其矢落下中于天稚彦之高胸。因以
立死。此世人所謂返矢可畏縁也。』時天稚彦之妻子、從天降來將柩上去。而於天作喪屋殯哭之。先是天稚彦與味耜高彦根神友善
。故味耜高彦根神登天弔喪大臨焉。時此神形貎自與天稚彦恰然相似。故天稚彦妻子等見而喜之曰。吾君猶在。則攀持衣帶不可
排離。時味耜高彦根神忿曰。朋友喪亡。故吾即來弔。如何誤死人於我耶。乃拔十握劒斫倒喪屋。其屋墮而成山。此則美濃國喪山
是也。世人惡以死者誤己、此其縁也。時味耜高彦根神光儀華艶映于二丘二谷之間。故喪會者歌之曰。或云。味耜高彦根神之妹下
照媛。欲令衆人知映丘谷者。是味耜高彦根神。故歌之曰。阿妹奈屡夜。乙登多奈婆多廼。汚奈餓勢屡。多磨廼彌素磨屡廼。阿奈
陀磨波夜。彌多爾輔□和□邏須。阿泥素企多伽避顧禰。又歌之曰。阿磨佐箇屡。避奈菟謎廼。以和多邏素西渡。以嗣箇播箇□輔
智。箇多輔智爾。阿彌播利和□嗣。妹慮豫嗣爾。豫嗣豫利據禰。以嗣箇播箇□輔智。此兩首歌辭今號夷曲。』既而天照大神。以思
兼神妹萬幡豐秋津媛命。配正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊爲妃、令降之於葦原中國。是時勝速日天忍穗耳尊。立于天浮橋而臨睨之
曰。彼地未平矣。不須也。頗傾也凶目杵之國歟。乃更還登。具陳不降之状。故天照大神復遣武甕槌神及經津主神先行駈除。時二
神降到出雲。便問大己貴神曰。汝將此國奉天神耶以不。對曰。吾兒事代主射鳥遨遊在三津之碕。今當問以報之。乃遣使人訪焉。
對曰。天神所求何不奉歟。故大己貴神以其子之辭報乎二神。二神乃昇天復命而告之曰。葦原中國皆已平竟。時天照大神勅曰。若
然者方當降吾兒矣。且將降間。皇孫已生。號曰天津彦彦火瓊杵尊。時有奏曰。欲以此皇孫代降。故天照大神乃賜天津彦彦火瓊瓊
杵尊、八坂瓊曲玉及八咫鏡、草薙劒三種寶物。又以中臣上祖天兒屋命。忌部上祖太玉命。猿女上祖天鈿女命。鏡作上祖石凝姥命
。玉作上祖玉屋命。凡五部神使配侍焉。因勅皇孫曰。葦原千五百秋之瑞穗國。是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫就而治焉。行矣。
寶祚之隆當與天壌無窮者矣。』已而且降之間。先驅者還白。有一神。居天八達之衢。其鼻長七咫。背長七尺餘。當言七尋。且口尻
明耀。眠如八咫鏡而□然似赤酸醤也。即遣從神往問。時有八十萬神。皆不得目勝相問。故特勅天鈿女曰。汝是目勝於人者。宜往
問之。天鈿女乃露其胸乳。抑裳帶於臍下。而笑□向立。是時、衢神問曰。天鈿女、汝爲之何故耶。對曰。天照大神之子所幸道路。
有如此居之者誰也。敢問之。衢神對曰。聞天照大神之子今當降行。故奉迎相待。吾名是猿田彦大神。時天鈿女復問曰。汝將先我
行乎。將抑我先汝行乎。對曰。吾先啓行。天鈿女復問曰。汝何處到耶。皇孫何處到耶。對曰。天神之子則當到筑紫日向高千穗□
觸之峯。吾則應到伊勢之狹長田五十鈴川上。因曰。發顯我者汝也。故汝可以送我而致之矣。天鈿女還詣報状。皇孫、於是、脱離
天磐座。排分天八重雲。稜威道別道別、而天降之也。果如先期。皇孫則到筑紫日向高千穗□觸之峯。其猿田彦神者。則到伊勢之
狹長田五十鈴川上。即天鈿女命隨猿田彦神所乞遂以侍送焉。時皇孫勅天鈿女命。汝宜以所顯神名爲姓氏焉。因賜猿女君之號。
故猿女君等男女、皆呼爲君此其縁也。』高胸。此云多歌武娜娑歌。頗傾也。此云歌矛志。
巻二神代下第九段一書第二   一書曰。天神遣經津主神。武甕槌神使平定葦原中國。時二神曰。天有惡神。名曰天
津甕星。亦名天香香背男。請先誅此神。然後下撥葦原中國。是時齋主神號齋之大人。此神今在乎東國楫取之地也。既而二神降到
出雲五十田狹之小汀。而問大己貴神曰。汝將以此國奉天神耶以不。對曰。疑汝二神非是吾處來者。故不須許也。於是經津主神則
還昇報告。時高皇産靈尊乃還遣二神。勅大己貴神曰。今者聞汝所言深有其理。故更條而勅之。夫汝所治顯露之事。宜是吾孫治之
。汝則可以治神事。又汝應住天日隅宮者。今當供造。即以千尋栲繩。結爲百八十紐。其造宮之制者。柱則高太。板則廣厚。又將田
供佃。又爲汝往來遊海之具。高橋浮橋及天鳥船亦將供造。又於天安河亦造打橋。又供造百八十縫之白楯。又當主汝祭祀者天穗
日命是也。』於是大己貴神報曰。天神勅教慇懃如此。敢不從命乎。吾所治顯露事者。皇孫當治。吾將退治幽事。乃薦岐神於二神曰
。是當代我而奉從也。吾將自此避去。即躬披瑞之八坂瓊、而長隱者矣。故經津主神、以岐神。爲郷導周流削平。有逆命者即加斬
戮。歸順者仍加褒美。是時歸順之首渠者。大物主神及事代主神。乃合八十萬神於天高市。帥以昇天陳其誠款之至。』時高皇産靈
尊勅大物主神。汝若以國神爲妻。吾猶謂汝有疏心。故今以吾女三穗津姫配汝爲妻。宜領八十萬神、永爲皇孫奉護。乃使還降之。
既以紀伊國忌部遠祖手置帆負神、定爲作笠者。彦狹知神、爲作盾者。天目一箇神、爲作金者。天日鷲神、爲作木綿者。櫛明玉神、
爲作玉者。乃使太玉命、以弱肩被太手繦、而代御手、以祭此神者始起於此矣。且天兒屋命主神事之宗源者也。故俾以太占之卜事
而奉仕焉。高皇産靈尊因勅曰。吾則起樹天津神籬及天津磐境。當爲吾孫奉齋矣。汝天兒屋命。太玉命宜持天津神籬。降於葦原中
國。亦爲吾孫奉齋焉。乃使二神陪從天忍穗耳尊以降之。』是時天照大神手持寶鏡。授天忍穗耳尊而祝之曰。吾兒視此寶鏡當猶視
吾。可與同床共殿以爲齋鏡。復勅天兒屋命。太玉命。惟爾二神亦同侍殿内。善爲防護。又勅曰。以吾高天原所御齋庭之穗亦當御
於吾兒。則以高皇産靈尊之女號萬幡姫。配天忍穗耳尊爲妃降之。故時居於虚天而生兒。號天津彦火瓊瓊杵尊。因欲以此皇孫代
親而降。故以天兒屋命。太玉命及諸部神等悉皆相授。且服御之物一依前授。然後天忍穗耳尊復還於天。故天津彦火瓊瓊杵尊降
到於日向□日高千穗之峯。而膂完胸副國自頓丘覓國行去。立於浮渚在平地。乃召國主事勝國勝長狹而訪之。對曰。是有國也。取
捨随勅。時皇孫因立宮殿。是焉遊息。後遊幸海濱見一美人。皇孫問曰。汝是誰之子耶。對曰。妾是大山祇神之子。名神吾田鹿葦
津姫。亦名木花開耶姫。因白。亦吾姉磐長姫在。皇孫曰。吾欲以汝爲妻。如之何。對曰。妾父大山祇神在。請以垂問。皇孫因謂大
山祇神曰。吾見汝之女子。欲以爲妻。於是大山祇神乃使二女持百机飮食奉進。時皇孫謂姉爲醜。不御而罷。妹有國色引而幸之。
則一夜有身。故磐長姫大慙而詛之曰。假使天孫不斥妾而御者。生兒永壽有如磐石之常存。今既不然。唯弟獨見御。故其生兒。必
如木花之移落。一云。磐長姫耻恨而。唾泣之曰。顯見蒼生者。如木花之俄遷轉當衰去矣。此世人短折之緑也。是後神吾田鹿葦津
姫見皇孫曰。妾孕天孫之子。不可私以生也。皇孫曰。雖復天神之子如何一夜使人娠乎。抑非吾之兒歟。木花開耶姫甚以慙恨。乃
作無戸室而誓之曰。吾所娠。是若他神之子者。必不幸矣。是實天孫之子者。必當全生。則入其室中以火焚室。干時焔初起時共生
兒號火酢芹命。次火盛時生兒號火明命。次生兒號彦火火出見尊。亦號火折尊。』齋主。此云伊幡毘。顯露。此云阿羅幡貳。齋庭。
此云踰貳波。
巻二神代下第九段一書第三   一書曰。初火焔明時生兒火明命。次火炎盛時生兒火進命。又曰火酢芹命。次避火炎
時生兒火折彦火火出見尊。凡此三子、火不能害。及母亦無所少損。時以竹刀、截其兒臍。其所棄竹刀。終成竹林。故號彼地曰竹
屋。時神吾田鹿葦津姫、以卜定田。號曰狹名田。以其田稻、釀天甜酒嘗之。又用淳浪田稻爲飯嘗之。
巻二神代下第九段一書第四   一書曰。高皇産靈尊、以眞床覆衾、□天津彦國光彦火瓊瓊杵尊。則引開天磐戸。排
分天八重雲以奉降之。干時大伴連遠祖天忍日命。帥來目部遠祖天□津大來目。背負天磐靫。臂著稜威高鞆、手捉天梔弓・天羽羽
矢。及副持八目鳴鏑。又帶頭槌釼。而立天孫之前、遊行降來。到於日向襲之高千穗□日二上峯。天浮橋而立於浮渚在之平地。膂
完空國、自頓丘覓國行去。到於吾田長屋笠狹之御碕。時彼處有一神。名曰事勝國勝長狹。故天孫問其神曰。國在耶。對曰。在也。
因曰。随勅奉矣。故天孫留住於彼處。其事勝國勝神者是伊弉諾尊之子也。亦名鹽土老翁。』(以下大系本。岩波本下にあり。)梔。
此云波茸。音之移反。頭槌。此云箇歩豆智。老翁。此云烏膩。
巻二神代下第九段一書第五   一書曰。天孫幸大山祇神之女子。吾田鹿葦津姫。則一夜有身。遂生四子。故吾田鹿
葦津姫、抱子而來進曰。天神之子寧可以私養乎。故告状知聞。是時天孫見其子等嘲之曰。妍哉。吾皇子者、聞喜而生之歟。故吾
田鹿葦津姫、乃慍之曰。何爲嘲妾乎。天孫曰。心疑之矣、故嘲之。何則雖復天神之子。豈能一夜之間、使人有身者哉。固非我子矣
。是以、吾田鹿葦津姫益恨。作無戸室、入居其内誓之曰。妾所娠(妊)若非天神之胤者必亡。是若天神之胤者無所害。則放火焚室
。其火初明時躡誥出兒自言。吾是天神之子。名火明命。吾父何處坐耶。次火盛時躡誥出兒亦言。吾是天神之子。名火進命。吾父
及兄何處在耶。次火炎衰時躡誥出兒亦言。吾是天神之子。名火折尊。吾父及兄等何處在耶。次避火熱時躡誥出兒亦言。吾是天神
之子。名彦火火出見尊。吾父及兄等何處在耶。然後母吾田鹿葦津姫。自火燼中出來就而稱之曰。妾所生兒及妾身自當火難無所
少損。天孫豈見之乎。報曰。我知本是吾兒。但一夜而有身。慮有疑者。欲使衆人皆知是吾兒。并亦天神能令一夜有娠。亦欲明汝
有靈異之威。子等復有超倫之氣。故有前日之嘲辭也。』梔。此云波茸。音之移反。頭槌。此云箇歩豆智。老翁。此云烏膩。
巻二神代下第九段一書第六   一書曰。天忍穗根尊、娶高皇産靈尊女子栲幡千千姫萬幡姫命。亦云。高皇産靈尊兒
火之戸幡姫兒千千姫命。而生兒天火明命。次生天津彦根火瓊瓊杵根尊。其天火明命兒、天香山、是尾張連等遠祖也。及至奉降皇
孫火瓊瓊杵尊、於葦原中國也。高皇産靈尊、勅八十諸神曰。葦原中國者、磐根木株草葉、猶能言語。夜者若□火而喧響之。晝者
如五月蝿而沸騰之云云。』時高皇産靈尊勅曰。昔遣天稚彦於葦原中國。至今所以久不來者。蓋是國神有強禦之者。乃遣無名雄雉
往候之。此雉降來因見粟田豆田。則留而不返。此世所謂雉頓之縁也。故復遣無名雌雉。此鳥下來爲天稚彦所射中其矢而上報云
々。』是時高皇産靈尊乃用眞床覆衾 皇孫天津彦根火瓊瓊杵根尊。而排披天八重雲以奉降之。故稱此神曰天國饒石彦火瓊瓊杵尊
。干時降到之處者。呼曰日向襲之高千穗添山峯矣。及其遊行之時也云々。』到干吾田笠狹之御碕。遂登長屋之竹嶋。乃巡覽其地
者。彼有人焉。名曰事勝國勝長狹。天孫因問之曰。此誰國歟。對曰。是長狹所住之國也。然今乃奉上天孫矣。天孫又問曰。其於秀
起浪穗之上起八尋殿而手玉玲瓏織経之少女者是誰之子女耶。答曰。大山祇神之女等。大號磐長姫。少號木花開耶姫。亦號豐吾
田津姫云々。』皇孫因幸豐吾田津姫。則一夜而有身。皇孫疑之云々。』遂生火酢芹命。次生火折尊。亦號彦火火出見尊。母誓已驗
。方知。實是皇孫之胤。然豐吾田津姫恨皇孫不與共言。皇孫憂之。乃爲歌之曰。憶企都茂幡。陛爾幡譽戻耐母。佐禰耐據茂。阿黨
播怒介茂譽。播磨都智耐理譽。』□火。此云褒□倍。喧響。此云淤等娜比。五月蝿。此云左魔陪。添山。此云曾褒里能耶麻。秀起。
此云左岐陀豆屡。
巻二神代下第九段一書第七   一書曰。高皇産靈尊之女天萬栲幡千幡姫。一云。高皇産靈尊兒。萬幡姫兒玉依姫命
。此神爲天忍骨命妃。生兒天之杵火火置瀬尊。一云。勝速日命兒天大耳尊。此神娶丹□姫。生兒火瓊瓊杵尊。一云。神高皇産靈
尊之女栲幡千幡姫。生兒火瓊瓊杵尊。一云。天杵瀬命娶吾田津姫。生兒火明命。次火夜織命。次彦火火出見尊。
巻二神代下第九段一書第八   一書曰。正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊。娶高皇産靈尊之女天萬栲幡千幡姫爲妃而生
兒。號天照國照彦火明命。是尾張連等遠祖也。次天饒石國饒石天津彦火瓊瓊杵尊。此神娶大山祇神女子木花開耶姫命爲妃而生
兒。號火酢芹命。次彦火火出見尊。
巻二神代下第十段本文   兄火闌降命。自有海幸。〈幸。此云左知。〉弟彦火火出見尊。自有山幸。始兄弟二人相謂曰
。試欲易幸。遂相易之。各不得其利。兄悔之乃還弟弓箭。而乞己釣鈎。弟時既失兄鈎。無由訪覓。故別作新鈎與兄。兄不肯受而責
其故鈎。弟患之。即以其横刀鍛作新鈎。盛一箕而與之。兄忿之曰。非我故鈎雖多不取。益復急責。故彦火火出見尊憂苦甚深。行
吟海畔。時逢鹽土老翁。老翁問曰。何故在此愁乎。對以事之本末。老翁曰。勿復憂。吾當爲汝計之。乃作無目篭。内彦火火出見尊
於篭中沈之干海。即自然有可怜小汀。〈可怜。此云干麻師。汀。此云波麻。〉於是棄篭遊行。忽至海神之宮。其宮也雉□整頓。臺宇
玲瓏。門前有一井。井上有一湯津杜樹。枝葉扶疏。時彦火火出見尊就其樹下。徒倚彷徨良久有一美人。排闥而出。遂以玉鋺來當
汲水。因擧目視之。乃驚而還入。白其父母曰。有一希客者。在門前樹下。海神於是鋪設八重席延以薦内之。坐定。因問其來意。時
彦火火出見尊對以情之委曲。海神乃集大小之魚逼問之。僉曰。不識唯赤女〈赤女。鯛魚名也。〉比有口疾而不來。固召之探其口者
。果得失鈎。已而彦火火出見尊因娶海神女豐玉姫。仍留住海宮。已經三年。彼處雖復安樂。猶有憶郷之情。故時復太息。豐玉姫
聞之謂其父曰。天孫悽然數歎。蓋懷土之憂乎。海神乃延彦火火出見尊從容語曰。天孫若欲還郷者。吾當奉送。便授所得釣鈎。因
誨之曰。以此鈎與汝兄時。則陰呼此鈎曰貧鈎。然後與之。復授潮滿瓊及潮涸瓊而誨之曰。漬潮滿瓊者則潮忽滿。以此沒溺汝兄。
若兄悔而祈者。還漬潮涸瓊則潮自涸。以此救之。如此逼惱。則汝兄自伏。及將歸去。豐玉姫謂天孫曰。妾已娠矣。當産不久。妾必
以風涛急峻之日出到海濱。請爲我作産室相待矣。彦火火出見尊已還宮一遵海神之教。時兄火闌降命既被厄困。乃自伏罪曰。從
今以後。吾將爲汝俳優之民。請施恩活。於是隨其所乞遂赦之。其火闌降命。即吾田君小橋等之本祖也。』後豐玉姫果如前期將其
女弟玉依姫直冐風波來到海邊。逮臨産時請曰。妾産時幸勿以看之。天孫猶不能忍。竊往覘之。豐玉姫方産化爲龍。而甚慙之曰。
如有不辱我者。則使海陸相通。永無隔絶。今既辱之。將何以結親昵之情乎。乃以草□兒棄之海邊閉海途而徑去矣。故因以名兒曰
彦波□武□□草葺不合尊。後久之彦火火出見尊崩。葬日向高屋山上陵。
巻二神代下第十段一書第一   一書曰。兄火酢芹命能得海幸。弟彦火火出見尊能得山幸。時兄弟欲互易其幸。故兄
持弟之幸弓。入山覓獸。終不見獸之乾迹。弟持兄之幸鈎。入海釣魚。殊無所獲。遂失其鈎。是時兄還弟弓矢而責己鈎。弟患之。乃
以所帯横刀作鈎。盛一箕與兄。兄不受曰。猶欲得吾之幸鈎。於是、彦火火出見尊不知所求。但有憂吟。乃行至海邊。彷徨嗟嘆。時
有一長老。忽然而至。自稱鹽土老翁。乃問之曰。君是誰者。何故患於此處乎。彦火火出見尊具言其事。老翁即取嚢中玄櫛。投地
則化成五百箇竹林。因取其竹作大目麁篭。内火火出見尊於篭中投之于海。一云。以無目堅間爲浮木。以細繩繋著火火出見尊而
沈之。所謂堅間是今之竹篭也。于時海底自有可怜小汀。乃尋汀而進。忽到海神豐玉彦之宮。其宮也城闕崇華。樓臺壯麗。門外有
井。井傍有杜樹。乃就樹下立之。良久有一美人。容貌絶世。侍者群從。自内而出。將以玉壼汲玉水。仰見火火出見尊。便以驚還而
白其父神曰。門前井邊樹下有一貴客。骨法非常。若從天降者當有天垢。從地來者當有地垢。實是妙美之虚空彦者歟。』一云。豐玉
姫之侍者以玉瓶汲水。終不能滿。俯視井中。則倒映人笑之顏。因以仰觀。有一麗神。倚於杜樹。故還入白其王。於是、豐玉彦遣人
問曰。客是誰者。何以至此。火火出見尊對曰。吾是天神之孫也。乃遂言來意。時海神迎拜。延入慇懃奉慰。因以女豐玉姫妻之。故
留住海宮已經三載。是後火火出見尊數有歎息。豐玉姫問曰。天孫豈欲還故郷歟。對曰。然。豐玉姫即白父神曰。在此貴客意望欲
還上國。海神於是惣集海魚覓問其鈎。有一魚。對曰。赤女久有口疾。』或云。赤鯛。疑是之呑乎。故即召赤女。見其口者。鈎猶在
口。便得之乃以授彦火火出見尊。因教之曰。以鈎與汝兄時。則可詛言。貧窮之本。飢饉之始。困苦之根。而後與之。又汝兄渉海時
 。吾必起迅風洪涛。令其沒溺辛苦矣。於是乘火火出見尊於大鰐。以送致本郷。先是且別時。豐玉姫從容語曰。妾已有身矣。當以
風涛壯日出到海邊。請爲我造産屋以待之。是後豐玉姫果如其言來至。謂火火出見尊曰。妾今夜當産。請勿臨之。火火出見尊不聽
。猶以櫛燃火視之。時豐玉姫化爲八尋大熊鰐。匍匐逶蛇。遂以見辱爲恨。則徑歸海郷。留其女弟玉依姫持養兒焉。所以兒名稱彦
波□武□□草葺不合尊者。以彼海濱産屋全用□□羽爲草葺之。而甍未合時兒即生焉。故因以名焉。』上國。此云羽播豆矩□。
巻二神代下第十段一書第二   一書曰。門前有一好井。井上有百枝杜樹。故彦火火出見尊跳昇其樹而立之。于時海
神之女豐玉姫。手持玉鋺來將汲水。正見人影在於井中。乃仰視之。驚而墜鋺。鋺既破碎不顧而還入。謂父母曰。妾見一人在於井
邊樹上。顏色甚美。容貌且閑。殆非常之人者也。時父神聞而奇之。乃設八重席迎入。坐定。因問來意。對以情之委曲。時海神便起
憐心盡召鰭廣鰭狹而問之。皆曰。不知。但赤女有口疾不來。亦云。口女有口疾。即急召至。探其口者。所失之針鈎立得。於是海神
制曰。爾口女從今以往。不得呑餌。又不得預天孫之饌。即以口女魚所以不進御者。此其縁也。』及至彦火火出見尊將歸之時。海神
白言。今者。天神之孫、辱臨吾處。中心欣慶何日忘之。乃以思則潮溢之瓊。思則潮涸之瓊。副其鈎而奉進之曰。皇孫雖隔八重之
隈。冀時復相憶而勿棄置也。因教之曰。以此鈎與汝兄時。則稱貧鈎。滅鈎。落薄鈎。言訖以後手投棄與之。勿以向授。若兄起忿怒
有賊害之心者。則出潮溢瓊以漂溺之。若已至危苦求愍者。則出潮涸瓊以救之。如此逼惱。自當臣伏。時彦火火出見尊受彼瓊鈎歸
來本宮。一依海神之教。先以其鈎與兄。兄怒不受。故弟出潮溢瓊。則潮大溢而兄自沒溺。因請之曰。吾當事汝爲奴僕。願垂救活。
弟出潮涸瓊。則潮自涸。而兄還平復。已而兄改前言曰。吾是汝兄。如何爲人兄而事弟耶。弟時出潮溢瓊。兄見之走登高山。則潮
亦沒山。兄縁高樹。則潮亦沒樹。兄既窮途無所逃去。乃伏罪曰。吾已過矣。從今以往吾子孫八十連屬。恒當爲汝俳人。一云。狗人
。請哀之。弟還出涸瓊則潮自息。於是兄知弟有神徳。遂以伏事其弟。是以火酢芹命苗裔諸隼人等。至今不離天皇宮墻之傍。代吠
狗而奉事者矣。世人不債失針此其縁也。
巻二神代下第十段一書第三   一書曰。兄火酢芹命能得海幸。故號海幸彦。弟彦火火出見尊能得山幸。故號山幸彦
。兄則毎有風雨。輙失其利。弟則雖逢風雨。其幸不□、時兄謂弟曰。吾試欲與汝換幸。弟許諾因易之。時兄取弟弓失。入山獵獸。
弟取兄釣鈎入海釣魚。倶不得利。空手來歸。兄即還弟弓矢而責己釣鈎。時弟已失鈎於海中無因訪獲。故別作新鈎數千與之。兄怒
不受。急責故鈎云々。是時弟往海濱。低徊愁吟。時有川鴈。嬰羂困厄。即起憐心解而放去。須臾有鹽土老翁來。乃作無目堅間小
船。載火火出見尊。推放於海中。則自然沈去。忽有可怜御路。故尋路而往。自至海神之宮。是時海神自迎延入。乃鋪設海驢皮八
重使坐其上。兼設饌百机。以盡主人之禮。因從容問曰。天神之孫何以辱臨乎。』一云。頃吾兒來語曰。天孫憂居海濱。未審虚實。
盖有之乎。彦火火出見尊具申事之本末。因留息焉。海神則以其子豐玉姫妻之。遂纒綿篤愛、已經三年。及至將歸海神乃召鯛女。
探其口者即得鈎焉。於是、進此鈎于彦火火出見尊。因奉教之曰。以此與汝兄時乃可稱曰。大鈎、踉□鈎。貧鈎。癡□鈎言訖。則可
以後手投賜。已而召集鰐魚問之曰。天神之孫今當還去。爾等幾日之内將作以奉致。時諸鰐魚各隨其長短定其日數。中有一尋鰐。
自言。一日之内則當致焉。故即遣一尋鰐魚。以奉送焉。復進潮滿瓊。潮涸瓊二種寶物。仍教用瓊之法。又教曰。兄作高田者。汝可
作□田。兄作□田者。汝可作高田。海神盡誠奉助如此矣。時彦火火出見尊既歸來一遵神教。依而行之。弟時出潮滿瓊。即兄擧手
溺困。還出潮涸瓊。則休而平復。其後火酢芹命日以襤褸而憂之曰。吾已貧矣。乃歸伏於弟。先是豐玉姫謂天孫曰。妾已有娠也。
天孫之胤豈可産於海中乎。故當産時必就君處。如爲我造屋於海邊。以相待者。是所望也。故彦火火出見尊已還郷。即以□□之羽
葺爲産屋。屋甍未及合。豐玉姫自馭大龜。將女弟玉依姫光海來到。時孕月已滿。産期方急。由此不待葺合徑入居焉。已而從容謂
天孫曰。妾方産。請勿臨之。天孫心恠其言竊覘之。則化爲八尋大鰐。而知天孫視其私屏。深懷慙恨。既兒生之後。天孫就而問曰。
兒名何稱者當可乎。對曰。宜號彦波□武□□草葺不合尊。言訖乃渉海徑去。于時彦火火出見尊乃歌之曰。飫企都□利。軻茂豆句
志磨爾。和我謂禰志。伊茂播和素邏珥。譽能據□馭□母。亦云。彦火火出見尊取婦人爲乳母。湯母及飯嚼湯坐。凡諸部備行以奉
養焉。于時權用他姫婦。以乳養皇子焉。此世取乳母養兒之縁也。是後豐玉姫聞其兒端正。心甚憐重。欲復歸養。於義不可。故遣
女弟玉依姫以來養者也。于時豐玉姫命寄玉依姫。而奉報歌曰。阿軻娜磨迺。比訶利播阿利登。比□播伊珮耐。企弭我譽贈比志。
多輔妬句阿利計利。凡此贈答二首號曰擧歌。』海驢。此云美知。踉□鈎。此云須須能美□。癡□鈎。此云于樓該□。
巻二神代下第十段一書第四   一書曰。兄火酢芹命得山幸利。弟火折尊得海幸利云云。弟愁吟在海濱。時遇鹽筒老
翁。老翁問曰。何故愁若此乎。火折尊對曰云云。老翁曰。勿復憂。吾將計之。計曰。海神所乘駿馬者八尋鰐也。是竪其鰭背而在橘
之小戸。吾當與彼者共策。乃將火折尊共往而見之。是時鰐魚策之曰。吾者八日以後方致天孫於海宮。唯我王駿馬一尋鰐魚。是當
一日之内必奉致焉。故今我歸而使彼出來。宜乘彼入海。入海之時。海中自有可怜小汀。隨其汀而進者。必至我王之宮。宮門井上
當有湯津杜樹。宜就其樹上而居之。言訖即入海去矣。故天孫隨鰐所言。留居。相待已八日矣。久之方有一尋鰐來。因乘而入海。
毎遵前鰐之教。時有豐玉姫侍者。持玉鋺當汲井水。見人影在水底酌取之不得。因以仰見天孫。即入告其王曰。吾謂我王獨能絶麗
。今有一客。彌復遠勝。海神聞之曰。試以察之。乃設三床請入。於是天孫於邊床則拭其兩足。於中床則據其兩手。於内床則寛坐
於眞床覆衾之上。海神見之。乃知是天神之孫。益加崇敬云云。海神召赤女口女問之。時口女自口出鈎以奉焉。赤女即赤鯛也。口
女即鯔魚也。時海神授鈎彦火火出見尊。因教之曰。還兄鈎時天孫則當言。汝生子八十連屬之裔。貧鈎。狹狹貧鈎言訖。三下唾與
之。又兄入海釣時。天孫宜在海濱以作風招。風招即嘯也。如此則吾起瀛風邊風。以奔波溺惱。火折尊歸來具遵神教。至及兄釣之
日。弟居濱而嘯之。時迅風忽起。兄則溺苦。無由可生。便遥請弟曰。汝久居海原必有善術。願以救之。若活我者。吾生兒八十連屬
。不離汝之垣邊。當爲俳優之民也。於是弟嘯已停而風亦還息。故兄知弟徳欲自伏辜。而弟有慍色。不與共言。於是兄著犢鼻。以
赭塗掌塗面。告其弟曰。吾汚身如此。永爲汝俳優者。乃擧足踏行學其溺苦之状。初潮漬足時則爲足占。至膝時則擧足。至股時則
走廻。至腰時則捫腰。至腋時則置手於胸。至頚時則擧手飄掌。自爾及今曾無廢絶。先是豐玉姫出来。當産時請皇孫曰。云云。皇
孫不從。豐玉姫大恨之曰。不用吾言令我屈辱。故自今以往。妾奴婢至君處者。勿復放還。君奴婢至妾處者。亦勿復還。道以眞床
覆衾及草□其兒置之波□。即入海去矣。此海陸不相通之縁也。一云。置兒於波 者非也。豐玉姫命自抱而去。久之曰。天孫之胤
不宜置此海中。乃使玉依姫持之送出焉。初豐玉姫別去時。恨言既切。故火折尊知其不可復會。乃有贈歌。已見上。』八十連屬。此
云野素豆々企。飄掌。此云陀毘盧箇須也。
巻二神代下第十一段本文   彦波□武□□草葺不合尊。以其姨玉依姫爲妃。生彦五瀬命。次稻飯命。次三毛入野命
。次神日本磐余彦尊。凡生四男。久之彦波□武□□草葺不合尊崩於西洲之宮。因葬日向吾平山上陵。
巻二神代下第十一段一書第一   一書曰。先生彦五瀬命。次稻飯命。次三毛入野命。次狹野尊。亦號神日本磐余彦
尊。所稱狹野者。是年少時之號也。後撥平天下奄有八洲。故復加號曰神日本磐余彦尊。
巻二神代下第十段一書第二   一書曰。先生五瀬命。次三毛野命。次稻飯命。次磐余彦尊。亦號神日本磐余彦火火
出見尊。
巻二神代下第十段一書第三   一書曰。先生彦五瀬命。次稻飯命。次神日本磐余彦火火出見尊。次稚三毛野命。
巻二神代下第十段一書第四   一書曰。先生彦五瀬命。次磐余彦火火出見尊。次彦稻飯命。次三毛入野命。

  巻三巻首   日本書紀卷第三 神日本磐余彦天皇 神武天皇
※巻三神武天皇即位前紀   神日本磐余彦天皇。諱彦火火出見。彦波□武□□草葺不合尊第四子也。母曰玉依姫。海
童之小女也。天皇生而明達。意□如也。年十五立爲太子。長而娶日向國吾田邑吾平津媛。爲妃。生手研耳命。
巻三神武天皇即位前紀甲寅年(前六六七)   及年四十五歳。謂諸兄及子等曰。昔我天神。高皇産靈尊。大日□尊。
擧此豐葦原瑞穗國而授我天祖彦火瓊瓊杵尊。於是火瓊瓊杵尊。闢天關。披雲路。駈仙蹕以戻止。是時運屬鴻荒。時鍾草昧。故蒙
以養正治此西偏。皇祖皇考乃神乃聖。積慶重暉多歴年所。自天祖降跡以逮。于今一百七十九萬二千四百七十餘歳。而遼□之地。
猶未霑於王澤。遂使邑有君。村有長。各自分彊用相凌□。抑又聞於鹽土老翁曰。東有美地。青山四周。其中亦有乘天磐船飛降者
。余謂。彼地必當足以恢弘大業光宅天下。蓋六合之中心乎。厥飛降者。謂是饒速日歟。何不就而都之乎。諸皇子對曰。理實灼然。
我亦恒以爲念。宜早行之。』是年也太歳甲寅。
○巻三神武天皇即位前紀甲寅年(前六六七)十月辛酉《五》   其年冬十月丁巳朔辛酉。天皇親帥諸皇子舟師東征。至
速吸之門。時有一漁人。乘艇而至。天皇招之。因問曰。汝誰也。對曰。臣是國神。名曰珍彦。釣魚於曲浦。聞天神子來。故即奉迎。
又問之曰。汝能爲我導耶。對曰。導之矣。天皇勅授漁人椎 末令執而牽納於皇舟。以爲海導者。乃特賜名爲椎根津彦。〈椎。此云
辭毘。〉此即倭直部始祖也。行至筑紫國菟狹〈菟狹者地名也。此云宇佐。〉時有菟狹國造祖號曰菟狹津彦。菟狹津媛。乃於菟狹川
上。造一柱騰宮。而奉饗焉。〈一柱騰宮。此云阿斯毘苔徒鞅餓離能瀰椰。〉是時。勅以菟狹津媛。賜妻之於侍臣天種子命。天種子
命。是中臣氏之遠祖也。
○巻三神武天皇即位前紀甲寅年(前六六七)十一月甲午《九》   十有一月丙戌朔甲午。天皇至筑紫國崗水門。
○巻三神武天皇即位前紀甲寅年(前六六七)十二月壬午《廿七》   十有二月丙辰朔壬午。至安藝國。居于埃宮。
巻三神武天皇即位前紀乙卯年(前六六六)三月己未《六》   乙卯年春三月甲寅朔己未。徙入吉備國。起行宮以居之。
是曰高嶋宮。積三年間。脩舟楫。蓄兵会。將欲以一擧而平天下也。
巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)二月丁未《十一》   戊午年春二月丁酉朔丁未。皇師遂東。舳艫相接。方到
難波之碕。會有奔潮太急。因以名爲浪速國。亦曰浪花。今謂難波訛也。〈訛。此云與許奈磨盧。〉
○巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)三月丙子《十》   三月丁卯朔丙子。遡流而上。徑至河内國草香邑青雲白
肩之津。
○巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)四月甲辰《九》   夏四月丙申朔甲辰。皇師勒兵歩趣龍田。而其路狹嶮。人
不得並行。乃還更欲東踰膽駒山而入中洲。時長髄彦聞之曰。夫天神子等所以來者。必將奪我國。則盡起屬兵。徼之於孔舍衞坂。
與之會戰。有流矢中五瀬命肱脛。皇師不能進戰。天皇憂之。乃運神策於冲衿曰。今我是日神子孫。而向日征虜此逆天道也。不若
退還示弱禮祭神祇。背負日神之威。隨影壓躡。如此則曾不血刃。虜必自敗矣。僉曰。然。於是令軍中曰。且停。勿復進。乃引軍還
。虜亦不敢逼。却至草香津。植盾而爲雄誥焉。〈雄誥。此云烏多鷄 麼。〉因改號其津曰盾津。今云蓼津訛也。初孔舍衞之戰。有人
隱於大樹而得兔難。仍指其樹曰。恩如母。時人因號其地曰母木邑。今云飫悶廼奇訛也。
○巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)五月癸酉《八》   五月丙寅朔癸酉。軍至茅淳山城水門。〈亦名山井水門。
茅淳。此云智怒。〉時五瀬命矢瘡痛甚。乃撫釼而雄誥之曰。〈撫劔。此云都盧耆能多伽彌屠利辭魔屡。〉慨哉。大丈夫〈慨哉。此云
于黎多棄伽夜。〉被傷於虜手。將不報而死耶。時人因號其處曰雄水門。進到于紀伊國竃山而五瀬命薨于軍。因葬竃山。
○巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)六月丁巳《廿三》   六月乙未朔丁巳。軍至名草邑。則誅名草戸畔者。〈戸
畔。此云妬轂。〉遂越狹野而到熊神邑。且登天磐盾。仍引軍漸進。海中卒遇暴風。皇舟漂蕩。時稻飯命乃歎曰。嗟乎。吾祖則天神
。母則海神。如何厄我於陸。復厄我於海乎。言訖乃拔釼入海。化爲鋤持神。三毛入野命亦恨之曰。我母及姨並是海神。何爲起波
瀾。以潅溺乎。則蹈浪秀而往乎常世郷矣。天皇獨與皇子手研耳命。帥軍而進至熊野荒坂津。〈亦名丹敷浦。〉因誅丹敷戸畔者。時
神吐毒氣。人物咸瘁。由是皇軍不能復振。時彼處有人。號曰熊野高倉下。忽夜夢。天照太神謂武甕雷神曰。夫葦原中國猶聞喧擾
之響焉。〈聞喧擾之響焉。此云左揶霓利奈離。〉宜汝更往而征之。武甕雷神對曰。雖予不行而下予平國之釼。則國將自平矣。天照
太神曰。諾。〈諾。此云宇毎那利。〉時武甕雷神登謂高倉下曰。予釼號曰□靈。〈□靈。此云赴屠能瀰□磨。〉今當置汝庫裏。宜取而
獻之天孫。高倉下曰唯唯而寤之。明旦依夢中教開庫視之。果有落釼。倒立於庫底板。即取以進之。于時。天皇適寐。忽然而寤之
曰。予何長眠若此乎。尋而中毒士卒悉復醒起。既而皇師欲趣中洲。而山中嶮絶。無復可行之路。乃棲遑不知其所跋渉。時夜夢。
天照大神訓于天皇曰。朕今遣頭八咫烏。宜以爲郷導者。果有頭八咫烏。自空翔降。天皇曰。此烏之來自叶祥夢。大哉赫矣。我皇
祖天照大神。欲以助成基業乎。是時。大伴氏之遠祖日臣命帥大來目督將元戎。蹈山啓行。乃尋烏所向仰視而追之。遂達于菟田下
縣。因號其所至之處。曰菟田穿邑。〈穿邑。此云于介知能務羅。〉于時勅譽日臣命曰。汝忠而且勇。加能有導之功。是以改汝名爲
道臣。
○巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)八月乙未《二》   秋八月甲午朔乙未。天皇使徴兄猾及弟猾者。〈猾。此云
字介志。〉是兩人菟田縣之魁帥者也。〈魁帥。此云此登誤廼伽彌。〉時兄猾不來。弟猾即詣至。因拜軍門而告之曰。臣兄兄猾之爲
逆状也。聞天孫且到。即起兵將襲。望見皇師之威。懼不敢敵。乃潜伏其兵。權作新宮。而殿内施機。欲因請饗以作難。願知此詐。
善爲之備。天皇即遣道臣命察其逆状。時道臣命審知有賊害之心。而大怒誥嘖之曰。虜爾所造屋。爾自居之。〈爾。此云飫例。〉因
案釼彎弓。逼令催入。兄猾獲罪兄於天。事無所辭。乃自蹈機而壓死。時陳其屍而斬之。流血沒踝。故號其地曰菟田血原。已而弟
猾大設牛酒。以勞饗皇師焉。天皇以其酒完班賜軍卒。乃爲御謠之曰。〈謠。此云宇多預瀰。〉于 能多伽機珥。辭藝和奈陂蘆。和餓
末菟夜。辭藝破佐夜羅孺、伊殊區波辭。區□羅佐夜離。固奈瀰餓。那居波佐麼。多智曾麼能未廼。那鶏句□。居氣辭被惠禰。宇破
奈利餓。那居波佐磨。伊智佐介幾未迺。於朋鶏句□。居氣□被惠禰。是謂來目歌。今樂府奏此歌者。猶有手量大小及音聲巨細。
此古之遺式也。是後天皇欲省吉野之地。乃從菟田穿邑。親率輕兵巡幸焉。至吉野時。有人出自井中。光而有尾。天皇問之曰。汝
何人。對曰。臣是國神。名爲井光。此則吉野首部始祖也。更少進亦有尾而披磐石而出者。天皇問之曰。汝何人。對曰。臣是磐排別
之子。〈排別。此云飫時和句。〈此則吉野國 部始祖也。及縁水西行。亦有作梁取魚者。〈梁。此云揶奈。〉天皇問之。對曰。臣是苞
苴擔之子。〈苞苴擔。此云珥倍毛菟。〉此則阿太養□部始祖也。
○巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)九月戊辰《五》   九月甲子朔戊辰。天皇陟彼菟田高倉山之巓。瞻望域中。
時國見丘上則有八十梟帥。〈梟帥。此云多稽屡。〉又於女坂置女軍。男坂置男軍。墨坂置 炭。其女坂男坂墨坂之號由此而起也。
復有兄磯城軍。布滿於磐余邑。〈磯。此云志。〉賊虜所據。皆是要害之地。故道路絶塞。無處可通。天皇惡之。▽是夜自祈而寢。夢
。有天神訓之曰。宜取天香山社中土。〈香山。此云介遇夜摩。〉以造天平瓮八十枚。〈平瓮。此云毘邏介。〉并造嚴瓮。而敬祭天神地
祇。〈嚴瓮。此云怡途背。〉亦爲嚴咒詛。如此則虜自平伏。〈嚴咒詛。此云怡途能伽辭離。〉天皇祇承夢訓。依以將行。時弟猾又奏曰
。倭國磯城邑有磯城八十梟帥。又高尾張邑〈或本云。葛城邑也。〉有赤銅八十梟帥。此類皆欲與天皇距戰。臣竊爲天皇憂之。宜今
當取天香山埴以造天平瓮。而祭天社國社之神。然後撃虜則易除也。天皇既以夢辭爲吉兆。及聞弟猾之言。益喜於懷。乃使椎根津
彦著弊衣服及蓑笠。爲老父貌。又使弟猾被箕。爲老嫗貌。而勅之曰。宜汝二人到天香山。潜取其巓土而可來旋矣。基業成否。當
以汝爲占。努力愼歟。是時虜兵滿路。難以往還。時椎根津彦乃祈之曰。我皇當能定此國者。行路自通。如不能者。賊必防禦。言訖
徑去。時羣虜見二人。大咲之曰。大醜乎。〈大醜。此云鞅奈瀰爾勾。〉老父老嫗。則相與闢道使行。二人得至其山。取土來歸。於是
天皇甚悦。乃以此埴造作八十平瓮。天手抉八十枚。〈手抉。此云多衢餌離。〉嚴瓮、而陟于丹生川上。用祭天神地祇。則於彼菟田
川之朝原。譬如水沫而有所咒著也。天皇又因祈之曰。吾今當以八十平 無水造飴。飴成則吾必不假鋒刃之威。坐平天下。乃造飴
。飴即自成。又祈之曰。吾今當以嚴瓮沈于丹生之川。如魚無大小悉醉而流。譬猶□葉之淨流者。〈□。此云磨紀。〉吾必能定此國。
如其不爾。終無所成。乃沈於川。其口向下。頃之魚皆浮出。隨水□□。時椎根津彦見而奏之。天皇大喜。乃拔取丹生川上之五百
箇眞坂樹以祭諸神。自此始有嚴 之置也。時勅道臣命。今以高皇産靈尊。朕親作顯齋。〈顯齋。此云于圖詩怡破毘。〉用汝爲齋主。
授以嚴媛之號。而名其所置埴瓮爲嚴瓮。又火名爲嚴香來雷。水名爲嚴罔象女。〈罔象女。此云瀰菟破廼迷。〉粮名爲嚴稻魂女。〈
稻魂女。此云于伽能迷。〉薪名爲嚴山雷。草名爲嚴野椎。
○巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)十月癸巳朔   冬十月癸巳朔。天皇嘗其嚴瓮之粮。勒兵而出。先撃八十梟
帥於國見丘破斬之。是役也。天皇志存必克。乃爲御謠之曰。伽牟伽筮能。伊齊能于瀰能。於費異之珥夜。異波臂茂等倍屡。之多 
瀰能。之多 瀰能。阿誤豫。之多太瀰能。異波比茂等倍離。于智弖之夜莽務。于智弖之夜莽務。謠意。以大石喩其國見丘也。既而
餘黨猶繁。其情難測。乃顧勅道臣命。汝宜帥大來目部。作大室於忍坂邑。盛設宴饗。誘虜而取之。道臣命於是奉密旨。掘 於忍坂
。而選我猛卒。與虜雜居。陰期之曰。酒酣之後。吾則起歌。汝等聞吾歌聲。則一時刺虜。已而坐定酒行。虜不知我之有陰謀。任情
徑醉。時道臣命乃起而歌之曰。於佐箇廼於朋務露夜珥。比苔瑳破而。異離烏利苔毛。比苔瑳破而。枳伊離烏利苔毛。瀰都瀰都志
。倶梅能固邏餓。勾鶩都都伊。異志都都伊毛智。于智弖之夜莽務。時我卒聞歌。倶拔其頭椎釼。一時殺虜。虜無復□類者。皇軍大
悦。仰天而咲。因歌之曰。伊莽波豫。伊莽波豫。阿阿時夜□。伊莽□而毛阿誤豫。伊莽□而毛阿誤豫。今來目部歌而後大哂。是其
縁也。又歌之曰。愛濔詩烏毘 利。毛毛那比苔。比苔破易陪廼毛。多牟伽毘毛勢儒。此皆承密旨而歌之。非敢自專者也。時天皇曰
。戰勝而無驕者。良將之行也。今魁賊已滅。而同惡者匈匈十數羣。其情不可知。如何久居一處無以制變。乃徙營於別處。
○巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)十一月己巳《七》   十有一月癸亥朔己巳。皇師大擧。將攻磯城彦。先遣使
者徴兄磯城。兄磯城不承命。更遺頭八咫烏召之。時烏到其營而鳴之曰。天神子召汝。怡奘過。怡奘過。〈過。音倭。〉兄磯城忿之曰
。聞天壓神至。而吾爲慨憤時。奈何烏鳥若此惡鳴耶。〈壓。此云飫蒭。〉乃彎弓射之。烏即避去。次到弟磯城宅而鳴之曰。天神子召
汝。怡奘過。怡奘過。時弟磯城 然改容曰。臣聞天壓神至。旦夕畏懼。善乎烏。汝鳴之若此者歟。即作葉盤八枚。盛食饗之。〈葉盤
。此云毘羅耐。〉因以隨烏。詣到而告之曰。吾兄兄磯城聞天神子來。則聚八十梟帥。具兵甲將與決戰。可早圖之。天皇乃會諸將。
問之曰。今兄磯城果有逆賊之意。召亦不來。爲之奈何。諸將曰。兄磯城黠賊也。宜先遣弟磯城曉喩之。并説兄倉下。弟倉下。如遂
不歸順。然後擧兵臨之亦未晩也。〈倉下。此云衢羅餌。〉乃使弟磯城開示利害。而兄磯城等猶守愚謀不肯承伏。時椎根津彦計之曰
。今者宜先遣我女軍。出自忍坂道。虜見之。必盡鋭而赴。吾則駈馳勁卒、直指墨坂。取菟田川水以潅其炭火。□忽之間出其不意。
則破之必也。天皇善其策。乃出女軍以臨之。虜謂大兵已至。畢力相待。先是皇軍攻必取。戰必勝。而介胃之士。不無疲弊。故聊爲
御謠以慰將卒之心焉。謠曰。□□奈梅弖。伊那瑳能椰摩能。虚能莽由毛。易喩耆摩毛羅毘。多多介陪□。和例破椰隈怒。之摩途
等利。宇介譬餓等茂。伊莽輸開珥虚禰。果以男軍越墨坂。從後夾撃破之斬其梟帥兄磯城等。
○巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)十二月丙申《四》   十有二月癸巳朔丙申。皇師遂撃長髄彦。連戰不能取
勝。時忽然天陰而雨氷。乃有金色靈鵄。飛來止于皇弓之弭。其鵄光曄□。状如流電。由是長髄彦軍卒皆迷眩不復力戰。長髄是邑
之本號焉。因亦以爲人名。及皇軍之得鵄瑞也。時人仍號鵄邑。今云鳥見。是訛也。昔孔舎衞之戰。五瀬命中矢而薨。天皇□之。常
懷憤。至此役也。意欲窮誅。乃爲御謠之曰。瀰都瀰都志。倶梅能故邏餓。介耆茂等珥。阿波赴珥破。介瀰羅毘苔茂苔。曾迺餓毛苔
。曾禰梅屠那藝弖。于笞弖之夜莽務。又謠之曰。瀰都瀰都志。倶梅能故邏餓。介耆茂等珥。宇惠志破餌介瀰。勾致弭比倶。和例破
□輸例儒于智弖之夜莽務。因復縱兵忽攻之。凡諸御謠。皆謂來目歌。此的取歌者而名之也。時長髄彦乃遣行人言於天皇曰。嘗有
天神之子。乘天磐船自天降止。號曰櫛玉饒速日命。〈饒速日。此云爾藝波揶卑。〉是娶吾妹三炊屋媛。〈亦名長髄媛。亦名鳥見屋
媛。〉遂有兒息。名曰可美眞手命。〈可美眞手。此云于魔詩莽耐。〉故吾以饒速日命爲君而奉焉。夫天神之子豈有兩種乎。奈何更
穩天神子。以奪人地乎。吾心推之、未必爲信。天皇曰。天神子亦多耳。汝所爲君。是實天神之子者。必有表物。可相示之。長髄彦
即取饒速日命之天羽羽矢一隻及歩靭以奉示天皇。天皇覧之曰。事不虚也。還以所御天羽羽矢一隻及歩靭。賜示於長髄彦。長髄
彦見其天表。益懷□□。然而凶器已搆。其勢不得中休。而猶守迷圖。無復改意。饒速日命本知天神慇懃唯天孫是與。且見夫長髄
彦禀性愎 不可教以天人之際。乃殺之。帥其衆而歸順焉。天皇素聞鐃速日命是自天降者。而今果立忠効。則褒而寵之。此物部氏
之遠祖也。
巻三神武天皇即位前紀己未年(前六六二)二月辛亥《廿》   己未年春二月壬辰朔辛亥。命諸將練士卒。是時層富縣
波□丘岬有新城戸畔者。〈丘岬。此云 □介佐棄。〉又和珥坂下有居勢祝者。〈坂下。此云瑳伽梅苔。〉臍見長柄丘岬有猪祝者。此
三處土蜘蛛並恃其勇力不肯來庭。天皇乃分遺偏師皆誅之。又高尾張邑有土蜘蛛。其爲人也身短而手足長。與侏儒相類。皇軍結
葛網而掩襲殺之。因改號其邑曰葛城。夫磐余之地舊名片居。〈片居。此云伽□韋。〉亦曰片立。〈片立。此云伽□□知。〉逮我皇師
之破虜也。大軍集而滿於其地。因改號爲磐余。或曰。天皇徃甞嚴瓮粮出軍而征。是時。磯城八十梟帥於彼處屯聚居之。〈屯聚居。
此云怡波瀰萎。〉果與天皇大戰。遂爲皇師所滅。故名之曰磐余邑。又皇師立詰之處。是謂猛田。作城處號曰城田。又賊衆戰死而僵
屍枕臂處呼爲頬枕田。天皇以前年秋九月。潜取天香山之埴土。以造八十平瓮。躬自齋戒祭諸神。遂得安定區宇。故號取土之處曰
埴安。
○巻三神武天皇即位前紀己未年(前六六二)三月丁卯《七》   三月辛酉朔丁卯。《七》下令曰。自我東征於茲六年矣。頼
以皇天之威。凶徒就戮。雖邊土未清。餘妖尚梗。而中洲之地無復風塵。誠宜恢廓皇都規大壯。而今運屬此屯蒙。民心朴素。巣棲
穴住。習俗惟常。夫大人立制。義必隨時。苟有利民。何妨聖造。且當披拂山林。經營宮室。而恭臨寶位。以鎭元元。上則答乾靈授
國之徳。下則弘皇孫養正之心。然後兼六合以開都。掩八紘而爲宇不亦可乎。觀夫畝傍山〈畝傍山。此云宇禰縻夜摩。〉東南橿原地
者。蓋國之墺區乎。可治之。
◎巻三神武天皇即位前紀己未年(前六六二)三月   是月。即命有司經始帝宅。
巻三神武天皇即位前紀庚申年(前六六一)八月戊辰《十六》   庚申年秋八月癸丑朔戊辰。天皇當立正妃。改廣求華
胄。時有人奏之曰。事代主神共三嶋溝□耳神之女玉櫛媛。所生兒。號曰媛蹈□五十鈴媛命。是國色之秀者。天皇悦之。
○巻三神武天皇即位前紀庚申年(前六六一)九月乙巳《廿四》   九月壬午朔乙巳。納媛蹈□五十鈴媛命。以爲正妃。
巻三神武天皇元年(辛酉前六六〇)正月庚辰朔   辛酉年春正月庚辰朔。天皇即帝位於橿原宮。』是歳爲天皇元年。』
尊正妃爲皇后。生皇子神八井命。神渟名川耳尊。』故古語稱之曰。於畝傍之橿原也。太立宮柱於底磐之根。峻峙搏風於高天之原。
而始馭天下之天皇。號曰神日本磐余彦火火出見天皇焉。』初天皇草創天基之日也。大伴氏之遠祖道臣命帥大來目部奉承密策。能
以諷歌倒語掃蕩妖氣。倒語之用始起乎茲。
巻三神武天皇二年(壬戌前六五九)二月乙巳《二》   二年春二月甲辰朔乙巳。天皇定功行賞。賜道臣命宅地居于築
坂邑。以寵異之。亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地。今號來目邑。此其縁也。以珍彦爲倭國造。〈珍彦。此云于□毘故。〉又給
弟猾猛田邑。因爲猛田縣主。是菟田主水部遠祖也。弟磯城名黒速。爲磯城縣主。復以釼根者爲葛城國造。又頭八咫烏亦人賞例。
其苗裔即葛野主殿縣主部是也。
巻三神武天皇四年(甲子前六五七)二月甲申《廿三》   四年春二月壬戌朔甲申。詔曰。我皇祖之靈也自天降鑒光助
朕躬。今諸虜已平。海内無事。可以郊祀天神用申大孝者也。乃立靈畤於鳥見山中。其地號曰上小野榛原。下小野榛原。用祭皇祖
天神焉。
巻三神武天皇三一年(辛卯前六三〇)四月乙酉朔   卅有一年夏四月乙酉朔。皇與巡幸。因登腋上□間丘。而廻望國
状曰。妍哉乎國之獲矣。〈妍哉。此云鞅奈珥夜。〉雖内木錦之眞□國。猶如蜻蛉之臀□焉。由是始有秋津洲之號也。昔伊弉諾尊目
此國曰。日本者浦安國。細戈千足國。磯輪上秀眞國。〈秀眞國。此云袍圖莽勾爾。〉復大己貴大神目之曰。玉牆内國。及至饒速日
命乘天磐船。而翔行太虚也。睨是郷而降之。故因目之曰虚空見日本國矣。
巻三神武天皇三二年(壬辰前二九)正月甲寅《三》   卅有二年春正月壬子朔甲寅。立皇子神渟名川耳尊爲皇太子。
巻三神武天皇七六年(丙子前五八五)三月甲辰《十一》   七十有六年春三月甲午朔甲辰。天皇崩于橿原宮。時年一
百廿七歳。   明年秋九月乙卯朔丙寅。葬畝傍山東北陵。


      ・・・・・・巻三十

                                 

 

       
   万葉集    

       巻 第ニ 〜 五   巻 第六〜 十  巻 第十〜二十
               
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       巻 第 一
 
         雑歌(くさぐさのうた)
 
      泊瀬(はつせ)の朝倉の宮に天(あめ)の下しろしめしし
      天皇(すめらみこと)の代(みよ)
 
        天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)    1

  籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串持ち
  この丘に 菜摘ます子 家告(の)らせ 名のらさね
  そらみつ 大和の国は おしなべて 吾(あれ)こそ居れ
  しきなべて 吾(あれ)こそ座(ま)せ 吾(あ)をこそ 
  夫(せ)とは告らめ 家をも名をも
 

       高市の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

       天皇の香具山に登りまして望国(くにみ)したまへる時に
       みよみませる御製歌(おほみうた)  2


  大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山
  登り立ち 国見をすれば 国原は 煙(けぶり)立ち立つ
  海原は 鴎(かまめ)立ち立つ 
  うまし国ぞ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は
 

       天皇の宇智の野(ぬ)に遊猟(みかり)したまへる時、中皇命
    (なかちひめみこ)の 間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして
     献らせたまふ歌   3


  やすみしし 我が大王(きみ)の あしたには取り撫でたまひ
  夕へには い倚(よ)り立たしし み執(と)らしの 梓の弓の
  鳴弭(なりはず)の 音すなり 朝猟(あさがり)に 今立たすらし
  夕猟(ゆふがり)に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 
  鳴弭の音すなり
 
      反(かへ)し歌    4

  玉きはる宇智の大野に馬並(な)めて朝踏ますらむその草深野
 


       讃岐国安益郡(あやのこほり)に幸(いでま)せる時、
       軍王(いくさのおほきみ)の山を見てよみたまへる歌   5

  霞立つ 長き春日の 暮れにける 別(わ)きも知らず
  むらきもの 心を痛み 鵺子鳥(ぬえことり)
  うら嘆(な)げ居(を)れば
  玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大王(おほきみ)の
  行幸(いでまし)の 山越しの風の 独り居(を)る 吾(あ)が
  衣手に 朝宵に 還らひぬれば 大夫(ますらを)と 
  思へる我(あれ)も 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る 
  たづきを知らに 綱の浦の 海人処女(あまをとめ)らが 
  焼く塩の 思ひぞ焼くる 吾(あ)が下情(したごころ)

 
      反し歌   6 

  山越しの風を時じみ寝(ぬ)る夜おちず家なる妹を懸けて偲(しぬ)ひつ
 
      右、日本書紀ヲ検(カムガ)フルニ、讃岐国ニ幸スコト無シ。
     亦軍王ハ 詳(ツマビ)ラカナラズ。但シ山上憶良大夫ガ
     類聚歌林ニ曰ク、紀ニ曰ク、 天皇十一年己亥冬十二月
     己巳朔壬午、伊豫ノ温湯ノ宮ニ幸セリト云ヘリ。
     一書ニ云ク、是ノ時宮ノ前ニ二ノ樹木在リ。此ノ二ノ樹ニ
     斑鳩(イカルガ)比米(シメ)二ノ鳥、大ニ集マレリ。
     時ニ勅(ミコトノリ)シテ多ク 稲穂ヲ掛ケテ 之ヲ養ヒタマフ。
     乃チ作メル歌ト云ヘリ。若疑(ケダシ)此便ヨリ幸セルカ。
 

     明日香の川原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

        額田王の歌   7 


  秋の野のみ草苅り葺き宿れりし
         宇治の宮処(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思ほゆ
 
    右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検(カムガ)フルニ曰ク、
     書ニ曰ク、戊申ノ年 比良ノ宮ニ幸ス大御歌ナリ。
     但シ紀ニ曰ク、五年春正月己卯ノ朔ノ辛巳、 天皇、
     紀ノ温湯ヨリ至リマス。三月戊寅ノ朔、天皇吉野ノ宮ニ
     幸シテ肆宴ス。 庚辰、天皇近江ノ平浦ニ幸ス。
 

       後の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

        額田王の歌    8 


  熟田津(にきたづ)に船(ふな)乗りせむと月待てば
               潮もかなひぬ今は漕ぎてな
 
      右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検フルニ曰ク、飛鳥ノ岡本宮ニ
     御宇シシ 天皇元年己丑、九年丁酉十二月己巳ノ朔ノ壬午、
     天皇太后、伊豫ノ湯ノ宮ニ幸ス。 後ノ岡本宮ニ馭宇シシ天皇
     七年辛酉ノ春正月丁酉ノ朔ノ壬寅、御船西ニ征キテ、 始メテ
     海路ニ就ク。庚戌、御船伊豫ノ熟田津ノ石湯行宮ニ泊ツ。
     天皇、昔日ヨリ 猶存レル物ヲ御覧シ、当時忽チ感愛ノ情ヲ
     起シタマヒキ。所以因(ソヱニ)歌詠ヲ 製マシテ為ニ哀傷
     シミタマフ。即チ此ノ歌ハ天皇ノ御製ナリ。
     但額田王ノ歌ハ、 別(コト)ニ四首有リ。
 

       紀の温泉(ゆ)に幸せる時、額田王のよみたまへる歌   9 


  三諸(みもろ)の山見つつゆけ我が背子が
              い立たしけむ厳橿(いつかし)が本
 

       中皇命の紀の温泉に徃(いま)せる時の御歌     10 11 12 
 

  君が代も我が代も知らむ磐代(いはしろ)の岡の草根をいざ結びてな


  我が背子は仮廬作らす草(かや)無くば
             小松が下(もと)の草(かや)を苅らさね


  吾(あ)が欲りし子島(こしま)は見しを底深き
              阿胡根(あこね)の浦の玉ぞ拾(ひり)はぬ
    右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検(カムガ)フルニ曰ク、
     天皇ノ御製歌ト云ヘリ。
 

        中大兄(なかちおほえ)の三山(みつやま)の御歌     13 


  香具山は 畝傍を善(え)しと 耳成(なし)と 相争ひき
  神代より かくなるらし 古昔(いにしへ)も しかなれこそ
  現身(うつせみ)も 嬬(つま)を 争ふらしき
 
       反し歌    14 15 

  香具山と耳成山と戦(あ)ひし時立ちて見に来(こ)し印南(なみ)国原

  綿津見の豊旗雲に入日さし今宵の月夜(つくよ)きよく照りこそ
 
      右ノ一首ノ歌、今案(カムガ)フルニ反歌ニ似ズ。但シ旧本
     此ノ歌ヲ以テ反歌ニ載セタリ。故レ今猶此ノ次ニ載ス。
     亦紀ニ曰ク、天豊財重日足姫天皇ノ先ノ四年乙巳、
     天皇ヲ立テテ皇太子ト為ス。
 

       近江の大津の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

        天皇の内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣に詔
     (みことのり) して、春山の万花(はな)の艶(いろ)、
     秋山の千葉(もみち)の彩(にほひ)を競憐(あらそ)はしめ
     たまふ時、額田王の歌を以(もち)て判(ことは)りたまへる
     その歌   16 


  冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
  咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(し)み 入りても聴かず
  草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては
  黄葉(もみ)つをば 取りてそ偲(しぬ)ふ 青きをば 
  置きてそ嘆く そこし怜(たぬ)し 秋山吾(あれ)は
 

       額田王の近江国に下りたまへる時よみたまへる歌    17 


  味酒(うまさけ) 三輪の山 青丹(あをに)よし 奈良の山の
  山の際(ま)ゆ い隠るまて 道の隈(くま) い積もるまてに
  つばらかに 見つつ行かむを しばしばも 見放(さ)かむ山を
  心なく 雲の 隠さふべしや
 
      反し歌    18 

  三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや
 
      右ノ二首ノ歌、山上憶良大夫ガ類聚歌林ニ曰ク、近江国
    ニ都ヲ遷ス時、三輪山ヲ御覧シテ御歌ヨミマセリ。日本書紀ニ
    曰ク、六年丙寅春三月辛酉朔己卯、近江ニ都ヲ遷ス。
 

       井戸王(ゐとのおほきみ)の即ち和(こた)へたまへる歌     19 


  綜麻形(へそがた)の林の岬(さき)のさ野榛(ぬはり)の
                衣に付くなす目につく我が夫(せ)
 
     右ノ一首ノ歌、今按フニ和スル歌ニ似ズ。但シ旧本此ノ次ニ
    載セタリ。故レ以テ猶載ス。
 

       天皇の蒲生野(かまふぬ)に遊猟(みかり)したまへる時、
    額田王のよみたまへる歌   20 


  茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる
 

     皇太子(ひつぎのみこ)の答へたまへる御歌
     明日香宮ニ御宇シシ天皇  21 


  紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾(あれ)恋ひめやも
 
   紀ニ曰ク、天皇七年丁卯夏五月五日、蒲生野ニ縦猟シタマフ。
     時ニ大皇弟諸王内臣及ビ群臣皆悉ク従ヘリ。
 

    明日香の清御(きよみ)原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

    十市皇女(とほちのひめみこ)の伊勢の神宮(おほみがみのみや)
     に参赴(まゐで)たまへる時、波多の横山の巌(いはほ)を
     見て、吹黄刀自(ふきのとじ)がよめる歌   22 


  河の上のゆつ磐群に草むさず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて
 
   吹黄刀自ハ詳ラカナラズ。但シ紀ニ曰ク、天皇四年乙亥春
     二月乙亥朔丁亥、十市皇女、阿閇皇女、
     伊勢神宮ニ参赴タマヘリ。
 

    麻續王(をみのおほきみ)の伊勢国伊良虞(いらご)の島に
    流(はなた)へたまひし時、
    時(よ)の人の哀傷(かなし)みよめる歌  23 


  打麻(うつそ)を麻續の王海人なれや伊良虞が島の玉藻苅ります
 

    麻續王のこの歌を聞かして感傷(かなし)み和へたまへる歌  24 


  うつせみの命を惜しみ波に湿(ひ)で伊良虞の島の玉藻苅り食(は)む
 
   右、日本紀ヲ案フルニ曰ク、天皇四年乙亥夏四月戊戌ノ
     朔乙卯、三品麻續王、罪有リテ因幡ニ流サレタマフ。
     一子ハ伊豆ノ島ニ流サレタマフ。一子ハ血鹿ノ島ニ流サレ
     タマフ。是ニ伊勢国伊良虞ノ島ニ配スト云フハ、若疑後ノ
    人歌辞ニ縁リテ誤記セルカ。
 

     天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)  25 


  み吉野の 耳我(みかね)の嶺(たけ)*に 時なくそ 雪は降りける
  間(ま)無くそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと  その雨の 
  間なきがごと 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来る その山道を
 
   或ル本(マキ)ノ歌、  26 

  み吉野の 耳我の山に 時じくそ 雪は降るちふ
  間なくそ 雨は降るちふ その雪の 時じくがごと
  その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を
 
   右、句々相換レリ。此ニ因テ重テ載タリ。
 

    天皇の吉野の宮に幸せる時にみよみませる御製歌(おほみうた)27 


  淑き人の良しと吉く見て好しと言ひし芳野吉く見よ良き人よく見
 
   紀ニ曰ク、八年己卯五月庚辰朔甲申、吉野宮ニ幸ス。
 

    藤原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

    天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)  28 


  春過ぎて夏来るらし白布(しろたへ)の衣乾したり天の香具山
 

    近江の荒れたる都を過(ゆ)く時、柿本朝臣人麿がよめる歌 29


  玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原の ひしりの御代よ
  生(あ)れましし 神のことごと 樛(つが)の木の いや継ぎ嗣ぎに
  天の下 知ろしめししを そらみつ 大和を置きて
  青丹よし 奈良山越えて いかさまに 思ほしけめか
  楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天の下 知ろしめしけむ
  天皇(すめろぎ)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども
  大殿は ここと言へども 霞立つ 春日か霧(き)れる 夏草か 
  繁くなりぬる ももしきの 大宮処(おほみやどころ) 見れば悲しも
 
   反し歌   30 31 

  楽浪の志賀の辛崎(からさき)幸(さき)くあれど
            大宮人(ひと)の船待ちかねつ


  楽浪の志賀の大曲(おほわだ)淀むとも昔の人にまたも逢はめやも
 

     高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が近江の堵(みやこ)の
     旧(あ)れたるを感傷しみよめる歌  32  33 


  古の人に我あれや楽浪の古き都を見れば悲しき

  楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
 

    紀伊国に幸せる時、川島皇子のよみませる歌(みうた)
    或ルヒト云ク、山上臣憶良ガ作   34 


  白波の浜松が枝の手向(たむけ)ぐさ幾代までにか年の経ぬらむ

    日本紀ニ曰ク、朱鳥四年庚寅秋九月、天皇紀伊国ニ幸ス。
 

     勢(せ)の山を越えたまふ時、阿閇皇女(あべのひめみこ)の
     よみませる御歌   35 


  これやこの大和にしては我が恋ふる紀路にありちふ名に負ふ勢の山
 

    吉野の宮に幸せる時、柿本朝臣人麿がよめる歌   36 


  やすみしし 我が大王(おほきみ)の きこしをす 天の下に
  国はしも 多(さは)にあれども 山川の 清き河内(かふち)と
  御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に
  宮柱 太敷き座(ま)せば ももしきの 大宮人は
  船並(な)めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)ひ 夕川渡る
  この川の 絶ゆることなく この山の いや高からし
  落ち激(たぎ)つ 滝の宮処(みやこ)は 見れど飽かぬかも
 
   反し歌   37 38 

  見れど飽かぬ吉野の川の常滑(とこなめ)の
           絶ゆることなくまた還り見む


  やすみしし 我が大王(おほきみ) 神(かむ)ながら 神さびせすと
  吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知り座(ま)して
  登り立ち 国見をすれば 畳(たた)な著(づ)く 青垣山
  山神(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつき)と
  春へは 花かざし持ち 秋立てば もみち葉(ば)かざし
  ゆふ川の 神も* 大御食(おほみけ)に 仕へ奉(まつ)ると
  上(かみ)つ瀬に鵜川を立て 下(しも)つ瀬に小網(さで)さし渡し
  山川も 依りて仕(つか)ふる 神の御代(みよ)かも
 
   反し歌   39 

  山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に船出せすかも
 
   右、日本紀ニ曰ク、三年己丑正月、天皇吉野宮ニ幸ス。
     八月、吉野宮ニ幸ス。四年庚寅二月、吉野宮ニ幸ス。五月、
     吉野宮ニ幸ス。五年辛卯正月、吉野宮ニ幸ス。四月、
     吉野宮ニ幸セリトイヘリ。何月ノ従駕ニテ作ル歌ナルコトヲ
     詳ラカニ知ラズ。
 

    伊勢国に幸せる時の歌     


  嗚呼児(あご)の浦に船(ふな)乗りすらむ乙女らが
                  珠裳の裾に潮満つらむか
40 


  釵(くしろ)纏(ま)く答志(たふし)の崎に今もかも
                  大宮人の玉藻苅るらむ
41 

  潮騒に伊良虞の島辺(へ)榜ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻(しまみ)を42 
 
  右の三首(みうた)は、
    柿本朝臣人麿が京(みやこ)に留りてよめる。


  我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の隠(なばり)の山を今日か越ゆらむ 
 
  右の一首(ひとうた)は
    當麻真人麻呂(たぎまのまひとまろ)が妻(め)。 


  吾妹子(わぎもこ)をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも44
 
   右の一首は、石上(いそのかみ)の大臣(おほまへつきみ)の
     従駕(おほみとも)つかへまつりてよめる。右、日本紀ニ曰ク、
     朱鳥六年壬辰春三月丙寅ノ朔戊辰、浄広肆廣瀬王等ヲ以テ、
     留守官ト為ス。是ニ中納言三輪朝臣高市麻呂、其ノ冠位
     (カガフリ)ヲ脱キテ、朝ニササゲテ、重ネテ諌メテ曰ク、
     農作(ナリハヒ)ノ前、車駕以テ動スベカラズ。辛未、天皇諌ニ
     従ハズシテ、遂ニ伊勢ニ幸シタマフ。五月乙丑朔庚午、
     阿胡行宮ニ御ス。
 

    輕皇子の安騎(あき)の野に宿りませる時、
     柿本朝臣人麿がよめる歌   45 


  やすみしし 我が大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ)
  神(かむ)ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて
  隠国(こもりく)の 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を
  石(いは)が根 楚樹(しもと)押しなべ 坂鳥の 朝越えまして
  玉蜻(かぎろひ)の 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に
  旗すすき しぬに押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ほして
 
   短歌(みじかうた)  46 47 48 49

  安騎の野に宿れる旅人(たびと)うち靡き
          寝(い)も寝(ぬ)らめやもいにしへ思ふに


  ま草苅る荒野にはあれど黄葉(もみちば)の過ぎにし君が形見とそ来し

  東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて
               反り見すれば月かたぶきぬ


  日並(ひなみ)の皇子の命の馬並めて御狩立たしし時は来向ふ
 

    藤原の宮営(つく)りに役(た)てる民のよめる歌   50 


  やすみしし 我が大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ)
  荒布(あらたへ)の藤原が上に 食(を)す国を見(め)したまはむと
  都宮(おほみや)は 高知らさむと 神ながら 思ほすなべに
  天地(あめつち)も 依りてあれこそ 石走る 淡海(あふみ)の国の
  衣手の 田上(たなかみ)山の 真木さく 檜(ひ)のつまてを
  物部(もののふ)の 八十(やそ)宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ
  そを取ると 騒く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らに
  鴨じもの 水に浮き居て 吾(あ)が作る 日の御門に
  知らぬ国 依り巨勢道(こせぢ)より 我が国は 常世にならむ
  図(ふみ)負へる 神(あや)しき亀も 新代(あらたよ)と 泉の川に
  持ち越せる 真木のつまてを 百(もも)足らず 筏に作り
  泝(のぼ)すらむ 勤(いそ)はく見れば 神ながらならし
 
   右、日本紀ニ曰ク、朱鳥七年癸巳秋八月、藤原ノ宮地ニ幸ス。
     八年甲午春正月、藤原宮ニ幸ス。冬十二月庚戌ノ朔乙卯、
     藤原宮ニ遷リ居ス。
 

     明日香の宮より藤原の宮に遷り居(ま)しし後、
     志貴皇子のよみませる御歌   51 


  媛女(をとめ)の袖吹き反す明日香風都を遠みいたづらに吹く
 

    藤原の宮の御井の歌   52


  やすみしし 我ご大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ)
  荒布の 藤井が原に 大御門(おほみかど) 始めたまひて
  埴安(はにやす)の 堤の上に あり立たし 見(め)したまへば
  大和の 青香具山は 日の経(たて)の 大御門に
  青山と 茂(し)みさび立てり 畝傍の この瑞山(みづやま)は
  日の緯(よこ)の 大御門に 瑞山と 山さびいます
  耳成の 青菅山(あをすがやま)は 背面(そとも)の 大御門に
  よろしなべ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は
  影面(かげとも)の 大御門よ 雲居にそ 遠くありける
  高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御影の
  水こそは 常磐(ときは)に有らめ 御井のま清水
 
   短歌   53

  藤原の大宮仕へ顕(あ)れ斎(つ)くや処女が共は羨(とも)しきろかも
 
   右の歌、作者(よみひと)未詳(しらず)。
 

    太上天皇(おほきすめらみこと)の難波の宮に幸せる時の歌  


  大伴の高師の浜の松が根を枕(ま)きて寝(ぬ)る夜は家し偲はゆ
 
   右の一首は、置始東人(おきそめのあづまひと)。  66 

  旅にして物恋(こほ)しきに家語(いへごと)も
                聞こえざりせば恋ひて死なまし
 
   右の一首は、高安大島。   67  

  大伴の御津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや
 
   右の一首は、身人部王(むとべのおほきみ)。  68 

  草枕旅行く君と知らませば岸の黄土(はにふ)に匂はさましを
 
   右の一首は、清江娘子(すみのえのをとめ)が、長皇子に
     進(たてまつ)れる歌。姓氏ハ詳カナラズ。 69
 

     大宝(だいはう)元年(はじめのとし)辛丑(かのとうし)、
     太上天皇の吉野の宮に幸せる時の歌    


  大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象(きさ)の中山呼びそ越ゆなる
 
   右の一首は、高市連黒人。 70
 

  巨勢山の列列(つらつら)椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を 
 
   右の一首は、坂門人足(さかどのひとたり)。 54
    或ル本ノ歌、 


  河上の列列椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は
 
   右の一首は、春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)。 56 
 

    三野連が唐(もろこし)に入(つか)はさるる時、
     春日蔵首老がよめる歌
 62 

  大船(おほぶね)の対馬の渡り海中(わたなか)に
             幣(ぬさ)取り向けて早帰り来ね
 

    山上臣憶良(やまのへのおみおくら)が、大唐(もろこし)に
    在りし時、 本郷(くに)憶(しぬ)ひてよめる歌  63


  いざ子ども早日本辺(やまとへ)に大伴の
               御津の浜松待ち恋ひぬらむ
 
 

    太上天皇の紀伊国に幸せる時
    調首淡海(つきのおびとあふみ)がよめる歌
  55 

  麻裳(あさも)よし紀人羨しも真土山行き来と見らむ紀人羨しも
 

      二年(ふたとせといふとし)壬寅(みづのえとら)、
      太上天皇の参河国に幸せる時の歌


  引馬野(ひくまぬ)ににほふ榛原入り乱り衣にほはせ旅のしるしに
 
  右の一首は、長忌寸奥麻呂(ながのいみきおきまろ)。 57 

  いづくにか船泊てすらむ安禮(あれ)の崎
     榜ぎ廻(た)み行きし棚無小舟(たななしをぶね)
 
   右の一首は、高市連黒人。  58

  流らふる雪吹く風の寒き夜に
         我が夫(せ)の君はひとりか寝(ぬ)らむ
 
 
   右の一首は、譽謝女王(よさのおほきみ)。  59

  宵に逢ひて朝(あした)面無み隠(なばり)にか
             日(け)長き妹が廬りせりけむ
 
 
   右の一首は、長皇子(ながのみこ)。  60

  大夫(ますらを)が幸矢(さつや)手(だ)挟み立ち向ひ
            射る圓方(まとかた)は見るに清(さや)けし
 
 
   右の一首は、舎人娘子(とねりのいらつめ)が従駕(おほみとも)
     つかへまつりてよめる。  61
 

    慶雲(きやううむ)三年(みとせといふとし)丙午(ひのえうま)、
    難波の宮に幸せる時の歌


  葦辺(へ)ゆく鴨の羽交(はがひ)に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ
 
   右の一首は、志貴皇子。 64 

  霰打ち安良禮(あられ)松原住吉(すみのえ)の
       弟日娘(おとひをとめ)と見れど飽かぬかも
 
 
   右の一首は、長皇子。 65
 

    大行天皇(さきのすめらみこと)の難波の宮に幸せる時の歌


  大和恋ひ眠(い)の寝(ね)らえぬに心なく
              この渚(す)の崎に鶴(たづ)鳴くべしや
 
   右の一首は、忍坂部乙麻呂(おさかべのおとまろ)。 71 

  玉藻刈る沖へは榜がじ敷布(しきたへ)の枕の辺(ほとり)忘れかねつも
 
   右の一首は、式部卿(のりのつかさのかみ)藤原宇合。 72 

  我妹子を早見浜風大和なる吾(あ)を松の樹に吹かざるなゆめ 
 
   右の一首は、長皇子。  73
 

    大行天皇の吉野の宮に幸せる時の歌


  み吉野の山の荒風(あらし)の寒けくにはたや今宵も我(あ)が独り寝む
 
   右の一首は或るひとの云はく天皇のみよみませるおほみ歌 74 

  宇治間山(うぢまやま)朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに
 
   右の一首は、長屋王。  75 
 

    寧樂(なら)の宮に天の下知ろしめしし天皇の代
 

    和銅元年(はじめのとし)戊申(つちのえさる)、
     天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)
  76 

  大夫(ますらを)の鞆(とも)の音すなり物部(もののふ)の
               大臣(おほまへつきみ)楯立つらしも
 

    御名部皇女(みなべのひめみこ)の和(こた)へ奉れる御歌 77 


  吾が大王(おほきみ)ものな思ほし皇神(すめかみ)の
                  嗣ぎて賜へる君なけなくに
 

     三年庚戌(かのえいぬ)春三月(やよひ)藤原の宮より
     寧樂の宮に遷りませる時、長屋の原に御輿(みこし)
     停(とど)めて古郷(ふるさと)を廻望(かへりみ)したま
     ひてよみませる歌(みうた)  一書ニ云ク、飛鳥宮ヨリ
     藤原宮ニ遷リマセル時、太上天皇御製ミマセリ


  飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ  
 

    藤原の京より寧樂の宮に遷りませる時の歌
  79

  天皇(おほきみ)の 御命(みこと)畏(かしこ)み 和(にき)びにし 
  家を置き  隠国(こもりく)の 泊瀬の川に 船浮けて 
  吾(あ)が行く河の 川隈(くま)の 八十隈(やそくま)おちず 
  万(よろづ)たび かへり見しつつ 玉ほこの 道行き暮らし 
  青丹よし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我(あ)が寝たる
  衣の上よ 朝月夜(づくよ) さやかに見れば 栲(たへ)の穂に 
  夜の霜降り 磐床と 川の氷(ひ)凝(こほ)り 冷(さ)ゆる夜を 
  息(やす)むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代まてに 
  座(い)まさむ君と 吾(あれ)も通はむ
 
   反し歌

  青丹よし寧樂の家には万代に吾(あれ)も通はむ忘ると思(も)ふな 
 
   右の歌は、作主(よみひと)未詳(しらず)。 80
 

     五年(いつとせといふとし)壬子(みづのえね)夏四月
     (うづき)、長田王(ながたのおほきみ)を伊勢の斎宮
     (いつきのみや)に遣はさるる時、
     山辺の御井にてよめる歌


  山辺(やまへ)の御井を見がてり神風(かむかぜ)の
              伊勢処女(をとめ)ども相見つるかも
 81 


  うらさぶる心さまねし久かたの天のしぐれの流らふ見れば  82 

  海(わた)の底沖つ白波立田山いつか越えなむ妹があたり見む 83 
 
   右ノ二首ハ、今案(カムガ)フルニ御井ノ所ノ作ニ似ズ。
     若疑(ケダシ)当時誦セル古歌カ。
 

     長皇子と、志貴皇子と、佐紀の宮にて
     倶宴(うたげ)したまふときの歌


  秋さらば今も見るごと妻恋に鹿(か)鳴かむ山そ高野原の上
 
   右の一首は、長皇子。  84 


     防人(さきもり)の歌  八十四首



 やすみしし我が大君の敷きませる国の中には都し思ほゆ
 

藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君

今年行く新防人が麻衣肩のまよひは誰れか取り見む

大船を荒海に漕ぎ出でや船たけ我が見し子らがまみはしるしも

この月は君来まさむと大船の思ひ頼みていつしかと.......

葦辺行く雁の翼を見るごとに君が帯ばしし投矢し思ほゆ

筑紫なるにほふ子ゆゑに陸奥の可刀利娘子の結ひし紐解く

大君の命畏み愛し妹が手枕離れ夜立ち来のかも

対馬の嶺は下雲あらなふ可牟の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも

置きて行かば妹はま愛し持ちて行く梓の弓の弓束にもがも

後れ居て恋ひば苦しも朝猟の君が弓にもならましものを

防人に立ちし朝開の金戸出にたばなれ惜しみ泣きし子らはも

葦の葉に夕霧立ちて鴨が音の寒き夕し汝をば偲はむ

己妻を人の里に置きおほほしく見つつぞ来ぬるこの道の間

畏きや命被り明日ゆりや草がむた寝む妹なしにして

我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず

時々の花は咲けども何すれぞ母とふ花の咲き出来ずけむ

遠江志留波の礒と尓閇の浦と合ひてしあらば言も通はむ

父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごて行かむ

父母が殿の後方のももよ草百代いでませ我が来るまで

我が妻も絵に描き取らむ暇もが旅行く我れは見つつ偲はむ

大君の命畏み磯に触り海原渡る父母を置きて

八十国は難波に集ひ船かざり我がせむ日ろを見も人もがも

難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷らむ見る母なしに

大君の遠の朝廷としらぬひ筑紫の国は敵守る......

大夫の靫取り負ひて出でて行けば別れを惜しみ嘆きけむ妻

鶏が鳴く東壮士の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み

海原を遠く渡りて年経とも子らが結べる紐解くなゆめ

今替る新防人が船出する海原の上に波なさきそね

防人の堀江漕ぎ出る伊豆手船楫取る間なく恋は繁けむ

水鳥の立ちの急ぎに父母に物言はず来にて今ぞ悔しき

畳薦牟良自が礒の離磯の母を離れて行くが悲しさ

国廻るあとりかまけり行き廻り帰り来までに斎ひて待たね

父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬く白玉取りて来までに

橘の美袁利の里に父を置きて道の長道は行きかてのかも

真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀自面変はりせず

我ろ旅は旅と思ほど家にして子持ち痩すらむ我が妻愛しも

忘らむて野行き山行き我れ来れど我が父母は忘れせのかも

我妹子と二人我が見しうち寄する駿河の嶺らは恋しくめあるか

父母が頭掻き撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる

家にして恋ひつつあらずは汝が佩ける大刀になりても斎ひてしかも

たらちねの母を別れてまこと我れ旅の仮廬に安く寝むかも

百隈の道は来にしをまたさらに八十島過ぎて別れか行かむ

庭中の阿須波の神に小柴さし我れは斎はむ帰り来までに

旅衣八重着重ねて寐のれどもなほ肌寒し妹にしあらねば

道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ

家風は日に日に吹けど我妹子が家言持ちて来る人もなし

たちこもの立ちの騒きに相見てし妹が心は忘れせぬかも

よそにのみ見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに

我が母の袖もち撫でて我がからに泣きし心を忘らえのかも

葦垣の隈処に立ちて我妹子が袖もしほほに泣きしぞ思はゆ

大君の命畏み出で来れば我の取り付きて言ひし子なはも

筑紫辺に舳向かる船のいつしかも仕へまつりて国に舳向かも

皇祖の遠き御代にも押し照る難波の国に天の下......

桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなへ

海原のゆたけき見つつ葦が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ

難波津に御船下ろ据ゑ八十楫貫き今は漕ぎぬと妹に告げこそ

防人に立たむ騒きに家の妹がなるべきことを言はず来ぬかも

押し照るや難波の津ゆり船装ひ我れは漕ぎぬと妹に告ぎこそ

常陸指し行かむ雁もが我が恋を記して付けて妹に知らせむ

我が面の忘れもしだは筑波嶺を振り放け見つつ妹は偲はね

久慈川は幸くあり待て潮船にま楫しじ貫き我は帰り来む

筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ

霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを

橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも

足柄のみ坂給はり返り見ず我れは越え行く......

今日よりは返り見なくて大君の醜の御楯と出で立つ我れは

天地の神を祈りて猟矢貫き筑紫の島を指して行く我れは

松の木の並みたる見れば家人の我れを見送ると立たりしもころ

旅行きに行くと知らずて母父に言申さずて今ぞ悔しけ

母刀自も玉にもがもや戴きてみづらの中に合へ巻かまくも

月日やは過ぐは行けども母父が玉の姿は忘れせなふも

白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度袖振る

難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞたなびく

国々の防人集ひ船乗りて別るを見ればいともすべなし

ふたほがみ悪しけ人なりあたゆまひ我がする時に防人にさす

津の国の海の渚に船装ひ立し出も時に母が目もがも

暁のかはたれ時に島蔭を漕ぎ去し船のたづき知らずも

行こ先に波なとゑらひ後方には子をと妻をと置きてとも来ぬ

我が門の五本柳いつもいつも母が恋すす業りましつしも

千葉の野の児手柏のほほまれどあやに愛しみ置きて誰が来ぬ

旅とへど真旅になりぬ家の妹が着せし衣に垢付きにかり

潮舟の舳越そ白波にはしくも負ふせたまほか思はへなくに

群玉の枢にくぎさし堅めとし妹が心は動くなめかも

国々の社の神に幣奉り贖乞ひすなむ妹が愛しさ

天地のいづれの神を祈らばか愛し母にまた言とはむ

大君の命にされば父母を斎瓮と置きて参ゐ出来にしを

大君の命畏み弓の共さ寝かわたらむ長けこの夜を

大君の命畏み妻別れ悲しくはあれど大夫の.......

海原に霞たなびき鶴が音の悲しき宵は国辺し思ほゆ

家思ふと寐を寝ず居れば鶴が鳴く葦辺も見えず春の霞に

唐衣裾に取り付き泣く子らを置きてぞ来のや母なしにして

ちはやぶる神の御坂に幣奉り斎ふ命は母父がため

大君の命畏み青雲のとのびく山を越よて来ぬかむ

難波道を行きて来までと我妹子が付けし紐が緒絶えにけるかも

我が妹子が偲ひにせよと付けし紐糸になるとも我は解かじとよ

我が家ろに行かも人もが草枕旅は苦しと告げ遣らまくも

ひな曇り碓氷の坂を越えしだに妹が恋しく忘らえぬかも

大君の任けのまにまに島守に我が立ち来れば......

家人の斎へにかあらむ平けく船出はしぬと親に申さね

み空行く雲も使と人は言へど家づと遣らむたづき知らずも

家づとに貝ぞ拾へる浜波はいやしくしくに高く寄すれど

島蔭に我が船泊てて告げ遣らむ使を無みや恋ひつつ行かむ

枕太刀腰に取り佩きま愛しき背ろが罷き来む月の知らなく

大君の命畏み愛しけ真子が手離り島伝ひ行く

白玉を手に取り持して見るのすも家なる妹をまた見てももや

草枕旅行く背なが丸寝せば家なる我れは紐解かず寝む

赤駒を山野にはがし捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ

わが門の片山椿まこと汝れ我が手触れなな土に落ちもかも

家ろには葦火焚けども住みよけを筑紫に至りて恋しけ思はも

草枕旅の丸寝の紐絶えば我が手と付けろこれの針持し

我が行きの息づくしかば足柄の峰延ほ雲を見とと偲は

我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ帯は解かななあやにかも寝も

足柄の御坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも

色深く背なが衣は染めましをみ坂給らばまさやかに見む

防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず

天地の神に幣置き斎ひつついませ我が背な我れをし思はば

家の妹ろ我を偲ふらし真結ひに結ひし紐の解くらく思へば

我が背なを筑紫は遣りて愛しみえひは解かななあやにかも寝む

馬屋なる縄立つ駒の後るがへ妹が言ひしを置きて悲しも

荒し男のいをさ手挟み向ひ立ちかなるましづみ出でてと我が来る

小竹が葉のさやく霜夜に七重かる衣に増せる子ろが肌はも

障へなへぬ命にあれば愛し妹が手枕離れあやに悲しも

朝な朝な上がるひばりになりてしか都に行きて早帰り来む

ひばり上がる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく

ふふめりし花の初めに来し我れや散りなむ後に都へ行かむ

闇の夜の行く先知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも




   

      

      古今集
 
仮名序
 
やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける、世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを見るものきくものにつけていひいだせるなり、花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの いづれかうたをよまざりける、ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり
このうた、あめつちのひらけはじまりける時よりいできにけり、あまのうきはしのしたにて、め神を神となりたまへる事をいへるうたなり、しかあれども、世につたはることは、ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり、したてるひめとは、あめわかみこのめなり、せうとの神のかたち、をか、たににうつりてかかやくをよめるえびす哥なるべし、これらはもじのかずもさだまらず、うたのやうにもあらぬことども也、あらかねのつちにしては、すさのをのみことよりぞおこりける、ちはやぶる神世にはうたのもじもさだまらず、すなほにして、事の心わきがたかりけらし、ひとの世となりて、すさのをのみことよりぞみそもじあまりひともじはよみける、すさのをのみことは、あまてるおほむ神のこのかみ也、女とすみたまはむとて、いづものくにに宮づくりしたまふ時に、その所にやいろのくものたつを見てよみたまへる也
 やくもたついづもやへがきつまごめに
          やへがきつくるそのやへがきを
かくてぞ花をめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶ心ことば、おほくさまざまになりにける、 とほき所もいでたつあしもとよりはじまりて、 年月をわたり、たかき山もふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたもかくのごとくなるべし、なにはづのうたは、みかどのおほむはじめなり、おほさざきのみかどの、なにはづにてみこときこえける時、東宮をたがひにゆづりて、くらゐにつきたまはで、三とせになりにければ、王仁といふ人のいぶかり思ひて、よみてたてまつりけるうた也、この花は梅のはなをいふなるべし、あさか山のことばは、うねめのたはぶれよりよみて、かづらきのおほきみをみちのおくへつかはしたりけるに、くにのつかさ、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、うねめなりける女の、かはらけとりてよめるなり、これにぞおほきみの心とけにける
 あさか山かげさへ見ゆる山の井の
          あさくは人をおもふのもかは
このふたうたはうたのちちははのやうにてぞ、手ならふ人のはじめにもしける、そもそもうたのさまむつなり、からのうたにもかくぞあるべ き、そのむくさのひとつには、そへうた、おほさざきのみかどをそへたてまつれるうた
 なにはづにさくやこの花ふゆごもり
           いまははるべとさくやこのはな
といへるなるべし、ふたつには、かぞへうた
 さく花におもひつくみのあぢきなさ
           身にいたづきのいるもしらずて
といへるなるべし、こ れはただ事にいひて、ものにたとへなどもせぬものなり、このうたいかにいへるにかあらむ、その心えがたし、いつつにただことうたといへるなむこれにはかなふべき、みつにはなずらへうた
 きみにけさあしたのしものおきていなば
           こひしきごとにきえやわたらむ
といへるなるべしこれはものにもなずらへて、それがやうになむあるとやうにいふ也、この哥よくかなへりとも見えず
たらちめのおやのかふこのまゆごもりいぶせくもあるかいもにあはずて
かやうなるやこれにはかなふべからむ、よつにはたとへうた
 わがこひはよむともつきじありそうみの
           はまのまさごはよみつくすとも
といへるなるべし、これはよ ろづのくさ木とりけだものにつけて心を見するなり、このうたはかくれたる所なむな き、されどはじめのそへうたとおなじやうなれば、すこしさまをかへたるなるべし
 すまのあまのしほやくけぶり風をいたみ
           おもはぬ方にたなびきにけり
この哥などやかなふべからむ、いつつにはただことうた
いつはりのなき世なりせばいかばかり人のことのはうれしからまし
といへるなるべし、これはことのととのほりただしきをいふ也、この哥の心さらにかなはず、とめうたとやいふべからむ
 山ざくらあくまでいろを見つるかな
           花ちるべくも風ふかぬよに
むつにはいはひうた
 このとのはむべもとみけりさき草の
           みつばよつばにとのづくりせり
といへるなるべし、これは世をほめて神につぐる也、このうたいはひうたとは見えずなむある
 かすがのにわかなつみつつ
           よろづ世をいはふ心は神ぞしるらむ
これらやすこしかなふべから む、おほよそむくさにわかれむ事はえあるまじき事になむ、今の世中いろにつき人の心花になりにけるより、あだなるうた、はかなきことのみいでくれば、いろごのみのいへに、むもれ木の人しれぬこととなりて、まめなるところには花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり、そのはじめをおもへばかかるべくなむあらぬ、いにしへの世世のみかど、春の花のあした、秋の月の 夜ごとに、さぶらふ人人をめして、ことにつけつつうたをたてまつらしめたまふ、ある は花をそふとてたよりなき所にまどひ、あるは月をおもふとてしるべなきやみにたどれ る心心を見給ひて、さかしおろかなりとしろしめしけむ、しかあるのみにあらず、さざれいしにたとへ、つくば山にかけてきみをねがひ、よろこび身にすぎ、たのしび心にあまり、ふじのけぶりによそへて人をこひ、松虫のねにともを しのび、たかさごすみの江のまつもあひおひのやうにおぼえ、おとこ山のむかしをおも ひいでてをみなへしのひとときをくねるにも、うたをいひてぞなぐさめける、又春のあ したに花のちるを見、秋のゆふぐれにこのはのおつるをきき、あるはとしごとにかがみ のかげに見ゆる雪と浪とをなげき、草のつゆ水あわを見てわが身をおどろき、あるはきのふはさかえおごりて時をうしなひ世にわび、したしかりしもうとくなり、あるは松山の浪をかけ、野なかの水をくみ、秋はぎのしたばをなが め、あかつきのしぎのはねがきをかぞへ、あるはくれ竹のうきふしを人にいひよしの河 をひきて世中をうらみきつるに、今はふじの山も煙たたずなり、ながらのはしもつくる なりときく人はうたにのみぞ心をなぐさめける、いにしへよりかくつたはるうちにも、ならの御時より ぞひろまりにける、かのおほむ世やうたの心をしろしめしたりけむ、かのおほむ時に、 おほきみつのくらゐかきのもとの人まろなむうたのひじりなりける、これはきみもひと も身をあはせたりといふなるべし、秋のゆふべ竜田河にながるるもみぢをば、みかどの おほむめににしきと見たまひ、春のあしたよしのの山のさくらは人まろが心にはくもかとのみなむおぼえけ る、又山の辺のあかひとといふ人ありけり、うたにあやしくたへなりけり、人まろはあ かひとがかみにたたむことかたく、あか人は人まろがしもにたたむことかたくなむあり ける、ならのみかどの御うた
たつた河もみぢみだれてながるめりわたらばにしきな かやたえなむ
  人まろ
 梅花それとも見えず久方の
           あまぎる雪のなべてふれれば
 ほのぼのとあかしのうらのあさぎりに
           島がくれ行く舟をしぞ思ふ
  赤人
 春ののにすみれつみにとこし我ぞ
           のをなつかしみひと夜ねにける
 わかの浦にしほみちくれば方をなみ
           あしべをさしてたづなきわたる
この人人をおきて又すぐれたる人もくれ竹の世世にきこえ、かたいとのよりよりにたえずぞありける、これよりさきのうたをあつめてなむ方えふしふとなづけられたりける、ここにいにしへのことをもうたの心をもしれる人わづかにひとりふたりなりき、しかあれどこれかれえたるところ、えぬところたがひになむある、かの御時よりこのかた、年はももとせあまり、世はとつぎになむなりにける、いにしへの事をもうたをも、しれる人よむ人おほからず、いまこのことをいふに、 つかさくらゐたかき人をば、たやすきやうなればいれず、そのほかにちかき世に、その名きこえたる人は、すなはち僧正遍昭は、うたのさまはえたれどもまことすくなし、たとへばゑにかけるをうなを見ていたづらに心をうごかすがごとし
  あさみどりいとよりかけてしらつゆを
          たまにもぬけるはるの柳か
 はちすばのにごりにしまぬ心もて
           なにかはつゆをたまとあざむく
さがのにてむまよりおちてよめる
 名にめでてをれるばかりぞをみなへし
           われおちにきと人にかたるな
ありはらのなりひらはその心あまりてことばたらず、しぼ める花のいろなくてにほひのこれるがごとし
 月やあらぬ春やむかしの春ならぬ
           わが身ひとつはもとの身にして
 おほかたは月をもめでじこれぞこの
           つもれば人のおいとなるもの
 ねぬるよのゆめをはかなみまどろめば
           いやはかなにもなりまさるかな
ふんやのやすひでは ことばはたくみにて、そのさま身におはず、いはばあき人のよききぬきたらむがごと し
 吹からによもの草木のしをるれば
           むべ山かぜをあらしといふらむ
深草のみかどの御国忌に
 草ふかきかすみのたににかげかくし
           てる日のくれしけふにやはあらぬ
宇治山のそうきせんは、ことばかすかにしてはじめをはりたしかならず、いはば秋の月を見るにあかつきのくもにあへるがごとし
 わがいほはみやこのたつみしかぞすむ
           世をうぢ山と人はいふなり
よめるうたおほくきこえねば、かれこれをかよはしてよくしらず、をののこまちは、いに しへのそとほりひめの流なり、あはれなるやうにてつよからず、いはばよきをうなのなやめる所あるににたり、つよからぬはをう
なのうたなればなるべし
 思ひつつぬればや人の見えつらむ
           ゆめとしりせばさめざらましを
 いろ見えでうつろふものは世中の
           人の心の花にぞありける
 わびぬれば身をうきくさのねをたえて
           さそふ水あらばいなむとぞ思ふ
  そとほりひめのうた
 わがせこがくべきよひなりささがにの
           くものふるまひかねてしるしも
おほとものくろぬしは、そのさまいやし、いはばたきぎおへる山びとの花のかげにやすめるがごと し
 思ひいでてこひしき時ははつかりの
           なきてわたると人はしらずや
 かがみ山いざたちよりて見てゆかむ
           としへぬる身はおいやしぬると
このほかの人人その名きこゆる、野辺におふるかづらのはひひろごり、はやしにしげき このはのごとくにおほかれど、うたとのみ思ひてそのさましらぬなるべし、かかるにいますべらぎのあめのしたしろしめすこと、よつの時ここのかへりになむなりぬる、あま ねきおほむうつくしみのなみ、やしまのほかまでながれ、ひろきおほむめぐみのかげ、つくば山のふもとよりもしげくおはしまして、よろづのまつりごとをきこしめすいとま、もろもろのことをすてたまはぬあまりに、いにしへのことをもわすれじ、ふりにしこと をもおこしたまふとて、いまもみそなはし、のちの世にもつたはれとて、延喜五年四月 十八日に大内記きのとものり、御書のところのあづかりきのつらゆき、さきのかひのさ う官おほしかふちのみつね、右衛門の府生みぶのただみねらにおほせられて、万えふしふにいらぬ ふるきうたみづからのをもたてまつらしめたまひてなむ、それがなかにむめをかざすよ りはじめて、ほととぎすをきき、もみぢををり、雪を見るにいたるまで、又つるかめに つけてきみをおもひ人をもいはひ、秋はぎ夏草を見てつまをこひ、あふさか山にいたりてたむけをいのり、あるは春夏秋冬にもいらぬくさぐさのうたをなむえらばせたまひけ る、すべて千うた、はたまき、名づけてこきむわかしふといふ、かくこのたびあつめえ らばれて、山した水のたえず、はまのまさごのかずおほくつもりぬれば、いまはあすか がはのせになるうらみもきこえず、さざれいしのいはほとなるよろこびのみぞあるべ き、それまくらことば、春の花にほひすくなくして、むなしき名のみ秋の夜のながきをかこてれば、かつは人のみみにおそり、かつはうたの心にはぢおもへど、たなびくくものたちゐなくしかのおきふしは、つらゆきらがこの世におなじくむまれて、このことの時にあへるをなむよろこびぬる、人まろなくなりにたれど、うたのこととどまれるかな、たとひ時うつりことさり、たのしびかなしびゆきかふとも、このうたのもじあるをや、あをやぎのいとたえず、まつのはのちりうせずして、まさきのかづらながくつたはり、とりのあとひさ しくとどまれらば、うたのさまをもしり、ことの心をえたらむ人は、おほぞらの月を見るがごとくにいにしへをあふぎて、いまをこひざらめかも
 



真名序
 
古今和歌集序            紀淑望

夫和歌者、託其根於心地、発其華於詞林者也。人之在世、不能無為、思慮易遷、哀楽相変。感生於志、詠形於言。是以逸者其声楽、怨者其吟悲。可以述懐、可以発憤。動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫宜於和歌。和歌有六義。一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌。若夫春鶯之囀花中、秋蝉之吟樹上、雖無曲折、各発歌謡。物皆有之、自然之理也。
然而神世七代、時質人淳、情欲無分、和歌未作。逮于素戔烏尊、到出雲国、始有三十一字之詠。今反歌之作也。其後雖天神之孫、海童之女、莫不以和歌通情者。
爰及人代、此風大興、長歌短歌旋頭混本之類、雑躰非一、源流漸繁。譬猶払雲之樹、生自寸苗之煙、浮天之波、起於一滴之露。
至如難波津之什献天皇、富緒川之篇報太子、或事関神異、或興入幽玄。但見上古歌、多存古質之語、未為耳目之翫、徒為教戒之端。
古天子、毎良辰美景、詔侍臣預宴筵者献和歌。君臣之情、由斯可見、賢愚之性、於是相分。所以隋民之欲、択士之才也。
自大津皇子之初作詩賦、詞人才子慕風継塵、移彼漢家之字、化我日或之俗。民業一改、和歌漸衰。然猶有先師柿本大夫者、高振神妙之思、独歩古今之間。有山辺赤人者、並和歌仙也。其余業和歌者、綿々不絶。及彼時変澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艶流泉涌、其実皆落、其華孤栄、至有好色之家、以此為花鳥之使、乞食之客、以此為活計之謀。故半為婦人之右、雖進大夫之前。
近代、存古風者、纜二三人。然長短不同、論以可弁。華山僧正、尤得歌躰。然其詞華而少実。如図画好女、徒動人情。在原中将之歌、其情有余、其詞不足。如萎花雖少彩色、而有薫香。文琳巧詠物。然其躰近俗。如賈人之着鮮衣。宇治山僧喜撰、其詞華麗、而首尾停滞。如望秋月遇暁雲。小野小町之歌、古衣通姫之流也。然艶而無気力。如病婦之着花粉。大友黒主之歌、古猿丸大夫之次也。頗有逸興、而躰甚鄙。如田夫之息花前也。此外氏姓流聞者、不可勝数。其大底皆以艶為基、不知和歌之趣者也。俗人争事栄利、不用詠和歌。悲哉々々。雖貴兼相将、富余金銭、而骨未腐於土中、名先滅世上。適為後世被知者、唯和歌之人而巳。何者、語近人耳、義慣神明也。
昔平城天子、詔侍臣令撰万葉集。自爾来、時歴十代、数過百年。其後、和歌弃不被採。雖風流如野宰相軽情如在納言、而皆以他才聞、不以漸道顕。
陛下御宇于今九載。仁流秋津洲之外、恵茂筑波山之陰。淵変為瀬之声、寂々閇口、砂長為巌之頌、洋々満耳。思継既絶之風、欲興久廃之道。
爰詔大内記紀友則、御書所預紀貫之、前甲斐少目凡河内躬恒、右衛門府生壬生忠峯等、各献家集并古来旧歌、曰続万葉集。於是重有詔、部類所奉之歌、勒為二十巻、名曰古今和歌集。
臣等、詞少春花之艶、名竊秋夜之長。況哉、進恐時俗之嘲、退慙才芸之拙。適遇和歌之中興、以楽吾道之再昌。嗟乎、人丸既没、和歌不在斯哉。

于時延喜五年歳次乙丑四月十五日、臣貫之等謹序。



   古今集
 
 
1
在原元方
 

ふるとしに春たちける日よめる
 
としのうちに春はきにけりひととせをこぞとやいはむことしとやいはむ
 
 
 
2
 

紀貫之
 

はるたちける日よめる
 
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
 
 
 
3
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
春霞たてるやいづこみよしののよしのの山に雪はふりつつ
 
 
 
4
 

二条のきさきのはるのはじめの御うた
 
雪の内に春はきにけりうぐひすのこほれる涙今やとくらむ
 
 
 
5
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
梅がえにきゐるうぐひすはるかけてなけどもいまだ雪はふりつつ
 
 
 
6
 

素性法師
 

雪の木にふりかかれるをよめる
 
春立てば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすぞなく
 
 
 
7
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
心ざしふかくそめてし折りければきえあへぬ雪の花と見ゆらむ
 
 
 
ある人のいはく、さきのおほきおほいまうちぎみの 哥なり
 
 
 
8
 

文屋やすひで
 

二条のきさきのとう宮のみやすんどころときこえけ る時、正月三日おまへにめして、おほせごとあるあひだに、日はてりながら雪のかしら にふりかかりけるをよませ給ひける
 

春の日のひかりにあたる我なれどかしらの雪となるぞわびしき
 
 
 
9
 

きのつらゆき
 

ゆきのふりけるをよめる
 
霞たちこのめもはるの雪ふれば花なきさとも花ぞちりける
 
 
 
10
 

ふぢはらのことなほ
 

春のはじめによめる
 
はるやとき花やおそきとききわかむ鶯だにもなかずもあるかな
 
 
 
11
 

みぶのただみね
 

はるのはじめのうた
 
春きぬと人はいへどもうぐひすのなかぬかぎりはあらじとぞ思ふ
 
 
 
12
 

源まさずみ
 

寛平御時きさいの宮のうたあはせのうた
 
谷風にとくるこほりのひまごとにうちいづる浪や春のはつ花
 
 
 
13
 

紀とものり
 
花のかを風のたよりにたぐへてぞ鶯さそふしるべにはやる
 
 
 
14
 

大江千里
 
うぐひすの谷よりいづるこゑなくは春くることをたれかしらまし
 
 
 
15
 

在原棟梁
 
春たてど花もにほはぬ山ざとはものうかるねに鶯ぞなく
 
 
 
16
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
野辺ちかくいへゐしせればうぐひすのなくなるこゑはあさなあさなきく
 
 
 
17
 
かすがのはけふはなやきそわか草のつまもこもれり我もこもれり
 
 
 
18
 
かすがののとぶひののもりいでて見よ今いくかありてわかなつみてむ
 
 
 
19
 
み山には松の雪だにきえなくに宮こはのべのわかなつみけり
 
 
 
20
 
梓弓おしてはるさめけふふりぬあすさへふらばわかなつみてむ
 
 
 
21
 

仁和のみかどみこにおましましける時に、人にわか なたまひける御うた
 

君がため春ののにいでてわかなつむわが衣手に雪はふりつつ
 
 
 
22
 

つらゆき
 

哥たてまつれとおほせられし時よみてたてまつれる
 

かすがののわかなつみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ
 
 
 
23
 

在原行平朝臣
 

題しらず
 
はるのきるかすみの衣ぬきをうすみ山風にこそみだるべらなれ
 
 
 
24
 

源むねゆきの朝臣
 

寛平御時きさいの宮の哥合によめる
 
ときはなる松のみどりも春くれば今ひとしほの色まさりけり
 
 
 
25
 

つらゆき
 

哥たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれ る
 

わがせこが衣はるさめふるごとにのべのみどりぞいろまさりける
 
 
 
26
 
あをやぎのいとよりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける
 
 
 
27
 

僧正遍昭
 

西大寺のほとりの柳をよめる
 
あさみどりいとよりかけてしらつゆをたまにもぬける春の柳か
 
 
 
28
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
ももちどりさへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふり行く
 
 
 
29
 
をちこちのたづきもしらぬ山なかにおぼつかなくもよぶこどりかな
 
 
 
30
 

凡河内みつね
 

かりのこゑをききてこしへまかりにける人を思ひて よめる
 

春くればかりかへるなり白雲のみちゆきぶりにことやつてまし
 
 
 
31
 

伊勢
 

帰雁をよめる
 
はるがすみたつを見すててゆくかりは花なきさとにすみやならへる
 
 
 
32
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
折りつれば袖こそにほへ梅花有りとやここにうぐひすのなく
 
 
 
33
 
色よりもかこそあはれとおもほゆれたが袖ふれしやどの梅ぞも
 
 
 
34
 
やどちかく梅の花うゑじあぢきなくまつ人のかにあやまたれけり
 
 
 
35
 
梅花たちよるばかりありしより人のとがむるかにぞしみぬる
 
 
 
36
 

東三条の左のおほいまうちぎみ
 

むめの花ををりてよめる
 
鶯の笠にぬふといふ梅花折りてかざさむおいかくるやと
 
 
 
37
 

素性法師
 

題しらず
 
よそにのみあはれとぞ見し梅花あかぬいろかは折りてなりけり
 
 
 
38
 

とものり
 

むめの花ををりて人におくりける
 
君ならで誰にか見せむ梅花色をもかをもしる人ぞしる
 
 
 
39
 

つらゆき
 

くらぶ山にてよめる
 
梅花にほふ春べはくらぶ山やみにこゆれどしるくぞ有りける
 
 
 
40
 

みつね
 

月夜に梅花ををりてと人のいひければ、をるとてよ める
 

月夜にはそれとも見えず梅花かをたづねてぞしるべかりける
 
 
 
41
 

はるのよ梅花をよめる
 
春の夜のやみはあやなし梅花色こそ見えねかやはかくるる
 
 
 
42
 

つらゆき
 

はつせにまうづるごとにやどりける人の家に、ひさ しくやどらで、ほどへてのちにいたれりければ、かの家のあるじ、かくさだかになむや どりはあるといひいだして侍りければ、そこにたてりけるむめの花ををりてよめる
 

人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔のかににほひける
 
 
 
43
 

伊勢
 

水のほとりに梅花さけりけるをよめる
 
春ごとにながるる河を花と見てをられぬ水に袖やぬれなむ
 
 
 
44
 
年をへて花のかがみとなる水はちりかかるをやくもるといふらむ
 
 
 
45
 

つらゆき
 

家にありける梅花のちりけるをよめる
 
くるとあくとめかれぬものを梅花いつの人まにうつろひぬらむ
 
 
 
46
 

よみ人しらず
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
梅がかをそでにうつしてとどめてば春はすぐともかたみならまし
 
 
 
47
 

素性法師
 
ちると見てあるべきものを梅花うたてにほひのそでにとまれる
 
 
 
48
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
ちりぬともかをだにのこせ梅花こひしき時のおもひいでにせむ
 
 
 
49
 

つらゆき
 

人の家にうゑたりけるさくらの花さきはじめたりけ るを見てよめる
 

ことしより春しりそむるさくら花ちるといふ事はならはざらなむ
 
 
 
50
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
山たかみ人もすさめぬさくら花いたくなわびそ我見はやさむ
 
 
 
又は、さととほみ人もすさめぬ山ざくら
 

51
 
やまざくらわが見にくれば春霞峯にもをにもたちかくしつつ
 
 
 
52
 

さきのおほきおほいまうちぎみ
 

そめどののきさきのおまへに花がめにさくらの花を ささせ給へるを見てよめる
 

年ふればよはひはおいぬしかはあれど花をし見ればもの思ひもなし
 
 
 
53
 

在原業平朝臣
 

なぎさの院にてさくらを見てよめる
 
世中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし
 
 
 
54
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
いしばしるたきなくもがな桜花たをりてもこむ見ぬ人のため
 
 
 
55
 

そせい法し
 

山のさくらを見てよめる
 
見てのみや人にかたらむさくら花てごとにをりていへづとにせむ
 
 
 
56
 

花ざかりに京を見やりてよめる
 
みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける
 
 
 
57
 

きのとものり
 

さくらの花のもとにて年のおいぬることをなげきて よめる
 

いろもかもおなじむかしにさくらめど年ふる人ぞあらたまりける
 
 
 
58
 

つらゆき
 

をれるさくらをよめる
 
たれしかもとめてをりつる春霞たちかくすらむ山のさくらを
 
 
 
59
 

哥たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれ る
 

桜花さきにけらしなあしひきの山のかひより見ゆる白雲
 
 
 
60
 

とものり
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
み吉野の山べにさけるさくら花雪かとのみぞあやまたれける
 
 
 
61
 

伊勢
 

やよひにうるふ月ありける年よみける
 
さくら花春くははれる年だにも人の心にあかれやはせぬ
 
 
 
62
 

よみ人しらず
 

さくらの花のさかりに、ひさしくとはざりける人の きたりける時によみける
 

あだなりとなにこそたてれ桜花年にまれなる人もまちけり
 
 
 
63
 

なりひらの朝臣
 

返し
 
けふこずはあすは雪とぞふりなましきえずはありとも花と見ましや
 
 
 
64
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
ちりぬればこふれどしるしなき物をけふこそさくらをらばをりてめ
 
 
 
65
 
をりとらばをしげにもあるか桜花いざやどかりてちるまでは見む
 
 
 
66
 

きのありとも
 
さくらいろに衣はふかくそめてきむ花のちりなむのちのかたみに
 
 
 
67
 

みつね
 

さくらの花のさけりけるを見にまうできたりける人 によみておくりける
 

わがやどの花見がてらにくる人はちりなむのちぞこひしかるべき
 
 
 
68
 

伊勢
 

亭子院哥合の時よめる
 
見る人もなき山ざとのさくら花ほかのちりなむのちぞさかまし
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
69
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
春霞たなびく山のさくら花うつろはむとや色かはりゆく
 
 
 
70
 
まてといふにちらでしとまる物ならばなにを桜に思ひまさまし
 
 
 
71
 
のこりなくちるぞめでたき桜花ありて世中はてのうければ
 
 
 
72
 
このさとにたびねしぬべしさくら花ちりのまがひにいへぢわすれて
 
 
 
73
 
空蝉の世にもにたるか花ざくらさくと見しまにかつちりにけり
 
 
 
74
 

これたかのみこ
 

僧正遍昭によみておくりける
 
さくら花ちらばちらなむちらずとてふるさと人のきても見なくに
 
 
 
75
 

そうく法師
 

雲林院にてさくらの花のちりけるを見てよめる
 
桜ちる花の所は春ながら雪ぞふりつつきえがてにする
 
 
 
76
 

そせい法し
 

さくらの花のちり侍りけるを見てよみける
 
花ちらす風のやどりはたれかしる我にをしへよ行きてうらみむ
 
 
 
77
 

そうく法し
 

うりむゐんにてさくらの花をよめる
 
いざさくら我もちりなむひとさかりありなば人にうきめ見えなむ
 
 
 
78
 

つらゆき
 

あひしれりける人のまうできてかへりにけるのちに よみて花にさしてつかはしける
 

ひとめ見し君もやくると桜花けふはまち見てちらばちらなむ
 
 
 
79
 

山のさくらを見てよめる
 
春霞なにかくすらむ桜花ちるまをだにも見るべき物を
 
 
 
80
 

藤原よるかの朝臣
 

心地そこなひてわづらひける時に、風にあたらじと ておろしこめてのみ侍りけるあひだに、をれるさくらのちりがたになれりけるを見てよ める
 

たれこめて春のゆくへもしらぬまにまちし桜もうつろひにけり
 
 
 
81
 

すがのの高世
 

東宮雅院にてさくらの花のみかは水にちりてながれ けるを見てよめる
 

枝よりもあだにちりにし花なればおちても水のあわとこそなれ
 
 
 
82
 

つらゆき
 

さくらの花のちりけるをよみける
 
ごとならばさかずやはあらぬさくら花見る我さへにしづ心なし
 
 
 
83
 

さくらのごととくちる物はなしと人のいひければよ める
 

さくら花とくちりぬともおもほえず人の心ぞ風も吹きあへぬ
 
 
 
84
 

きのとものり
 

桜の花のちるをよめる
 
久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ
 
 
 
85
 

ふぢはらのよしかぜ
 

春宮のたちはきのぢんにてさくらの花のちるをよめ る
 

春風は花のあたりをよきてふけ心づからやうつろふと見む
 
 
 
86
 

凡河内みつね
 

さくらのちるをよめる
 
雪とのみふるだにあるをさくら花いかにちれとか風の吹くらむ
 
 
 
87
 

つらゆき
 

ひえにのぼりてかへりまうできてよめる
 
山たかみみつつわがこしさくら花風は心にまかすべらなり
 
 
 
88
 

大伴くろぬし
 

題しらず
 
春雨のふるは涙かさくら花ちるををしまぬ人しなければ
 
 
 
89
 

つらゆき
 

亭子院哥合哥
 
さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに浪ぞたちける
 
 
 
90
 

ならのみかどの御うた
 
ふるさととなりにしならのみやこにも色はかはらず花はさきけり
 
 
 
91
 

よしみねのむねさだ
 

はるのうたとてよめる
 
花の色はかすみにこめて見せずともかをだにぬすめ春の山かぜ
 
 
 
92
 

そせい法し
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
はなの木も今はほりうゑじ春たてばうつろふ色に人ならひけり
 
 
 
93
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
春の色のいたりいたらぬさとはあらじさけるさかざる花の見ゆらむ
 
 
 
94
 

つらゆき
 

はるのうたとてよめる
 
みわ山をしかもかくすか春霞人にしられぬ花やさくらむ
 
 
 
95
 

そせい
 

うりむゐんのみこのもとに、花見にきた山のほとり にまかれりける時によめる
 

いざけふは春の山辺にまじりなむくれなばなげの花のかげかは
 
 
 
96
 

はるのうたとてよめる
 
いつまでか野辺に心のあくがれむ花しちらずは千世もへぬべし
 
 
 
97
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見む事はいのちなりけり
 
 
 
98
 
花のごと世のつねならばすぐしてし昔は又もかへりきなまし
 
 
 
99
 
吹く風にあつらへつくる物ならばこのひともとはよぎよといはまし
 
 
 
100
 
まつ人もこぬものゆゑにうぐひすのなきつる花ををりてけるかな
 
 
 
101
 

藤原おきかぜ
 

寛平御時きさいの宮のうたあはせのうた
 
さく花は千くさながらにあだなれどたれかははるをうらみはてたる
 
 
 
102
 
春霞色のちくさに見えつるはたなびく山の花のかげかも
 
 
 
103
 

ありはらのもとかた
 
霞立つ春の山べはとほけれど吹きくる風は花のかぞする
 
 
 
104
 

みつね
 

うつろへる花を見てよめる
 
花見れば心さへにぞうつりけるいろにはいでじ人もこそしれ
 
 
 
105
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
鶯のなくのべごとにきて見ればうつろふ花に風ぞふきける
 
 
 
106
 
吹く風をなきてうらみよ鶯は我やは花に手だにふれたる
 
 
 
107
 

典侍洽子朝臣
 
ちる花のなくにしとまる物ならば我鶯におとらましやは
 
 
 
108
 

藤原のちかげ
 

仁和の中将のみやすん所の家に哥合せむとてしける 時によみける
 

花のちることやわびしき春霞たつたの山のうぐひすのこゑ
 
 
 
109
 

そせい
 

うぐひすのなくをよめる
 
こづたへばおのがはかぜにちる花をたれにおほせてここらなくらむ
 
 
 
110
 

みつね
 

鶯の花の木にてなくをよめる
 
しるしなきねをもなくかなうぐひすのことしのみちる花ならなくに
 
 
 
111
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
こまなめていざ見にゆかむふるさとは雪とのみこそ花はちるらめ
 
 
 
112
 
ちる花をなにかうらみむ世中にわが身もともにあらむ物かは
 
 
 
113
 

小野小町
 
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
 
 
 
114
 

そせい
 

仁和の中将のみやすん所の家に哥合せむとしける時 によめる
 

をしと思ふ心はいとによられなむちる花ごとにぬきてとどめむ
 
 
 
115
 

つらゆき
 

しがの山ごえに女のおほくあへりけるに、よみてつ かはしける
 

あづさゆみはるの山辺をこえくれば道もさりあへず花ぞちりける
 
 
 
116
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
春ののにわかなつまむとこしものをちりかふ花にみちはまどひぬ
 
 
 
117
 

山でらにまうでたりけるによめる
 
やどりして春の山辺にねたる夜は夢の内にも花ぞちりける
 
 
 
118
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
吹く風と谷の水としなかりせばみ山がくれの花を見ましや
 
 
 
119
 

僧正遍昭
 

しがよりかへりけるをうなどもの花山にいりて ふぢの花のもとにたちよりてかへりけるに、よみておくりける
 

よそに見てかへらむ人にふぢの花はひまつはれよえだはをるとも
 
 
 
120
 

みつね
 

家にふぢの花のさけりけるを、人のたちとまりて見 けるをよめる
 

わがやどにさける藤波たちかへりすぎがてにのみ人の見るらむ
 
 
 
121
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
今もかもさきにほふらむ橘のこじまのさきの山吹の花
 
 
 
122
 
春雨ににほへる色もあかなくにかさへなつかし山吹の花
 
 
 
123
 
山ぶきはあやななさきそ花見むとうゑけむ君がこよひこなくに
 
 
 
124
 

つらゆき
 

よしの河のほとりに山ぶきのさけりけるをよめる
 

吉野河岸の山吹ふくかぜにそこの影さへうつろひにけり
 
 
 
125
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
かはづなくゐでの山吹ちりにけり花のさかりにあはまし物を
 
 
 
この哥は、ある人のいはく、たちばなのきよとも が哥なり
 
 
 
126
 

そせい
 

春の哥とてよめる
 
おもふどち春の山辺にうちむれてそこともいはぬたびねしてしか
 
 
 
127
 

みつね
 

はるのとくすぐるをよめる
 
あづさゆみ春たちしより年月のいるがごとくもおもほゆるかな
 
 
 
128
 

つらゆき
 

やよひにうぐひすのこゑのひさしうきこえざりける をよめる
 

なきとむる花しなければうぐひすもはては物うくなりぬべらなり
 
 
 
129
 

ふかやぶ
 

やよひのつごもりがたに山をこえけるに、山河より 花のながれけるをよめる
 

花ちれる水のまにまにとめくれば山には春もなくなりにけり
 
 
 
130
 

もとかた
 

はるををしみてよめる
 
をしめどもとどまらなくに春霞かへる道にしたちぬとおもへば
 
 
 
131
 

おきかぜ
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
こゑたえずなけやうぐひすひととせにふたたびとだにくべき春かは
 
 
 
132
 

みつね
 

やよひのつごもりの日、花つみよりかへりける女 どもを見てよめる
 

とどむべき物とはなしにはかなくもちる花ごとにたぐふこころか
 
 
 
133
 

なりひらの朝臣
 

やよひのつごもりの日あめのふりけるに、ふぢの花 ををりて人につかはしける
 

ぬれつつぞしひてをりつる年の内に春はいくかもあらじと思へば
 
 
 
134
 

みつね
 

亭子院の哥合のはるのはてのうた
 
けふのみと春をおもはぬ時だにも立つことやすき花のかげかは
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
135
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
わがやどの池の藤波さきにけり山郭公いつかきなかむ
 
 
 
このうた、ある人のいはく、かきのもとの人まろが 也
 
 
 
136
 

紀としさだ
 

う月にさけるさくらを見てよめる
 
あはれてふ事をあまたにやらじとや春におくれてひとりさくらむ
 
 
 
137
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
さ月まつ山郭公うちはぶき今もなかなむこぞのふるごゑ
 
 
 
138
 

伊勢
 
五月こばなきもふりなむ郭公まだしきほどのこゑをきかばや
 
 
 
139
 

よみ人しらず
 
さつきまつ花橘のかをかげば昔の人の袖のかぞする
 
 
 
140
 
いつのまにさ月きぬらむあしひきの山郭公今ぞなくなる
 
 
 
141
 
けさきなきいまだたびなる郭公花たちばなにやどはからなむ
 
 
 
142
 

きのとものり
 

おとは山をこえける時に郭公のなくをききてよめる
 

おとは山けさこえくれば郭公こずゑはるかに今ぞなくなる
 
 
 
143
 

そせい
 

郭公のはじめてなきけるをききてよめる
 
郭公はつこゑきけばあぢきなくぬしさだまらぬこひせらるはた
 
 
 
144
 

ならのいその神でらにて郭公のなくをよめる
 
いその神ふるき宮この郭公声ばかりこそむかしなりけれ
 
 
 
145
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
夏山になく郭公心あらば物思ふ我に声なきかせそ
 
 
 
146
 
郭公なくこゑきけばわかれにしふるさとさへぞこひしかりける
 
 
 
147
 
ほととぎすながなくさとのあまたあれば猶うとまれぬ思ふ物から
 
 
 
148
 
思ひいづるときはの山の郭公唐紅のふりいでてぞなく
 
 
 
149
 
声はして涙は見えぬ郭公わが衣手のひつをからなむ
 
 
 
150
 
あしひきの山郭公をりはへてたれかまさるとねをのみぞなく
 
 
 
151
 
今さらに山へかへるな郭公こゑのかぎりはわがやどになけ
 
 
 
152
 

みくにのまち
 
やよやまて山郭公事づてむ我世中にすみわびぬとよ
 
 
 
153
 

紀とものり
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
五月雨に物思ひをれば郭公夜ふかくなきていづちゆくらむ
 
 
 
154
 
夜やくらき道やまどへるほととぎすわがやどをしもすぎがてになく
 
 
 
155
 

大江千里
 
やどりせし花橘もかれなくになどほととぎすこゑたえぬらむ
 
 
 
156
 

きのつらゆき
 
夏の夜のふすかとすれば郭公なくひとこゑにあくるしののめ
 
 
 
157
 

みぶのただみね
 
くるるかと見ればあけぬるなつのよをあかずとやなく山郭公
 
 
 
158
 

紀秋岑
 
夏山にこひしき人やいりにけむ声ふりたててなく郭公
 
 
 
159
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
こぞの夏なきふるしてし郭公それかあらぬかこゑのかはらぬ
 
 
 
160
 

つらゆき
 

郭公のなくをききてよめる
 
五月雨のそらもとどろに郭公なにをうしとかよただなくらむ
 
 
 
161
 

みつね
 

さぶらひにてをのこどものさけたうべけるに、めし て郭公まつうたよめとありければよめる
 

ほととぎすこゑもきこえず山びこはほかになくねをこたへやはせぬ
 
 
 
162
 

つらゆき
 

山に郭公のなきけるをききてよめる
 
郭公人まつ山になくなれば我うちつけにこひまさりけり
 
 
 
163
 

ただみね
 

はやくすみける所にてほととぎすのなきけるを ききてよめる
 

むかしべや今もこひしき郭公ふるさとにしもなきてきつらむ
 
 
 
164
 

みつね
 

郭公のなきけるをききてよめる
 
郭公我とはなしに卯花のうき世中になきわたるらむ
 
 
 
165
 

僧正へんぜう
 

はちすのつゆを見てよめる
 
はちすばのにごりにしまぬ心もてなにかはつゆを玉とあざむく
 
 
 
166
 

深養父
 

月のおもしろかりける夜、あかつきがたによめる
 

夏の夜はまだよひながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらむ
 
 
 
167
 

みつね
 

となりよりとこなつの花をこひにおこせたりけれ ば、をしみてこのうたをよみてつかはしける
 

ちりをだにすゑじとぞ思ふさきしよりいもとわがぬるとこ夏のはな
 
 
 
168
 

みな月のつごもりの日よめる
 
夏と秋と行きかふそらのかよひぢはかたへすずしき風やふくらむ
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
169
 

藤原敏行朝臣
 

秋立つ日よめる
 
あききぬとめにはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる
 
 
 
170
 

つらゆき
 

秋たつ日、うへのをのこどもかものかはらにかはせ うえうしけるともにまかりてよめる
 

河風のすずしくもあるかうちよする浪とともにや秋は立つらむ
 
 
 
171
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
わがせこが衣のすそを吹き返しうらめづらしき秋のはつ風
 
 
 
172
 
きのふこそさなへとりしかいつのまにいなばそよぎて秋風の吹く
 
 
 
173
 
秋風の吹きにし日より久方のあまのかはらにたたぬ日はなし
 
 
 
174
 
久方のあまのかはらのわたしもり君わたりなばかぢかくしてよ
 
 
 
175
 
天河紅葉をはしにわたせばやたなばたつめの秋をしもまつ
 
 
 
176
 
こひこひてあふ夜はこよひあまの河きり立ちわたりあけずもあらなむ
 
 
 
177
 

とものり
 

寛平御時なぬかの夜、うへにさぶらふをのこども、 哥たてまつれとおほせられける時に、人にかはりてよめる
 

天河あさせしら浪たどりつつわたりはてねばあけぞしにける
 
 
 
178
 

藤原おきかぜ
 

おなじ御時きさいの宮の哥合のうた
 
契りけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたびあふはあふかは
 
 
 
179
 

凡河内みつね
 

なぬかの日の夜よめる>
 
年ごとにあふとはすれどたなばたのぬるよのかずぞすくなかりける
 
 
 
180
 
織女にかしつる糸の打ちはへて年のをながくこひやわたらむ
 
 
 
181
 

そせい
 

題しらず
 
こよひこむ人にはあはじたなばたのひさしきほどにまちもこそすれ
 
 
 
182
 

源むねゆきの朝臣
 

なぬかの夜のあかつきによめる
 
今はとてわかるる時は天河わたらぬさきにそでぞひちぬる
 
 
 
183
 

みぶのただみね
 

やうかの日よめる
 
けふよりはいまこむ年のきのふをぞいつしかとのみまちわたるべき
 
 
 
184
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
このまよりもりくる月の影見れば心づくしの秋はきにけり
 
 
 
185
 
おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ
 
 
 
186
 
わがためにくる秋にしもあらなくにむしのねきけばまづぞかなしき
 
 
 
187
 
物ごとに秋ぞかなしきもみぢつつうつろひゆくをかぎりと思へば
 
 
 
188
 
ひとりぬるとこは草ばにあらねども秋くるよひはつゆけかりけり
 
 
 
189
 

これさだのみこの家の哥合のうた
 
いつはとは時はわかねど秋のよぞ物思ふ事のかぎりなりける
 
 
 
190
 

みつね
 

かむなりのつぼに人人あつまりて秋のよをしむ哥よ みけるついでによめる
 

かくばかりをしと思ふ夜をいたづらにねてあかすらむ人さへぞうき
 
 
 
191
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
白雲にはねうちかはしとぶかりのかずさへ見ゆる秋のよの月
 
 
 
192
 
さ夜なかと夜はふけぬらしかりがねのきこゆるそらに月わたる見ゆ
 
 
 
193
 

大江千里
 

これさだのみこの家の哥合によめる
 
月見れはちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど
 
 
 
194
 

ただみね
 
久方の月の桂も秋は猶もみぢすればやてりまさるらむ
 
 
 
195
 

在原元方
 

月をよめる
 
秋の夜の月のひかりしあかければくらぶの山もこえぬべらなり
 
 
 
196
 

藤原忠房
 

人のもとにまかれりける夜、きりぎりすのなきける をききてよめる
 

蟋蟀いたくななきそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる
 
 
 
197
 

としゆきの朝臣
 

これさだのみこの家の哥合のうた
 
秋の夜のあくるもしらずなくむしはわがごと物やかなしかるらむ
 
 
 
198
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
あき萩も色づきぬればきりぎりすわがねぬごとやよるはかなしき
 
 
 
199
 
秋の夜はつゆこそことにさむからし草むらごとにむしのわぶれば
 
 
 
200
 
君しのぶ草にやつるるふるさとは松虫のねぞかなしかりける
 
 
 
201
 
秋ののに道もまどひぬ松虫のこゑする方にやどやからまし
 
 
 
202
 
あきののに人松虫のこゑすなり我かとゆきていざとぶらはむ
 
 
 
203
 
もみぢばのちりてつもれるわがやどに誰を松虫ここらなくらむ
 
 
 
204
 
ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬと思ふは山のかげにぞありける
 
 
 
205
 
ひぐらしのなく山里のゆふぐれは風よりほかにとふ人もなし
 
 
 
206
 

在原元方
 

はつかりをよめる
 
まつ人にあらぬ物からはつかりのけさなくこゑのめづらしきかな
 
 
 
207
 

とものり
 

これさだのみこの家の哥合のうた
 
秋風にはつかりがねぞきこゆなるたがたまづさをかけてきつらむ
 
 
 
208
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
わがかどにいなおほせどりのなくなへにけさ吹く風にかりはきにけり
 
 
 
209
 
いとはやもなきぬるかりか白露のいろどる木木ももみぢあへなくに
 
 
 
210
 
春霞かすみていにしかりがねは今ぞなくなる秋ぎりのうへに
 
 
 
211
 
夜をさむみ衣かりがねなくなへに萩のしたばもうつろひにけり
 
 
 
このうたはある人のいはく、柿本の人まろが也と
 
 
 
212
 

藤原菅根朝臣
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
秋風にこゑをほにあげてくる舟はあまのとわたるかりにぞありける
 
 
 
213
 

みつね
 

かりのなきけるをききてよめる
 
うき事を思ひつらねてかりがねのなきこそわたれ秋のよなよな
 
 
 
214
 

ただみね
 

これさだのみこの家の哥合のうた
 
山里は秋こそことにわびしけれしかのなくねにめをさましつつ
 
 
 
215
 

よみ人しらず
 
おく山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋は悲しき
 
 
 
216
 

題しらず
 
秋はぎにうらびれをればあしひきの山したとよみしかのなくらむ
 
 
 
217
 
秋はぎをしがらみふせてなくしかのめには見えずておとのさやけさ
 
 
 
218
 

藤原としゆきの朝臣
 

これさだのみこの家の哥合によめる
 
あきはぎの花さきにけり高砂のをのへのしかは今やなくらむ
 
 
 
219
 

みつね
 

むかしあひしりて侍りける人の、秋ののにあひて物 がたりしけるついでによめる
 

秋はぎのふるえにさける花見れば本の心はわすれざりけり
 
 
 
220
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
あきはぎのしたば色づく今よりやひとりある人のいねがてにする
 
 
 
221
 
なきわたるかりの涙やおちつらむ物思ふやどの萩のうへのつゆ
 
 
 
222
 
萩の露玉にぬかむととればけぬよし見む人は枝ながら見よ
 
 
 
ある人のいはく、この哥はならのみかどの御哥なり と
 
 
 
223
 
をりて見ばおちぞしぬべき秋はぎの枝もとををにおけるしらつゆ
 
 
 
224
 
萩が花ちるらむをののつゆしもにぬれてをゆかむさ夜はふくとも
 
 
 
225
 

文屋あさやす
 

是貞のみこの家の哥合によめる
 
秋ののにおくしらつゆは玉なれやつらぬきかくるくものいとすぢ
 
 
 
226
 

僧正へんぜう
 

題しらず
 
名にめでてをれるばかりぞをみなへし我おちにきと人にかたるな
 
 
 
227
 

ふるのいまみち
 

僧正遍昭がもとにならへまかりける時に、をとこ山 にてをみなへしを見てよめる
 

をみなへしうしと見つつぞゆきすぐるをとこ山にしたてりと思へば
 
 
 
228
 

としゆきの朝臣
 

是貞のみこの家の哥合のうた
 
秋ののにやどりはすべしをみなへし名をむつまじみたびならなくに
 
 
 
229
 

をののよし木
 

題しらず
 
をみなへしおほかるのべにやどりせばあやなくあだの名をやたちなむ
 
 
 
230
 

左のおほいまうちぎみ
 

朱雀院のをみなへしあはせによみてたてまつりける
 

をみなへし秋のの風にうちなびき心ひとつをたれによすらむ
 
 
 
231
 

藤原定方朝臣
 
秋ならであふことかたきをみなへしあまのかはらにおひぬものゆゑ
 
 
 
232
 

つらゆき
 
たが秋にあらぬものゆゑをみなへしなぞ色にいでてまだきうつろふ
 
 
 
233
 

みつね
 
つまこふるしかぞなくなる女郎花おのがすむのの花としらずや
 
 
 
234
 
女郎花ふきすぎてくる秋風はめには見えねどかこそしるけれ
 
 
 
235
 

ただみね
 
人の見る事やくるしきをみなへし秋ぎりにのみたちかくるらむ
 
 
 
236
 
ひとりのみながむるよりは女郎花わがすむやどにうゑて見ましを
 
 
 
237
 

兼覧王
 

ものへまかりけるに、人の家にをみなへしうゑたり けるを見てよめる
 

をみなへしうしろめたくも見ゆるかなあれたるやどにひとりたてれば
 
 
 
238
 

平さだふん
 

寛平御時、蔵人所のをのこどもさがのに花見むとてまかりたりける時、かへるとてみな哥よみけるついでによめる
 

花にあかでなにかへるらむをみなへしおほかるのべにねなましものを
 
 
 
239
 

としゆきの朝臣
 

これさだのみこの家の哥合によめる
 
なに人かきてぬぎかけしふぢばかまくる秋ごとにのべをにほはす
 
 
 
240
 

つらゆき
 

ふぢばかまをよみて人につかはしける
 
やどりせし人のかたみかふぢばかまわすられがたきかににほひつつ
 
 
 
241
 

そせい
 

ふぢばかまをよめる
 
ぬししらぬかこそにほへれ秋ののにたがぬぎかけしふぢばかまぞも
 
 
 
242
 

平貞文
 

題しらず
 
今よりはうゑてだに見じ花すすきほにいづる秋はわびしかりけり
 
 
 
243
 

ありはらのむねやな
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
秋の野の草のたもとか花すすきほにいでてまねく袖と見ゆらむ
 
 
 
244
 

素性法師
 
我のみやあはれとおもはむきりぎりすなくゆふかげのやまとなでしこ
 
 
 
245
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
みどりなるひとつ草とぞ春は見し秋はいろいろの花にぞありける
 
 
 
246
 
ももくさの花のひもとく秋ののを思ひたはれむ人なとがめそ
 
 
 
247
 
月草に衣はすらむあさつゆにぬれてののちはうつろひぬとも
 
 
 
248
 

僧正遍昭
仁和のみかどみこにおはしましける時、ふるのた き御覧ぜむとておはしましけるみちに、遍昭がははの家にやどりたまへりける時に、 庭を秋ののにつくりて、おほむ物がたりのついでによみてたてまつりける
 

さとはあれて人はふりにしやどなれや庭もまがきも秋ののらなる
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
249
 

文屋やすひで
 

これさだのみこの家の哥合のうた
 
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山かぜをあらしといふらむ
 
 
 
250
 
草も木も色かはれどもわたつうみの浪の花にぞ秋なかりける
 
 
 
251
 

紀よしもち
 

秋の哥合しける時によめる
 
紅葉せぬときはの山は吹く風のおとにや秋をききわたるらむ
 
 
 
252
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
霧立ちて雁ぞなくなる片岡の朝の原は紅葉しぬらむ
 
 
 
253
 
神な月時雨もいまだふらなくにかねてうつろふ神なびのもり
 
 
 
254
 
ちはやぶる神なび山のもみぢばに思ひはかけじうつろふ物を
 
 
 
255
 

藤原かちおむ
 

貞観御時、綾綺殿のまへに梅の木ありけり、にしの 方にさせりけるえだのもみぢはじめたりけるを、うへにさぶらふをのこどものよみける ついでによめる
 

おなじえをわきてこのはのうつろふは西こそ秋のはじめなりけれ
 
 
 
256
 

つらゆき
 

いしやまにまうでける時、おとは山のもみぢを見て よめる
 

秋風のふきにし日よりおとは山峯のこずゑも色づきにけり
 
 
 
257
 

としゆきの朝臣
 

これさだのみこの家の哥合によめる
 
白露の色はひとつをいかにして秋のこのはをちぢにそむらむ
 
 
 
258
 

壬生忠岑
 
秋の夜のつゆをばつゆとおきながらかりの涙やのべをそむらむ
 
 
 
259
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
あきのつゆいろいろごとにおけばこそ山のこのはのちくさなるらめ
 
 
 
260
 

つらゆき
 

もる山のほとりにてよめる
 
しらつゆも時雨もいたくもる山はしたばのこらず色づきにけり
 
 
 
261
 

在原元方
 

秋のうたとてよめる
 
雨ふれどつゆももらじをかさとりの山はいかでかもみぢそめけむ
 
 
 
262
 

つらゆき
 

神のやしろのあたりをまかりける時にいがきのうち のもみぢを見てよめる
 

ちはやぶる神のいがきにはふくずも秋にはあへずうつろひにけり
 
 
 
263
 

ただみね
 

これさだのみこの家の哥合によめる
 
あめふればかさとり山のもみぢばはゆきかふ人のそでさへぞてる
 
 
 
264
 

よみ人しらず
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
ちらねどもかねてぞをしきもみぢばは今は限の色と見つれば
 
 
 
265
 

きのとものり
 

やまとのくににまかりける時、さほ山にきりのたて りけるを見てよめる
 

たがための錦なればか秋ぎりのさほの山辺をたちかくすらむ
 
 
 
266
 

よみ人しらず
 

是貞のみこの家の哥合のうた
 
秋ぎりはけさはなたちそさほ山のははそのもみぢよそにても見む
 
 
 
267
 

坂上是則
 

秋のうたとてよめる
 
佐保山のははその色はうすけれど秋は深くもなりにけるかな
 
 
 
268
 

在原なりひらの朝臣
 

人のせんざいにきくにむすびつけてうゑけるうた
 

うゑしうゑば秋なき時やさかざらむ花こそちらめねさへかれめや
 
 
 
269
 

としゆきの朝臣
 

寛平御時きくの花をよませたまうける
 
久方の雲のうへにて見る菊はあまつほしとぞあやまたれける
 
 
 
この哥は、まだ殿上ゆるされざりける時にめしあげ られてつかうまつれるとなむ
 
 
 
270
 

きのとものり
 

これさだのみこの家の哥合のうた
 
露ながらをりてかざさむきくの花おいせぬ秋のひさしかるべく
 
 
 
271
 

大江千里
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
うゑし時花まちどほにありしきくうつろふ秋にあはむとや見し
 
 
 
272
 

すがはらの朝臣
 

おなじ御時せられけるきくあはせに、すはまをつく りて菊の花うゑたりけるにくはへたりけるうた、ふきあげのはまのかたにきくうゑたり けるによめる
 

秋風の吹きあげにたてる白菊は花かあらぬか浪のよするか
 
 
 
273
 

素性法師
 

仙宮に菊をわけて人のいたれるかたをよめる
 
ぬれてほす山ぢの菊のつゆのまにいつかちとせを我はへにけむ
 
 
 
274
 

とものり
 

菊の花のもとにて人の人まてるかたをよめる
 
花見つつ人まつ時はしろたへの袖かとのみぞあやまたれける
 
 
 
275
 

おほさはの池のかたにきくうゑたるをよめる
 
ひともとと思ひしきくをおほさはの池のそこにもたれかうゑけむ
 
 
 
276
 

つらゆき
 

世中のはかなきことを思ひけるをりにきくの花を見 てよみける
 

秋の菊にほふかぎりはかざしてむ花よりさきとしらぬわが身を
 
 
 
277
 

凡河内みつね
 

しらぎくの花をよめる
 
心あてにをらばやをらむはつしものおきまどはせる白菊の花
 
 
 
278
 

よみ人しらず
 

これさだのみこの家の哥合のうた
 
いろかはる秋のきくをばひととせにふたたびにほふ花とこそ見れ
 
 
 
279
 

平さだふん
 

仁和寺にきくのはなめしける時に、うたそへてたて まつれとおほせられければ、よみてたてまつりける
 

秋をおきて時こそ有りけれ菊の花うつろふからに色のまされば
 
 
 
280
 

つらゆき
 

人の家なりけるきくの花をうつしうゑたりけるをよ める
 

さきそめしやどしかはれば菊の花色さへにこそうつろひにけれ
 
 
 
281
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
佐保山のははそのもみぢちりぬべみよるさへ見よとてらす月影
 
 
 
282
 

藤原関雄
 

みやづかへひさしうつかうまつらで山ざとにこもり 侍りけるによめる
 

おく山のいはがきもみぢちりぬべしてる日のひかり見る時なくて
 
 
 
283
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
竜田河もみぢみだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ
 
 
 
この哥は、ある人、ならのみかどの御哥なりとなむ 申す
 
 
 
284
 
たつた河もみぢば流る神なびのみむろの山に時雨ふるらし
 
 
 
又は、あすかがはもみぢばながる
 

285
 
こひしくは見てもしのばむもみぢばを吹きなちらしそ山おろしのかぜ
 
 
 
286
 
秋風にあへずちりぬるもみぢばのゆくへさだめぬ我ぞかなしき
 
 
 
287
 
あきはきぬ紅葉はやどにふりしきぬ道ふみわけてとふ人はなし
 
 
 
288
 
ふみわけてさらにやとはむもみぢばのふりかくしてしみちとみながら
 
 
 
289
 
秋の月山辺さやかにてらせるはおつるもみぢのかずを見よとか
 
 
 
290
 
吹く風の色のちくさに見えつるは秋のこのはのちればなりけり
 
 
 
 
 
 
 
291
 

せきを
 
霜のたてつゆのぬきこそよわからし山の錦のおればかつちる
 
 
 
292
 

(朱書「僧正へんせうイ」)
 

うりむゐんの木のかげにたたずみてよみける
 
わび人のわきてたちよるこの本はたのむかげなくもみぢちりけり
 
 
 
293
 

そせい
 

二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風 にたつた河にもみぢながれたるかたをかけりけるを題にてよめる
 

もみぢばのながれてとまるみなとには紅深き浪や立つらむ
 
 
 
294
 

なりひらの朝臣
 
ちはやぶる神世もきかず竜田河唐紅に水くくるとは
 
 
 
295
 

としゆきの朝臣
 

これさだのみこの家の哥合のうた
 
わがきつる方もしられずくらぶ山木木のこのはのちるとまがふに
 
 
 
296
 

ただみね
 
神なびのみむろの山を秋ゆけば錦たちきる心地こそすれ
 
 
 
297
 

つらゆき
 

北山に紅葉をらむとてまかれりける時によめる
 
見る人もなくてちりぬるおく山の紅葉はよるのにしきなりけり
 
 
 
298
 

かねみの王
 

秋のうた
 
竜田ひめたむくる神のあればこそ秋のこのはのぬさとちるらめ
 
 
 
299
 

つらゆき
 

をのといふ所にすみ侍りける時もみぢを見てよめる
 

秋の山紅葉をぬさとたむくればすむ我さへぞたび心ちする
 
 
 
300
 

きよはらのふかやぶ
 

神なびの山をすぎて竜田河をわたりける時に、もみ ぢのながれけるをよめる
 

神なびの山をすぎ行く秋なればたつた河にぞぬさはたむくる
 
 
 
301
 

ふぢはらのおきかぜ
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
白浪に秋のこのはのうかべるをあまのながせる舟かとぞ見る
 
 
 
302
 

坂上これのり
 

たつた河のほとりにてよめる
 
もみぢばのながれざりせば竜田河水の秋をばたれかしらまし
 
 
 
303
 

はるみちのつらき
 

しがの山ごえにてよめる
 
山河に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり
 
 
 
304
 

みつね
 

池のほとりにてもみぢのちるをよめる
 
風ふけばおつるもみぢば水きよみちらぬかげさへそこに見えつつ
 
 
 
305
 

亭子院の御屏風のゑに、河わたらむとする人のもみ ぢのちる木のもとにむまをひかへてたてるをよませたまひければつかうまつりける
 

立ちとまり見てをわたらむもみぢばは雨とふるとも水はまさらじ
 
 
 
306
 

ただみね
 

是貞のみこの家の哥合のうた
 
山田もる秋のかりいほにおくつゆはいなおほせ鳥の涙なりけり
 
 
 
307
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
ほにもいでぬ山田をもると藤衣いなばのつゆにぬれぬ日ぞなき
 
 
 
308
 
かれる田におふるひつちのほにいでぬは世を今更に秋はてぬとか
 
 
 
309
 

そせい法し
 

北山に僧正へんぜうとたけがりにまかれりけるによ める
 

もみぢばは袖にこきいれてもていでなむ秋は限と見む人のため
 
 
 
310
 

おきかぜ
 

寛平御時ふるきうたたてまつれとおほせられけれ ば、たつた河もみぢばながるといふ哥をかきて、そのおなじ心をよめりける
 

み山よりおちくる水の色見てぞ秋は限と思ひしりぬる
 
 
 
311
 

つらゆき
 

秋のはつる心をたつた河に思ひやりてよめる
 
年ごとにもみぢばながす竜田河みなとや秋のとまりなるらむ
 
 
 
312
 

なが月のつごもりの日大井にてよめる
 
ゆふづく夜をぐらの山になくしかのこゑの内にや秋はくるらむ
 
 
 
313
 

みつね
 

おなじつごもりの日よめる
 
道しらばたづねもゆかむもみぢばをぬさとたむけて秋はいにけり
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
314
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
竜田河錦おりかく神な月しぐれの雨をたてぬきにして
 
 
 
315
 

源宗于朝臣
 

冬の哥とてよめる
 
山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば
 
 
 
316
 

読人しらず
 

題しらず
 
おほぞらの月のひかりしきよければ影見し水ぞまづこほりける
 
 
 
317
 
ゆふされば衣手さむしみよしののよしのの山にみ雪ふるらし
 
 
 
318
 
今よりはつぎてふらなむわがやどのすすきおしなみふれるしら雪
 
 
 
319
 
ふる雪はかつぞけぬらしあしひきの山のたぎつせおとまさるなり
 
 
 
320
 
この河にもみぢば流るおく山の雪げの水ぞ今まさるらし
 
 
 
321
 
ふるさとはよしのの山しちかければひと日もみ雪ふらぬ日はなし
 
 
 
322
 
わがやどは雪ふりしきてみちもなしふみわけてとふ人しなければ
 
 
 
323
 

紀貫之
 

冬のうたとて
 
雪ふれば冬ごもりせる草も木も春にしられぬ花ぞさきける
 
 
 
324
 

紀あきみね
 

しがの山ごえにてよめる
 
白雪のところもわかずふりしけばいはほにもさく花とこそ見れ
 
 
 
325
 

坂上これのり
 

ならの京にまかれりける時にやどれりける所にてよ める
 

みよしのの山の白雪つもるらしふるさとさむくなりまさるなり
 
 
 
326
 

ふぢはらのおきかぜ
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
浦ちかくふりくる雪は白浪の末の松山こすかとぞ見る
 
 
 
327
 

壬生忠岑
 
みよしのの山の白雪ふみわけて入りにし人のおとづれもせぬ
 
 
 
328
 
白雪のふりてつもれる山ざとはすむ人さへや思ひきゆらむ
 
 
 
329
 

凡河内みつね
 

雪のふれるを見てよめる
 
ゆきふりて人もかよはぬみちなれやあとはかもなく思ひきゆらむ
 
 
 
330
 

きよはらのふかやぶ
 

ゆきのふりけるをよみける
 
冬ながらそらより花のちりくるは雲のあなたは春にやあるらむ
 
 
 
331
 

つらゆき
 

雪の木にふりかかれりけるをよめる
 
ふゆごもり思ひかけぬをこのまより花と見るまで雪ぞふりける
 
 
 
332
 

坂上これのり
 

やまとのくににまかれりける時に、ゆきのふりける を見てよめる
 

あさぼらけありあけの月と見るまでによしののさとにふれるしらゆき
 
 
 
333
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
けぬがうへに又もふりしけ春霞たちなばみ雪まれにこそ見め
 
 
 
334
 
梅花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば
 
 
 
この哥は、ある人のいはく、柿本人まろが哥なり
 
 
 
335
 

小野たかむらの朝臣
 

梅花にゆきのふれるをよめる
 
花の色は雪にまじりて見えずともかをだににほへ人のしるべく
 
 
 
336
 

きのつらゆき
 

雪のうちの梅花をよめる
 
梅のかのふりおける雪にまがひせばたれかことごとわきてをらまし
 
 
 
337
 

きのとものり
 

ゆきのふりけるを見てよめる
 
雪ふれば木ごとに花ぞさきにけるいづれを梅とわきてをらまし
 
 
 
338
 

みつね
 

物へまかりける人をまちてしはすのつごもりによめ る
 

わがまたぬ年はきぬれど冬草のかれにし人はおとづれもせず
 
 
 
339
 

在原もとかた
 

年のはてによめる
 
あらたまの年のをはりになるごとに雪もわが身もふりまさりつつ
 
 
 
340
 

よみ人しらず
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
雪ふりて年のくれぬる時こそつひにもみぢぬ松も見えけれ
 
 
 
341
 

はるみちのつらき
 

年のはてによめる
 
昨日といひけふとくらしてあすかがは流れてはやき月日なりけり
 
 
 
342
 

きのつらゆき
 

哥たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれ る
 

ゆく年のをしくもあるかなますかがみ見るかげさへにくれぬと思へば
 
 
 
 
 
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343
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
わが君は千世にやちよにさざれいしのいはほとなりてこけのむすまで
 
 
 
344
 
渡つ海の浜のまさごをかぞへつつ君がちとせのありかずにせむ
 
 
 
345
 
しほの山さしでのいそにすむ千鳥きみがみ世をばやちよとぞなく
 
 
 
346
 
わがよはひ君がやちよにとりそへてとどめおきては思ひいでにせよ
 
 
 
347
 

仁和の御時僧正遍昭に七十賀たまひける時の御哥
 

かくしつつとにもかくにもながらへて君がやちよにあふよしもがな
 
 
 
348
 

僧正へんぜう
 

仁和のみかどのみこにおはしましける時に、御をば のやそぢの賀にしろかねをつゑにつくれりけるを見て、かの御をばにかはりてよみける
 

ちはやぶる神やきりけむつくからにちとせの坂もこえぬべらなり
 
 
 
349
 

在原業平朝臣
 

ほりかはのおほいまうちぎみの四十賀、九条の家に てしける時によめる
 

さくら花ちりかひくもれおいらくのこむといふなる道まがふがに
 
 
 
350
 

きのこれをか
 

さだときのみこのをばのよそぢの賀を大井にてしけ る日よめる
 

亀の尾の山のいはねをとめておつるたきの白玉千世のかずかも
 
 
 
351
 

ふぢはらのおきかぜ
 

さだやすのみこのきさいの宮の五十の賀たてまつり ける御屏風に、さくらの花のちるしたに人の花見たるかたかけるをよめる
 

いたづらにすぐす月日はおもほえで花見てくらす春ぞすくなき
 
 
 
352
 

きのつらゆき
 

もとやすのみこの七十の賀のうしろの屏風によみて かきける
 

春くればやどにまづさく梅花君がちとせのかざしとぞ見る
 
 
 
353
 

そせい法し
 
いにしへにありきあらずはしらねどもちとせのためし君にはじめむ
 
 
 
354
 
ふしておもひおきてかぞふるよろづよは神ぞしるらむわがきみのため
 
 
 
355
 

在原しげはる
 

藤原三善が六十賀によみける
 
鶴亀もちとせののちはしらなくにあかぬ心にまかせはててむ
 
 
 
この哥は、ある人、在原のときはるがともいふ
 

356
 

そせい法し
 

よしみねのつねなりがよそぢの賀にむすめにかはり てよみ侍りける
 

よろづ世を松にぞ君をいはひつるちとせのかげにすまむと思へば
 
 
 
357
 

内侍のかみの右大将ふぢはらの朝臣の四十賀しける 時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた
 

かすがのにわかなつみつつよろづ世をいはふ心は神ぞしるらむ
 
 
 
358
 
山たかみくもゐに見ゆるさくら花心の行きてをらぬ日ぞなき
 
 
 
359
 

 
めづらしきこゑならなくに郭公ここらの年をあかずもあるかな
 
 
 
360
 

 
住の江の松を秋風吹くからにこゑうちそふるおきつ白浪
 
 
 
361
 
千鳥なくさほの河ぎりたちぬらし山のこのはも色まさりゆく
 
 
 
362
 
秋くれど色もかはらぬときは山よそのもみぢを風ぞかしける
 
 
 
363
 

 
白雪のふりしく時はみよしのの山した風に花ぞちりける
 
 
 
364
 

典侍藤原よるかの朝臣
 

春宮のむまれたまへりける時にまゐりてよめる
 
峯たかきかすがの山にいづる日はくもる時なくてらすべらなり
 
 
 
 
 
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365
 

在原行平朝臣
 

題しらず
 
立ちわかれいなばの山の峯におふる松としきかば今かへりこむ
 
 
 
366
 

よみ人しらず
 
すがるなく秋のはぎはらあさたちて旅行く人をいつとかまたむ
 
 
 
367
 
限なき雲ゐのよそにわかるとも人を心におくらさむやは
 
 
 
368
 

をののちふるがみちのくのすけにまかりける時に、 ははのよめる
 

たらちねのおやのまもりとあひそふる心ばかりはせきなとどめそ
 
 
 
369
 

きのとしさだ
 

さだときのみこの家にて、ふぢはらのきよふがあふ みのすけにまかりける時に、むまのはなむけしける夜よめる
 

けふわかれあすはあふみとおもへども夜やふけぬらむ袖のつゆけき
 
 
 
370
 

こしへまかりける人によみてつかはしける
 
かへる山ありとはきけど春霞立別れなばこひしかるべし
 
 
 
371
 

きのつらゆき
 

人のむまのはなむけにてよめる
 
をしむからこひしき物を白雲のたちなむのちはなに心地せむ
 
 
 
372
 

在原しげはる
 

ともだちの人のくにへまかりけるによめる
 
わかれてはほどをへだつとおもへばやかつ見ながらにかねてこひしき
 
 
 
373
 

いかごのあつゆき
 

あづまの方へまかりける人によみてつかはしける
 

おもへども身をしわけねばめに見えぬ心を君にたぐへてぞやる
 
 
 
374
 

なにはのよろづを
 

あふさかにて人をわかれける時によめる
 
相坂の関しまさしき物ならばあかずわかるる君をとどめよ
 
 
 
375
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
唐衣たつ日はきかじあさつゆのおきてしゆけばけぬべき物を
 
 
 
このうたは、ある人、つかさをたまはりてあたらし きめにつきて、としへてすみける人をすてて、ただあすなむたつとばかりいへりける時 に、ともかうもいはでよみてつかはしける
 
 
 
376
 

 

ひたちへまかりける時に、ふぢはらのきみとしによ みてつかはしける
 

あさなげに見べききみとしたのまねば思ひたちぬる草枕なり
 
 
 
377
 

よみ人しらず
 

きのむねさだがあづまへまかりける時に、人の家に やどりて、暁いでたつとてまかり申ししければ、女のよみていだせりける
 

えぞしらぬ今心みよいのちあらば我やわするる人やとはぬと
 
 
 
378
 

ふかやぶ
 

あひしりて侍りける人のあづまの方へまかりけるを おくるとてよめる
 

雲ゐにもかよふ心のおくれねばわかると人に見ゆばかりなり
 
 
 
379
 

よしみねのひでをか
 

とものあづまへまかりける時によめる
 
白雲のこなたかなたに立ちわかれ心をぬさとくだくたびかな
 
 
 
380
 

つらゆき
 

みちのくにへまかりける人によみてつかはしける
 

しらくものやへにかさなるをちにてもおもはむ人に心へだつな
 
 
 
381
 

人をわかれける時によみける
 
わかれてふ事はいろにもあらなくに心にしみてわびしかるらむ
 
 
 
382
 

凡河内みつね
 

あひしれりける人のこしのくににまかりて、としへ て京にまうできて、又かへりける時によめる
 

かへる山なにぞはありてあるかひはきてもとまらぬ名にこそありけれ
 
 
 
383
 

こしのくにへまかりける人によみてつかはしける
 

よそにのみこひやわたらむしら山の雪見るべくもあらぬわが身は
 
 
 
384
 

つらゆき
 

おとはの山のほとりにて人をわかるとてよめる
 
おとは山こだかくなきて郭公君が別ををしむべらなり
 
 
 
385
 

ふぢはらのかねもち
 

藤原ののちかげがからもののつかひに、なが月の つごもりがたにまかりけるに、うへのをのこどもさけたうびけるついでによめる
 

もろともになきてとどめよ蛬秋のわかれはをしくやはあらぬ
 
 
 
386
 

平もとのり
 
秋霧のともにたちいでてわかれなばはれぬ思ひに恋ひや渡らむ
 
 
 
387
 

しろめ
 

源のさねがつくしへゆあみむとてまかりけるに、山 ざきにてわかれをしみける所にてよめる
 

いのちだに心にかなふ物ならばなにか別のかなしからまし
 
 
 
388
 

源さね
 

山ざきより神なびのもりまでおくりに人人まかり て、かへりがてにしてわかれをしみけるによめる
 

人やりの道ならなくにおほかたはいきうしといひていざ帰りなむ
 
 
 
389
 

藤原かねもち
 

今はこれよりかへりねとさねがいひけるをりによみ ける
 

したはれてきにし心の身にしあれば帰るさまには道もしられず
 
 
 
390
 

つらゆき
 

藤原のこれをかがむさしのすけにまかりける時に、 おくりにあふさかをこゆとてよみける
 

かつこえてわかれもゆくかあふさかは人だのめなる名にこそありけれ
 
 
 
391
 

藤原かねすけの朝臣
 

おほえのちふるがこしへまかりけるむまのはなむけ によめる
 

君がゆくこしのしら山しらねども雪のまにまにあとはたづねむ
 
 
 
392
 

僧正遍昭
 

人の花山にまうできて、ゆふさりつかたかへりなむ としける時によめる
 

ゆふぐれのまがきは山と見えななむよるはこえじとやどりとるべく
 
 
 
393
 

幽仙法師
 

山にのぼりてかへりまうできて、人人わかれけるつ いでによめる
 

別をば山のさくらにまかせてむとめむとめじは花のまにまに
 
 
 
394
 

僧正へんぜう
 

うりむゐんのみこの舎利会に山にのぼりてかへりけ るに、さくらの花のもとにてよめる
 

山かぜにさくらふきまきみだれなむ花のまぎれにたちとまるべく
 
 
 
395
 

幽仙法師
 
ことならば君とまるべくにほはなむかへすは花のうきにやはあらぬ
 
 
 
396
 

兼芸法し
 

仁和のみかどみこにおはしましける時に、ふるのた き御覧じにおはしましてかへりたまひけるによめる
 

あかずしてわかるる涙滝にそふ水まさるとやしもは見るらむ
 
 
 
397
 

つらゆき
 

かむなりのつぼにめしたりける日、おほみきなどた うべてあめのいたくふりければ、ゆふさりまで侍りてまかりいでけるをりに、さか月を とりて
 

秋はぎの花をば雨にぬらせども君をばましてをしとこそおもへ
 
 
 
398
 

兼覧王
 

とよめりけるかへし
 
をしむらむ人の心をしらぬまに秋の時雨と身ぞふりにける
 
 
 
399
 

みつね
 

かねみのおほきみにはじめて物がたりして、わかれ ける時によめる
 

わかるれどうれしくもあるかこよひよりあひ見ぬさきになにをこひまし
 
 
 
400
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
あかずしてわかるるそでのしらたまを君がかたみとつつみてぞ行く
 
 
 
401
 
限なく思ふ涙にそほちぬる袖はかわかじあはむ日までに
 
 
 
402
 
かきくらしごとはふらなむ春雨にぬれぎぬきせて君をとどめむ
 
 
 
403
 
しひて行く人をとどめむ桜花いづれを道と迷ふまでちれ
 
 
 
404
 

つらゆき
 

しがの山ごえにて、いしゐのもとにてものいひける 人のわかれけるをりによめる
 

むすぶてのしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな
 
 
 
405
 

とものり
 

みちにあへりける人のくるまにものをいひつきて、 わかれける所にてよめる
 

したのおびのみちはかたがたわかるとも行きめぐりてもあはむとぞ思ふ
 
 
 
 
 
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406
 

安倍仲麿
 

もろこしにて月を見てよみける
 
あまの原ふりさけ見ればかすがなるみかさの山にいでし月かも
 
 
 
この哥は、むかしなかまろをもろこしにものならは しにつかはしたりけるに、あまたのとしをへてえかへりまうでこざりけるを、このくに より又つかひまかりいたりけるにたぐひて、まうできなむとていでたちけるに、めいし うといふ所のうみべにてかのくにの人むまのはなむけしけり、よるになりて月のいとお もしろくさしいでたりけるを見てよめるとなむかたりつたふる
 
 
 
407
 

小野たかむらの朝臣
 

おきのくににながされける時に、舟にのりていでた つとて、京なる人のもとにつかはしける
 

わたのはらやそしまかけてこぎいでぬと人にはつげよあまのつり舟
 
 
 
408
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
都いでて今日みかの原いづみ河かは風さむし衣かせ山
 
 
 
409
 
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く舟をしぞ思ふ
 
 
 
このうたは、ある人のいはく、柿本人麿が哥也
 
 
 
410
 

在原業平朝臣
 

あづまの方へ友とする人ひとりふたりいざなひてい きけり、みかはのくにやつはしといふ所にいたりけるに、その河のほとりにかきつばた いとおもしろくさけりけるを見て、木のかげにおりゐて、かきつばたといふいつもじを くのかしらにすゑてたびの心をよまむとてよめる
 

唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞ思ふ
 
 
 
411
 

むさしのくにとしもつふさのくにとの中にあるすみ だ河のほとりにいたりて、みやこのいとこひしうおぼえければ、しばし河のほとりにお りゐて思ひやれば、かぎりなくとほくもきにけるかなと思ひわびてながめをるに、わた しもりはや舟にのれ、日くれぬといひければ、舟にのりてわたらむとするに、みな人も のわびしくて京におもふ人なくしもあらず、さるをりにしろきとりのはしとあしとあか き、河のほとりにあそびけり、京には見えぬとりなりければみな人見しらず、わたしも りにこれはなにとりぞととひければ、これなむみやこどりといひけるをききてよめる
 

名にしおはばいざ事とはむ宮こどりわが思ふ人はありやなしやと
 
 
 
412
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
北へ行くかりぞなくなるつれてこしかずはたらでぞかへるべらなる
 
 
 
このうたは、ある人、をとこ女もろともに人のくに へまかりけり、をとこまかりいたりてすなはち身まかりにければ、女ひとり京へかへり けるみちに、かへるかりのなきけるをききてよめるとなむいふ
 
 
 
413
 

おと
 

あづまの方より京へまうでくとて、みちにてよめる
 

山かくす春の霞ぞうらめしきいづれみやこのさかひなるらむ
 
 
 
414
 

みつね
 

こしのくにへまかりける時しら山を見てよめる
 
きえはつる時しなければこしぢなる白山の名は雪にぞありける
 
 
 
415
 

つらゆき
 

あづまへまかりける時みちにてよめる
 
いとによる物ならなくにわかれぢの心ぼそくもおもほゆるかな
 
 
 
416
 

みつね
 

かひのくにへまかりける時みちにてよめる
 
夜をさむみおくはつ霜をはらひつつ草の枕にあまたたびねぬ
 
 
 
417
 

ふぢはらのかねすけ
 

たじまのくにのゆへまかりける時に、ふたみのうら といふ所にとまりて、ゆふさりのかれいひたうべけるに、ともにありける人人のうたよ みけるついでによめる
 

ゆふづくよおぼつかなきを玉匣ふたみの浦は曙てこそ見め
 
 
 
418
 

在原なりひらの朝臣
 

これたかのみこのともにかりにまかりける時に、あ まの河といふ所の河のほとりにおりゐてさけなどのみけるついでに、みこのいひけら く、かりしてあまのかはらにいたるといふ心をよみて、さかづきはさせといひければよ める
 

かりくらしたなばたづめにやどからむあまのかはらに我はきにけり
 
 
 
419
 

きのありつね
 

みここのうたを返す返すよみつつ返しえせずなりに ければ、ともに侍りてよめる
 

ひととせにひとたびきます君まてばやどかす人もあらじとぞ思ふ
 
 
 
420
 

すがはらの朝臣
 

朱雀院のならにおはしましたりける時にたむけ山に てよみける
 

このたびはぬさもとりあへずたむけ山紅葉の錦神のまにまに
 
 
 
421
 

素性法師
 
たむけにはつづりの袖もきるべきにもみぢにあける神やかへさむ
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
422
 

藤原としゆきの朝臣
 

うぐひす
 
心から花のしづくにそほちつつうくひずとのみ鳥のなくらむ
 
 
 
423
 

ほととぎす
 
くべきほどときすぎぬれやまちわびてなくなるこゑの人をとよむる
 
 
 
424
 

在原しげはる
 

うつせみ
 
浪のうつせみればたまぞみだれけるひろはばそでにはかなからむや
 
 
 
425
 

壬生忠岑
 

返し
 
たもとよりはなれて玉をつつまめやこれなむそれとうつせ見むかし
 
 
 
426
 

よみ人しらず
 

うめ
 
あなうめにつねなるべくも見えぬかなこひしかるべきかはにほひつつ
 
 
 
427
 

つらゆき
 

かにはざくら
 
かづけども浪のなかにはさぐられで風吹くごとにうきしづむたま
 
 
 
428
 

すもものはな
 
今いくか春しなければうぐひすもものはながめて思ふべらなり
 
 
 
429
 

ふかやぶ
 

からもものはな
 
あふからもものはなほこそかなしけれわかれむ事をかねて思へば
 
 
 
430
 

をののしげかげ
 

たちばな
 
葦引の山たちはなれ行く雲のやどりさだめぬ世にこそ有りけれ
 
 
 
431
 

とものり
 

をがたまの木
 
みよしののよしののたきにうかびいづるあわをかたまのきゆと見つらむ
 
 
 
432
 

よみ人しらず
 

やまがきの木
 
秋はきぬいまやまがきのきりぎりすよなよななかむ風のさむさに
 
 
 
433
 

あふひ、かつら
 
かくばかりあふ日のまれになる人をいかがつらしとおもはざるべき
 
 
 
434
 
人めゆゑのちにあふ日のはるけくはわがつらきにや思ひなされむ
 
 
 
435
 

僧正へんぜう
 

くたに
 
ちりぬればのちはあくたになる花を思ひしらずもまどふてふかな
 
 
 
436
 

つらゆき
 

さうび
 
我はけさうひにぞ見つる花の色をあだなる物といふべかりけり
 
 
 
437
 

とものり
 

をみなへし
 
白露を玉にぬくやとささがにの花にも葉にもいとをみなへし
 
 
 
438
 
あさ露をわけそほちつつ花見むと今ぞの山をみなへしりぬる
 
 
 
439
 

つらゆき
 

朱雀院のをみなへしあはせの時に、をみなへしとい ふいつもじをくのかしらにおきてよめる
 

をぐら山みねたちならしなくしかのへにけむ秋をしる人ぞなき
 
 
 
440
 

とものり
 

きちかうの花
 
秋ちかうのはなりにけり白露のおけるくさばも色かはりゆく
 
 
 
441
 

よみ人しらず
 

しをに
 
ふりはへていざふるさとの花見むとこしをにほひぞうつろひにける
 
 
 
442
 

とものり
 

りうたむのはな
 
わがやどの花ふみしだくとりうたむのはなければやここにしもくる
 
 
 
443
 

よみ人しらず
 

をばな
 
ありと見てたのむぞかたきうつせみの世をばなしとや思ひなしてむ
 
 
 
444
 

やたべの名実
 

けにごし
 
うちつけにこしとや花の色を見むおく白露のそむるばかりを
 
 
 
445
 

文屋やすひで
 

二条の后春宮のみやすん所と申しける時に、めどに けづり花させりけるをよませたまひける
 

花の木にあらざらめどもさきにけりふりにしこのみなるときもがな
 
 
 
446
 

きのとしさだ
 

しのぶぐさ
 
山たかみつねに嵐の吹くさとはにほひもあへず花ぞちりける
 
 
 
447
 

平あつゆき
 

やまし
 
郭公みねのくもにやまじりにしありとはきけど見るよしもなき
 
 
 
448
 

よみ人しらず
 

からはぎ
 
空蝉のからは木ごとにとどむれどたまのゆくへを見ぬぞかなしき
 
 
 
449
 

ふかやぶ
 

かはなぐさ
 
うばたまの夢になにかはなぐさまむうつつにだにもあかぬ心は
 
 
 
450
 

たかむこのとしはる
 

さがりごけ
 
花の色はただひとさかりこけれども返す返すぞつゆはそめける
 
 
 
451
 

しげはる
 

にがたけ
 
いのちとてつゆをたのむにかたければ物わびしらになくのべのむし
 
 
 
452
 

かげのりのおほきみ
 

かはたけ
 
さ夜ふけてなかばたけゆく久方の月ふきかへせ秋の山風
 
 
 
453
 

真せいほうし
 

わらび
 
煙たちもゆとも見えぬ草のはをたれかわらびとなづけそめけむ
 
 
 
454
 

きのめのと
 

ささ、まつ、びは、ばせをば
 
いさざめに時まつまにぞ日はへぬる心ばせをば人に見えつつ
 
 
 
455
 

兵衛
 

なし、なつめ、くるみ
 
あぢきなしなげきなつめそうき事にあひくる身をばすてぬものから
 
 
 
456
 

安倍清行朝臣
 

からことといふ所にて春のたちける日よめる
 
浪のおとのけさからことにきこゆるは春のしらべや改るらむ
 
 
 
457
 

兼覧王
 

いかがさき
 
かぢにあたる浪のしづくを春なればいかがさきちる花と見ざらむ
 
 
 
458
 

あほのつねみ
 

からさき
 
かの方にいつからさきにわたりけむ浪ぢはあとものこらざりけり
 
 
 
459
 

伊勢
 
浪の花おきからさきてちりくめり水の春とは風やなるらむ
 
 
 
460
 

つらゆき
 

かみやがは
 
うばたまのわがくろかみやかはるらむ鏡の影にふれるしらゆき
 
 
 
461
 

よどがは
 
あしひきの山べにをれば白雲のいかにせよとかはるる時なき
 
 
 
462
 

ただみね
 

かたの
 
夏草のうへはしげれるぬま水のゆくかたのなきわが心かな
 
 
 
463
 

源ほどこす
 

かつらのみや
 
秋くれば月のかつらのみやはなるひかりを花とちらすばかりを
 
 
 
464
 

よみ人しらず
 

百和香
 
花ごとにあかずちらしし風なればいくそばくわがうしとかは思ふ
 
 
 
465
 

しげはる
 

すみながし
 
春がすみなかしかよひぢなかりせば秋くるかりはかへらざらまし
 
 
 
466
 

みやこのよしか
 

おきび
 
流れいづる方だに見えぬ涙河おきひむ時やそこはしられむ
 
 
 
467
 

大江千里
 

ちまき
 
のちまきのおくれておふるなへなれどあだにはならぬたのみとぞきく
 
 
 
468
 

僧正聖宝
 

はをはじめ、るをはてにて、ながめをかけて時のう たよめと人のいひければよみける
 

花のなかめにあくやとてわけゆけば心ぞともにちりぬべらなる
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

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469
 

読人しらず
 

題しらず
 
郭公なくやさ月のあやめぐさあやめもしらぬこひもするかな
 
 
 
470
 

素性法師
 
おとにのみきくの白露よるはおきてひるは思ひにあへずけぬべし
 
 
 
471
 

紀貫之
 
吉野河いは浪たかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし
 
 
 
472
 

藤原勝臣
 
白浪のあとなき方に行く舟も風ぞたよりのしるべなりける
 
 
 
473
 

在原元方
 
おとは山おとにききつつ相坂の関のこなたに年をふるかな
 
 
 
474
 
立帰りあはれとぞ思ふよそにても人に心をおきつ白浪
 
 
 
475
 

つらゆき
 
世中はかくこそ有りけれ吹く風のめに見ぬ人もこひしかりけり
 
 
 
476
 

在原業平朝臣
 

右近のむまばのひをりの日、むかひにたてたりける くるまのしたすだれより女のかほのほのかに見えければ、よむでつかはしける
 

見ずもあらず見もせぬ人のこひしくはあやなくけふやながめくらさむ
 
 
 
477
 

よみ人しらず
 

返し
 
しるしらぬなにかあやなくわきていはむ思ひのみこそしるべなりけれ
 
 
 
478
 

みぶのただみね
 

かすがのまつりにまかれりける時に、物見にいでた りける女のもとに、家をたづねてつかはせりける
 

かすがののゆきまをわけておひいでくる草のはつかに見えしきみはも
 
 
 
479
 

つらゆき
 

人の花つみしける所にまかりて、そこなりける人の もとに、のちによみてつかはしける
 

山ざくら霞のまよりほのかにも見てし人こそこひしかりけれ
 
 
 
480
 

もとかた
 

題しらず
 
たよりにもあらぬおもひのあやしきは心を人につくるなりけり
 
 
 
481
 

凡河内みつね
 
はつかりのはつかにこゑをききしより中ぞらにのみ物を思ふかな
 
 
 
482
 

つらゆき
 
逢ふ事はくもゐはるかになる神のおとにききつつこひ渡るかな
 
 
 
483
 

読人しらず
 
かたいとをこなたかなたによりかけてあはずはなにをたまのをにせむ
 
 
 
484
 
夕ぐれは雲のはたてに物ぞ思ふあまつそらなる人をこふとて
 
 
 
485
 
かりこもの思ひみだれて我こふといもしるらめや人しつげずは
 
 
 
486
 
つれもなき人をやねたくしらつゆのおくとはなげきぬとはしのばむ
 
 
 
487
 
ちはやぶるかもの社のゆふだすきひと日も君をかけぬ日はなし
 
 
 
488
 
わがこひはむなしきそらにみちぬらし思ひやれどもゆく方もなし
 
 
 
489
 
するがなるたごの浦浪たたぬひはあれども君をこひぬ日ぞなき
 
 
 
490
 
ゆふづく夜さすやをかべの松のはのいつともわかぬこひもするかな
 
 
 
491
 
葦引の山した水のこがくれてたぎつ心をせきぞかねつる
 
 
 
492
 
吉野河いはきりとほし行く水のおとにはたてじこひはしぬとも
 
 
 
493
 
たきつせのなかにもよどはありてふをなどわがこひのふちせともなき
 
 
 
494
 
山高みした行く水のしたにのみ流れてこひむこひはしぬとも
 
 
 
495
 
思ひいづるときはの山のいはつつじいはねばこそあれこひしき物を
 
 
 
496
 
人しれずおもへばくるし紅のすゑつむ花のいろにいでなむ
 
 
 
497
 
秋の野のをばなにまじりさく花のいろにやこひむあふよしをなみ
 
 
 
498
 
わがそのの梅のほつえに鶯のねになきぬべきこひもするかな
 
 
 
499
 
あしひきの山郭公わがごとや君にこひつついねがてにする
 
 
 
500
 
夏なればやどにふすぶるかやり火のいつまでわが身したもえをせむ
 
 
 
501
 
恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも
 
 
 
502
 
あはれてふ事だになくはなにをかは恋のみだれのつかねをにせむ
 
 
 
503
 
おもふには忍ぶる事ぞまけにける色にはいでじとおもひし物を
 
 
 
504
 
わがこひを人しるらめや敷妙の枕のみこそしらばしるらめ
 
 
 
505
 
あさぢふのをののしの原しのぶとも人しるらめやいふ人なしに
 
 
 
506
 
人しれぬ思ひやなぞとあしかきのまぢかけれどもあふよしのなき
 
 
 
507
 
思ふともこふともあはむ物なれやゆふてもたゆくとくるしたひも
 
 
 
508
 
いで我を人なとがめそおほ舟のゆだのたゆだに物思ふころぞ
 
 
 
509
 
伊勢の海につりするあまのうけなれや心ひとつを定めかねつる
 
 
 
510
 
いせのうみのあまのつりなは打ちはへてくるしとのみや思ひ渡らむ
 
 
 
511
 
涙河何みなかみを尋ねけむ物思ふ時のわが身なりけり
 
 
 
512
 
たねしあればいはにも松はおひにけり恋をしこひばあはざらめやは
 
 
 
513
 
あさなあさな立つ河霧のそらにのみうきて思ひのある世なりけり
 
 
 
514
 
わすらるる時しなければあしたづの思ひみだれてねをのみぞなく
 
 
 
515
 
唐衣ひもゆふぐれになる時は返す返すぞ人はこひしき
 
 
 
516
 
よひよひに枕さだめむ方もなしいかにねし夜か夢に見えけむ
 
 
 
517
 
恋しきに命をかふる物ならばしにはやすくぞあるべかりける
 
 
 
518
 
人の身もならはし物をあはずしていざ心みむこひやしぬると
 
 
 
519
 
忍ぶれば苦しき物を人しれず思ふてふ事誰にかたらむ
 
 
 
520
 
こむ世にもはや成りななむ目の前につれなき人を昔とおもはむ
 
 
 
521
 
つれもなき人をこふとて山びこのこたへするまでなげきつるかな
 
 
 
522
 
ゆく水にかずかくよりもはかなきはおもはぬ人を思ふなりけり
 
 
 
523
 
人を思ふ心は我にあらねばや身の迷ふだにしられざるらむ
 
 
 
524
 
思ひやるさかひはるかになりやするまどふ夢ぢにあふ人のなき
 
 
 
525
 
夢の内にあひ見む事をたのみつつくらせるよひはねむ方もなし
 
 
 
526
 
こひしねとするわざならしむばたまのよるはすがらに夢に見えつつ
 
 
 
527
 
涙河枕ながるるうきねには夢もさだかに見えずぞありける
 
 
 
528
 
恋すればわが身は影と成りにけりさりとて人にそはぬ物ゆゑ
 
 
 
529
 
篝火にあらぬわが身のなぞもかく涙の河にうきてもゆらむ
 
 
 
530
 
かがり火の影となる身のわびしきは流れてしたにもゆるなりけり
 
 
 
531
 
はやきせに見るめおひせばわが袖の涙の河にうゑまし物を
 
 
 
532
 
おきへにもよらぬたまもの浪のうへにみだれてのみやこひ渡りなむ
 
 
 
533
 
あしがものさわぐ入江の白浪のしらずや人をかくこひむとは
 
 
 
534
 
人しれぬ思ひをつねにするがなるふじの山こそわが身なりけれ
 
 
 
535
 
とぶとりのこゑもきこえぬ奥山のふかき心を人はしらなむ
 
 
 
536
 
相坂のゆふつけどりもわがごとく人やこひしきねのみなくらむ
 
 
 
537
 
相坂の関にながるるいはし水いはで心に思ひこそすれ
 
 
 
538
 
うき草のうへはしげれるふちなれや深き心をしる人のなき
 
 
 
539
 
打ちわびてよばはむ声に山びこのこたへぬ山はあらじとぞ思ふ
 
 
 
540
 
心がへする物にもがかたこひはくるしき物と人にしらせむ
 
 
 
541
 
よそにしてこふればくるしいれひものおなじ心にいざむすびてむ
 
 
 
542
 
春たてばきゆる氷ののこりなく君が心は我にとけなむ
 
 
 
543
 
あけたてば蝉のをりはへなきくらしよるはほたるのもえこそわたれ
 
 
 
544
 
夏虫の身をいたづらになすこともひとつ思ひによりてなりけり
 
 
 
545
 
ゆふさればいとどひがたきわがそでに秋のつゆさへおきそはりつつ
 
 
 
546
 
いつとてもこひしからずはあらねども秋のゆふべはあやしかりけり
 
 
 
547
 
秋の田のほにこそ人をこひざらめなどか心に忘れしもせむ
 
 
 
548
 
あきのたのほのうへをてらすいなづまのひかりのまにも我やわするる
 
 
 
549
 
人めもる我かはあやな花すすきなどかほにいでてこひずしもあらむ
 
 
 
550
 
あは雪のたまればがてにくだけつつわが物思ひのしげきころかな
 
 
 
551
 
奥山の菅のねしのぎふる雪のけぬとかいはむこひのしげきに
 
 
 
 
 
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552
 

小野小町
 

題しらず
 
思ひつつぬればや人の見えつらむ夢としりせばさめざらましを
 
 
 
553
 
うたたねに恋しきひとを見てしより夢てふ物は憑みそめてき
 
 
 
554
 
いとせめてこひしき時はむば玉のよるの衣を返してぞきる
 
 
 
555
 

素性法師
 
秋風の身にさむければつれもなき人をぞたのむくるる夜ごとに
 
 
 
556
 

あべのきよゆきの朝臣
 

しもついづもでらに人のわざしける日、真せい法し のだうしにていへりける事を哥によみてをののこまちがもとにつかはしける
 

つつめども袖にたまらぬ白玉は人を見ぬめの涙なりけり
 
 
 
557
 

こまち
 

返し
 
おろかなる涙ぞそでに玉はなす我はせきあへずたきつせなれば
 
 
 
558
 

藤原としゆきの朝臣
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
恋ひわびて打ちぬる中に行きかよふ夢のただぢはうつつならなむ
 
 
 
559
 
住の江の岸による浪よるさへやゆめのかよひぢ人めよくらむ
 
 
 
560
 

をののよしき
 
わがこひはみ山がくれの草なれやしげさまされどしる人のなき
 
 
 
561
 

紀とものり
 
よひのまもはかなく見ゆる夏虫に迷ひまされるこひもするかな
 
 
 
562
 
ゆふされば蛍よりけにもゆれどもひかり見ねばや人のつれなき
 
 
 
563
 
ささのはにおく霜よりもひとりぬるわが衣手ぞさえまさりける
 
 
 
564
 
わがやどの菊のかきねにおくしものきえかへりてぞこひしかりける
 
 
 
565
 
河のせになびくたまものみがくれて人にしられぬこひもするかな
 
 
 
566
 

みぶのただみね
 
かきくらしふる白雪のしたぎえにきえて物思ふころにもあるかな
 
 
 
567
 

藤原おきかぜ
 
君こふる涙のとこにみちぬればみをつくしとぞ我はなりぬる
 
 
 
568
 
しぬるいのちいきもやすると心見に玉のをばかりあはむといはなむ
 
 
 
569
 
わびぬればしひてわすれむと思へども夢といふ物ぞ人だのめなる
 
 
 
570
 

よみ人しらず
 
わりなくもねてもさめてもこひしきか心をいづちやらばわすれむ
 
 
 
571
 
恋しきにわびてたましひ迷ひなばむなしきからのなにやのこらむ
 
 
 
572
 

紀つらゆき
 
君こふる涙しなくは唐衣むねのあたりは色もえなまし
 
 
 
573
 

題しらず
 
世とともに流れてぞ行く涙河冬もこほらぬみなわなりけり
 
 
 
574
 
夢ぢにもつゆやおくらむよもすがらかよへる袖のひちてかわかぬ
 
 
 
575
 

そせい法し
 
はかなくて夢にも人を見つる夜は朝のとこぞおきうかりける
 
 
 
576
 

藤原ただふさ
 
いつはりの涙なりせば唐衣しのびに袖はしぼらざらまし
 
 
 
577
 

大江千里
 
ねになきてひちにしかども春さめにぬれにし袖ととはばこたへむ
 
 
 
578
 

としゆきの朝臣
 
わがごとく物やかなしき郭公時ぞともなくよただなくらむ
 
 
 
579
 

つらゆき
 
さ月山こずゑをたかみ郭公なくねそらなるこひもするかな
 
 
 
580
 

凡河内みつね
 
秋ぎりのはるる時なき心にはたちゐのそらもおもほえなくに
 
 
 
581
 

清原ふかやぶ
 
虫のごと声にたててはなかねども涙のみこそしたにながるれ
 
 
 
582
 

よみ人しらず
 

これさだのみこの家の哥合のうた
 
秋なれば山とよむまでなくしかに我おとらめやひとりぬるよは
 
 
 
583
 

つらゆき
 

題しらず
 
秋ののにみだれてさける花の色のちくさに物を思ふころかな
 
 
 
584
 

みつね
 
ひとりして物をおもへば秋のよのいなばのそよといふ人のなき
 
 
 
585
 

ふかやぶ
 
人を思ふ心はかりにあらねどもくもゐにのみもなきわたるかな
 
 
 
586
 

ただみね
 
秋風にかきなすことのこゑにさへはかなく人のこひしかるらむ
 
 
 
587
 

つらゆき
 
まこもかるよどのさは水雨ふればつねよりことにまさるわがこひ
 
 
 
588
 

やまとに侍りける人につかはしける
 
こえぬまはよしのの山のさくら花人づてにのみききわたるかな
 
 
 
589
 

やよひばかりに物のたうびける人のもとに、又人ま かりつつせうそこすとききてつかはしける
 

露ならぬ心を花におきそめて風吹くごとに物思ひぞつく
 
 
 
590
 

坂上これのり
 

題しらず
 
わがこひにくらぶの山のさくら花まなくちるともかずはまさらじ
 
 
 
591
 

むねをかのおほより
 
冬河のうへはこほれる我なれやしたにながれてこひわたるらむ
 
 
 
592
 

ただみね
 
たきつせにねざしとどめぬうき草のうきたるこひも我はするかな
 
 
 
593
 

とものり
 
よひよひにぬぎてわがぬるかり衣かけておもはぬ時のまもなし
 
 
 
594
 
あづまぢのさやの中山なかなかになにしか人を思ひそめけむ
 
 
 
595
 
しきたへの枕のしたに海はあれど人を見るめはおひずぞ有りける
 
 
 
596
 
年をへてきえぬおもひは有りながらよるのたもとは猶こほりけり
 
 
 
597
 

つらゆき
 
わがこひはしらぬ山ぢにあらなくに迷ふ心ぞわびしかりける
 
 
 
598
 
紅のふりいでつつなく涙にはたもとのみこそ色まさりけれ
 
 
 
599
 
白玉と見えし涙も年ふればから紅にうつろひにけり
 
 
 
600
 

みつね
 
夏虫をなにかいひけむ心から我も思ひにもえぬべらなり
 
 
 
601
 

ただみね
 
風ふけば峯にわかるる白雲のたえてつれなき君が心か
 
 
 
602
 
月影にわが身をかふる物ならばつれなき人もあはれとや見む
 
 
 
603
 

ふかやぶ
 
こひしなばたが名はたたじ世中のつねなき物といひはなすとも
 
 
 
604
 

つらゆき
 
つのくにのなにはのあしのめもはるにしげきわがこひ人しるらめや
 
 
 
605
 
手もふれで月日へにけるしらま弓おきふしよるはいこそねられね
 
 
 
606
 
人しれぬ思ひのみこそわびしけれわが歎をば我のみぞしる
 
 
 
607
 

とものり
 
事にいでていはぬばかりぞみなせ河したにかよひてこひしきものを
 
 
 
608
 

みつね
 
君をのみ思ひねにねし夢なればわが心から見つるなりけり
 
 
 
609
 

ただみね
 
いのちにもまさりてをしくある物は見はてぬゆめのさむるなりけり
 
 
 
610
 

はるみちのつらき
 
梓弓ひけば本末わが方によるこそまされこひの心は
 
 
 
611
 

みつね
 
わがこひはゆくへもしらずはてもなし逢ふを限と思ふばかりぞ
 
 
 
612
 
我のみぞかなしかりけるひこぼしもあはですぐせる年しなければ
 
 
 
613
 

ふかやぶ
 
今ははやこひしなましをあひ見むとたのめし事ぞいのちなりける
 
 
 
614
 

みつね
 
たのめつつあはで年ふるいつはりにこりぬ心を人はしらなむ
 
 
 
615
 

とものり
 
いのちやはなにぞはつゆのあだ物をあふにしかへばをしからなくに
 
 
 
 
 
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--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
616
 

在原業平朝臣
 

やよひのついたちよりしのびに人にものらいひての ちに、雨のそほふりけるによみてつかはしける
 

おきもせずねもせでよるをあかしては春の物とてながめくらしつ
 
 
 
617
 

としゆきの朝臣
 

なりひらの朝臣の家に侍りける女のもとによみてつ かはしける
 

つれづれのながめにまさる涙河袖のみぬれてあふよしもなし
 
 
 
618
 

なりひらの朝臣
 

かの女にかはりて返しによめる
 
あさみこそ袖はひつらめ涙河身さへ流るときかばたのまむ
 
 
 
619
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
よるべなみ身をこそとほくへだてつれ心は君が影となりにき
 
 
 
620
 
いたづらに行きてはきぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ
 
 
 
621
 
あはぬ夜のふる白雪とつもりなば我さへともにけぬべきものを
 
 
 
この哥は、ある人のいはく、柿本人麿が哥也
 

622
 

なりひらの朝臣
 
秋ののにささわけしあさの袖よりもあはでこしよぞひちまさりける
 
 
 
623
 

をののこまち
 
見るめなきわが身をうらとしらねばやかれなであまのあしたゆくくる
 
 
 
624
 

源むねゆきの朝臣
 
あはずしてこよひあけなば春の日の長くや人をつらしと思はむ
 
 
 
625
 

みぶのただみね
 
有りあけのつれなく見えし別より暁ばかりうき物はなし
 
 
 
626
 

在原元方
 
逢ふ事のなぎさにしよる浪なれば怨みてのみぞ立ち帰りける
 
 
 
627
 

よみ人しらず
 
かねてより風にさきだつ浪なれや逢ふ事なきにまだき立つらむ
 
 
 
628
 

ただみね
 
みちのくに有りといふなるなとり河なきなとりてはくるしかりけり
 
 
 
629
 

みはるのありすけ
 
あやなくてまだきなきなのたつた河わたらでやまむ物ならなくに
 
 
 
630
 

もとかた
 
人はいさ我はなきなのをしければ昔も今もしらずとをいはむ
 
 
 
631
 

よみ人しらず
 
こりずまに又もなきなはたちぬべし人にくからぬ世にしすまへば
 
 
 
632
 

なりひらの朝臣
 

ひむがしの五条わたりに人をしりおきてまかりかよ ひけり、しのびなる所なりければかどよりしもえいらで、かきのくづれよりかよひける を、たびかさなりければあるじききつけて、かのみちに夜ごとに人をふせてまもらすれ ば、いきけれどえあはでのみかへりてよみてやりける
 

ひとしれぬわがかよひぢの関守はよひよひごとにうちもねななむ
 
 
 
633
 

つらゆき
 

題しらず
 
しのぶれどこひしき時はあしひきの山より月のいでてこそくれ
 
 
 
634
 

よみ人しらず
 
こひこひてまれにこよひぞ相坂のゆふつけ鳥はなかずもあらなむ
 
 
 
635
 

をののこまち
 
秋の夜も名のみなりけりあふといへば事ぞともなくあけぬるものを
 
 
 
636
 

凡河内みつね
 
ながしとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋のよなれば
 
 
 
637
 

よみ人しらず
 
しののめのほがらほがらとあけゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき
 
 
 
638
 

藤原国経朝臣
 
曙ぬとて今はの心つくからになどいひしらぬ思ひそふらむ
 
 
 
639
 

としゆきの朝臣
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
あけぬとてかへる道にはこきたれて雨も涙もふりそほちつつ
 
 
 
640
 

 

題しらず
 
しののめの別ををしみ我ぞまづ鳥よりさきに鳴きはじめつる
 
 
 
641
 

よみ人しらず
 
ほととぎす夢かうつつかあさつゆのおきて別れし暁のこゑ
 
 
 
642
 
玉匣あけば君がなたちぬべみ夜ふかくこしを人見けむかも
 
 
 
643
 

大江千里
 
けさはしもおきけむ方もしらざりつ思ひいづるぞきえてかなしき
 
 
 
644
 

なりひらの朝臣
 

人にあひてあしたによみてつかはしける
 
ねぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな
 
 
 
645
 

よみ人しらず
 

業平朝臣の伊勢のくににまかりたりける時、斎宮な りける人にいとみそかにあひて、又のあしたに人やるすべなくて思ひをりけるあひだ に、女のもとよりおこせたりける
 

きみやこし我や行きけむおもほえず夢かうつつかねてかさめてか
 
 
 
646
 

なりひらの朝臣
 

返し
 
かきくらす心のやみに迷ひにき夢うつつとは世人さだめよ
 
 
 
647
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
むばたまのやみのうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり
 
 
 
648
 
さ夜ふけてあまのと渡る月影にあかずも君をあひ見つるかな
 
 
 
649
 
君が名もわがなもたてじなにはなるみつともいふなあひきともいはじ
 
 
 
650
 
名とり河せぜのむもれ木あらはれば如何にせむとかあひ見そめけむ
 
 
 
651
 
吉野河水の心ははやくともたきのおとにはたてじとぞ思ふ
 
 
 
652
 
こひしくはしたにをおもへ紫のねずりの衣色にいづなゆめ
 
 
 
653
 

をののはるかぜ
 
花すすきほにいでてこひば名ををしみしたゆふひものむすぼほれつつ
 
 
 
654
 

よみ人しらず
 

たちばなのきよきがしのびにあひしれりける女のも とよりおこせたりける
 

思ふどちひとりひとりがこひしなばたれによそへてふぢ衣きむ
 
 
 
655
 

たちばなのきよ木
 

返し
 
なきこふる涙に袖のそほちなばぬぎかへがてらよるこそはきめ
 
 
 
656
 

こまち
 

題しらず
 
うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人めをよくと見るがわびしさ
 
 
 
657
 
限なき思ひのままによるもこむゆめぢをさへに人はとがめじ
 
 
 
658
 
夢ぢにはあしもやすめずかよへどもうつつにひとめ見しごとはあらず
 
 
 
  
 

659
 

よみ人しらず
 
おもへども人めづつみのたかければ河と見ながらえこそわたらね
 
 
 
660
 
たきつせのはやき心をなにしかも人めづつみのせきとどむらむ
 
 
 
661
 

きのとものり
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
紅の色にはいでじかくれぬのしたにかよひてこひはしぬとも
 
 
 
662
 

みつね
 

題しらず
 
冬の池にすむにほ鳥のつれもなくそこにかよふと人にしらすな
 
 
 
663
 
ささのはにおくはつしもの夜をさむみしみはつくとも色にいでめや
 
 
 
664
 

読人しらず
 
山しなのおとはの山のおとにだに人のしるべくわがこひめかも
 
 
 
この哥、ある人、あふみのうねめのとなむ申す
 

665
 

清原ふかやぶ
 
みつしほの流れひるまをあひがたみみるめの浦によるをこそまて
 
 
 
666
 

平貞文
 
白河のしらずともいはじそこきよみ流れて世世にすまむと思へば
 
 
 
667
 

とものり
 
したにのみこふればくるし玉のをのたえてみだれむ人なとがめそ
 
 
 
668
 
わがこひをしのびかねてはあしひきの山橘の色にいでぬべし
 
 
 
669
 

よみ人しらず
 
おほかたはわが名もみなとこぎいでなむ世をうみべたに見るめすくなし
 
 
 
670
 

平貞文
 
枕より又しる人もなきこひを涙せきあへずもらしつるかな
 
 
 
671
 

よみ人しらず
 
風ふけば浪打つ岸の松なれやねにあらはれてなきぬべらなり
 
 
 
このうたは、ある人のいはく、かきのもとの人まろ がなり
 
 
 
672
 
池にすむ名ををし鳥の水をあさみかくるとすれどあらはれにけり
 
 
 
673
 
逢ふ事は玉の緒ばかり名のたつは吉野の河のたきつせのごと
 
 
 
674
 
むらとりのたちにしわが名今更にことなしふともしるしあらめや
 
 
 
675
 
君によりわがなは花に春霞野にも山にもたちみちにけり
 
 
 
676
 

伊勢
 
しるといへば枕だにせでねし物をちりならぬなのそらにたつらむ
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
677
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
みちのくのあさかのぬまの花かつみかつ見る人にこひやわたらむ
 
 
 
678
 
あひ見ずはこひしきこともなからましおとにぞ人をきくべかりける
 
 
 
679
 

つらゆき
 
いその神ふるのなか道なかなかに見ずはこひしと思はましやは
 
 
 
680
 

ふぢはらのただゆき
 
君てへば見まれ見ずまれふじのねのめづらしげなくもゆるわがこひ
 
 
 
681
 

伊勢
 
夢にだに見ゆとは見えじあさなあさなわがおもかげにはづる身なれば
 
 
 
682
 

よみ人しらず
 
いしま行く水の白浪立ち帰りかくこそは見めあかずもあるかな
 
 
 
683
 
いせのあまのあさなゆふなにかづくてふ見るめに人をあくよしもがな
 
 
 
684
 

とものり
 
春霞たなびく山のさくら花見れどもあかぬ君にもあるかな
 
 
 
685
 

ふかやぶ
 
心をぞわりなき物と思ひぬる見る物からやこひしかるべき
 
 
 
686
 

凡河内みつね
 
かれはてむのちをばしらで夏草の深くも人のおもほゆるかな
 
 
 
687
 

よみ人しらず
 
あすかがはふちはせになる世なりとも思ひそめてむ人はわすれじ
 
 
 
688
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
思ふてふ事のはのみや秋をへて色もかはらぬ物にはあるらむ
 
 
 
689
 

題しらず
 
さむしろに衣かたしきこよひもや我をまつらむうぢのはしひめ
 
 
 
又は、うぢのたまひめ
 

690
 
君やこむ我やゆかむのいさよひにまきのいたどもささずねにけり
 
 
 
691
 

そせいほうし
 
今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな
 
 
 
692
 

よみ人しらず
 
月夜よしよよしと人につげやらばこてふににたりまたずしもあらず
 
 
 
693
 
君こずはねやへもいらじこ紫わがもとゆひにしもはおくとも
 
 
 
694
 
宮木ののもとあらのこはぎつゆをおもみ風をまつごときみをこそまて
 
 
 
695
 
あなこひし今も見てしか山がつのかきほにさける山となでしこ
 
 
 
696
 
つのくにのなにはおもはず山しろのとはにあひ見むことをのみこそ
 
 
 
697
 

つらゆき
 
しきしまややまとにはあらぬ唐衣ころもへずしてあふよしもがな
 
 
 
698
 

ふかやぶ
 
こひしとはたがなづけけむことならむしぬとぞただにいふべかりける
 
 
 
699
 

よみびとしらず
 
三吉野のおほかはのべの藤波のなみにおもはばわがこひめやは
 
 
 
700
 
かくこひむ物とは我も思ひにき心のうらぞまさしかりける
 
 
 
701
 
あまのはらふみとどろかしなる神も思ふなかをばさくるものかは
 
 
 
702
 
梓弓ひきののつづらすゑつひにわが思ふ人に事のしげけむ
 
 
 
この哥は、ある人、あめのみかどのあふみのうねめ にたまひけるとなむ申す
 
 
 
703
 
夏びきのてびきのいとをくりかへし事しげくともたえむと思ふな
 
 
 
この哥は、返しによみてたてまつりけるとなむ
 

704
 
さと人の事は夏ののしげくともかれ行くきみにあはざらめやは
 
 
 
705
 

在原業平朝臣
 

藤原敏行朝臣の、なりひらの朝臣の家なりける女を あひしりてふみつかはせりけることばに、いままうでく、あめのふりけるをなむ見わづ らひ侍るといへりけるをききて、かの女にかはりてよめりける
 

かずかずにおもひおもはずとひがたみ身をしる雨はふりぞまされる
 
 
 
706
 

よみ人しらず
 

ある女の、なりひらの朝臣をところさだめずありき すとおもひて、よみてつかはしける
 

おほぬさのひくてあまたになりぬればおもへどえこそたのまざりけれ
 
 
 
707
 

なりひらの朝臣
 

返し
 
おほぬさと名にこそたてれながれてもつひによるせはありてふものを
 
 
 
708
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
すまのあまのしほやく煙風をいたみおもはぬ方にたなびきにけり
 
 
 
709
 
たまがつらはふ木あまたになりぬればたえぬ心のうれしげもなし
 
 
 
710
 
たがさとに夜がれをしてか郭公ただここにしもねたるこゑする
 
 
 
711
 
いで人は事のみぞよき月草のうつし心はいろことにして
 
 
 
712
 
いつはりのなき世なりせばいかばかり人のことのはうれしからまし
 
 
 
713
 
いつはりと思ふものから今さらにたがまことをか我はたのまむ
 
 
 
714
 

素性法師
 
秋風に山のこのはのうつろへば人の心もいかがとぞ思ふ
 
 
 
715
 

とものり
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
蝉のこゑきけばかなしな夏衣うすくや人のならむと思へば
 
 
 
716
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
空蝉の世の人ごとのしげければわすれぬもののかれぬべらなり
 
 
 
717
 
あかでこそおもはむなかははなれなめそをだにのちのわすれがたみに
 
 
 
718
 
忘れなむと思ふ心のつくからに有りしよりけにまづぞこひしき
 
 
 
719
 
わすれなむ我をうらむな郭公人の秋にはあはむともせず
 
 
 
720
 
たえずゆくあすかの河のよどみなば心あるとや人のおもはむ
 
 
 
この哥、ある人のいはく、なかとみのあづま人がう た也
 
 
 
721
 
よど河のよどむと人は見るらめど流れてふかき心あるものを
 
 
 
722
 

そせい法し
 
そこひなきふちやはさわぐ山河のあさきせにこそあだなみはたて
 
 
 
723
 

よみ人しらず
 
紅のはつ花ぞめの色ふかく思ひし心我わすれめや
 
 
 
724
 

河原左大臣
 
みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑにみだれむと思ふ我ならなくに
 
 
 
725
 

よみ人しらず
 
おもふよりいかにせよとか秋風になびくあさぢの色ことになる
 
 
 
726
 
千千の色にうつろふらめどしらなくに心し秋のもみぢならねば
 
 
 
727
 

小野小町
 
あまのすむさとのしるべにあらなくに怨みむとのみ人のいふらむ
 
 
 
728
 

しもつけのをむね
 
くもり日の影としなれる我なればめにこそ見えね身をばはなれず
 
 
 
729
 

つらゆき
 
色もなき心を人にそめしよりうつろはむとはおもほえなくに
 
 
 
730
 

よみ人しらず
 
めづらしき人を見むとやしかもせぬわがしたひものとけわたるらむ
 
 
 
731
 
かげろふのそれかあらぬか春雨のふる日となればそでぞぬれぬる
 
 
 
732
 
ほり江こぐたななしを舟こぎかへりおなじ人にやこひわたりなむ
 
 
 
733
 

伊勢
 
わたつみとあれにしとこを今便にはらはばそでやあわとうきなむ
 
 
 
734
 

つらゆき
 
いにしへに猶立ち帰る心かなこひしきことに物わすれせで
 
 
 
735
 

大伴くろぬし
 

人をしのびにあひしりてあひがたくありければ、そ の家のあたりをまかりありきけるをりに、かりのなくをききてよみてつかはしける
 

思ひいでてこひしき時ははつかりのなきてわたると人しるらめや
 
 
 
736
 

典侍藤原よるかの朝臣
 

右のおほいまうちぎみすまずなりにければ、かのむ かしおこせたりけるふみどもを、とりあつめて返すとてよみておくりける
 

たのめこし事のは今はかへしてむわが身ふるればおきどころなし
 
 
 
737
 

近院の右のおほいまうちぎみ
 

返し
 
今はとてかへす事のはひろひおきておのが物からかたみとや見む
 
 
 
738
 

よるかの朝臣
 

題しらず
 
たまほこの道はつねにもまどはなむ人をとふとも我かとおもはむ
 
 
 
739
 

よみ人しらず
 
まてといはばねてもゆかなむしひて行くこまのあしをれまへのたなはし
 
 
 
740
 

閑院
 

中納言源ののぼるの朝臣のあふみのすけに侍りける 時、よみてやれりける
 

相坂のゆふつけ鳥にあらばこそ君がゆききをなくなくも見め
 
 
 
741
 

伊勢
 

題しらず
 
ふるさとにあらぬ物からわがために人の心のあれて見ゆらむ
 
 
 
742
 

 
山がつのかきほにはへるあをつづら人はくれどもことづてもなし
 
 
 
743
 

さかゐのひとざね
 
おほぞらはこひしき人のかたみかは物思ふごとにながめらるらむ
 
 
 
744
 

読人しらず
 
あふまでのかたみも我はなにせむに見ても心のなぐさまなくに
 
 
 
745
 

おきかぜ
 

おやのまもりける人のむすめにいとしのびにあひて ものらいひけるあひだに、おやのよぶといひければ、いそぎかへるとてもをなむぬぎお きていりにける、そののちもをかへすとてよめる
 

あふまでのかたみとてこそとどめけめ涙に浮ぶもくづなりけり
 
 
 
746
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
かたみこそ今はあたなれこれなくはわするる時もあらましものを
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
747
 

在原業平朝臣
 

五条のきさいの宮のにしのたいにすみける人に、ほ いにはあらでものいひわたりけるを、む月のとをかあまりになむほかへかくれにける、 あり所はききけれどえ物もいはで、又のとしのはる、むめの花さかりに月のおもしろか りける夜、こぞをこひてかのにしのたいにいきて、月のかたぶくまであばらなるいたじ きにふせりてよめる
 

月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
 
 
 
748
 

藤原なかひらの朝臣
 

題しらず
 
花すすき我こそしたに思ひしかほにいでて人にむすばれにけり
 
 
 
749
 

藤原かねすけの朝臣
 
よそにのみきかまし物をおとは河渡るとなしに見なれそめけむ
 
 
 
750
 

凡河内みつね
 
わがごとく我をおもはむ人もがなさてもやうきと世を心見む
 
 
 
751
 

もとかた
 
久方のあまつそらにもすまなくに人はよそにぞ思ふべらなる
 
 
 
752
 

よみびとしらず
 
見ても又またも見まくのほしければなるるを人はいとふべらなり
 
 
 
753
 

きのとものり
 
雲もなくなぎたるあさの我なれやいとはれてのみ世をばへぬらむ
 
 
 
754
 

よみ人しらず
 
花がたみめならぶ人のあまたあればわすられぬらむかずならぬ身は
 
 
 
755
 
うきめのみおひて流るる浦なればかりにのみこそあまはよるらめ
 
 
 
756
 

伊勢
 
あひにあひて物思ふころのわが袖にやどる月さへぬるるかほなる
 
 
 
757
 

よみ人しらず
 
秋ならでおく白露はねざめするわがた枕のしづくなりけり
 
 
 
758
 
すまのあまのしほやき衣をさをあらみまどほにあれや君がきまさぬ
 
 
 
759
 
山しろのよどのわかごもかりにだにこぬ人たのむ我ぞはかなき
 
 
 
760
 
あひ見ねばこひこそまされみなせ河なににふかめて思ひそめけむ
 
 
 
761
 
暁のしぎのはねがきももはがき君がこぬ夜は我ぞかずかく
 
 
 
762
 
玉かづら今はたゆとや吹く風のおとにも人のきこえざるらむ
 
 
 
763
 
わが袖にまだき時雨のふりぬるは君が心に秋やきぬらむ
 
 
 
764
 
山の井の浅き心もおもはぬに影ばかりのみ人の見ゆらむ
 
 
 
765
 
忘草たねとらましを逢ふ事のいとかくかたき物としりせば
 
 
 
766
 
こふれども逢ふ夜のなきは忘草夢ぢにさへやおひしげるらむ
 
 
 
767
 
夢にだにあふ事かたくなりゆくは我やいをねぬ人やわするる
 
 
 
768
 

けむげい法し
 
もろこしも夢に見しかばちかかりきおもはぬ中ぞはるけかりける
 
 
 
769
 

さだののぼる
 
独のみながめふるやのつまなれば人を忍ぶの草ぞおひける
 
 
 
770
 

僧正へんぜう
 
わがやどは道もなきまであれにけりつれなき人をまつとせしまに
 
 
 
771
 
今こむといひてわかれし朝より思ひくらしのねをのみぞなく
 
 
 
772
 

よみ人しらず
 
こめやとは思ふ物からひぐらしのなくゆふぐれはたちまたれつつ
 
 
 
773
 
今しはとわびにし物をささがにの衣にかかり我をたのむる
 
 
 
774
 
いまはこじと思ふ物から忘れつつまたるる事のまだもやまぬか
 
 
 
775
 
月よにはこぬ人またるかきくもり雨もふらなむわびつつもねむ
 
 
 
776
 
うゑていにし秋田かるまで見えこねばけさはつかりのねにぞなきぬる
 
 
 
777
 
こぬ人を松ゆふぐれの秋風はいかにふけばかわびしかるらむ
 
 
 
778
 
ひさしくもなりにけるかなすみのえの松はくるしき物にぞありける
 
 
 
779
 

かねみのおほきみ
 
住の江の松ほどひさになりぬればあしたづのねになかぬ日はなし
 
 
 
780
 

伊勢
 

仲平朝臣あひしりて侍りけるを、かれ方になりにけ れば、ちちがやまとのかみに侍りけるもとへまかるとてよみてつかはしける
 

みわの山いかにまち見む年ふともたづぬる人もあらじと思へば
 
 
 
781
 

雲林院のみこ
 

題しらず
 
吹きまよふ野風をさむみ秋はぎのうつりも行くか人の心の
 
 
 
782
 

をののこまち
 
今はとてわが身時雨にふりぬれば事のはさへにうつろひにけり
 
 
 
783
 

小野さだき
 

返し
 
人を思ふ心のこのはにあらばこそ風のまにまにちりもみだれめ
 
 
 
784
 

業平朝臣、きのありつねがむすめにすみけるを、 うらむることありて、しばしのあひだひるはきてゆふさりはかへりのみしければ、よ みてつかはしける
 

あま雲のよそにも人のなりゆくかさすがにめには見ゆる物から
 
 
 
785
 

なりひらの朝臣
 

返し
 
ゆきかへりそらにのみしてふる事はわがゐる山の風はやみなり
 
 
 
786
 

かげのりのおほきみ
 

題しらず
 
唐衣なれば身にこそまつはれめかけてのみやはこひむと思ひし
 
 
 
787
 

とものり
 
秋風は身をわけてしもふかなくに人の心のそらになるらむ
 
 
 
788
 

源宗于朝臣
 
つれもなくなりゆく人の事のはぞ秋よりさきのもみぢなりける
 
 
 
789
 

兵衛
 

心地そこなへりけるころ、あひしりて侍りける人の とはで、ここちおこたりてのちとぶらへりければ、よみてつかはしける
 

しでの山ふもとを見てぞかへりにしつらき人よりまづこえじとて
 
 
 
790
 

こまちがあね
 

あひしれりける人の、やうやくかれがたになりける あひだに、やけたるちのはにふみをさしてつかはせりける
 

時すぎてかれゆくをののあさぢには今は思ひぞたえずもえける
 
 
 
791
 

伊勢
 

物おもひけるころ、ものへまかりけるみちに野火の もえけるを見てよめる
 

冬がれののべとわが身を思ひせばもえても春をまたまし物を
 
 
 
792
 

とものり
 

題しらず
 
水のあわのきえてうき身といひながら流れて猶もたのまるるかな
 
 
 
793
 

よみ人しらず
 
みなせ河有りて行く水なくはこそつひにわが身をたえぬと思はめ
 
 
 
794
 

みつね
 
吉野河よしや人こそつらからめはやくいひてし事はわすれじ
 
 
 
795
 

よみ人しらず
 
世中の人の心は花ぞめのうつろひやすき色にぞありける
 
 
 
796
 
心こそうたてにくけれそめざらばうつろふ事もをしからましや
 
 
 
797
 

小野小町
 
色見えでうつろふ物は世中の人の心の花にぞ有りける
 
 
 
798
 

よみ人しらず
 
我のみや世をうくひずとなきわびむ人の心の花とちりなば
 
 
 
799
 

そせい法し
 
思ふともかれなむ人をいかがせむあかずちりぬる花とこそ見め
 
 
 
800
 

よみ人しらず
 
今はとて君がかれなばわがやどの花をばひとり見てやしのばむ
 
 
 
801
 

むねゆきの朝臣
 
忘草かれもやするとつれもなき人の心にしもはおかなむ
 
 
 
802
 

そせい法し
 

寛平御時御屏風に哥かかせ給ひける時、よみてかき ける
 

忘草なにをかたねと思ひしはつれなき人の心なりけり
 
 
 
803
 

題しらず
 
秋の田のいねてふ事もかけなくに何をうしとか人のかるらむ
 
 
 
804
 

きのつらゆき
 
はつかりのなきこそわたれ世中の人の心の秋しうければ
 
 
 
805
 

よみ人しらず
 
あはれともうしとも物を思ふ時などか涙のいとなかるらむ
 
 
 
806
 
身をうしと思ふにきえぬ物なればかくてもへぬるよにこそ有りけれ
 
 
 
807
 

典侍藤原直子朝臣
 
あまのかるもにすむむしの我からとねをこそなかめ世をばうら見じ
 
 
 
808
 

いなば
 
あひ見ぬもうきもわが身のから衣思ひしらずもとくるひもかな
 
 
 
809
 

すがののただおむ
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
つれなきを今はこひじとおもへども心よわくもおつる涙か
 
 
 
810
 

伊勢
 

題しらず
 
人しれずたえなましかばわびつつもなき名ぞとだにいはましものを
 
 
 
811
 

よみ人しらず
 
それをだに思ふ事とてわがやどを見きとないひそ人のきかくに
 
 
 
812
 
逢ふ事のもはらたえぬる時にこそ人のこひしきこともしりけれ
 
 
 
813
 
わびはつる時さへ物の悲しきはいづこをしのぶ涙なるらむ
 
 
 
814
 

藤原おきかぜ
 
怨みてもなきてもいはむ方ぞなきかがみに見ゆる影ならずして
 
 
 
815
 

よみ人しらず
 
夕されば人なきとこを打ちはらひなげかむためとなれるわがみか
 
 
 
816
 
わたつみのわが身こす浪立ち返りあまのすむてふうらみつるかな
 
 
 
817
 
あらを田をあらすきかへしかへしても人の心を見てこそやまめ
 
 
 
818
 
有そ海の浜のまさごとたのめしは忘るる事のかずにぞ有りける
 
 
 
819
 
葦辺より雲ゐをさして行く雁のいやとほざかるわが身かなしも
 
 
 
820
 
しぐれつつもみづるよりも事のはの心の秋にあふぞわびしき
 
 
 
821
 
秋風のふきとふきぬるむさしのはなべて草ばの色かはりけり
 
 
 
822
 

小町
 
あきかぜにあふたのみこそかなしけれわが身むなしくなりぬと思へば
 
 
 
823
 

平貞文
 
秋風の吹きうらがへすくずのはのうらみても猶うらめしきかな
 
 
 
824
 

よみ人しらず
 
あきといへばよそにぞききしあだ人の我をふるせる名にこそ有りけれ
 
 
 
825
 
わすらるる身をうぢはしの中たえて人もかよはぬ年ぞへにける
 
 
 
又は、こなたかなたに人もかよはず
 

826
 

坂上これのり
 
あふ事をながらのはしのながらへてこひ渡るまに年ぞへにける
 
 
 
827
 

とものり
 
うきながらけぬるあわともなりななむ流れてとだにたのまれぬ身は
 
 
 
828
 

読人しらず
 
流れては妹背の山のなかにおつるよしのの河のよしや世中
 
 
 
 
 
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829
 

小町たかむらの朝臣
 

いもうとの身まかりける時よみける
 
なく涙雨とふらなむわたり河水まさりなばかへりくるがに
 
 
 
830
 

そせい法し
 

さきのおほきおほいまうちぎみを、しらかはのあた りにおくりける夜よめる
 

ちの涙おちてぞたぎつ白河は君が世までの名にこそ有りけれ
 
 
 
831
 

僧都勝延
 

ほりかはのおほきおほいまうち君、身まかりにける 時に、深草の山にをさめてけるのちによみける
 

空蝉はからを見つつもなぐさめつ深草の山煙だにたて
 
 
 
832
 

かむつけのみねを
 
ふかくさののべの桜し心あらばことしばかりはすみぞめにさけ
 
 
 
833
 

きのとものり
 

藤原敏行朝臣の身まかりにける時によみてかの家に つかはしける
 

ねても見ゆねでも見えけりおほかたは空蝉の世ぞ夢には有りける
 
 
 
834
 

紀つらゆき
 

あひしれりける人の身まかりにければよめる
 
夢とこそいふべかりけれ世中にうつつある物と思ひけるかな
 
 
 
835
 

みぶのただみね
 

あひしれりける人のみまかりにける時によめる
 
ぬるがうちに見るをのみやは夢といはむはかなき世をもうつつとはみ ず
 
 
 
836
 

あねの身まかりにける時によめる
 
せをせけばふちとなりてもよどみけりわかれをとむるしがらみぞなき
 
 
 
837
 

閑院
 

藤原忠房がむかしあひしりて侍りける人の身まかり にける時に、とぶらひにつかはすとてよめる
 

さきだたぬくいのやちたびかなしきはながるる水のかへりこぬなり
 
 
 
838
 

つらゆき
 

きのとものりが身まかりにける時よめる
 
あすしらぬわが身とおもへどくれぬまのけふは人こそかなしかりけれ
 
 
 
839
 

ただみね
 
時しもあれ秋やは人のわかるべきあるを見るだにこひしきものを
 
 
 
840
 

凡河内みつね
 

ははがおもひにてよめる
 
神な月時雨にぬるるもみぢばはただわび人のたもとなりけり
 
 
 
841
 

ただみね
 

ちちがおもひにてよめる
 
ふぢ衣はつるるいとはわび人の涙の玉のをとぞなりける
 
 
 
842
 

つらゆき
 

おもひに侍りけるとしの秋、山でらへまかりけるみ ちにてよめる
 

あさ露のおくての山田かりそめにうき世中を思ひぬるかな
 
 
 
843
 

おもひに侍りける人をとぶらひにまかりてよめる
 

すみぞめの君がたもとは雲なれやたえず涙の雨とのみふる
 
 
 
844
 

よみ人しらず
 

女のおやのおもひにて山でらに侍りけるを、ある人 のとぶらひつかはせりければ、返事によめる
 

あしひきの山べに今はすみぞめの衣の袖はひる時もなし
 
 
 
845
 

たかむらの朝臣
 

諒闇の年池のほとりの花を見てよめる
 
水のおもにしづく花の色さやかにも君がみかげのおもほゆるかな
 
 
 
846
 

文屋やすひで
 

深草のみかどの御国忌の日よめる
 
草ふかき霞の谷に影かくしてるひのくれしけふにやはあらぬ
 
 
 
847
 

僧正偏昭
 

ふかくさのみかどの御時に、蔵人頭にてよるひるな れつかうまつりけるを、諒闇になりにければ、さらに世にもまじらずしてひえの山にの ぼりてかしらおろしてけり、その又のとし、みなひと御ぶくぬぎて、あるはかうぶりた まはりなどよろこびけるをききてよめる
 

みな人は花の衣になりぬなりこけのたもとよかわきだにせよ
 
 
 
848
 

近院右のおほいまうちぎみ
 

河原のおほいまうちぎみの身まかりての秋、かの家 のほとりをまかりけるに、もみぢのいろまだふかくもならざりけるを見てよみていれた りける
 

うちつけにさびしくもあるかもみぢばもぬしなきやどは色なかりけり
 
 
 
849
 

つらゆき
 

藤原たかつねの朝臣の身まかりての又のとしの夏、 ほととぎすのなきけるをききてよめる
 

郭公けさなくこゑにおどろけば君を別れし時にぞありける
 
 
 
850
 

きのもちゆき
 

さくらをうゑてありけるに、やうやく花さきぬべき 時に、かのうゑける人身まかりにければ、その花を見てよめる
 

花よりも人こそあだになりにけれいづれをさきにこひむとか見し
 
 
 
851
 

つらゆき
 

あるじ身まかりにける人の家の梅花を見てよめる
 

色もかも昔のこさににほへどもうゑけむ人の影ぞこひしき
 
 
 
852
 

河原の左のおほいまうちぎみの身まかりてののち、 かの家にまかりてありけるに、しほがもといふ所のさまをつくれりけるを見てよめる
 
君まさで煙たえにししほがまの浦さびしくも見え渡るかな
 
 
 
853
 

みはるのありすけ
 

藤原のとしもとの朝臣の右近中将にてすみ侍りける ざうしの、身まかりてのち人もすまずなりにけるを、秋の夜ふけてものよりまうできけ るついでに見いれければ、もとありしせんざいもいとしげくあれたりけるを見て、はや くそこに侍りければむかしを思ひやりてよみける
 

きみがうゑしひとむらすすき虫のねのしげきのべともなりにけるかな
 
 
 
854
 

とものり
 

これたかのみこの、ちちの侍りけむ時によめりけむ うたどもとこひければ、かきておくりけるおくによみてかけりける
 

ことならば事のはさへもきえななむ見れば涙のたぎまさりけり
 
 
 
855
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
なき人のやどにかよはば郭公かけてねにのみなくとつげなむ
 
 
 
856
 
誰見よと花さけるらむ白雲のたつのとはやくなりにし物を
 
 
 
857
 

式部卿のみこ閑院の五のみこにすみわたりけるを、 いくばくもあらで女みこの身まかりにける時に、かのみこすみける帳のかたびらのひも にふみをゆひつけたりけるをとりて見れば、むかしのてにてこのうたをなむかきつけた りける
 

かずかずに我をわすれぬ物ならば山の霞をあはれとは見よ
 
 
 
858
 

よみ人しらず
 

をとこの人のくににまかれりけるまに、女にはかに やまひをして、いとよわくなりにける時よみおきて身まかりにける
 

こゑをだにきかでわかるるたまよりもなきとこにねむ君ぞかなしき
 
 
 
859
 

大江千里
 

やまひにわづらひ侍りける秋、心地のたのもしげな くおぼえければよみて人のもとにつかはしける
 

もみぢばを風にまかせて見るよりもはかなき物はいのちなりけり
 
 
 
860
 

藤原これもと
 

身まかりなむとてよめる
 
つゆをなどあだなる物と思ひけむわが身も草におかぬばかりを
 
 
 
861
 

なりひらの朝臣
 

やまひしてよわくなりにける時よめる
 
つひにゆくみちとはかねてききしかどきのふけふとはおもはざりしを
 
 
 
862
 

在原しげはる
 

かひのくににあひしりて侍りける人とぶらはむとて まかりけるを、みち中にてにはかにやまひをして、いまいまとなりにければ、よみて京 にもてまかりて母に見せよといひて、人につけ侍りけるうた
 

かりそめのゆきかひぢとぞ思ひこし今はかぎりのかどでなりけり
 
 
 
 
 
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863
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
わがうへに露ぞおくなるあまの河をわたる舟のかいのしづくか
 
 
 
864
 
思ふどちまとゐせる夜は唐錦たたまくをしき物にぞありける
 
 
 
865
 
うれしきをなににつつまむ唐衣たもとゆたかにたてといはましを
 
 
 
866
 
限なき君がためにとをる花はときしもわかぬ物にぞ有りける
 
 
 
ある人のいはく、この哥はさきのおほいまうち君の 也
 
 
 
867
 
紫のひともとゆゑにむさしのの草はみながらあはれとぞ見る
 
 
 
868
 

なりひらの朝臣
 

めのおとうとをもて侍りける人に、うへのきぬをお くるとてよみてやりける
 

紫の色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける
 
 
 
869
 

近院右のおほいまうちぎみ
 

大納言ふぢはらのくにつねの朝臣の、宰相より中納 言になりける時、そめぬうへのきぬあやをおくるとてよめる
 

色なしと人や見るらむ昔よりふかき心にそめてしものを
 
 
 
870
 

ふるのいまみち
 

いそのかみのなむまつが宮づかへもせでいその神と いふ所にこもり侍りけるを、にはかにかうぶりたまはれりければ、よろこびいひつか はすとてよみてつかはしける
 

日のひかりやぶしわかねばいその神ふりにしさとに花もさきけり
 
 
 
871
 

なりひらの朝臣
 

二条のきさきのまだ東宮のみやすんどころと申しけ る時に、おほはらのにまうでたまひける日よめる
 

おほはらやをしほの山もけふこそは神世の事も思ひいづらめ
 
 
 
872
 

よしみねのむねさだ
 

五節のまひひめを見てよめる
 
あまつかぜ雲のかよひぢ吹きとぢよをとめのすがたしばしとどめむ
 
 
 
873
 

河原の左のおほいまうちぎみ
 

五せちのあしたにかむざしのたまのおちたりけるを 見て、たがならむととぶらひてよめる
 

ぬしやたれとへどしら玉いはなくにさらばなべてやあはれとおもはむ
 
 
 
874
 

としゆきの朝臣
 

寛平御時うへのさぶらひに侍りけるをのこども、か めをもたせてきさいの宮の御方におほみきのおろしときこえにたてまつりたりけるを、 くら人どもわらひて、かめをおまへにもていでてともかくもいはずなりにければ、つか ひのかへりきて、さなむありつるといひければ、くら人のなかにおくりける
 

玉だれのこがめやいづらこよろぎのいその浪わけおきにいでにけり
 
 
 
875
 

けむげいほうし
 

女どもの見てわらひければよめる
 
かたちこそみ山がくれのくち木なれ心は花になさばなりなむ
 
 
 
876
 

きのとものり
 

方たがへに人の家にまかれりける時に、あるじのき ぬをきせたりけるを、あしたにかへすとてよみける
 

蝉のはのよるの衣はうすけれどうつりがこくもにほひぬるかな
 
 
 
877
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
おそくいづる月にもあるかな葦引の山のあなたもをしむべらなり
 
 
 
878
 
わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山にてる月を見て
 
 
 
879
 

なりひらの朝臣
 
おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれば人のおいとなるもの
 
 
 
880
 

きのつらゆき
 

月おもしろしとて凡河内躬恒がまうできたりけるに よめる
 

かつ見ればうとくもあるかな月影のいたらぬさともあらじと思へば
 
 
 
881
 

池に月の見えけるをよめる
 
ふたつなき物と思ひしをみなそこに山のはならでいづる月かげ
 
 
 
882
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
あまの河雲のみをにてはやければひかりとどめず月ぞながるる
 
 
 
883
 
あかずして月のかくるる山本はあなたおもてぞこひしかりける
 
 
 
884
 

なりひらの朝臣
 

これたかのみこのかりしけるともにまかりて、やど りにかへりて夜ひとよさけをのみ、物がたりをしけるに、十一日の月もかくれなむとし けるをりに、みこゑひてうちへいりなむとしければよみ侍りける
 

あかなくにまだきも月のかくるるか山のはにげていれずもあらなむ
 
 
 
885
 

あま敬信
 

田むらのみかどの御時に、斎院に侍りけるあきらけ いこのみこを、ははあやまちありといひて斎院をかへられむとしけるを、そのことやみ にければよめる
 

おほぞらをてりゆく月しきよければ雲かくせどもひかりけなくに
 
 
 
886
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
いその神ふるからをののもとかしは本の心はわすられなくに
 
 
 
887
 
いにしへの野中のし水ぬるけれど本の心をしる人ぞくむ
 
 
 
888
 
いにしへのしづのをだまきいやしきもよきもさかりは有りし物なり
 
 
 
889
 
今こそあれ我も昔はをとこ山さかゆく時も有りこしものを
 
 
 
890
 
世中にふりぬる物はつのくにのながらのはしと我となりけり
 
 
 
891
 
ささのはにふりつむ雪のうれをおもみ本くだちゆくわがさかりはも
 
 
 
892
 
おほあらきのもりのした草おいぬれば駒もすさめずかる人もなし
 
 
 
又は、さくらあさのをふのしたくさおいぬれば
 

893
 
かぞふればとまらぬ物を年といひてことしはいたくおいぞしにける
 
 
 
894
 
おしてるやなにはの水にやくしほのからくも我はおいにけるかな
 
 
 
又は、おほとものみつのはまべに
 

895
 
おいらくのこむとしりせばかどさしてなしとこたへてあはざらましを
 
 
 
このみつの哥は、昔ありけるみたりのおきなのよめ るとなむ
 
 
 
896
 
さかさまに年もゆかなむとりもあへずすぐるよはひやともにかへると
 
 
 
897
 
とりとむる物にしあらねば年月をあはれあなうとすぐしつるかな
 
 
 
898
 
とどめあへずむべもとしとはいはれけりしかもつれなくすぐるよはひ か
 
 
 
899
 
鏡山いざ立ちよりて見てゆかむ年へぬる身はおいやしぬると
 
 
 
この哥は、ある人のいはく、おほとものくろぬしが 也
 
 
 
900
 

業平朝臣のははのみこ長岡にすみ侍りける時に、な りひら宮づかへすとて、時時もえまかりとぶらはず侍りければ、しはすばかりにははの みこのもとより、とみの事とてふみをもてまうできたり、あけて見ればことばはなくて ありけるうた
 

老いぬればさらぬ別もありといへばいよいよ見まくほしき君かな
 
 
 
901
 

なりひらの朝臣
 

返し
 
世中にさらぬ別のなくもがな千世もとなげく人のこのため
 
 
 
902
 

在原むねやな
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
白雪のやへふりしけるかへる山かへるがへるもおいにけるかな
 
 
 
903
 

としゆきの朝臣
 

おなじ御時のうへのさぶらひにてをのこどもにおほ みきたまひて、おほみあそびありけるついでにつかうまつれる
 

おいぬとてなどかわが身をせめきけむおいずはけふにあはましものか
 
 
 
904
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
ちはやぶる宇治の橋守なれをしぞあはれとは思ふ年のへぬれば
 
 
 
905
 
我見てもひさしく成りぬ住の江の岸の姫松いくよへぬらむ
 
 
 
906
 
住吉の岸のひめ松人ならばいく世かへしととはましものを
 
 
 
907
 
梓弓いそべのこ松たが世にかよろづ世かねてたねをまきけむ
 
 
 
この哥は、ある人のいはく、柿本人麿が也
 
 
 
908
 
かくしつつ世をやつくさむ高砂のをのへにたてる松ならなくに
 
 
 
909
 

藤原おきかぜ
 
誰をかもしる人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに
 
 
 
910
 

よみ人しらず
 
わたつ海のおきつしほあひにうかぶあわのきえぬ物からよる方もなし
 
 
 
911
 
わたつ海のかざしにさせる白砂の浪もてゆへる淡路しま山
 
 
 
912
 
わたの原よせくる浪のしばしばも見まくのほしき玉津島かも
 
 
 
913
 
なにはがたしほみちくらしあま衣たみのの島にたづなき渡る
 
 
 
914
 

藤原ただふさ
 

貫之がいづみのくにに侍りける時に、やまとよりこ えまうできてよみてつかはしける
 

君を思ひおきつのはまになくたづの尋ねくればぞありとだにきく
 
 
 
915
 

つらゆき
 

返し
 
おきつ浪たかしのはまの浜松の名にこそ君をまちわたりつれ
 
 
 
916
 

なにはにまかれりける時よめる
 
なにはがたおふるたまもをかりそめのあまとぞ我はなりぬべらなる
 
 
 
917
 

みぶのただみね
 

あひしれりける人の住吉にまうでけるによみてつか はしける
 

すみよしとあまはつぐともながゐすな人忘草おふといふなり
 
 
 
918
 

つらゆき
 

なにはへまかりける時、たみののしまにて雨にあひ てよめる
 

あめによりたみのの島をけふゆけど名にはかくれぬ物にぞ有りける
 
 
 
919
 

法皇にし河おはしましたりける日、つるすにたてり といふことを題にてよませたまひける
 

あしたづのたてる河辺を吹く風によせてかへらぬ浪かとぞ見る
 
 
 
920
 

伊勢
 

中務のみこの家の池に舟をつくりておろしはじめて あそびける日、法皇御覧じにおはしましたりけり、ゆふさりつかたかへりおはしまさむ としけるをりによみてたてまつりける
 

水のうへにうかべる舟の君ならばここぞとまりといはまし物を
 
 
 
921
 

真せいほうし
 

からことといふ所にてよめる
 
宮こまでひびきかよへるからことは浪のをすげて風ぞひきける
 
 
 
922
 

在原行平朝臣
 

ぬのびきのたきにてよめる
 
こきちらす滝の白玉ひろひおきて世のうき時の涙にぞかる
 
 
 
923
 

なりひらの朝諏
 

布引の滝の本にて人人あつまりて哥よみける時によ める
 

ぬきみだる人こそあるらし白玉のまなくもちるか袖のせばきに
 
 
 
924
 

承均法師
 

よしののたきを見てよめる
 
たがためにひきてさらせるぬのなれや世をへて見れどとる人もなき
 
 
 
925
 

神たい法し
 

題しらず
 
きよたきのせぜのしらいとくりためて山わけ衣おりてきましを
 
 
 
926
 

伊勢
 

竜門にまうでてたきのもとにてよめる
 
たちぬはぬきぬきし人もなき物をなに山姫のぬのさらすらむ
 
 
 
927
 

たちばなのながもり
 

朱雀院のみかどぬのびきのたき御覧ぜむとてふん月 のなぬかの日あはしましてありける時に、さぶらふ人人に哥よませたまひけるによめる
 

ぬしなくてさらせるぬのをたなばたにわが心とやけふはかさまし
 
 
 
928
 

ただみね
 

ひえの山なるおとはのたきを見てよめる
 
おちたぎつたきのみなかみとしつもりおいにけらしなくろきすぢなし
 
 
 
929
 

みつね
 

おなじたきをよめる
 
風ふけど所もさらぬ白雲はよをへておつる水にぞ有りける
 
 
 
930
 

三条の町
 

田むらの御時に女房のさぶらひにて御屏風のゑ御覧 じけるに、たきおちたりける所おもしろし、これを題にてうたよめとさぶらふ人におほ せられければよめる
 

おもひせく心の内のたきなれやおつとは見れどおとのきこえぬ
 
 
 
931
 

つらゆき
 

屏風のゑなる花をよめる
 
さきそめし時よりのちはうちはへて世は春なれや色のつねなる
 
 
 
932
 

坂上これのり
 

屏風のゑによみあはせてかきける
 
かりてほす山田のいねのきたれてなきこそわたれ秋のうければ
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
933
 

読人しらず
 

題しらず
 
世中はなにかつねなるあすかがはきのふのふちぞけふはせになる
 
 
 
934
 
いく世しもあらじわが身をなぞもかくあまのかるもに思ひみだるる
 
 
 
935
 
雁のくる峯の朝霧はれずのみ思ひつきせぬ世中のうさ
 
 
 
936
 

小野たかむらの朝臣
 
しかりとてそむかれなくに事しあればまづなげかれぬあなう世中
 
 
 
937
 

をののさだき
 

かひのかみに侍りける時、京へまかりのぼりける人 につかはしける
 

宮こ人いかがととはば山たかみはれぬくもゐにわぶとこたへよ
 
 
 
938
 

小野小町
 

文屋のやすひでみかはのぞうになりて、あがた見に はえいでたたじやといひやれりける返事によめる
 

わびぬれば身をうき草のねをたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ
 
 
 
939
 

題しらず
 
あはれてふ事こそうたて世中を思ひはなれぬほだしなりけれ
 
 
 
940
 

よみ人しらず
 
あはれてふ事のはごとにおくつゆは昔をこふる涙なりけり
 
 
 
941
 
世中のうきもつらきもつげなくにまづしる物はなみだなりけり
 
 
 
942
 
世中は夢かうつつかうつつとも夢ともしらず有りてなければ
 
 
 
943
 
よのなかにいづらわが身のありてなしあはれとやいはむあなうとやい はむ
 
 
 
944
 
山里は物の惨慄き事こそあれ世のうきよりはすみよかりけり
 
 
 
945
 

これたかのみこ
 
白雲のたえずたなびく岑にだにすめばすみぬる世にこそ有りけれ
 
 
 
946
 

ふるのいまみち
 
しりにけむききてもいとへ世中は浪のさわぎに風ぞしくめる
 
 
 
947
 

そせい
 
いづこにか世をばいとはむ心こそのにも山にもまどふべらなれ
 
 
 
948
 

よみ人しらず
 
世中は昔よりやはうかりけむわが身ひとつのためになれるか
 
 
 
949
 
世中をいとふ山べの草木とやあなうの花の色にいでにけむ
 
 
 
950
 
みよしのの山のあなたにやどもがな世のうき時のかくれがにせむ
 
 
 
951
 
世にふればうさこそまされみよしののいはのかけみちふみならしてむ
 
 
 
952
 
いかならむ巌の中にすまばかは世のうき事のきこえこざらむ
 
 
 
953
 
葦引の山のまにまにかくれなむうき世中はあるかひもなし
 
 
 
954
 
世中のうけくにあきぬ奥山のこのはにふれる雪やけなまし
 
 
 
955
 

もののべのよしな
 

おなじもじなきうた
 
よのうきめ見えぬ山ぢへいらむにはおもふ人こそほだしなりけれ
 
 
 
956
 

凡河内みつね
 

山のほうしのもとへつかはしける
 
世をすてて山にいる人山にても猶うき時はいづちゆくらむ
 
 
 
957
 

物思ひける時、いときなきこを見てよめる
 
今更になにおひいづらむ竹のこのうきふししげき世とはしらずや
 
 
 
958
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
世にふれば事のはしげきくれ竹のうきふしごとに鶯ぞなく
 
 
 
959
 
木にもあらず草にもあらぬ竹のよのはしにわが身はなりぬべらなり
 
 
 
ある人のいはく、高津のみこの哥也
 

960
 
わが身からうき世中となづけつつ人のためさへかなしかるらむ
 
 
 
961
 

たかむらの朝臣
 

おきのくににながされて侍りける時によめる
 
思ひきやひなのわかれにおとろへてあまのなはたきいさりせむとは
 
 
 
962
 

在原行平朝臣
 

田むらの御時に、事にあたりてつのくにのすまとい ふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人につかはしける
 

わくらばにとふ人あらばすまの浦にもしほたれつつわぶとこたへよ
 
 
 
963
 

をののはるかぜ
 

左近将監とけて侍りける時に、女のとぶらひにおこ せたりける返事によみてつかはしける
 

あまびこのおとづれじとぞ今は思ふ我か人かと身をたどるよに
 
 
 
964
 

平さだふん
 

つかさとけて侍りける時よめる
 
うき世にはかどさせりとも見えなくになどかわが身のいでがてにする
 
 
 
965
 
有りはてぬいのちまつまのほどばかりうきことしげくおもはずもがな
 
 
 
966
 

みやぢのきよき
 

みこの宮のたちはきに侍りけるを、宮づかへつかう まつらずとてとけて侍りける時によめる
 

つくばねのこの本ごとに立ちぞよる春のみ山のかげをこひつつ
 
 
 
967
 

清原深養父
 

時なりける人の、にはかに時なくなりてなげくを 見て、みづからのなげきもなくよろこびもなきことを思ひてよめる
 

ひかりなき谷には春もよそなればさきてとくちる物思ひもなし
 
 
 
968
 

伊勢
 

かつらに侍りける時に、七条の中宮のとはせ給へり ける御返事にたてまつれりける
 

久方の中におひたるさとなればひかりをのみぞたのむべらなる
 
 
 
969
 

なりひらの朝臣
 

紀のとしさだが阿波のすけにまかりける時に、むま のはなむけせむとて、けふといひおくれりける時に、ここかしこにまかりありきて夜ふ くるまで見えざりければつかはしける
 

今ぞしるくるしき物と人またむさとをばかれずとふべかりけり
 
 
 
970
 

惟喬のみこのもとにまかりかよひけるを、かしらお ろしてをのといふ所に侍りけるに、正月にとぶらはむとてまかりたりけるに、ひえの山 のふもとなりければ雪いとふかかりけり、しひてかのむろにまかりいたりてをがみける に、つれづれとしていと物がなしくて、かへりまうできてよみておくりける
 

わすれては夢かとぞ思ふおもひきや雪ふみわけて君を見むとは
 
 
 
971
 

深草のさとにすみ侍りて京へまうでくとて、そこな りける人によみておくりける
 

年をへてすみこしさとをいでていなばいとど深草のとやなりなむ
 
 
 
972
 

よみ人しらず
 

返し
 
野とならばうづらとなきて年はへむかりにだにやは君がこざらむ
 
 
 
973
 

題しらず
 
我を君なにはの浦に有りしかばうきめをみつのあまとなりにき
 
 
 
この哥は、ある人、むかしをとこありけるをうな の、をとことはずなりにければ、なにはなるみつのてらにまかりてあまになりて、よみ てをとこにつかはせりけるとなむいへる
 
 
 
974
 

返し
 
なにはがたうらむべきまもおもほえずいづこを見つのあまとかはなる
 
 
 
975
 
今更にとふべき人もおもほえずやへむぐらしてかどさせりてへ
 
 
 
976
 

みつね
 

ともだちのひさしうまうでこざりけるもとによみ てつかはしける
 

水のおもにおふるさ月のうき草のうき事あれやねをたえてこぬ
 
 
 
977
 

人をとはでひさしうありけるをりにあひうらみけれ ばよめる
 

身をすててゆきやしにけむ思ふより外なる物は心なりけり
 
 
 
978
 

むねをかのおほよりがこしよりまうできたりける時 に、雪のふりけるを見て、おのがおもひはこのゆきのごとくなむつもれるといひけるを りによめる
 

君が思ひ雪とつもらばたのまれず春よりのちはあらじとおもへば
 
 
 
979
 

宗岳大頼
 

返し
 
君をのみ思ひこしぢのしら山はいつかは雪のきゆる時ある
 
 
 
980
 

きのつらゆき
 

こしなりける人につかはしける
 
思ひやるこしの白山しらねどもひと夜も夢にこえぬよぞなき
 
 
 
981
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
いざここにわが世はへなむ菅原や伏見の里のあれまくもをし
 
 
 
982
 
わがいほはみわの山もとこひしくはとぶらひきませすぎたてるかど
 
 
 
983
 

きせんほうし
 
わがいほは宮このたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり
 
 
 
984
 

よみ人しらず
 
あれにけりあはれいくよのやどなれやすみけむ人のおとづれもせぬ
 
 
 
985
 

よしみねのむねさだ
 

ならへまかりける時に、あれたる家に女の琴ひきけ るをききてよみていれたりける
 

わびびとのすむべきやどと見るなへに歎きくははることのねぞする
 
 
 
986
 

二条
 

はつせにまうづる道に、ならの京にやどれりける時 よめる
 

人ふるすさとをいとひてこしかどもならの宮こもうきななりけり
 
 
 
987
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
世中はいづれかさしてわがならむ行きとまるをぞやどとさだむる
 
 
 
988
 
相坂の嵐のかぜはさむけれどゆくへしらねばわびつつぞぬる
 
 
 
989
 
風のうへにありかさだめぬちりの身はゆくへもしらずなりぬべらなり
 
 
 
990
 

伊勢
 

家をうりてよめる
 
あすかがはふちにもあらぬわがやどもせにかはりゆく物にぞ有りける
 
 
 
991
 

きのとものり
 

つくしに侍りける時にまかりかよひつつごうちける 人のもとに、京にかへりまうできてつかはしける
 

ふるさとは見しごともあらずをののえのくちし所ぞこひしかりける
 
 
 
992
 

みちのく
 

女ともだちと物がたりしてわかれてのちにつかはし ける
 

あかざり袖のなかにやいりにけむわがたましひのなき心ちする
 
 
 
993
 

ふぢはらのただふさ
 

寛平御時にもろこしのはう官にめされて侍りける時 に、東宮のさぶらひにてをのこどもさけたうべけるついでによみ侍りける
 

なよ竹のよながきうへにはつしものおきゐて物を思ふころかな
 
 
 
994
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
風ふけばおきつ白浪たつた山よはにや君がひとりこゆらむ
 
 
 
ある人、この哥は、むかしやまとのくになりける人 のむすめに、ある人すみわたりけり、この女おやもなくなりて家もわるくなりゆくあひ だに、このをとこかうちのくにに人をあひしりてかよひつつ、かれやうにのみなりゆき けり、さりけれどもつらげなるけしきも見えで、かふちへいくごとにをとこの心のごと くにしつついだしやりければ、あやしと思ひて、もしなきまにこと心もやあるとうたが ひて、月のおもしろかりける夜かふちへいくまねにて、せんざいのなかにかくれて見け れば、夜ふくるまでことをかきならしつつうちなげきて、この哥をよみてねにければ、 これをききてそれより又ほかへもまからずなりにけりとなむいひつたへたる
 
 
 
995
 
たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣たつたの山にをりはへてなく
 
 
 
996
 
わすられむ時しのべとぞ浜千鳥ゆくへもしらぬあとをとどむる
 
 
 
997
 

文屋ありすゑ
 

貞観御時、万葉集はいつばかりつくれるぞととはせ 給ひければよみてたてまつりける
 

神な月時雨ふりおけるならのはのなにおふ宮のふることぞこれ
 
 
 
998
 

大江千里
 

寛平御時哥たてまつりけるついでにたてまつりける
 

あしたづのひとりおくれてなくこゑは雲のうへまできこえつがなむ
 
 
 
999
 

ふぢはらのかちおむ
 
ひとしれず思ふ心は春霞たちいでてきみがめにも見えなむ
 
 
 
1000
 

伊勢
 

哥めしける時にたてまつるとてよみて、おくに かきつけてたてまつりける
 

山河のおとにのみきくももしきをはやながら見るよしもがな
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

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短哥
 
 
 
1001
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
あふことのまれなるいろにおもひそめわが身はつねにあまぐものはるる時なくふじのねのもえつつとはにおもへどもあふことかたしなにしかも人をうらみむわたつみのおきをふかめておもひてしおもひはいまはいたづらになりぬべらなりゆく水のたゆる時なくかくなわにおもひみだれてふるゆきの けなばけぬべく おもへども えぶの身なればなほやまずおもひはふかしあしひきの山した水のこがくれてたぎつ心をたれにかもあひかたらはむいろにいでば人しりぬべみすみぞめのゆふべになればひとりゐてあはれあはれとなげきあまりせむすべなみににはにいでてたちやすらへばしろたへの衣のそでにおくつゆのけなばけぬべくおもへどもなほなげかれぬはるがすみよそにも人にあはむとおもへば
 
 
 
1002
 

ふるうたたてまつりし時のもくろくの、そのながう た
 

ちはやぶる神のみよよりくれ竹の世世にもたえずあまびこのおとはの山の はるがすみ思ひみだれてさみだれのそらもとどろにさよふけて山ほととぎすなくごとにたれもねざめてからにしきたつたの山のもみぢばを見てのみしのぶ神な月しぐれしぐれて冬の夜の庭もはだれにふるゆきの猶きえかへり年ごとに時につけつつあはれてふことをいひつつきみをのみちよにといはふ世の人のおもひするがのふじのねのもゆる思ひもあかずしてわかるるなみだ藤衣おれる心もやちくさのことのはごとにすべらぎのおほせかしこみまきまきの中につくすといせの海のうらのしほがひひろひあつめとれりとすれどたまのをのみじかき心思ひあへず猶あらたまの年をへて大宮にのみひさかたのひるよるわかずつかふとてかへりみもせぬわがよどのしのぶぐさおふるいたまあらみふる春さめのもりやしぬらむ
 
 
 
1003
 

壬生忠岑
 

ふるうたにくはへてたてまつれるながうた
 
くれ竹の世世のふることなかりせばいかほのぬまのいかにして思ふ心をのばへましあはれむかしべありきてふ人まろこそはうれしけれ身はしもながらことのはをあまつそらまできこえあげすゑのよまでのあととなし今もおほせのくだれるはちりにつげとやちりの身につもれる事をとはるらむこれをおもへばけだもののくもにほえけむ心地してちぢのなさけもおもほえずひとつ心ぞほこらしきかくはあれどもてるひかりちかきまもりの身なりしをたれかは秋のくる方にあざむきいでてみかきよりとのへもる身のみかきもりをさをさしくもおもほえずここのかさねのなかにてはあらしの風もきかざりき今はの山しちかければ春は霞にたなびかれ夏はうつせみなきくらし秋は時雨に袖をかし冬はしもにぞせめらるるかかるわびしき身ながらにつもれるとしをしるせればいつつのむつになりにけりこれにそはれるわたくしのおいのかずさへやよければ身はいやしくて年たかきことのくるしさかくしつつながらのはしのながらへてなにはのうらにたつ浪の浪のしわにやおぼほれむさすがにいのちをしければこしのくになるしら山のかしらはしろくなりぬともおとはのたきのおとにきくおいずしなずのくすりがも君がやちよをわかえつつ見む
 
 
 
1004
 
君が世にあふさか山のいはし水こがくれたりと思ひけるかな
 
 
 
1005
 

凡河内躬恒
 

冬のなかうた
 
ちはやぶら神な月とやけさよりはくもりもあへずはつ時雨紅葉とともにふるさとのよしのの山の山あらしもさむく日ごとになりゆけばたまのをとけてこきちらしあられみだれてしも氷いやかたまれるにはのおもにむらむら見ゆる冬草のうへにふりしく白雪のつもりつもりてあらたまのとしをあまたもすぐしつるかな
 
 
 
1006
 

伊勢
 

七条のきさきうせたまひにけるのちによみける
 
おきつなみあれのみまさる宮のうちはとしへてすみしいせのあまも舟ながしたる心地してよらむ方なくかなしきに涙の色のくれなゐは我らがなかの時雨にて秋のもみぢと人人はおのがちりぢりわかれなばたのむかげなくなりはててとまる物とは花すすききみなき庭にむれたちてそらをまねかばはつかりのなき渡りつつよそにこそ見め
 
 
 
 
 
旋頭哥
 
 
 
1007
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
うちわたすをち方人に物まうすわれそのそこにしろくさけるはなにの花ぞも
 
 
 
1008
 

返し
 
春さればのべにまづさく見れどあかぬ花まひなしにただなのるべき花のななれや
 
 
 
1009
 

題しらず
 
はつせ河ふるかはのべにふたもとあるすぎ年をへて又もあひ見むふたもとあるすぎ
 
 
 
1010
 

つらゆき
 
きみがさすみかさの山のもみぢばのいろ神な月しぐれのあめのそめるなりけり
 
 
 
 
 
俳諧哥
 
 
 
1011
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
梅花見にこそきつれ鶯の人く人くといとひしもをる
 
 
 
1012
 

素性法師
 
山吹の花色衣ぬしやたれとへどこたへずくちなしにして
 
 
 
1013
 

藤原敏行朝臣
 
いくばくの田をつくればか郭公しでのたをさをあさなあさなよぶ
 
 
 
1014
 

藤原かねすけの朝臣
 

七月六日たなばたの心をよみける
 
いつしかとまたく心をはぎにあげてあまのかはらをけふやわたらむ
 
 
 
1015
 

凡河内みつね
 

題しらず
 
むつごともまだつきなくにあけぬめりいづらは秋のながしてふよは
 
 
 
1016
 

僧正へんぜう
 
秋ののになまめきたてるをみなへしあなかしかまし花もひと時
 
 
 
1017
 

よみ人しらず
 
あきくればのべにたはるる女郎花いづれの人かつまで見るべき
 
 
 
1018
 
秋ぎりのはれてくもればをみなへし花のすがたぞ見えかくれする
 
 
 
1019
 
花と見てをらむとすればをみなへしうたたあるさまの名にこそ有りけれ
 
 
 
1020
 

在原むねやな
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
秋風にほころびぬらしふぢばかまつづりさせてふ蟋蟀なく
 
 
 
1021
 

清原ふかやぶ
 

あすはるたたむとしける日、となりの家のかたより 風の雪をふきこしけるを見て、そのとなりへよみてつかはしける
 

冬ながら春の隣のちかければなかがきよりぞ花はちりける
 
 
 
1022
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
いその神ふりにしこひの神さびてたたるに我はいぞねかねつる
 
 
 
1023
 
枕よりあとよりこひのせめくればせむ方なみぞとこなかにをる
 
 
 
1024
 
こひしきが方も方こそ有りときけたてれをれどもなき心ちかな
 
 
 
1025
 
ありぬやと心見がてらあひ見ねばたはぶれにくきまでぞこひしき
 
 
 
1026
 
みみなしの山のくちなしえてしかな思ひの色のしたぞめにせむ
 
 
 
1027
 
葦引の山田のそほづおのれさへ我をほしてふうれはしきこと
 
 
 
1028
 

きのめのと
 
ふじのねのならぬおもひにもえばもえ神だにけたぬむなしけぶりを
 
 
 
1029
 

きのありとも
 
あひ見まく星はかずなく有りながら人に月なみ迷ひこそすれ
 
 
 
1030
 

小野小町
 
人にあはむ月のなきには思ひおきてむねはしり火に心やけをり
 
 
 
1031
 

藤原おきかぜ
 

寛平御時きさいの宮の哥合のうた
 
春霞たなびくのべのわかなにもなり見てしかな人もつむやと
 
 
 
1032
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
おもへども猶うとまれぬ春霞かからぬ山もあらじとおもへば
 
 
 
1033
 

平貞文
 
春の野のしげき草ばのつまごひにとびたつきじのほろろとぞなく
 
 
 
1034
 

きのよしひと
 
秋ののにつまなきしかの年をへてなぞわがこひのかひよとぞなく
 
 
 
1035
 

みつね
 
蝉の羽のひとへにうすき夏衣なればよりなむ物にやはあらぬ
 
 
 
1036
 

ただみね
 
かくれぬのしたよりおふるねぬなはのねぬなはたてじくるないとひそ
 
 
 
1037
 

よみ人しらず
 
ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる
 
 
 
1038
 
おもふてふ人の心のくまごとににたちかくれつつ見るよしもがな
 
 
 
1039
 
思へどもおもはずとのみいふなればいなやおもはじ思ふかひなし
 
 
 
1040
 
我をのみ思ふといはばあるべきをいでや心はおほぬさにして
 
 
 
1041
 
われを思ふ人をおもはぬむくいにやわが思ふ人の我をおもはぬ
 
 
 
1042
 

ふかやぶ
 
思ひけむ人をぞともにおもはましまさしやむくいなかりけりやは
 
 
 
1043
 

よみ人しらず
 
いでてゆかむ人をとどめむよしなきにとなりの方にはなもひぬかな
 
 
 
1044
 
紅にそめし心もたのまれず人をあくにはうつるてふなり
 
 
 
1045
 
いとはるるわが身ははるのこまなれやのがひがてらにはなちすてつゝ
 
 
 
1046
 
鶯のこぞのやどりのふるすとや我には人のつれなかるらむ
 
 
 
1047
 
さかしらに夏は人まねささのはのさやぐしもよをわがひとりぬる
 
 
 
1048
 

平中興
 
逢ふ事の今ははつかになりぬれば夜ふかからでは月なかりけり
 
 
 
1049
 

左のおほいまうちぎみ
 
もろこしのよしのの山にこもるともおくれむと思ふ我ならなくに
 
 
 
1050
 

なかき
 
雲はれぬあさまの山のあさましや人の心を見てこそやまめ
 
 
 
1051
 

伊勢
 
なにはなるながらのはしもつくるなり今はわが身をなににたとへむ
 
 
 
1052
 

よみ人しらず
 
まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし
 
 
 
1053
 

おきかぜ
 
なにかその名の立つ事のをしからむしりてまどふは我ひとりかは
 
 
 
1054
 

くそ
 

いとこなりけるをとこによそへて人のいひければ
 

よそながらわが身にいとのよるといへばただいつはりにすぐばかりなり
 
 
 
1055
 

さぬき
 

題しらず
 
ねぎ事をさのみききけむやしろこそはてはなげきのもりとなるらめ
 
 
 
1056
 

大輔
 
なげきこる山としたかくなりぬればつらづゑのみぞまづつかれける
 
 
 
1057
 

よみ人しらず
 
なげきをばこりのみつみてあしひきの山のかひなくなりぬべらなり
 
 
 
1058
 
人こふる事をおもにとになひもてあふごなきこそわびしかりけれ
 
 
 
1059
 
よひのまにいでていりぬるみか月のわれて物思ふころにもあるかな
 
 
 
1060
 
そゑにとてとすればかかりかくすればあないひしらずあふさきるさに
 
 
 
1061
 
世中のうきたびごとに身をなげばふかき谷こそあさくなりなめ
 
 
 
1062
 

在原元方
 
よのなかはいかにくるしと思ふらむここらの人にうらみらるれば
 
 
 
1063
 

よみ人しらず
 
なにをして身のいたづらにおいぬらむ年のおもはむ事ぞやさしき
 
 
 
1064
 

おきかぜ
 
身はすてつ心をだにもはふらさじつひにはいかがなるとしるべく
 
 
 
1065
 

千さと
 
白雪の友にわが身はふりぬれど心はきえぬ物にぞありける
 
 
 
1066
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
梅花さきてののちの身なればやすき物とのみ人のいふらむ
 
 
 
1067
 

みつね
 

法星にし河におはしましたりける日、さる山のかひ にさけぶといふことを題にてよませたまうける
 

わびしらにましらななきそあしひきの山のかひあるけふにやはあらぬ
 
 
 
1068
 

よみ人しらず
 

題しらず
 
世をいとひこのもとごとにたちよりてうつぶしぞめのあさのきぬなり
 
 
 
 
 
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1069
 

おほなのびのうた
 
あたらしき年の始にかくしこそちとせをかねてたのしきをつめ
 
 
 
日本紀には、つかへまつらめよろづよまでに
 

1070
 

ふるきやまとまひのうた
 
しもとゆふかづらき山にふる雪のまなく時なくおもほゆるかな
 
 
 
1071
 

あふみぶり
 
近江よりあさたちくればうねののにたづぞなくなるあけぬこのよは
 
 
 
1072
 

みづくきぶり
 
水くきのをかのやかたにいもとあれとねてのあさけのしものふりはも
 
 
 
1073
 

しはつ山ぶり
 
しはつ山うちいでて見ればかさゆひのしまこぎかくるたななしをぶね
 
 
 
 
 
神あそびのうた
 
 
 
1074
 

とりもののうた
 
神がきのみむろの山のさかきばは神のみまへにしげりあひにけり
 
 
 
1075
 
しもやたびおけどかれせぬさかきばのたちさかゆべき神のきねかも
 
 
 
1076
 
まきもくのあなしの山の山人と人も見るがに山かづらせよ
 
 
 
1077
 
み山にはあられふるらしとやまなるまさきのかづらいろづきにけり
 
 
 
1078
 
みちのくのあだちのまゆみわがひかばすゑさへよりこしのびしのびに
 
 
 
1079
 
わがかどのいたゐのし水さととほみ人しくまねばみくさおひにけり
 
 
 
1080
 

ひるめのうた
 
ささのくまひのくま河にこまとめてしばし水かへかげをだに見む
 
 
 
1081
 

かへしもののうた
 
あをやぎをかたいとによりて鶯のぬふてふ笠は梅の花がさ
 
 
 
1082
 
まがねふくきびの中山おびにせるほそたに河のおとのさやけさ
 
 
 
この哥は、承和の御べのきびのくにの哥
 

1083
 
美作やくめのさら山さらさらにわがなはたてじよろづよまでに
 
 
 
これは、みづのをの御べのみまさかのくにのうた
 
 
 
1084
 
みののくに関のふぢ河たえずして君につかへむよろづよまでに
 
 
 
これは、元慶の御べのみののうた
 

1085
 
きみが世は限もあらじながはまのまさごのかずはよみつくすとも
 
 
 
これは、仁和の御べのいせのくにの哥
 

1086
 

大伴くろぬし
 
近江のやかがみの山をたてたればかねてぞ見ゆる君がちとせは
 
 
 
これは、今上の御べのあふみのうた
 
 
 

東哥
 
 
 
1087
 

みちのくのうた
 
あぶくまに霧立ちくもりあけぬとも君をばやらじまてばすべなし
 
 
 
1088
 
みちのくはいづくはあれどしほがまの浦こぐ舟のつなでかなしも
 
 
 
1089
 
わがせこを宮こにやりてしほがまのまがきのしまの松ぞこひしき
 
 
 
1090
 
をぐろさきみつのこじまの人ならば宮このつとにいざといはましを
 
 
 
1091
 
みさぶらひみかさと申せ宮木ののこのしたつゆはあめにまされり
 
 
 
1092
 
もがみ河のぼればくだるいな舟のいなにはあらずこの月ばかり
 
 
 
1093
 
君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山浪もこえなむ
 
 
 
1094
 

さがみうた
 
こよろぎのいそたちならしいそなつむめざしぬらすなおきにをれ浪
 
 
 
1095
 

ひたちうた
 
つくばねのこのもかのもに影はあれど君がみかげにますかげはなし
 
 
 
1096
 
つくばねの峯のもみぢばおちつもりしるもしらぬもなべてかなしも
 
 
 
1097
 

かひうた
 
かひがねをさやにも見しがけけれなくよこほりふせるさやの中山
 
 
 
1098
 
かひがねをねこし山こし吹く風を人にもがもや事づてやらむ
 
 
 
1099
 

伊勢うた
 
をふのうらにかたえさしおほひなるなしのなりもならずもねてかたら はむ
 
 
 
1100
 

藤原敏行朝臣
 

冬の賀茂のまつりのうた
 
ちはやぶるかものやしろのひめこまつよろづ世ふともいろはかはらじ
 
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 

 
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
 
 
巻第十物名部
 
 
 
1101
 

ひぐらし
 
そま人は宮木ひくらしあしひきの山の山びこよびとよむなり
 
 
 
在郭公下、空蝉上
 

1102
 

勝臣
 
かけりてもなにをかたまのきても見むからはほのほとなりにしものを
 
 
 
をがたまの木、友則下
 

1103
 

つらゆき
 

くれのおも
 
こし時とこひつつをればゆふぐれのおもかげにのみ見えわたるかな
 
 
 
忍草、利貞下
 

1104
 

をののこまち
 

おきのゐ、みやこじま
 
おきのゐて身をやくよりもかなしきは宮こしまべのわかれなりけり
 
 
 
から事、清行下
 

1105
 

あやもち
 

そめどの、あはた
 
うきめをばよそめとのみぞのがれゆく雲のあはたつ山のふもとに
 
 
 
このうた、水の尾のみかどのそめどのよりあはたへ うつりたまうける時によめる 桂宮下
 
 
 
 
 
巻第十一
 
 
 
1106
 

奥菅の根しのぎふる雪、下
 
けふ人をこふる心は大井河ながるる水におとらざりけり
 
 
 
1107
 
わぎもこにあふさか山のしのすすきほにはいでずもこひわたるかな
 
 
 
 
 
巻第十三
 
 
 
1108
 

こひしくはしたにを思へ紫の、下
 
いぬがみのとこの山なるなとり河いさとこたへよわがなもらすな
 
 
 
この哥、ある人、あめのみかどのあふみのうねめに たまへると
 
 
 
1109
 

うねめのたてまつれる
 

返し
 
山しなのおとはのたきのおとにのみ人のしるべくわがこひめやも
 
 
 
 
 
巻第十四
 
 
 
1110
 

思ふてふことのはのみや秋をへて、下   そとほりひめのひとりゐてみかどをこひたてまつりて
 

わがせこがくべきよひなりささがにのくものふるまひかねてしるしも
 
 
 
1111
 

つらゆき
 

深養父、こひしとはたがなづけけむ事ならむ、下
 
みちしらばつみにもゆかむすみのえの岸におふてふこひわすれぐさ
 
 
 








   

      仮の物語




   

      仮の物語










 

      「日本といふ物語」制作ノート                


主題   : 「日本という物語」のなかで、日本が物語られ、樹や森や海といった自然がものカタラレ、わたくしたちさえカタラレテ、受け継がれて、イマ、ココにわたくしたちが存在している。そのうちに、小川の水の流れ、深い海の彩、黄金色の稲穂のにほひ、こおろぎのこえ、そうした風景がみえてくればしめたものだ。つまり、わたしたちの自然や身体は 「日本という物語」のコピー&ペーストでもあるということを顕かにすることで、日常性的には、政治批判などでてくるが、その意味を越えて、却って、コピー&ペーストで、日常言語の背後にあるシステム言語という、別の言い方をすれば、個別言語の拠ってたつロゴスというもののイデアールな存在の気配を感じたり、幸運にも秘蹟のような出来事に立会えたり、その生起を自覚できる時間を生み出せたりするきっかけの場を提供できれば嬉しくおもう。
それは、どんな国、地域、時代においてもそれぞれの言語による共同体あるところ、みな同じ事態であろう。ルネッサンス運動自体が、ギリシャローマン時代のコピー&ペースト運動であったともいえるし、「日本という物語」は、 「わたくしという物語」とも重なった{非日常なる出来事に支えられた日常の}物語なのである。
日常性という権力構造システムを、なかから解き放ち(自由)「もう一つの日本といふ物語」へ容れた。権力としての正史を相対化し、解体無化する作業。

意図 :
「横を縦で刺し違える」ネットの総体そのものは、あたらしいコミュニケーションアートとして、提示の意味もある。 その総体の核を縦書きにすることで、わたくしたちの文体に即したイでアールな構造を付与したことになる。 権力としてのインターネット時代の公文書は、今後も横であろう。わたしたちは、縦の叛乱を起こす自由を持っている。

ポイント :わたしたちの言語のロゴス発動によるイデアールな構造化を果たすだけでよい。

その方法:
1.縦書きにすることで、文法力を発揮できるので、イデア構造の柱となる。
2.引用符の付与で意味性を無化。
3.制作プロセスや、意図の公開で、作品性という閉じられた芸術作品体系を無化する。
4. 更新永続(人工知能による自動更新)で、芸術作品性の無化。
5. 舞踏の方法で、動かず、説明せず、踏みつづけ、
 なすべき事をして、自由が舞い降りるを待つ。
 その時満ちて、円融具足化すれば、創めと〆がはじめて定まる。
6.国家の正史を無化。
7.コピー&ペーストという複製技術の意識化、精神化であたらしいアートステージへ移動。
8.引用、リンクの遮断で。リンクの意味を問う。
9.このあとの「もう一つの物語」で、波状口縁尖底土器のみている夢として、現象を記述していく作品との違いを明確化しておく。


次は:

1.リアルタイムネットワークで一大歌仙を巻く。
2.「もう一つの物語」で、波状口縁尖底土器のみている夢として、現象を記述していく作品を創る。


二千七年十一月九日
・ 原文主義でいく。古典への切り口は、文学ではなく、美術だから。 引用符アートとして、そのものを大事に。

・ コンセプトとは、コンテンツにたいする用語である。
ポストモダンのあたらしいコミュニケーション として、本でないネットの切り口を深めていく。そのための掲示板は必要なので、意見や論文、美術作品の寄  稿は、そこをセレクトして、縦書きであつかう。
  だから、掲示板は、リンクで外部のヨコウチ掲示板のほうが、都合がいいだろう。
・  「よこをたて」 にするは、一種の儀式の意味合いがあるので、外部との連絡は横でもよい。

・ キリシタンに関する幕府のお触れ、お達しの類も提示する。祝詞。陀羅尼。西田論文。兵法書。現代行政書目録。ソフィスト論文目録。国家納入の全成果品項目の提示。

二千七年十一月十日
・制作姿勢は、舞踏とおなじ。日常の意味性が無化されて、非日常の時が生起してくるまで、退屈に見えても、立つくす。踏み尽くす。
・物語のエンディングから語りだす。
・ エンディングは、無化のはたての自由だ。本来的自由とは、非日常性なのだが、その自由の瞬間がほんのわずかでも生じれば、はじめを了へて良し。
・「日本といふ物語」は、ポストモダンの手法で描いた日本の物語であり、コピー&ペーストによる引用符アートである。
・われわれという、国家から個人にいたるまでの、古事記の時代から、コピー&ペーストで成立しているともいえる。 杜甫、西行、仏頂における芭蕉然り。
・美術世界のグーグルあるいは、ヤフーなのだ。彼等の第一ページ構成コンセプトと同じである。違いは、「ユーザーが、コンテンツを見る」ということから最終的に発生するあらゆる商業的日常の行為にかえて、その行為の意味を、無化、相対化して、問うているところにある。つまり、見る、見られる主体はユーザーという観客ではない。制作主体と同化した、ポイエーシスへと駆り立てるものそのものなのである。

二千七年十一月九日
・舞踏とおなじ。時が生起してくるまで、立つくす。踏み尽くす。
・ 「日本という物語」は、つまり 「わたしという物語」なのだ。

二千七年十一月二十三日
 現在、来年にかけて準備中の「日本叙事詩」は、従来の叙事詩の創作行為に代へ、歴史の局面局面に表出された言語から物事、出来事の意味あいを可能なだけ引き剥がし、言語を、記号化されたモノとして扱い、あらためてhtmlで記述、ハイパーリンクで結んでWWWの世界へ放つことを主たる制作の柱としている。ここで、採用している方法は、全てを相対化することで、無化して、絶対的意味あいをそぎ落としていくポストモダンの代表的手法のひとつである。ちょうど、ローム層や、その赤い層を挟む第一、第二ブラックバンドとか、その上の黒い腐葉土層から、地層ごとに、無文字時代の具体的な石器や土器のかけらを引き剥がして採集、三次元記号を付与して、蛍光管の平板な光のもと、二次平面の作業台へ並べたて、つぎはぎしていく行為と同じレベルの作業である。詩的創作活動とは、まったく無縁にみえるこうした作業の結果、ここへ無言であぶり出されていく全体が、今回の「日本叙事詩」となる。社会的言語表現を意味からひき離して、ことばの欠片として、土器と同列に並べ直していく作業は、言葉と身体が遊離しかけている現代を象徴する手法といへようか。なお、過去を、未来を、蒐集しつつ、今とともに肥大化していくこの叙事詩の主題は、WWWというハイパーリンクな世界の涯てをその限りとする得体の知れない無限大のナニモノカ、その正体を解明し、超克することにある。総論的に、結論からいってしまうと、WWWの影は、世界を覆いつくすほどに巨大であるがゆえに恐怖だが、実は、その正体は等身大のわたくしたち自身そのものの影でしかないのではなかろうか。もし、そうであれば、その観て取り、自覚こそポストモダンの次の時代が求める「自由」というものとなるはずだ。この作品をもって、権力側の支配ツールであった当該時代、時代のメディア言語とその記述してきた歴史的出来事とのそのつど具体的な関係や、意味を問い直し、かつ、わたくしたちの言葉と身体との具体的関係を洗い出すきっかけとしたい。なお、日本語の間合いを活かすため、全ての文章を縦書き表記にした。結果、おそらく現時点で、世界でもっとも横長の縦書きサイトとなってしまったようだ。(はじめのフィルターリング化して並列した赤と青の「波状口縁尖底土器」は、いまから約八千年前の神奈川出土の器である)

作業中

準備中の「日本叙事詩」仮目次    


二千七年十二月十二日
 「世界は、限りがあるから美しい。」 - WWWの無限連鎖に頚木を打ち込む。
空といふ天蓋に星座が煌めひいているやうに、、「哥座星座(うたくらせいざ)」では、WWW上へ、日本の星ともいうべき歌仙の詩歌連俳・美術作品をアップロードしています。この星座の特徴の一つは、独立したドメイン名ごとに一作品をアップロードしている点に存します。第二点は、その奥には、もうハイパーリンクの道を用意してないことにあります。意図的にその先の、リンクを鎖しています。ここでは、その孤立したサイトを世界(WWW)の最果ての空、あるいは、頂点と仮定義させていただいております。「哥座星座(うたくらせいざ)」の役割は、WWWの軌道へ星をアップロード、配置していく謂わば衛星射ち上げセンターのようなものです。
 目的はひとつ、、世界(WWW)の空間を引き裂いて空を創りだし、そこへ歌仙の作品を貼り付けることで、WWWの無限連鎖に頚木を打ち込みたいからです。それが、その煌めく星座から撥ね返ってくる照射光によって現実世界の言葉やモノ・コトと、それら相互の関係を照らし出し、観想し、ポストWWW時代のわたしたち固有の韻文空間といふものを再構築し、結果、等身大の具象性ある身体性の復権につながればと願っています。
 いつか、また、あなたのあたらしい智慧による、あたらしい始まりが始まり、この世界のさらに奥の、いままで出会ったことのないやうな懐かしい風景が開かれるまで…。  


二千七年十二月十二日
「新考古学ことはじめ
ウェブの階層を地層とみなし、
ウェブ各層からサンプリングする。
(日本物語)であれば、そこへ焦点をあてて。



 

     最終更新:二千七年十二月十二日 

主題   : 「日本という物語」のなかで、日本が物語られ、樹や森や海といった自然がものカタラレ、わたくしたちさえカタラレテ、受け継がれて、イマ、ココにわたくしたちが存在している。そのうちに、小川の水の流れ、深い海の彩、黄金色の稲穂のにほひ、こおろぎのこえ、そうした風景がみえてくればしめたものだ。つまり、わたしたちの自然や身体は 「日本という物語」のコピー&ペーストでもあるということを顕かにすることで、日常性的には、政治批判などでてくるが、その意味を越えて、却って、コピー&ペーストで、日常言語の背後にあるシステム言語という、別の言い方をすれば、個別言語の拠ってたつロゴスというもののイデアールな存在の気配を感じたり、幸運にも秘蹟のような出来事に立会えたり、その生起を自覚できる時間を生み出せたりするきっかけの場を提供できれば嬉しくおもう。
それは、どんな国、地域、時代においてもそれぞれの言語による共同体あるところ、みな同じ事態であろう。ルネッサンス運動自体が、ギリシャローマン時代のコピー&ペースト運動であったともいえるし、「日本という物語」は、 「わたくしという物語」とも重なった{非日常なる出来事に支えられた日常の}物語なのである。
日常性という権力構造システムを、なかから解き放ち(自由)「もう一つの日本といふ物語」へ容れた。権力としての正史を相対化し、解体無化する作業。

意図 :
「横を縦で刺し違える」ネットの総体そのものは、あたらしいコミュニケーションアートとして、提示の意味もある。 その総体の核を縦書きにすることで、わたくしたちの文体に即したイでアールな構造を付与したことになる。 権力としてのインターネット時代の公文書は、今後も横であろう。わたしたちは、縦の叛乱を起こす自由を持っている。

ポイント :わたしたちの言語のロゴス発動によるイデアールな構造化を果たすだけでよい。

その方法:
1.縦書きにすることで、文法力を発揮できるので、イデア構造の柱となる。
2.引用符の付与で意味性を無化。
3.制作プロセスや、意図の公開で、作品性という閉じられた芸術作品体系を無化する。
4. 更新永続(人工知能による自動更新)で、芸術作品性の無化。
5. 舞踏の方法で、動かず、説明せず、踏みつづけ、
 なすべき事をして、自由が舞い降りるを待つ。
 その時満ちて、円融具足化すれば、創めと〆がはじめて定まる。
6.国家の正史を無化。
7.コピー&ペーストという複製技術の意識化、精神化であたらしいアートステージへ移動。
8.引用、リンクの遮断で。リンクの意味を問う。
9.このあとの「もう一つの物語」で、波状口縁尖底土器のみている夢として、現象を記述していく作品との違いを明確化しておく。


次は:

1.リアルタイムネットワークで一大歌仙を巻く。
2.「もう一つの物語」で、波状口縁尖底土器のみている夢として、現象を記述していく作品を創る。


二千七年十一月九日
・ 原文主義でいく。古典への切り口は、文学ではなく、美術だから。 引用符アートとして、そのものを大事に。

・ コンセプトとは、コンテンツにたいする用語である。
ポストモダンのあたらしいコミュニケーション として、本でないネットの切り口を深めていく。そのための掲示板は必要なので、意見や論文、美術作品の寄  稿は、そこをセレクトして、縦書きであつかう。
  だから、掲示板は、リンクで外部のヨコウチ掲示板のほうが、都合がいいだろう。
・  「よこをたて」 にするは、一種の儀式の意味合いがあるので、外部との連絡は横でもよい。

・ キリシタンに関する幕府のお触れ、お達しの類も提示する。祝詞。陀羅尼。西田論文。兵法書。現代行政書目録。ソフィスト論文目録。国家納入の全成果品項目の提示。

二千七年十一月十日
・制作姿勢は、舞踏とおなじ。日常の意味性が無化されて、非日常の時が生起してくるまで、退屈に見えても、立つくす。踏み尽くす。
・物語のエンディングから語りだす。
・ エンディングは、無化のはたての自由だ。本来的自由とは、非日常性なのだが、その自由の瞬間がほんのわずかでも生じれば、はじめを了へて良し。
・「日本といふ物語」は、ポストモダンの手法で描いた日本の物語であり、コピー&ペーストによる引用符アートである。
・われわれという、国家から個人にいたるまでの、古事記の時代から、コピー&ペーストで成立しているともいえる。 杜甫、西行、仏頂における芭蕉然り。
・芸術行為におけるグーグルあるいは、ヤフーなのか。なるほど彼等の第一ページ構成コンセプトと似てはいる。違いは、「ユーザーが、コンテンツを見る」ということから最終的に発生するあらゆる商業的日常の行為にかえて、その行為の意味を、無化、相対化して、問うているところにある。いいかえれば、歌座が提供するものは、彼等検索エンジンが提供する情報プラットフォームではない。古くて新しい、つまり、わたしたち固有の文体や韻文に即したところの身体性のある智恵のプラットフォームなのである。 つまり、見る、見られる主体はもはやユーザーという観客ではない。制作主体と同化した、ポイエーシスへと駆り立てるものそのものなのである。

二千七年十一月九日
・舞踏とおなじ。時が生起してくるまで、立つくす。踏み尽くす。
・ 「日本という物語」は、つまり 「わたしという物語」なのだ。

二千七年十一月二十三日
 現在、来年にかけて準備中の「日本叙事詩」は、従来の叙事詩の創作行為に代へ、歴史の局面局面に表出された言語から物事、出来事の意味あいを可能なだけ引き剥がし、言語を、記号化されたモノとして扱い、あらためてhtmlで記述、ハイパーリンクで結んでWWWの世界へ放つことを主たる制作の柱としている。ここで、採用している方法は、全てを相対化することで、無化して、絶対的意味あいをそぎ落としていくポストモダンの代表的手法のひとつである。ちょうど、ローム層や、その赤い層を挟む第一、第二ブラックバンドとか、その上の黒い腐葉土層から、地層ごとに、無文字時代の具体的な石器や土器のかけらを引き剥がして採集、三次元記号を付与して、蛍光管の平板な光のもと、二次平面の作業台へ並べたて、つぎはぎしていく行為と同じレベルの作業である。詩的創作活動とは、まったく無縁にみえるこうした作業の結果、ここへ無言であぶり出されていく全体が、今回の「日本叙事詩」となる。社会的言語表現を意味からひき離して、ことばの欠片として、土器と同列に並べ直していく作業は、言葉と身体が遊離しかけている現代を象徴する手法といへようか。なお、過去を、未来を、蒐集しつつ、今とともに肥大化していくこの叙事詩の主題は、WWWというハイパーリンクな世界の涯てをその限りとする得体の知れない無限大のナニモノカ、その正体を解明し、超克することにある。総論的に、結論からいってしまうと、WWWの影は、世界を覆いつくすほどに巨大であるがゆえに恐怖だが、実は、その正体は等身大のわたくしたち自身そのものの影でしかないのではなかろうか。もし、そうであれば、その観て取り、自覚こそポストモダンの次の時代が求める「自由」というものとなるはずだ。この作品をもって、権力側の支配ツールであった当該時代、時代のメディア言語とその記述してきた歴史的出来事とのそのつど具体的な関係や、意味を問い直し、かつ、わたくしたちの言葉と身体との具体的関係を洗い出すきっかけとしたい。なお、日本語の間合いを活かすため、全ての文章を縦書き表記にした。結果、おそらく現時点で、世界でもっとも横長の縦書きサイトとなってしまったようだ。(はじめのフィルターリング化して並列した赤と青の「波状口縁尖底土器」は、いまから約八千年前の神奈川出土の器である)

作業中

準備中の「日本叙事詩」仮目次    


二千七年十二月十二日
 「世界は、限りがあるから美しい。」 - WWWの無限連鎖に頚木を打ち込む。
空といふ天蓋に星座が煌めひいているやうに、、「哥座星座(うたくらせいざ)」では、WWW上へ、日本の星ともいうべき歌仙の詩歌連俳・美術作品をアップロードしています。この星座の特徴の一つは、独立したドメイン名ごとに一作品をアップロードしている点に存します。第二点は、その奥には、もうハイパーリンクの道を用意してないことにあります。意図的にその先の、リンクを鎖しています。ここでは、その孤立したサイトを世界(WWW)の最果ての空、あるいは、頂点と仮定義させていただいております。「哥座星座(うたくらせいざ)」の役割は、WWWの軌道へ星をアップロード、配置していく謂わば衛星射ち上げセンターのようなものです。
 目的はひとつ、、世界(WWW)の空間を引き裂いて空を創りだし、そこへ歌仙の作品を貼り付けることで、WWWの無限連鎖に頚木を打ち込みたいからです。それが、その煌めく星座から撥ね返ってくる照射光によって現実世界の言葉やモノ・コトと、それら相互の関係を照らし出し、観想し、ポストWWW時代のわたしたち固有の韻文空間といふものを再構築し、結果、等身大の具象性ある身体性の復権につながればと願っています。
 いつか、また、あなたのあたらしい智慧による、あたらしい始まりが始まり、この世界のさらに奥の、いままで出会ったことのないやうな懐かしい風景が開かれるまで…。  


二千七年十二月十二日
「新考古学ことはじめ
ウェブの階層を地層とみなし、
ウェブ各層からサンプリングする。
(日本物語)であれば、そこへ焦点をあてて。



     最終更新:二千八年元旦 


       MEMO 第二弾






    
           美学研究所 歌座(うたくら) 
           平成十九年十一月吉日

       質問・問い合わせは日本物語担当までメールで。


          日本物語巻頭     歌座本巻